使節団、帝都に帰還す
太古の森を抜けた使節団は、ここまで護衛してくれたゴブリンたちに感謝し、別れを惜しみつつ帝国領へと帰還する。
行きに道をある程度切り開いておいたおかげもあり、ハルダ―男爵領へは然したる障害もなく辿り着くことが出来た。
「そうで御座いますか。この交渉が成立したことは両国にとって何よりの慶事となりましょう。何に致しましても無事の生還共々、まことに目出度き事と存じ上げまする」
帝国の最果てで苦労しているのだろう。年の割には深い皺が刻まれているハルダ―男爵の顔は、喜びを隠さず満面の笑みを浮かべている。
それもそのはず、ムベーベ国との交易が始まればこのハルダ―男爵領が彼の国からの帝国への入り口となるため、交易拠点として発展することが約束されているようなものである。
また、そのような大切な土地を守護する領主には、皇帝も今まで以上に目を掛けてくれるだろうという期待もある。
寂れた辺境にもたらされた吉報に、男爵のみならず領民たちも喜びの声を上げた。
そしてこの報は、ハルダ―男爵が出した早馬によって、たちまち街道沿いの貴族たちの知るところとなる。
街道を守護するクニスペル子爵を始めとし、協力を惜しまなかったレールツ子爵、オストカルンプ男爵らもこぞって喜色を表にする。
だが街道を守護する貴族で、ただ一人だけ焦っている者がいた。それはシュライッヒャー準男爵その人である。
あれから使節団を襲った賊の残党狩りに精を出していたが、捕えることが出来たのは本物の賊であったバーリンゲンの部下たちばかりであり、背後関係などの重要な情報を持つ者を捕えることが出来ずにいた。
シュライッヒャーは焦りに焦った。未だ帝都からは何の御咎めもないが、シュライッヒャーはいつ爵位と領地を召上げられるのかと気が気では無い。
賊の残党狩りの副産物として、領内に巣食う数々の悪漢たちも逮捕されて領民たちは挙ってシュライッヒャーに喝采を浴びせ、その報が皇帝の耳へと届く。
皇帝は最初、シュライッヒャーに処罰を下すかどうか迷った。個人的には、妹の身に危害が及ぶのを黙認したこの男に激しい怒りを抱いてはいたが、家族を人質に囚われていた事情もあるため処分保留のままにしておいたのだった。
ここで皇帝は、シュライッヒャーの元へ使者を送った。皇帝より使者が送られてきたシュライッヒャーは、正に飛び上がらんばかりに驚いた。
「シュライッヒャー卿、卿の領内で使節団が賊に襲われた失態は許し難くはあるが、その後の忠勤ぶりを賞してその罪を許すことにするとの陛下の仰せで御座います。さらに、今後増々の忠勤を期待するものであるとの陛下の御言葉で御座います」
使者のその言葉を聞いたシュライッヒャーは、文字通り魂が抜けたような顔をしながら皇帝陛下に更なる忠誠を誓ったのであった。
そして密かにシンに感謝する。シンは自分の罪を鳴らしたてる事もせずに、黙認してくれたのだと。
実際にはシンは全て皇帝に報告していたのだが、シュライッヒャーがそれを知る術は無い。
帝都への帰路を急ぐ使節団が自領に来ることがわかると、シュライッヒャーは自ら完全武装をして陣頭指揮をして使節団を迎え、道中を厚く警護する。
それに対してシンは何も言わない。何も言わないまま、黙ってシュライッヒャー準男爵領を後にした。
その行動で、シュライッヒャーはシンに許されたわけではない知る。だが、家の命脈を保つことが出来た事には心の底から安堵し、シンに対しても感謝していた。
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シンたち使節団が帝都に帰ると、帝都はまるでお祭り騒ぎであった。
大通りは凱旋将軍を迎えるかのごとく、人で溢れかえっている。
どうやら、シンが太古の森で巨竜マラクと戦った話が広まっており、また皇女であるヘンリエッテが一大冒険を成し遂げた事も民衆に伝わり、人気を博しているとのことであった。
また劇にされるんだろうなと、シンは心底嫌な気分のまま大通りを龍馬のサクラに騎乗したまま、宮殿へと進んでいく。
ここで、随伴の将であるヨハンが要らぬ気を利かして、シンが斬り落とした巨竜マラクの角を民衆にも見えるようにして運んでいく。
その竜の立派な角を見た民衆はどよめくが、それはすぐに熱狂的な歓声へと変わっていった。
だがその民衆たちの歓声もシンの耳には虚しく感じる。自分の負けを改めて突き付けられている感が、どうしても拭えずに震える手できつく手綱を握り締め続けたのであった。
宮殿に着くとシンと副使の二人は、謁見の間では無く中庭へと通された。
中庭には既に皇帝が待っており、その後ろにはちょっとしたパーティの用意がされている。
空を見上げれば吹き抜けるような晴天、だが今日は少しばかり風が冷たい。
冬の訪れがすぐそこまで迫っているのを感じながら、シンたちは皇帝の前に跪く。
「遠路御苦労であった。先触れより聞いておる。外交交渉は見事成功したと見て良いな?」
「はっ、ムベーベ国との相互不可侵及び通商の盟約を無事に結びまして御座いまする」
皇帝は満足気に頷く。次いで、ムベーベ国からの返礼の品の目録が読み上げられる。
銅鉱石は兎も角として、後は帝国には無い物ばかりであり宰相を始め、近侍の者たちは挙って首を傾げるのであった。
渡された目録に目を通した皇帝は、ある一文にその目を留める。
「ん? 何だこれは……狼一頭……名はクロートー……これは一体何か?」
「はっ、それは文字通り狼で御座います。ムベーベ国に於いて狼は貴重かつ神聖なものであり、それを送ると言うのはある意味において最大級の好意であると伺っております。クロートーと言うのは、某が付けた名前び御座います」
「ここに連れて来ておるのか? その狼を……」
「はっ、流石に許可なく宮殿に連れ込むのは憚られましたので、今は外にて碧き焔の者たちに世話を任せております」
皇帝は、どれその狼をこの目で見てみようとのことで、シンは仰せに従い子狼を迎えに一度退出する。
そして再び戻って来た時には、二頭の子狼を抱きかかえていた。
「二頭おるではないか」
「一頭は某が授かりまして御座いまする」
「で、どっちがその、クロートーとやらか?」
シンの腕の中で降ろせ降ろせともがく子狼の愛らしさに、皇帝も一目でやられてしまいその目を細める。
「こちらの赤い布を首に巻いたのがクロートーに御座いまする」
そう言ってシンは皇帝に無造作に近付いてその手に託す。
とは言っても大きさは中型犬ほどもある。皇帝は抱きかかえるようにしてクロートーを受け取った。
やんちゃ盛りのクロートーは、クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ後、皇帝の顔中を容赦なく舐めまわす。
「気に入られたようで何より……ぶふっ、くっくっく……」
顔だけでなく髪まで舐めまわされた皇帝のげんなりした表情を見て、シンは堪えきれずに吹き出してしまう。
見れば副使二人も、跪いたまま肩を細かく震わせている。左に立つ宰相は、皇帝とシンを見てやれやれと半ば呆れた表情で、侍従長と侍従武官はどうしてよいのかわからずに狼狽えている。
「……シン、さてはお主こうなるのを最初から知って……まぁ良い……」
皇帝はクロートーを地面に解き放ち、侍従長から差し出されたハンカチを受け取り、涎塗れの顔を拭った。
シンもアトロポスを放つと、二頭は新しい場所に興奮しながら駆け出し、冒険の旅へと赴いて行った。
「さて、気を取り直して……ささやかではあるが、卿らの功に対する祝宴を用意した。シン、立派に護衛の任を果たした碧き焔の者たちも連れてくるが良い。それと同行した近衛騎士養成学校の生徒たちもな」
「はっ、あの者たちも大層喜びましょう。では……」
実際は緊張して喜ぶどころじゃないだろうなとシンは思いながら、皇帝直々に催した祝宴に参加する栄誉を賜った仲間たちを呼びに行くために、中庭を再び後にした。
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