盟約成立なる
シンの問い掛けに大酋長は応え、厳かな口調で自らが信奉する大地神の伝承を話し始めた。
その内容は、大陸中の国々で崇め奉られている創生神ハルとほぼ同じであり、大地を作り、そこに生きとし生けるもの全てを創造した偉大なる神であると言う。
シンは大陸中で崇められている創生神ハルの伝承も大地神ハルと同じであると伝えた。
大酋長を始め、その場に居る全てのゴブリンたちは自らが信奉している神の偉大さが大陸中に伝わっていると聞き、さもありなんと満足気な笑みを浮かべた。
「シン殿は先程、神に会ったと申したがその確たる証しはおありか?」
シンはそっと腰に佩いた刀を外すと、両手で持って恭しく大酋長へと捧げて見せる。
いささか芝居じみてはいるが、ゴブリンたちは敬虔な信徒であることが窺い知れたので、わざとそういった行動を取って見たのであった。
その刀、天国丸を取った大酋長はしげしげと外見を眺めた後そっと鯉口を切って刀を抜き、刀身にその瞳を走らせた。
パライゾの真夜中に燦々と輝く碧い月のような光を放つ刀身に、ゴブリンたちはおろかヴァイツゼッカーとラングカイトの目も釘付けとなった。
その場に居る誰もが、その美しさに魅入られて息を飲み感歎の声すら上げることが出来ずにいる。
やっとのことでその魅了から解き放たれた大酋長が、刀身を鞘に納めると周りからは一斉に安堵の溜息の音が漏れる。
「これほどのものは未だかつて見た事が無い。シン殿はアバートラムと戦い勝利し、その角を斬り落としたと聞くが、それはこの剣を用いての事であろうか?」
シンは頷く。ハルに貰ったその刀と教わった魔法の力が無ければ、自分は今ここには居ないであろうことを伝え、さらに自分は勝者では無く敗者であり、相手が見逃してくれただけであることも正直に伝えた。
この地に降り立ってより三年あまりシンは戦いによって身を立て、糧を得てきた。
故に、こと戦いにおいては一切の嘘を付きたくは無いという誇りや自負というものが芽生えていたのだった。
ゴブリンたちにそのようなシンの抱く思いは、しかと伝わった。ゴブリンたちにとっての戦いとは、この厳しい環境での生存権を掛けた純粋なものであり、それは命の根源に通じる神聖なもの。それに対し嘘や誤魔化しは許されない。
戦いに対しては微塵も嘘を付かないというシンのその姿勢が、ゴブリンたちの信用を勝ち取った。
次に神が伝えし神託の内容とは何かと聞かれ、シンはあの神託の石の内容をそのままゴブリンたちに伝えた。
「なるほど。子々孫々生き永らえるためには、来るべき厄災を討ち払わねばならぬと言うことであるか……神は恵みを与えて下さるとともに、厳しい試練を御課しになられる。それが神の御意志であらせられるのであれば、我らは黙って従うのみ。研鑽を惜しまず、その厄災を見事払って見せましょうぞ」
シンは心中で大きく安堵した。一時は険悪になりかけた雰囲気も、今となっては先程よりも良くなっていると肌で感じていた。
その後は、先程までと違ってとんとん拍子で話が進んでいく。
話の内容が通商に関する実務的な事柄になると、シンは身を引いて二人の副使に任せた。
取り敢えずの輸出項目は、帝国が鉄を主体とし、ムベーベ国は銅を主体とすることが決まった。
将来的にシンの考案した液肥の効果次第で、薬草類の輸出が考案されることになっている。
また傭兵の件だが、その傭兵の最初の仕事は太古の森を通るそれぞれの隊商の護衛ということで決定した。
その護衛のゴブリンたちが用いる鉄製の武具は、帝国が供与することなどが決定された。
こうして帝国とムベーベ国の間で、相互不可侵と通商の盟約が結ばれることとなった。
そう……少しずつでいい。少しずつ仲良くなっていけばいいのだ。帝国にはまだ亜人軽視の風潮は残っているし、ゴブリンたちも直接ここに赴いた我々の事は信用していても、まだ帝国自体を信用してるとは言い難い。だが取り敢えずは盟約は成った。後はこの話を噂として亜人たちの間に広め、後々の亜人たちとの交渉に有利な材料の一部としなければならない。
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盟約が結ばれた後、シンたちは晩餐へと招待された。広い中庭にテーブルが幾つも並べられ、そのテーブルの上には幾つもの色とりどりの御馳走が所狭しと載せられている。
自由に好きな物を好きなだけ食べて欲しいと、シンたちは空の大きな皿と木の匙を各自渡された。
要するにバイキング形式の立食パーティである。帝国でもこのような形のパーティはしばしば催される。
全員に酒が配られると、ゴブリンたちは陽気に天へと酒杯を掲げた。
シンたちもそれに応じ、乾杯の声を上げる。
テーブルに積み上げられた肉料理も様々な種類がある。ざっと見ただけでも、猪、鳥、大蜥蜴などがあり焼けた香ばしい匂いが食欲をかき立てていく。
「お、これは葛だな……」
葛のつる先を油で揚げ、上から胡麻を振りかけている。
「胡麻があるのか! ということはこれ胡麻油で揚げてあるのか……どうりで香ばしいと思ったよ。んん~美味い、胡麻の風味が堪らない。おっ、これは山芋だ!」
帝国では見られなかった食材の数々の中に、日本に通づる物を見つけたシンの涙腺は次第に緩んでいく。
美味い美味いと言いながらシンは次々と料理を頬張る。そんなシンを見て、ギギも満足そうに笑う。
そしてギギはちょっとした悪戯を思いついた。シンの袖を引っ張り、あるテーブルへと誘う。
そしてそのテーブルの上にあるお浸しのような物をシンへと薦める。
シンは早速それを皿に盛る。そしてそのお浸しを口に含んだ瞬間、シンは両目から涙を流した。
口の中を覆う清涼感を伴った辛味……それは日本人にとって馴染みの深い味、それは山葵であった。
鼻にツーンとした痛みが走り、目から涙がこぼれ落ちる。
ギギは、悪かったと笑いながら口直しの酒を渡そうとするが、シンはそれを受け取らずギギの肩をがっしりと掴んだ。
「ギギ、これ山葵じゃないか! 山葵を栽培しているのか? いやー懐かしい味だ……まさかこんな所で山葵に出会うとは……ギギ、ここには葉っぱと茎しかないが、根も食べるんだろ? 擦ったりしてさ」
ガクガクとシンに強く肩を揺さぶられるギギは、ただ頷く事しか出来ないがどうやらシンが喜んでいるらしいとわかって安心する。
「何だ、シン。美味い物でも見つけたか?」
その騒ぎを見てハーベイたちが近寄って来る。シンとギギは黙って顔を見合わせて含み笑いを漏らすと、ハーベイを始めとして寄って来た者たちに山葵のお浸しを薦める。
「ぶふぁ」
口いっぱい山葵のお浸しを放り込んだハーベイが盛大に吹き出して咽るのを見て、シンとギギは腹を抱えて笑う。
見れば周囲のゴブリンたちも、ハーベイの姿を見て面白そうに笑っている。
「ほぅ、これは……酒のつまみに良いかも知れんな……」
咽ながら鼻を押さえているハーベイを横目に、ゾルターンが山葵を少しだけ口に含んでその辛さに舌鼓を打つ。
結局、酒飲みたちには山葵は受け入れられ、カイルやクラウス、レオナやエリーなどは顔を顰め二度と口にはしなかった。
「なんですの~これは! エマ、エマ、口の中が火事ですわ! 水を、水を!」
山葵を口にしたヘンリエッテは大粒の涙を流し、痛む鼻を指で抓みながら皇女らしさの欠片も無い姿で、筆頭侍女に助けを求めた。
それを見てシンもギギも大笑いをする。
「確か山葵って、冷たい水が無いと育たないよな……そうか! 神々の屋根から流れる清流があるから山葵が育つのか!」
シンがゴブリン語ではグビルと呼ばれている山葵を知っていることに、ギギは驚いた。
聞けばシンの故郷でも皆に親しまれていたと知り、ゴブリンたちは驚き、かつ山葵の良さを知っているシンに親しみを抱いた。
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昨日は寒かったです。まだ十月だというのに群馬や長野で雪が降るとは……一体どうなってるんでしょうかねぇ……




