巨竜マラク
「師匠、僕も行きます! 連れて行ってください」
カイルの真っ直ぐな眼差しを受けて、シンは微笑んだ。それは未だかつて誰も見たことの無いような、穏やかさを秘めた笑みで、それを見たクラウスは師は自らの命を捨てる気なのだと悟った。
「カイル、俺はあの竜と約束しちまったんだ。だから今回は俺一人で戦う」
「いやだ、僕も一緒に行く! 僕たち全員で掛かれば何とか……」
「……ならねぇよ……あれは無理だ。たとえ万余の兵を集めても勝てっこねぇ。それはお前にもわかっているはずだろ?」
カイルは反論できずに唇を強く噛みしめた。カイルもクラウスも年若いが、数多の戦いを生き抜いた一端の戦士である。相手と自分の力量の差は見ただけでわかってしまう。
「でも……」
「でももクソもねぇ。聞き分けてくれ、後ろには皇女殿下もおわす。何があってもここで全滅するわけにはいかねぇんだ。クラウス、お前はもう帝国に仕えている人間だ。お前は、わかるよな?」
カイルの背中にクラウスのしゃくり上げる声が響いて来る。
こんなことなら騎士になるんじゃなかったと、クラウスの嗚咽を堪えきれずに泣きじゃくる。
「クラウス、お前も行くよな?」
カイルは振り返ってクラウスにを見た。だがクラウスは泣きながら首を横に振った。
「なんでだよ!」
「俺だって着いて行きたいよ! でも俺じゃ、いや……誰が着いて行っても足手纏いにしかならないのはお前だってわかるだろ!」
「そんなのやってみなければわからないだろ!」
「クラウスの言う通り、お前たちは足手纏いだ」
カイルは敬愛する師の言葉に怒りを感じた。どうして連れて行ってくれないのか、あなたに救われた命をどうしてあなたのために使わせてくれないのかと。
「カイル、落ち着け、そして聞き分けろ。俺は別に死にに行くわけじゃない。勝率は確かに低いだろうが、俺はまだ諦めてはいねぇ……厳しい戦いになるだろう。誰かを庇いながら戦うのは無理だし、指示を出す事すら出来ないかも知れない。他の事に微塵でも気を回していたら僅かな勝機も得られない、そんな戦いだ。そんな中でお前たちにうろちょろされたら、はっきり言って迷惑以外の何物でもない」
「戦いが始まったら、僕の事はほっといてもらって結構です。連れて行ってください、お願いします!」
カイルは跪き血に頭を擦りつけて、泣きながら嘆願する。
シンは首を横に振ると、屈んでカイルを無理やり立ち上がらせる。
「仕方のない奴だな。なぁ、クラウス」
連れて行ってもらえる。あの竜に叶わずとも、共に戦い共に死すことが出来ると、カイルは涙を流しながら微笑んだ。
そう言ってシンは、クラウスの方に視線を投げかける。カイルもそれに釣られてクラウスの方へと振り向いた瞬間、シンはカイルの首筋に鋭い手刀の一撃を放った。
まったくの予期せぬ一撃は、カイルの意識を容易に刈り取る。
「おっと……」
四肢から力が失われ、崩れ落ちるカイルをシンは受け止めると、そのままカイルの体をクラウスへと預ける。
カイルを抱きしめるようにして受け取ったクラウスの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃであった。
そのクラウスの頭を、シンは剣だこで岩のように硬くなった手のひらで壊れ物を扱うが如く、優しく優しく撫でまわす。
「クラウス、立派な騎士になれ。お前の夢は、俺の夢でもあるんだ。それと一つ頼まれてくれないか? パーティの事は勿論だが、帝都に居るハイデマリーとローザ、オイゲン夫妻が生活に困らないよう取り計らってくれ。陛下に預けてある金を分配してくれれば問題無いと思う。頼んだぞ」
シンの手がクラウスの頭から離れて行く。死を決して戦いへと赴く師に、クラウスは声を掛ける事が出来ず、ただただ泣きじゃくることしか出来ない自分の無力さを呪った。
「ヨハン、使節団の指揮を頼む。ここまで来たら前々からの打ち合わせ通りに動けば問題無いはずだ。皇女殿下を頼むぞ。それと……陛下に…………エルに伝えてくれ…………すまない……と」
何を言っても無駄であるとヨハンは悟っていた。それにこの危機を逃れるには、シンの言う通りにするしかない事も理解していた。
「……シン殿! …………ご武運を…………」
ようやく絞り出すようにして口から出たのは、極々ありきたりな言葉であり、ヨハンは自分の語彙の少なさを恥じて拳を強く握りしめた。
「おうよ! じゃあ頼んだぜ」
次にシンはギギの元へ行く。
「ギギ、すまねぇ……どうもお前の国には行けそうにねぇ……俺も戦士の端くれだ、一対一の勝負を挑まれて逃げるわけにはいかねぇんだ。ギギならわかるだろう?」
ギギは目を瞑って深く頷いた。
「シン、思ウ存分戦ッテ来イ。ソシテ勝テ、勝ッテ勝利ノ美酒ヲ組ミ交ソウ。ギギハ、イツマデモ待ッテイルゾ」
「ああ、勝つさ。今までだって勝って生き延びて来た。今回だって勝って見せるさ。ギギ、今の帝国の皇帝は良い奴だ。せめてあいつが皇帝の間は、仲良くしてやってくれないか?」
「我ノ一存デハ決メラレヌガ、努力シヨウ」
去って行くシンの後ろ姿を見てギギは呟く。我は無力だと……
「ありがとよ」
倒れている四人を介抱しているエリーに近付いて指示をする。
「エリー、この四人は無理に起こすな。あの竜の咆哮を受けて、脳みそを揺さぶられちまってる。自然に目を覚ますまで極力動かすな。それと、今までありがとうな。カイルをよろしく頼むぞ」
「何よ! 昨日せっかく怪我を治してあげたのに無駄じゃないの!」
大粒の涙をぽろぽろと零すエリーの顔に手を当てると、その涙を手で拭ってやる。
それでもあとからあとから涙が溢れ、それは決して止まることが無い。
「無駄じゃねぇさ。それに、まだ死ぬと決まったわけじゃないぜ。勝っても多分ボロボロになるだろうから、魔力温存しといてくれよな」
シンは仰向けに寝かされているレオナの美しい長い髪を指でそっと掬い上げて、その香りを嗅いだ。
何とも形容しがたい柔らかな香り、その香りを忘れぬようにとシンは強く息を吸い込んだ。
「すまん。許せよ」
そう言って頬を一撫でし、隣ですぅすぅと寝息を立てているマーヤの頬もそっと撫でる。ついでに頭頂の髪の間から覗く、柔らかな耳を指でつまんでその感触を楽しんだ後、立ち上がってゾルターンとロラに今までの感謝を込めた一礼をした。
「ハンク、パーティの指揮を頼む。ハンクもハーベイも、皇帝陛下から直々に騎士位を授かった騎士なのだから、それに相応しい振る舞いをしろよ。後を頼むぞ」
ハンクとハーベイは何も言えない。騎士位を授かってしまった以上、二人は皇帝に義理が生じている。
元々義理堅い性格をしている二人である。くどくど言わずとも、承知していることだろう。
「じゃあ、行って来るぜ。そして勝って、必ずみんなの元に戻って来るからな。おう、待たせちまったな。じゃあ、場所を変えようぜ」
これが今から死ぬとわかっている戦いに赴く者の言葉なのか? まるで近所に買い物に行くかのような軽い口調で別れを述べると、シンは振り向くことなく一歩一歩と足を進めて行った。
シンは竜の方へと歩き出す。竜は着いて来いと言わんばかりに背を向けると、深い森の中へと木々を薙ぎ倒しながら道を作り、二人はやがて森の奥へとその姿を消していった。
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一頭と一人は森の中を並んで歩く。これから殺し合いをするとはとても思えない程、二人の纏った空気は穏やかであった。
既に竜が姿を現した際に、木々は薙ぎ払われある程度の道は出来ていた。途中からその道へ辿り、使節団がいる抜け道から距離を取る。
「なぁ、お前さん………名前はなんて言うんだ? 教えてくれよ。勝っても負けても、相手が名無しじゃ様にならねぇよ。俺の名はシンだ。」
竜はシンを見てキョトンとした。実際には表情は変わっていないが、何故だかシンにはそう感じた。
「我が創造主に与えられし名は、CWF002だ」
Cはセントラル、Wは方位の西、Fは森で数字は製造された順番であった。それ以外の名前などは与えられてはいない。
「はぁ? それコードネームかなんかか? 創造主ってのも案外センスねぇな」
この世界の最上位である創造主に対して、そのセンスの無さを鼻で笑うシンを見て、竜は驚くと共に腹の底から笑いが込み上げてくる。
この竜とて創造主を信じ奉っているわけではない。くだらぬ誓約をこの身に課した創造主を、寧ろ憎悪していると言っても良い。
「CWF002……ちっ、言い難いな。よし、俺が勝手に名前を付けてやる。そうだなぁ……マラクってのはどうだ?」
「ふん、名前などはどうでも良いが……それはどういう意味を持つのか」
然して興味を惹かれたわけではないが、竜はその意をシンに問うた。
「俺の住んでいた惑星の西の方で奉られていた竜の名だ。あんなコードネームより、こっちのがよっぽど良いだろう?」
「好きに呼べば良い。我の生に名など然したる意味を持つわけでもない」
そう言いつつも竜は、己の心に不思議な感情が芽生え始めている事に戸惑いを感じ始めてもいた。
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