蜘蛛人の網
見知らぬ白い天井、目を覚ましたシンは飛び起きた。
直ぐに自分の身体を見ると、鎧とインナーの綿当ては脱がされ服一枚となっていた。
「師匠!」
「シン様!」
声のする方へ顔を向けると、そこには自慢の二人の弟子と目を赤く腫らしたレオナの姿があった。
そのレオナがシンに手を伸ばして抱きつこうとするよりも早く、脇から女性特有の柔らかな香りを漂わせる何者かがシンに抱きついた。
シンは慌ててそれを引き剥がそうとするが、見慣れた毛並みの良い尻尾が、はち切れんばかりに大きく左右に振られているのを見て、手に入れた力を緩めてさせるがままに甘んじた。
マーヤがシンの胸元に飛び込んで頬擦りしている様を見たレオナは、その首根っこを掴んで強引に引き剥がそうとする。
だがマーヤもシンの首筋に手を回して激しく抵抗を続けた。
「はいはい、あんたたち怪我人相手にいい加減にしなさいよ」
その二人の首根っこをエリーは掴むと、軽々と二人を後ろへと放り投げた。
体重の軽い女性とは言え、大人一人を片腕一本で軽々と投げ飛ばす様を見たカイルとクラウスは、互いの顔を見て首を竦ませる。
「どう? どこかまだ痛いところはある? もう、大変だったんだからね。肺は片方潰れてたし、あちこち骨折してるしで……」
エリーがシンの額に手のひらを当てて、熱の有無を確認する。
「骨折の熱も下がったみたいね」
「すまない、助かった。それで敵は? ここは何処だ?」
「蜘蛛人はギギが止めを刺して倒しました。ここは、あの中継地点の空き地です」
シンの問いにカイルが答える。
冷静になって良く見れば、いつも野営で使用している天幕の中であった。
「すまんが、カイル……みんなを集めてくれるか? 持ち場を離れられないのなら仕方がないが、魔法を使える者たちは必ずここに来るように伝えてくれ」
「わかりました、直ぐに皆に伝えます」
そう言うとカイルは、素肌を極力晒さないように外套を目深に被った。
十分も経たないうちに、碧き焔のパーティ全員が天幕へと集まった。
ギギは天幕に入ると、開口一番シンへの謝罪の言葉を口にする。
「スマナイ、我ガ傍ニ居ナガラ、ソノヨウナ目ニ合ワセテシマッテ……」
「いや、謝るのはこっちの方だ。油断した、迷惑を掛けてしまい申し訳ない。全員集まったな……あの蜘蛛人と戦って幾つか気が付いた事があってな、特に魔法を使える者は注意して聞いてくれ。あの蜘蛛人の網なんだが、あれに捕まると魔法が使えなくなる」
「なんじゃと! それは真か?」
ゾルターンが驚きの声を上げる。他の者たちも、声こそ上げないものの、一様に驚きの表情を浮かべている。
「ああ、より正確に言うと網に捕えられている間、マナが吸い取られ続ける感じかな……それと皆に聞きたいことがあるんだが、蜘蛛の巣って普通はこんな形だよな?」
そう言ってシンは地面に指で蜘蛛の巣を描いて行く。書かれた蜘蛛の巣は、地球に居る蜘蛛と同じような形をしていた。
シンはこの世界で、蜘蛛の張った巣を宿の廊下の隅や民家の軒下などで何度も見ている。
「ああ、見た所なんでもない普通の蜘蛛の巣だな……それがどうした?」
ハーベイがその図を見て、何の変哲もない普通の蜘蛛の巣だと太鼓判を押す。
「それが、俺が蜘蛛人の網に捕えられる直前に頭上に広がった網の形は、これじゃなくてもっと複雑な形をしていたんだ」
「それが一体何だ? 何が言いたい?」
「なぁ、ゾルターン……例えば、漁師が使う網を魔法陣とかの形に編んだりしたら、それで魔法の発動は可能か?」
「むっ、出来る……やも知れんな。やったことも、またやろうとしたことも無いから断言は出来ぬが……まさかシン、お主はあの蜘蛛人が投げた網そのものが魔法陣で、その効果によってマナが吸われたと考えておるのか?」
「まぁな……それかあの糸自体にマナを吸う効果があるか……前者だとかなり危ないな」
どうしてだ? とハーベイが身を乗り出して聞いて来る。
「何故なら、あの網自体が魔法陣ならば、編み方次第で無限の可能性を秘めていることになる。今回はマナを吸う魔法効果だったが、次は違うかも知れない」
「なるほどの……確かにそれは難儀じゃの。蜘蛛人が相手に合わせて魔法の網を作るのだとすれば、捕まったらほぼ間違いなく、一巻の終わりと見るべきじゃの」
「ああ、恐ろしい相手だ。この森は一瞬たりとも油断できないと、この身をもって思い知らされたぜ。ギギが強い理由もわかったよ……あんな強敵が近くに居たんじゃ、そりゃ強くならなきゃ生き残れないもんな」
「でもどうして蜘蛛人は師匠を狙ったのでしょう? 失礼な言い方かもしれませんが、もっと狩り易い相手が他にもいたんじゃないかなと思って……」
カイルの持つ疑問は、シンも抱いていたものであった。
「う~ん、そうだなぁ……考えられる理由は二つ。一つは俺が単独行動を取ったこと」
「ナラバ我ガ襲ワレテモオカシク無イ。我ノ方ガ、体ガ小サクテ狩リ易イハズダ」
「だとするならば、やはりあのマナを吸い取る網に秘密があるな……こうも考えられるか、蜘蛛人には俺たちの持っているマナがわかっていて、偶々その内の一人である俺が単独行動を取ったので選ばれた……」
「まぁ、それならば納得はいくが、単に腹が減っていて大きい獲物を欲しただけかも知れんぞ。一度の事例で結論を出すのは危険だ」
「慎重なハンクらしいな……だが、その通りだ。断定するには材料が足りない。今わかっていることを整理すると、蜘蛛人は攻撃方法から待ち伏せ専門の狩人。現に体色を周りに合せて変化させていた。これをやるのは敵から隠れるか、獲物に気付かれ難くするかのどちらかであり、蜘蛛人はおそらく後者であると思われる。そしてあのマナを吸い取る網……あの網が厄介極まりなく、網にはべとつく粘着剤のような物が付いていて、容易には振り解けない。伸縮性にも富んでいて、引きちぎろうとしても中々に難しい」
「で、具体的な対策は?」
「待ち伏せ型なら、やはりこっちが先に見つけるしかねぇ。勘とマーヤの鼻が頼りだな。後は何があっても単独行動はしない事。兵たちにもこれは徹底させよう。まだ決まったわけじゃないが、魔法を使う者はより一層の注意を払ってくれ」
レオナを始めとし、カイル、エリー、ゾルターン、マーヤ、そしてロラが頷いた。
戦闘前のミーティングや戦闘後の反省会、そう言ったものは冒険者にとって必須である。
シンやハンクたちは、迷宮に挑んでいた頃からこれらを欠かしたことは無い。
やらねば死ぬ。ただそれだけの事である。厳しいこの世界で、一日でも長く生きたいのであれば、僅かな手間暇でも惜しんではならない。
シンが反省会を終えようとしたその時、俄かに野営地が騒がしくなる。
「何だ? 敵襲か?」
「いや、敵襲の声が上がっていない。多分あれだ、例のブブルカだ。さっき俺の頭にも張り付いて来やがったぜ。ハンクが急いで叩き落としてくれたから怪我は無いが……いや、怪我はあるな。ハンクの野郎、手加減せずに小突きやがって見ろよ、ここに瘤ができちまったじゃねぇか!」
髪を掻き分けて出来た瘤を見せるハーベイに、噛まれて穴が開くよりはマシだろうと、ハンクは笑って取り合わない。
ブブルカ……あの吸血モモンガだかムササビだか……二人のやり取りを見ると、事前に取った対策が功を奏しているようでシンは安堵した。
「夕暮れだったんで、慌てて野営の準備をしたんだが、間に合わなくて数人がブブルカに襲われた。ああ、心配しなくていい、襲われた者たちは皆軽傷だ。これもギギが、ブブルカ対策を教えてくれたおかげだな。皆肌を露出させてないせいか、ブブルカも何処に止まっていいのかわからないんじゃないかな? ハーベイのように頭にとか背中に止まることが多いみたいだ」
聞けば篝火を普段の倍以上焚いているという。ブブルカは兎に角光を嫌う傾向があるので、これが効果的なのだそうだ。
「と言うわけだから、表に出る時は素肌を晒さんようにな。では、俺たちは配置に戻るよ。多分入れ替わりで副使殿たちや皇女殿下がお見えになると思うぜ。皆心配していたからな」
そう言ってハンクが立ち上がると、ハーベイを始め皆が元の配置に戻るべく天幕を後にした。
「私も怪我人が出ていないか見廻って来るわ」
「あっ、なら自分もエリーの護衛に付きます」
そう言ってエリーとカイルも天幕を出て行く。残ったのはシンとレオナとマーヤの三人のみ。
要らん気を使いやがってとシンは、苦笑する。
レオナとマーヤは好機到来とばかりにシンににじり寄るが、それは入れ代わり立ち代わり訪れる見舞いの者たちによって遮られ、二人は人知れず臍を噛むのであった。
やばいやばい、マジ寝坊した。




