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帝国の剣  作者: 0343
307/461

夕暮れの奇襲



 光源が無ければ先に進めないほどに薄暗い森の中では、太陽の位置で時間を知るのは困難である。

 時折ある木々の隙間から降り注ぐ陽光の強さだけが、現在の時間を知る術であった。


 腕時計の一つでも、バスから去る時に手に入れておけば良かったか……いや、ここは地球ではないのだから、自転や公転速度も違うだろうしあまり意味は無かったかもしれない……陽光の強さと差し込み具合から、恐らくだがもう昼下がりだろう。


 この世界では食事は朝晩の二食であるが、幾らかの小休止を取っているとはいえ、歩きづめであることも考慮し、水分の補給とカロリーの補給として、人馬ともに水とドライフルーツなど、龍馬には干し肉を与えている。


「ギギ、どうだ? 夕暮れまでに間に合いそうか?」


 ギギはシンが見ている木々の隙間を見て、少し考えてから返事した。


「コノママナラ、大丈夫」


 このままとは詰まり、アクシデントや敵襲が無ければ間に合うと言う事だろう。


「よし、出来る限り急ごう。何だかこの森は物騒な感じがしてならない」


 先程からシンの首筋がチリチリとした感覚に包まれていた。これが生じた時には、決まって命の危険に脅かされるような目に合うのだ。


「なぁ、ギギ……さっきから妙な気配を感じるんだが……どうだ?」


「ウム。ギギモ同ジ……気ヲ抜カナイホウガイイ」


 シンたちが感じた気配、それは樹上からシンたちを狙う八つの目から発せられるものであった。

 その気配の持ち主は、体表を変色させ木々と同化させながら、獲物が単独で動く機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

 偶然にも感じた森のざわつきから、外部からこの森への侵入者の存在を知り、注意深くそのざわめきの元へと近付いて見れば、見ただけで涎がこぼれ落ちそうな獲物が列をなしているではないか。

 それは喜び勇んで早速一人二人を攫って、貪り喰らおうと狩りの用意を始め、どの獲物にしようかと舌なめずりをしながら吟味していると、獲物の中に多量のマナを含んだ個体がいる事に気が付いた。

 それも一人や二人では無い。マナを多く含んでいる個体は、列の前の方に群れていた。

 血肉だけでなくマナにまでありつくことが出来るとは……それは喜びに打ち震えながら、獲物たちの中で一番大くマナを含んでいる個体を探し出して狙いを付けたのだった。



---



「ここか! 確かにここなら全員一塊で夜を明かすことが出来るな。ギリギリだったな……もう日没まであまり時間が無い。俺は後ろに行って、急ぐようにと伝えて来る」


 空き地に差しこむ光は茜色に色付いている。急がねばすぐに日は沈み、あたりは闇に包まれてしまうだろう。

 だがシンは、何とか間に合ったという安心感からか、肩の力と共に僅かではあるが気も抜いてしまい隙を作ってしまった。

 ギギから離れ、百メートルほど後方に見える列の先頭に向かって歩き始めたその時、頭上から白い網が傘状に広がってシンをすっぽりと包みこんだ。

 狙いを定めた獲物が単独行動を取るのを我慢強く待っていた蜘蛛人は、その狙いを定めた獲物であるシンが単独行動を始めたこの好機を逃さなかったのだ。


「し、しまった! クソ……抜け出せねぇ」


 シンは網に手を掛け破り、無理やり抜け出そうと試みる。だが、網はまるでゴムのように伸縮性に富み、更に等間隔で付着している粘着性の液体によって、もがけばもがくほどに網に付着し体を絡め取られてしまった。

 網は人間一人の重さなどまるで感じないというような、物凄い力によって樹上へと引き揚げられていく。


「シン!」


 シンの叫び声に気が付いたギギは、慌てて矢を番えて網の持ち主を探すが、鬱蒼と生い茂る木々の枝によって、射線が遮られてしまう。

 同じく叫び声に気が付いた碧き焔のメンバーが、後方より駆けつけて来るが、彼らがその場に到着した時には、すでにシンの姿は影も形も無かった。


「ギギ、何だ、いったい何があった?」


 樹上を見上げながらキョロキョロと目玉を動かしているギギに、駆けつけたハンクが問い掛ける。


「敵、蜘蛛人、シン、蜘蛛人、攫ワレタ!」


「な、何! ど、どこだ!」


 ハンクはすぐさま腰から剣を引きぬくと、ギギと同じように頭上を見上げた。

 同じように着いてきたハーベイも、何時でも場げられるようによ短槍を肩に担ぎ構えた。


「何処だ! 何も見えないぞ、シンは何処にいる!」


「黙レ! 音ガ聞コエン!」


 ギギが犬歯を剥きだしにして吼える。襲撃者が発する僅かな音を、ギギは聞き分けることでその位置を割り出そうとしていたのであった。

 鬼気迫るギギの問答を許さぬ声に、ハンクとハーベイは口を噤むと、それぞれの背後を庇い合うようにしながら頭上を見上げてシンの姿を探し求めた。


 ――――ぐっ、このままでは……

 

 網に絡みとられたシンは急激に上へと引き揚げられる浮遊感の中、脱出の術を探ってみるが、動けば動く程に網は絡み締め付けて来る。

 左手にマナを集めて火炎を放って網を燃やそうと試みる。網が延焼すれば自分も多少の火傷を負うかも知れないが、命を失うよりは遥かにマシである。だが、シンが幾ら魔法を発動しようにも左手からは種火ほどの炎も出ることは無かった。


 ――――どういうことだ? ならばブーストの魔法で無理矢理破るまで!


 だがブーストの魔法を唱え網を破ろうと手に力を込めるが、引きちぎるどころか力が抜けて網は締め付けを増すばかりである。


 ――――ま、魔法が使えない? まさか、こいつは……


 もう一度急ぎ火炎放射の魔法を唱えて見るも、手のひらからはいつものような火炎が放たれることはなく、左手に集めたマナが急激に外へ吸い出されるような感覚を受けて、慌ててマナを左手に送るのを止める。


 ――――やはり! この網はマナを吸っているんだ、拙い、拙いぞこれは!


 背にしょっている大剣は抜くどころか、それに手を掛けることも出来そうにない。

 わずかに動く手を必死に動かして腰に備え付けてある短剣を引き抜き、網を切ろうとするが体勢が悪く、思うように網を切ることが出来ない。


「がっ、し、しまった!」


 樹上に引き上げられている途中で、大木の幹に網ごと体を叩きつけられ、その衝撃によって手から短剣がこぼれ落ちる。


 ――――万事休す……このまま身動きとれずに敵の手に掛かって命を落とすのか! まだだ……まだ俺は死ぬわけにはいかねぇ!


 シンは、腰に佩いた愛刀の鯉口を切ると、抵抗を止めて静かにその時を待った。


 ――――こうなっては仕方が無い。この網ごと近付いてきた敵を斬り捨てるまでのこと……だが体勢が悪い。普通に斬りつけたんじゃ駄目だ……そうなるとやはり、魔法を使わねばならんが……


 抵抗を止めた網はするするとスムーズに太い木の枝の上へと引き揚げられる。

 その枝の上には下半身が蜘蛛、上半身が人という世にも奇妙な姿の生き物が、大きな牙を持つ口からおびただしい量の涎を滴らせながら待ち構えていた。

 シンの目と蜘蛛人の目が合う。シンの目は既に赤光を放っており、マナを吸われながらもブースト状態を維持し続けている。対して蜘蛛人の目はその名の通り蜘蛛のような複眼で、額や側頭部にある複眼は無機質な青色を発していた。

 蜘蛛人は大きな牙の生えた口を、もぞもぞと動かしながら、網に巻かれたシンを手繰り寄せる。

 シンは網に絡め取られた際に破ろうと暴れたがために、あちらこちらに網が絡み、粘着性の液が付着して足は胡坐を組んだような格好となっていた。上半身はというと、左腕を前へと突き出して何とかスペースを作り、それ以上網が絡むのを懸命に防いでいる。


 その恰好の無様さを見て、無駄な事をと蜘蛛人は笑いつつ、何処に牙を突き立てようかと首を左右に傾ける。

 網より手に伝うマナの濃さといい、深い味わいといい……ああ、なんという甘露であろうか。この分なら、さぞその血も美味かろう。

 そのふてぶてしい顔に牙を突き立てようか、それとも布が巻かれている首筋に牙を突き立てようか……決めた、首だ。首に牙を突き立てて、その血を一滴残らず飲み干すのが良い。

 何よりもこのような良質なマナを持つ良き獲物の、その命が潰える瞬間の断末魔を聞きながら滴る血を飲飲む血の味を想像しただけで、涎が止まらぬわ。

 そう考えた蜘蛛人は、牙をガチガチと鳴らしながら近付くその瞬間を、シンは恐怖に耐えながらただじっと待ち続けていた。

 好機到来、今であると、網にマナの大半を吸われるのは覚悟の上で、シンは瞬間的にブーストの魔法を最大の力を込めて唱えると、右手で愛刀の天国丸を抜き、そのまま思いっきり横へ真一文字に薙いだ。

 天国丸の刃はシンの期待に見事に応え、容易く網を斬り裂きながら、そのまま蜘蛛人の胴を薙ぎ払う。

 迸る鮮血、迸る絶叫! それは勿論シンのものでは無い。

 蜘蛛人は人とは違う真っ青な血を撒き散らしながら、よろめき枝から足を踏み外してそのまま地面へと落下していく。

 蜘蛛人は手に網を絡めたまま落下を始め、まだ網から完全に脱していないシンも、それに引き摺られて樹上から落下する。

 シンは慌ててもがいて網から抜けだすと、手を伸ばして手近な枝を掴もうとしたが、目が霞んでしまい目測を誤り、枝を掴む筈の手は虚しく空を切ってしまう。

 目の霞み、それはマナ欠乏症の初期症状のひとつであった。蜘蛛人の網は、シンが思っていた以上にマナを吸い上げていたのだ。


 シンは叫び声を上げながら、そのままバキバキと幾つかの枝を折り、背中から地面に落下した。

 枝にぶつかった事で幾らか落下速度は和らいだが、それでも十数メートルもの樹上からの落下の衝撃を全て吸収することは出来ない。

 激しい衝撃が背中から全身へと突き抜け、そのせいで肺腑の中の空気を全て吐き出し声を上げる事も出来ずに、そのままこと切れるようにシンは気を失った。

 

 

 

 

 

 


 

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