鎧ヤスデ
頭上を覆い隠さんばかりに鬱蒼と生い茂る木の葉の間から、微かに陽光が差し込むものの、太古の森の抜け道は、明かり無しでは行軍に支障を来たすほどに薄暗い。
現在帝国で用いられている夜間用の光源は、蝋燭、ランタン、松明、魔法や魔道具に類する物が主である。
帝国の蝋燭は、シンにはよく分からない何らかの動物の脂を使ったもので、芯は何かの植物を編んだ物が使われている。
ランタンは、その蝋燭を立てる物と、動植物から採取した油を燃やす物の二種類がある。
松明は木の先に松脂やらをべっとりと塗り固めた物で、軍隊や冒険者が使用する物は、いざという時に打撃武器としても使えるようにと、棍棒のように太く作られている。
地面に置いたり落としたりしても、直ぐには消えたりしないため、軍隊や冒険者は蝋燭やオイルランタンよりもこの松明を好んで使用する。
最後に魔法だが、シンやゾルターンのように火炎系の魔法を光源とするのは、余程の緊急の時だけで、光源として用いるのは、ただ光を発するライトの魔法が使われる。
だが、使用中はマナが駄々漏れになるため、高位の魔導士でも連続使用は制限されてしまう。
それに比べ、エルフたちが使う精霊魔法で呼び出す光の精霊であるスプライトなどは、呼び出す時にある一定のマナを精霊に譲渡するので、エルフたち本人からマナが駄々漏れ状態になることはない。
マナを譲渡された精霊は、そのマナを使って数々の超常現象を引き起こし、譲渡されたマナを使い切ると精霊は消えてしまう。
であるから、スプライトを呼び出して長時間光源とするのならば、最初にある程度の纏まった量のマナを譲渡しなくてはならない。
最後に魔道具だが、魔道具の多くはその起動にマナが必要だったり、あるいは儀式が必要だったりとして今一つ使い勝手が悪い物が多い。
必然的に魔道具の価値というものは、強い効果を発揮したり、誰もが容易に使える物が高くなるという傾向がある。
光源の魔道具に関して言えば、起動にマナを消費したり儀式を必要とするような物は敬遠され安価で売られ、逆に誰もが簡単に使える物は大変な高値で取引されている。
冒険者パーティである碧き焔に関して言えば、光源の担当はもっぱら精霊魔法の使い手であるハーフエルフのレオナが担当していたが、これにエルフのゾルターンとロラが加わったことにより、夜でも絶えず松明などとは比べものにならない光源を確保することが出来た。だが念のために各位、背負い袋に松明の一本は用意している。
シンはギギから事前にこの太古の森の中は日中でも薄暗いと聞いていたので、入る準備として大量の松明を用意させていた。
だが予想していたよりも森の中は遥かに暗く、入口から数十メートルも進むと、真昼間でも光源が無ければほぼ何も見えない状態であり、のっけから用意した松明を使う羽目に陥っていた。
「ある程度の余裕を見て用意はしたが、果たして間に合うだろうか……」
「シン、途中デ一晩夜ヲ明カス必要ガアルゾ」
「ああ、途中に道の整備のために作られた大きな空き地があるんだろ? そこで夜を過ごす予定だ。ギギ、このペースで日が落ちるまでにそこに辿り着けるかな?」
「ウ~ン、何事モ無ケレバ、多分平気」
この抜け道は、ゴブリンたちの国へほぼ一直線に続いている。その途中に、道の整備をするために物資や人員を集めておく空き地が作られているとギギは言う。
何としても日暮れまでにそこに辿り着いて、円周防御陣を敷いて、恐ろしい魔物が跳梁跋扈する森の夜をやり過ごさなくてはならない。
ちなみにこの先頭を行く二人には、光源は必要無い。ゴブリン族は暗闇でも問題無く見えるし、シンは薄っすらとでも目にマナを送れば、この程度の暗闇の中ならばはっきりと物が見える。
迷宮でのシンの強さの一端は、この目にあったのだ。エルフ族も暗闇を物ともせず、月明かりや星明り程度でも光源があれば、昼同様に物が見える。生粋のエルフ族であるゾルターンとロラ、そして母親からその性質を受け継いでいるレオナもこの森では明かりを必要としていない。
また獣人族のマーヤもそれは同じで、マーヤにはその目だけで無く優れた嗅覚と聴覚を持ち合わせており、この様な場所では無類の強さを発揮する。
現在、碧き焔の馬車とパーティの周りには、レオナとロラが光源用の精霊を呼び出して浮遊させているが、それは自分たち用では無く他のメンバーのためのものである。
その後ろに続く部隊の者たちは、二人か三人に一人松明を持たされている。
入口から数キロ程入ったところで、ギギが急に立ち止まり、先を行こうとするシンを手で制した。
すわ敵かと、背負った大剣に手を伸ばすシンに、ギギは音を立てないようにと仕草で伝える。
背後に気配を感じて振り返ると、音も立てずに近付いてきたマーヤが、左手の暗闇の中を凝視している。
そのマーヤは鼻をスンスンと鳴らし、耳を立てて小刻みに動かし様子を探っている。
「シン、左ノ奥ニ子連レノ、ゴンフォ、イル。子連レハ危ナイ、去ルマデ待ッタホウガイイ」
ギギが小声でシンに伝える。マーヤも身振り手振りで、大きな長い鼻の生き物が数頭いることを伝えて来る。
「わかった、後ろに伝えて来る。それにしても二人とも俺よりも遥かに目が良いな、今後もこの調子で頼むぜ」
そう言って先頭での警戒を二人に任せ、シンは後方に一時待機の命令を下しにさがる。
直ぐに最後尾までその命令は伝わり、全軍は一時停止。シンはその時間を有効に使うべく、将兵に今の内に用便を済ますようにと伝える。
将兵は交代で護衛の下、道のすぐ脇に深い穴を掘り、順番にそこで用便を済ませていく。
誰が見ていようがお構いなしに、兵たちは尻を丸出しにして素早く済ませていく。
だが、女性はそうはいかない。ヘンリエッテと侍女たち、そしてレオナ、エリー、マーヤとロラはそれらとは少し離れた場所で、交代で護衛をして用を済ました。
しばらくして象は去り、シンたちは再び行軍を再開する。
更に数キロ進むと、今度は右手の方をギギが指差した。シンは再び剣に手を伸ばしながら、また象かと聞くが、ギギは違うと言う。
シンが目を凝らしてその指さす方を見ると、巨大な倒木が倒れており、その倒木の上に重甲冑を着込んだような長い生き物らしきものが見えた。
シンはその姿をかつての地球の図書館で見たある生物に似ていると思った。あれはそう、太古の節足動物の一つであるアースロプレウラに酷似している。確か、アースロプレウラは草食だったと思ったが……
「危険なのか、あれ」
そう聞かれたギギは、何とも言えない渋面を作る。
「危険カト言ワレレバ危険……アイツ、チョッカイ出スト、物凄イ臭イ汁出ス。付着スルト、幾ラ洗ッテモ十日ハ匂イガ取レナイ。ソノ間、家ニ入レテ貰エナクナル」
「なるほど、そう言った類の危険か。倒木の上に陣取っている所を見ると、あいつは朽木か何かを食うのか?」
「ソウ。朽チ果テタ木ヤ、苔、キノコナドヲ食ベル。動キモ遅イシ、大人シイカラ手ヲ出サナケレバ平気」
シンは早速後ろに行って、絶対に手を出すなと命令する。その際にただ臭いだけだと、面白がって手を出す愚か者が出るかもしれないと考え、強烈な毒性があるという嘘をついた。
「ま、完全に嘘とは言い切れまい。それだけの刺激臭だ、体に良いわけがないしな」
碧き焔のメンバーには本当の事を伝えてある。そのシンの判断を、ゾルターンは英断であると褒めそやした。
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