象
「ですがこの件を陛下に内密に進めて、本当によろしかったのですか?」
「ん? ああ、シュライッヒャーの件か。ああ、もうすでに手紙に書いて陛下には知らせてあるから問題ない。距離的にどうしても事後承諾となってしまうのだが、それも最初の打ち合わせの時に承知して頂いたしな。陛下はしばらくの間、シュライッヒャーの事は知らないふりをするだろう。さぁ、後の事は陛下やアンスガーらに任せて、先を急ごう。何とかして、遅れを取り戻したい」
詐術や謀略を当たり前のように使いこなすシンに、ヴァイツゼッカーもラングカイトも唖然とした。
急ぎ天幕を片付け、シンたちは再び西にそびえる山脈の麓を目指して使節団を進発させる。
帝都よりの援軍とクニスペル子爵の部隊に守られた使節団はその三日後、クニスペル子爵が居を構えるヴァルトブールの街へと到着し、そこで街を上げての歓待を受けた。
中規模のこの街の表通りは、シンを一目見ようとする人々で溢れかえり、シンたちの足元に盛んに花が投げ込まれる。
まるで凱旋将軍のパレードのような扱いに、シンは戸惑いを隠せない。
住民たちの反応が、帝都の近くであるシュライッヒャー準男爵領の時とは大違いである。
田舎に行けば行くほどに人の数は減るが、娯楽等が少ないせいだろうか、こういったお祭り騒ぎの度合いは大きくなって行くのかも知れない。
「このような騒ぎになってしまい、誠に申し訳ない。だが帝国の若き英雄たるシン殿が、このヴァルトブールの街にお寄り下さるということは、我々にとってそれはそれは名誉な事であり、こうして浮かれてしまうのも無理もない事なのだ。もしよければ、手の一つでも振ってやって欲しい。そうすれば領民たちも喜ぶだろう」
馬を並べるここの領主であるクニスペル子爵にそう言われてしまっては、手を振らざるを得ない。
シンが一度手を振れば、男たちの雄叫びと女たちの黄色い歓声が湧き上がる。
この似非凱旋パレードは、子爵の居館に着くまで続き、慣れぬ行いにシンの精神は戦いの時にも増して疲弊した。
シンと副使の二人、そして皇女であるヘンリエッテは、子爵の居館に招かれて贅を尽くした料理や酒を堪能し、その他の者たちも街の外に急遽作られた野営地に、次々と運び込まれてくるご馳走に舌鼓を打ったのだった。
丸一日休憩して鋭気を養った使節団と護衛達は、再び一路西を目指しヴァルトブールの街を後にした。
領境でクニスペル子爵と別れ、その後もレールツ子爵領、オストカルンプ男爵領を通り、両貴族の協力の元、さらに西へと旅を続ける。
一月程の旅の末、遂に帝国最西端で最大の街である、ハシュルラグへと辿り着いたのであった。
ここの領主はハルダー男爵であり、男爵はやはり他の辺境領主同様に街をあげてシンたち一行を歓迎した。
「ようこそ、遥々帝都よりお越しくださいました。田舎も田舎で大したおもてなしは出来ませぬが、どうぞごゆるりと旅の疲れを御癒し下され」
ハルダ―男爵の年齢の割には老けた、顔に刻まれた深い皺は、この辺境で生きる苦労を偲ばせる。
「お心遣い、誠に痛み入ります。我々は、この街で三日ほど滞在させて頂いた後、深き太古の森へと向かいます」
「……あの森には、様々な魔獣が生息しております。後ほど森に詳しい者を呼び、森について説明させましょう」
「ありがたい。卿の御配慮に、一同に代わり深い感謝を……」
辺境ならではの一風変わった料理を味わい、ここでは貴重なこの地特有の果実酒を堪能した後、シンは副使二人と、ヨハンとフェリス、アロイスの三人、更に碧き焔のメンバーを集めて、ハルダ―男爵と男爵が呼んでくれた地元の猟師などから、太古の森と地元の者が呼んでいる原生林についての話を聞く。
「お、お、おらは、ぷ、プルガ村で猟師をやっとるブレージと言いますです」
皆の前に立たされた、この緊張に体を強張らせている中年の男が、森について話してくれるという。
ブレージは口下手ではあったが、地面に枝で注意を要する魔物の絵を書きながら説明をする。
それはこの帝国のどこにでも見られるような、水牛のようなものや猪、狼などから始まった。
「ここまでは、どれもこれも見た事があったり、実際に戦った事のあるものばかりだな。太古の森なんて御大層な名前が付いているもんだから、ドラゴンとかがうじゃうじゃ居るんじゃないかと内心、冷や冷やしてたぜ」
ハーベイがこれならば問題無いと笑い飛ばす。
「い、い、、いやいやぁ、あの森はこんなもんじゃね。もっとすげぇのがわんさかおる」
そう言ってブレージが地面に書いた絵は、長い鼻に鋭い牙、そして大きな耳に圧倒的な巨体……それは正しくシンの知る象であった。
「象じゃねぇか!」
「この魔物を知っているのか?」
「ああ、俺の国にも居たよ。と言っても他国から捕まえて来て飼われていたものだが……」
書いた絵の横に、人の大きさはこれ位だとブレージが人型を書き足す。
「で、でけぇ……こいつは、やべぇかも……」
その大きさに、ハーベイの先程までの威勢は忽ちのうちに吹っ飛んでしまう。
「シン、大丈夫。ゴンフォ、大人シイ。怒ラセナケレバ平気」
ギギは象を見た事があるどころか、ゴブリンたちは象を使役しており、その背に乗って戦いに赴くこともあると言う。
「何! ゴブリン族は戦象部隊を有しているのか!」
シンは驚き立ち上がった。戦象はあの有名なカルタゴのハンニバルや、アレクサンドロス3世も用いたことがあるという。
洋の東西を問わず、象は堅陣突破に用いられたという。その戦象部隊をゴブリン族が有しているとは思いもよらない事であった。
「シン殿、その戦象部隊とは?」
シンが珍しく動揺の色を見せている事に驚いた古強者たちは、戦象とは一体何なのかと問う。
「戦象ってのは……要するにこの象を馬や龍馬のように飼いならした騎乗兵器だ。象の皮は厚く、生半可な攻撃ではビクともしないうえ、その長い鼻は器用に動き槍などを容易に絡め取るという。そしてこの鋭い牙は、容易く板金鎧を貫くだろう。一番厄介なのはその巨体だ。一度突進されれば、その大きさと重量によって何者も遮ることは不可能だろう。凄いなゴブリン族は……この戦象部隊だけで、この帝国と下手したら渡り合えるぞ」
それほどまでのものなのかと、その場に居るギギ以外の全ての者が背筋を凍らせる。
シンが言っているのは大袈裟でも何でもない。象を見た事のあるシンでも、真正面から象と戦おうなどとは絶対に思わない。
ましてその姿を知らない者が象を見たとしたら、たちまちのうちにパニック状態に陥るであろう。
もしゴブリンたちが、戦象部隊を前面に押し出して攻めて来たならば、帝国どころか中央大陸のどの国の軍隊も敗走に敗走を重ねるに違いない。
これは何としても、ゴブリンたちと友好関係を築かねばならないと、改めてシンは決意を固める。
ギギはシンに褒められ、誇らしげに胸を張る。
「シン、ゴンフォ神聖ナ生物。滅多ナ事デハ戦ワセナイ。野生ノ、ゴンフォ、近ヅカナケレバ平気」
「そうか、しかし象がいるとはなぁ……対処法は、今ギギが言ったように近付かず刺激しないこと。もし、敵対したら終わりだと思った方がいい。兵たちにも徹底させるぞ。他にはどんな生物がいるんだ?」
ブレージが次に書いたのは猫のような生き物で、その身体には見慣れたヒョウ柄が書き記されている。
「こ、こいつは、木登りが得意で、お、音も無く上から飛び掛かって来る。つ、爪と牙にやられる猟師も多い」
「豹だな。確か仕留めた獲物を横取りされないように、木の上に運ぶ習性があったはずだ」
シンの言葉に、ブレージはぶんぶんと縦に首を振った。その知識の広さに、その場に居た全員が驚いた。
「何で知ってんだ? 戦った事があるのか?」
「いや……学術用に飼われた個体を見た事がある程度だ。豹にも種類があって、雪山に済む雪豹や全身が黒い黒豹なんかがいたな……」
「なんと! お主の国では、先程の象といい学術用に様々な魔物を飼っていたというのか!」
賢者と言われたゾルターンも、シンの知識の源の一端が明かされた事に興奮を隠しきれない。
「ああ、動物園と言ってな……象や豹の他にも、虎や獅子、狼や猪、熊、猿など様々な動物を集めた場所があってな、流石にドラゴンなんかはいなかったけどな」
その場に居る皆は、最早開いた口が塞がらない。そのような施設を作るのは、現在の帝国では難しいだろう。
第一、誰が研究用とはいえ、危険な魔物を飼おうなどと思うだろうか? ゾルターンは、それらのまるでお伽話かとも思えるような事柄を、あっけらかんと話すシンを見てぞっとした。この男の祖国はどれほどの栄華を極めていたのであろうかと。
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次も太古の森に住む動物や魔物の紹介回になります。




