シュライッヒャーへの仕置き
シュライッヒャー準男爵がシンの元を訪れたのは、クニスペル子爵領に入って直ぐのことであった。シュライッヒャーの到着を知らされたシンは、直ぐに簡易天幕の用意をさせ、副使二人を呼んで対応の協議をする。
その間、シュライッヒャーとその供廻りは、クニスペル子爵麾下の武装兵に周囲をぐるりと取り囲まれて、少し離れた場所で待たされていた。
そのあまりに無礼な対応ぶりに、供廻りは憤慨したが、主であるシュライッヒャーは部下たちを必死に宥め、決して間違いを犯さぬようにと言い含めた。
素早く用意された簡易天幕の中では、正使であるシンと副使の二人が、シュライッヒャーをどう扱うのかを話し合っていた。
「前々から話していた通り、ここは敢えて奴の罪に目を瞑り、奴を泳がせてみようと思う。既にアンスガーら影の者たちが、シュライッヒャー準男爵領に潜伏している」
「どおりで……アンスガーの姿が見えぬと思いましたが……」
「すまぬな、ヴァイツゼッカー卿。事が事ゆえ、急を要する可能性があったので、私の独断で派遣した」
「いえ……シン殿の判断、この場合は正しいかと思われます。しかし、いささか悔しいですな……今すぐ奴の首を刎ねて、死んでいった兵たちに捧げてやりたい気分です」
若いヴァイツゼッカーは、秀麗な顔を憤怒の色に染め、手のひらに拳を叩きつけて悔しがる。
「まぁ、妻子を人質に取られていたという情状酌量の余地があるにはある。それと少し考えていることもある。ここはひとつ、堪えて欲しい」
「ですが……公事と私事を比べ、私事を優先させるとは、同じく帝国に仕える貴族として、恥ずべき輩でありましょう!」
「だとしてもだ……ここは敵の背後関係を突き止めるためにも、堪えねばならん」
街道の戦いで、一番手ひどい損害を被ったのはヴァイツゼッカーの陣である。
目を瞑れば今も、眼前で勇戦虚しく散って行った部下たちの顔が、ありありと浮かび上がって来る。
尚も悔しさを滲ませるヴァイツゼッカーを、同じ副使であるが年長のラングカイトが宥め、落ち着かせる。
「ラングカイトの言う通り、敵の背後関係を突き止めるのが先決。元帝国近衛騎士副団長のラウレンツが、誰と繋がっていたのか、誰が裏で糸を引いていたのか……三百余りの武装兵を集め、運用するにはそれなりの資金が必要だ。その金の出所はどこか? 知りたいことは山ほどある。シュライッヒャーの奴が、敵と通じているのならば、その内必ず馬脚を露すはずだ」
「もし仮に、奴の言う事が全て正しく、ただ単に家族を人質に取られたがために、相手の言いなりになっただけだとしたら、如何致しますか?」
「私は四通り考えている……一つは敵とシュライッヒャーが、完全に組んでいる場合。二つ目は、本当に奴の言う通りで、妻子を人質とされたが為に敵の言いなりになっていた場合。三つ目は、シュライッヒャー自身が黒幕だった場合。四つ目は、シュライッヒャー自身が何らかの恨みを買っていたり、領地を狙われていた場合の四つだが……」
一つ目はわかる。二つ目、三つ目も同様。だが、四つ目は副使二人は首を傾げた。
「つまり、シュライッヒャー自身が狙われていた可能性があると? ならば、妻子など誘拐せず直接本人を攫って殺せば良いのでは?」
「うん、その通りなのだが……幾つかおかしい点があるだろう? シュライッヒャーが直接関わっていようがいまいが、シュライッヒャー準男爵領内で使節団が襲われたら、準男爵家の名声は地に落ち、その結果として領地を召上げられる可能性もある。表街道に面しているという旨味があるその空いた土地を、欲する貴族が居ても何らおかしくは無い」
「ですが、敵はあからさまに皇女殿下の御命を狙っておりましたぞ」
「そこなんだが、より失態を大きくするために狙った……いや、待てよ……敵の黒幕が一人では無いとすれば……可能性はあるな……一人の貴族が三百の兵を養う金を動かし、大量の武具や食料を買ったりすれば、必ずどこかで足が付く。だが複数人で、少額ずつ出せば……それと同じく敵の目的も、土地を狙う者と皇女殿下の御命を狙う者が居て、そいつら手を組んだとすれば……まぁこれは全部、私が当てずっぽうに考えた事で、何一つ当たっていないかも知れないが、ここは一つシュライッヒャー自身に探らせてみるか」
口元から白い歯を覗かせて笑うシンを見て、二人はぞっとした。
にやけた口許に反して、目がまったく笑っていないのである。さらに、清廉な武人だとばかり思っていたシンが、謀略にも長けているような素振りを見せたことについても、驚きを隠せない。
「奴自身に探らせるとは、一体?」
「それはな……こうだ……」
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「ま、誠に申し訳ない。あ、あの時は、妻と子を人質に取られ相手の言う事を聞くしかなく……それに、我が屋敷に敵と内通している者が居ると思われ、迂闊な事を話す訳にも行かず……」
天幕の中に用意されている椅子は三つ。一つは正使のシンが、残る二つは副使の二人が腰を掛けている。
その背後には、武装した兵が二人ずつ。シンの背後には、カイルとクラウスがシュライッヒャーがおかしな真似をしたのならば、直ぐに飛び掛かれるようにと身構えている。
対するシュライッヒャーは、敷物すら敷かれていない地面に、頭を擦りつけるよう跪いて必死に罪を詫び、慈悲を乞う。
「申し訳ないで済む問題か! こちらは卿の虚言を信じたおかげで、手痛い犠牲を強いられたのだぞ!」
そう激昂するのは、自身も無数の戦傷を負ったヴァイツゼッカー子爵である。
爵位は下だが、同格の副使であるラングカイト準男爵が、憤り椅子から立ち上がったヴァイツゼッカーの肩を抑え、再び席へと座らせる。
シンは黙って目を瞑り、会見が始まってからはまだ一度も口を開いてはいない。
ヴァイツゼッカーは、その後も口汚くシュライッヒャーを罵り続けたが、これは半分演技であった。
若いヴァイツゼッカーは子爵、対してシュライッヒャーは準男爵であり、爵位が低いシュライッヒャーはその口汚い罵りを、身を縮こまらせながら耐え忍ぶ他はない。
そこで初めてシュライッヒャーに対して、シンが口を開いた。
「シュライッヒャー卿、卿は誰かに恨まれておるな」
「は? 私めは誰かに恨まれるような事は、一切……」
その言葉を聞いたヴァイツゼッカーは、頭に血を上らせながら、現に今この場に居る三人の恨みを買っているではないかと心中で毒づいた。
「卿、気付いておらぬのか? 卿の虚言があろうと無かろうと、卿の領地内で使節団が襲われたのであれば、それは卿の失態である。使節団が全滅しようがしまいが、皇女殿下の御命があろうが無かろうが、襲われた時点で卿はもう終わりなのだ」
地面にこすり付けていた頭をハッと上げたシュライッヒャーは、見る見るうちに顔を青ざめさせて震えだす。
妻子を人質に取られ、気が動転していてその事に気が付かずにいたとは、何たる不覚。最早、シュライッヒャー家は終わりであると、無言のまま首を垂れた。
その様子を見る限りでは、シンはシュライッヒャーは敵と組んでいたり、黒幕では無く使い捨ての手駒や道具にされただけかもしれないと感じていた。
「シュライッヒャー卿よ、幸いにしてこの一件に卿が関わっていたことをまだ陛下は御知りでは無い。それに襲われた場所は境界のギリギリであり、責任の存在が今一つ定かではないかも知れぬ」
シュライッヒャーに責任を被せるかどうかは、シンたちの証言一つで大きく変わって来る。
「はっ?」
「わからぬか? 卿に対する生殺与奪は、今ここに居る三人が握っているのだ。卿は、何者かに利用されただけ……そう申すのであれば、卿を利用した黒幕がいるはずだ。そうであろう? ならば、卿は自身の潔白を証明するために、卿を操った黒幕を捕える他あるまい。その結果如何によっては、卿の罪も償われ今回の失態は不問に処されるやも知れんな」
つまりはシュライッヒャー自身の手で黒幕を捕まえて差し出せと、それによって今回の罪を不問に処すとシンは言うのである。
「さぁ、シュライッヒャー卿。これ以上ここにいても時間を無駄にするばかり、卿は急ぎ戻りやるべきことをやるが良い」
シンが目で退出を促すと、シュライッヒャーはその寛容に感謝の言葉を述べたあと、弾かれたように天幕を飛び出して行った。
「まぁ、あの様子だと本当に捨て駒として使われただけかもな。まぁ、俺にしちゃそんなことはどうでもいいんだが……後は奴がどう動くか……本気で自分を操った黒幕を探すか、それとも誰か適当な奴に罪を着せて誤魔化すか。 尾を見せるか、誠意を示すか……さてさて、楽しみなことだな」
だが、さしものシンも、シュライッヒャーの妻子を誘拐したユストゥスの目的が、最初は単なる営利目的であり、途中から陰謀へと変わったとは考えも及ばない事であったが、これは仕方のない事だろう。
ユストゥスに資金を提供した貴族家が複数なのも、シンの考えていた通りであり、その資金提供者の中の一人が、皇女暗殺を吹き込んだのはシンの考えた通りであった。
その皇女暗殺を吹き込んだのは、皇后派閥に属する貴族の一人であったが、その派閥の長であるルードシュタット侯爵には断りの無い独断によるものであり、この皇女暗殺未遂事件のせいでルードシュタット侯爵はあらぬ疑いを持たれ、皇帝の監視がより一層きつくなり身動きが取り辛くなったのは、何とも皮肉な事であった。
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台風が通り過ぎたのか、目に入ったのか、雨風は止んでいます。
どちらにせよ、一気に気温が上昇しそうなので、皆さんも熱中症などにはお気を付け下さいまし。




