出発間近
エックハルト王国へと送り出した使者が、帝都に戻って来た頃には夏は過ぎ去り、秋もいよいよ深まりを見せようとする頃であった。
「おお、プリモツィック卿、ご苦労であったな。して、首尾は?」
宮殿の玉座の間で、使者となったプリモツィック男爵を引見する皇帝は、何処かしらそわそわと浮ついて見えた。
本来ならば、一度は使節として赴いているヴァイツゼッカー子爵やラングカイト準男爵を送ることを考えていたが、彼らには別にやってもらわなければならない事が出来たために、プリモツィック男爵が選ばれることとなったのだった。
プリモツィック男爵は痩せ型で品の良い感じのする初老のの男であり、先帝のいとこの妻の一番下の弟であった。
性格は勤勉で実直、多少融通の利かない頑固さはあるものの、皇室に対する忠義は人並み外れたものを有している。
「はっ、お喜び下され陛下! 国王のホダイン三世は、此度の婚儀に大層乗り気の御様子で御座いましたぞ。こちらがその返書となりますれば……」
宰相エドアルドがプリモツィック男爵が恭しく差し出す返書を受け取り、皇帝へと手渡す。
皇帝は返書を読むと宰相にも読むようにと渡し、続いて控えている侍中……シンともう一人、アムスリンクにも目を通すようにと申しつける。
侍中となったシンは、度々このような席にも呼ばれるようになり、傍らに控えて皇帝より下問あれば、適切な助言をする立場となっていた。
今一人傍らに控える侍中のアムスリンクは齢七十の老人であるが、背筋は鉄芯が入ったかのように真っ直ぐで、長く伸ばし手入れの行き届いている白髭がトレードマークの硬骨漢で、相手が誰であろうと、それが例え皇帝であろうと直言憚らない姿勢を、先帝に疎まれ閑職に回されていたのを、ヴィルヘルム七世は即位した後すぐに侍中へと復職させたのであった。
皇帝もシンも、ガミガミと口うるさい爺さんにしばしば閉口させられるが、言っていることは至極真っ当で正しいがために、叱られるたびにかえってその信頼感が増していったのだった。
「ふむ、なるほど……シンの申した通りになったな……成功だと思うか?」
皇帝は、プリモツィック、アムスリンク、エドアルド、そして最後にシンと順番に顔を見て下問する。
「成功も何も、大成功ではございませぬか?」
プリモツィックが、その意味を図りかねた様子で、困惑の表情を浮かべた。
「ホダイン三世は喰えぬ狸親父だ。こちらの動きを看破した上で、何か仕掛けて来るのではないかと思ってな……」
国家の舵取り、慎重にならないはずも無い。皇帝はもう一度返書に目を通すが、そこにはありきたりの祝言が並べ立てられているだけである。
「まぁ、読まれてるならそれはそれで構わないのでは? エックハルトはどちらにせよ、今しばらくは大人しくしているしかないだろうし、多分相手は黙っていても利益になるとほくそ笑むくらいしか今は出来ないだろうよ」
シンの言葉に、皇帝と宰相も頷く。エックハルトに送り込んだ間諜がもたらした情報に寄れば、連年の飢饉により、ソシエテ王国から雪崩のように押し寄せて来た棄民がもたらした混乱は、思っていたよりも遥かに深刻であり、さらにどさくさに紛れてルーアルト王国から奪った東方辺境領の鎮撫にも力を注がねばならない以上、派手な動きを起こすことはないであろうという見解に至っていた。
「ですが、用心はするべきですぞ」
アムスリンクの発した警告に皇帝は頷き、引き続き情報を集めるよう宰相に申し付ける。
「ふむ……では、いよいよか……準備は出来ているか?」
皇帝の問いに、宰相とシンは頷く。
「鉄と黒鉄のインゴットを中心に、各種武器等を手配済みです。既に同行者の選定も済ませておりますれば、一両日中にも出発可能かと……」
宰相の報告に、皇帝は満足気に頷く。
「こちらも準備は万全だ。何時でも行ける」
「それなのだがシンよ、今回はゾルターンは例のアレの開発が遅れているために残って貰うぞ」
「ああ、本人からも聞いている。いよいよ大詰めなんだってな……大丈夫さ、心配ない。今回は戦いに赴くわけじゃないからな」
それでも心配なのだろう。皇帝はその後、何度もシンに確認をした。
正使はシン。副使はヴァイツゼッカー子爵とラングカイト準男爵の二名。随行する人員は百名余り、これに冒険者パーティの碧き焔とヘンリエッテとその侍女たちが加わることになる。
その後、場所を移し細かい打ち合わせ等をした後、シンは宮殿を後にして予てより招かれていたザンドロック邸を訪れた。
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「よく来た、さぁ遠慮せずに入れ。自由にくつろいでくれ、直ぐに食事の用意をさせる。おおい、ヘルミーネ、あれを出してくれ……ああそうだ、七百二十年物があっただろう」
ヘルミーネとはザンドロックの妻である。歳はザンドロックの八つ下で、二十代後半。ザンドロックとの間に一男一女をもうけている。
すでに何度も顔を合わせている彼女は、シンに軽く会釈をすると、取って置きを持ってくるわねと踵を返して秘蔵のワインを取りに行った。
ザンドロックに促されるままに席に着いたシンは、ヘルミーネが持って来て注いでくれたワインを、彼女の夫でありこの館の主であるザンドロックと共に、香りと味を楽しみつつ談笑する。
「そうか……俺も近頃忙しいが、お前はそれに輪を掛けたように忙しい男だな……それにしても、亜人……いや、ゴブリン族の国か……」
「ああ、何かいいお土産があればいいんだがな」
「そんな物はどうでもいい。シン、道中気を付けろよ。無事に帰ってこい」
二人が話ながら杯を空けると、ヘルミーネが甲斐甲斐しく空になった杯にワインを注いでいく。
多少酔いのまわったシンは、仲睦まじい二人の姿を見て幾つか質問をした。
「なぁ、ザンド……夫婦って普段どんなことを話すんだ?」
普段のシンからは絶対に出ないであろう質問に、二人は顔を見合わせて驚いた。
「何だ突然……いや、普通だぞ」
「その普通がわからんから知りたいんだ」
「そうだなぁ、仕事の事や家の事、子供が生まれてからは子供たちの事が多いな……こんなことを聞いて来るところを見ると、ようやく身を固める気になったか、そうかそうか、ついにか……いや、心配していたのだぞ」
「うん……まぁ……直ぐには無理だが……一連の事が片付いてから……」
「まぁ、そうだろう。忙しい身の上だからな、お前も。そうかぁ……で、相手は誰だ? レオナ嬢か?」
ヘルミーネも人妻とはいえ女、他人の恋路にも興味津々の様子で、料理を運びながら二人の会話に耳を傾けている。
「ああ、うん。そろそろ、けじめつけなきゃいかんかと……」
「そうか、そうか。動機は何であれ、お前が身を固めるのは歓迎だ。お前も早く、妻帯者の苦しみを味わうがいいさ、はっはっは」
料理を持って来たヘルミーネに睨まれたザンドロックは首を竦めながら、結婚の良さを語る。
シンが子供好きな事を知っているザンドロックは、自分の子が生まれた時の喜びをつぶさに語った。
その後もヘルミーネも加わって談笑しながら料理を平らげた後、場所を書斎に移して二人は密談を始めた。
「魔法騎士隊はどうだ?」
「選別に選別を重ねた結果、どうにか使い物になりそうなのが十二名。僅か十二名だ。前途多難と言わざるを得ない」
「いやいや、十二名もいたのが驚きと言うもんだろう。剣と魔法両方こなせる人材なんて、この広い帝国中を探してもそうはいないだろうよ」
その後も、訓練方法や部隊の運用方法など話は尽きる事は無い。
シンは、魔法騎士隊がもし現段階で使い物になるのならば、今回の使節団の護衛としてデビューさせようと考えていた。
だが、ザンドロックの話では、現段階ではまだまだ使い物にはならないと判断し、今回は諦める事にした。
――――ギギの国に友好使節として赴くだけなのだが、なんだか胸騒ぎがしてならない。目の前に居るザンドロックでさえ、皇女殿下が同行する事が伝わっていないのを見れば、問題は無いとは思うのだが……
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フラグ、フラグですよ! 俺、この戦争終わったら結婚するんだ……のアレですよ、アレ!
嘘です、御免なさい




