リッチ
南方戦線より勝手に自領へと引き揚げているラ・ロシュエル王国の北部貴族たち北部貴族連合軍、通称北軍は北部最大の貴族であるポゾン侯爵を中心として、今後の対応についての協議をしていた。
「え~諸卿、今しがた件のヴェルドーン峡谷に派遣した斥候が戻って来た。斥候は峡谷の奥までは行かずに、その入口近辺のみを見て来ただけであるが、報告によれば王国軍は余程酷い負け方をしたようで、峡谷には昼間から浮かばれぬ魂が幽霊となり漂っているとのことである」
北部への帰還途上で開かれた緊急の協議は、ポゾン侯爵家の巨大な天幕の中で行われた。
天幕の中に詰めるは、北部の有力貴族二十四家。その他の位階の低い貴族たちは、天幕の外で協議の成り行きを見守っている。
ポゾン侯爵を中心に、各有力貴族たちの勇士を集め構成した斥候部隊が、ヴェルドーン峡谷より帰還したのは今朝がたのことである。
斥候のもたらした報告を分析し、その後の対応について協議するために一時進軍を止めて、各貴族家を招集した。
北部最大の貴族であるポゾン侯爵は、六十を越えた老人で頭はつるりと禿げ上がり、夏の日差しを浴びたせいかほんのりと赤く日焼けをしていた。
元来穏やかな性格で、口調は緩やかで優しく平時であれば各貴族家の信は厚いのだが、その性格ゆえか戦などの荒事にはいささか不向きであり、此度のような問題に対しても消極的な姿勢が窺える。
「やはり陣中に流れる噂は本当なのですな……王は口止めをされたようだが、人の口には戸が立てられぬもの。二度の討伐軍が敗れ、その被害は甚大であると……」
「うむ、斥候は途中の街や村でも情報を集め、その情報の中には最初はおよそ一千の兵を、二度目はその三倍の三千の兵を派兵したそうだが、何と二度ともたった二百の敵に無残にも敗れたそうだ」
天幕の中に集まった貴族たちの中から、侮蔑の籠った嘲笑が漏れる。
「聞くところによれば最初の指揮官は、王の寵姫の弟のペグー、二度目の指揮官はあの無能者のシラー。負けるべくして負けたと言うべきですかな」
「然り、然り。じゃが、たかが二百の賊ごときに後れを取るとは情けない限りでは無いか」
無能な敗将を嘲け笑う声は、天幕の外へも漏れる。
最後までラ・ロシュエル王国側は、シンが率いていた兵が二百だと思い込んでいたのだった。
だが、次にポゾン侯爵が言った一言で、その嘲笑は驚愕へと変わる。
「……それが……敵はただの賊ではないとの情報もあるのだ。敵の総大将は髑髏の騎士であり、大人の身の丈ほどもある巨大な剣を片手で軽々と振り回し、見た事も無いような大魔法を使うと言う。北部辺境区に残っていた家の者たちは、古の大悪であるリッチではないかとの懸念を抱いているらしいのだが……」
「ば、馬鹿な! そのような魔物はお伽話中だけであろう」
「しかし、将は無能としても兵は王都で温存されていた精兵であったはず。それを尽く討ち取るとは、その話にも耳を傾けるべきではないか?」
「待て待て、早計に判断を下すには情報が足りぬ。その髑髏の騎士が、リッチであるという証拠は魔法を使う以外には無いのか?」
「諸卿、今から斥候が持ち帰りし情報の全てを伝えようと思う。まずはそれを聞いてから、判断し今後の対応の協議をしようと思う。では、まず敵がいま現在籠っていると思われるヴェルドーン峡谷だが、ここにはそのリッチが姿を見せる前には、強大な魔獣であるキマイラが縄張りとしており、付近の街道などに度々姿を現しては旅人や商人などを襲っていたという。だがそのキマイラが、件のリッチが姿を現してからは一度も姿を見せてはいないと言うのだ。これは、そのリッチがキマイラを倒したと見るべきなのか……直に確認したわけではないので、そういう話があるのがまず一つ」
リッチに続き、半ば伝説と言っても良い程の強大な魔獣キマイラの名前がポゾン侯爵の口から出て、それを聞いた貴族たちは口を噤んで互いの顔を見合ってしまう。
「次の情報は、リッチがゴブリンを引き連れていたという目撃情報が多々あることだ。北部辺境区の一士爵が、リッチとその麾下のゴブリンに襲われ当主が無残にも殺されたという」
「おお、その話は耳にしておりますぞ。確かフォア家でしたかな……最北端の士爵家として名が知れておりますな。しかし、リッチとゴブリンに殺されたとまでは、知りませなんだ……」
黒々とした長い顎鬚を手で弄びながら、一人の貴族がそう口にする。
他にも何名かの貴族が、自分もその噂話を聞いたと声を上げた。
「辺境の一貴族とはいえ、貴族家が滅ぼされたとは忌々しき事態ではないか!」
憤然と立ち上がる若い貴族を、ポゾン侯爵は宥めつつ話を続けた。
「まだ情報はあるのだ。どうもそのリッチは、貴族家や貴族の荘園と創生教の荘園のみを襲い、近隣の街や村を襲わないというのだ。その行動の意図について、我が家が召し抱えている考古学者が言うには、貴族と創生教に強い恨みを抱いているゆえの行動ではないかと……お伽話にもあるように、リッチが倒されたのは遥か古代の話だが、創生教と当時この中央大陸に君臨していた古代王国の一つが協力してリッチを倒したと言われている」
「リージュ王国……今より千数百年前の話ですな」
「左様。貴族と創生教に未だ恨みを抱いているのだとすれば、此度のリッチの行動にも合点がいくのだ」
ポゾン侯爵をはじめ、各貴族たちから大きな溜息が漏れる。
今までの話を纏めると、たった二百で三千の敵を破り、かつ誰も見た事の無いような大魔法を使い、更には強大な魔獣のキマイラのテリトリーを容易に奪い、とどめに貴族と創生教に強い憎しみを抱いている。
これはもう間違いなく、伝説の大悪であるリッチであると貴族たちは判断した。
「最後になるが、これは我々にとって朗報かも知れぬ。そのリッチが、ここ最近姿を現しておらぬそうだ」
その明るい知らせに、おお、と貴族たちの口からから喜びの籠った声が自然と漏れ出す。
「だが、油断は出来ぬ。敵がリッチだとして、どう対処するべきか……諸卿の知恵をお借りしたい」
ポゾン侯爵は自身に軍事的才能が欠けていることを自認している。
故に、この手の事は今まで全て部下や麾下の者たちに丸投げして来た。だが、これを非難する声は無い。
無能な将の立てた策に従うくらいなら、自分たちに作戦の立案から何から何まで、こちらに丸投げして貰った方がありがたいと思っていたからであった。
それ以降ポゾン侯爵は口を噤み、適度に相槌を打つに留めた。
各貴族たちは、テーブルの上に広げられた地図を囲んで討論を繰り返す。
「このヴェルドーン峡谷の詳細な地図が無いのが痛い。が、峡谷である以上は、大兵力を展開するに相応しい土地であるはずが無い。ここに攻め込んでも、シラーの二の舞になるのがオチだろう」
「ではこの峡谷の手前に陣を敷いて、敵が出てくるのを待つか?」
「それが無難であろうな。問題は、どの程度の兵力を配するのかであるが……」
「敵がリッチだとするならば、五千でも足りぬやも知れぬ。ここは兵を出し惜しむべきではないであろう」
長い協議の結果、ヴェルドーン峡谷の手前に各家が兵を出し合い、一万の兵力を配する事に決まった。
それとともに、一千ほどの部隊が幾つか編成され、北部を荒らしまわる他の賊の討伐にあたることになった。
「最後に、国王陛下にこの度の退陣について何と申し開きをするかだが……」
「陛下は二度も失敗なされた。それに相手がリッチである以上、我らに文句を付けるどころでは無いと思うがな……」
ラ・ロシュエル王国は封建社会ではあるが、貴族の力が強い。
日本の戦国時代で例えるなら、豪族の力が強い武田や上杉に近いものがある。
それに比べて、ガラント帝国は中央集権制がラ・ロシュエル王国よりは進んでいる。
こちらは織田、豊臣に近いかも知れない。ともあれ、ラ・ロシュエル王国国王のロベール二世は、北部貴族たちに押し切られるようにして、此度の勝手な退陣を認めざるを得ず、南方の戦線は空いた穴を塞ぎつつ大きな後退を余儀なくされた。
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