海賊旗?
始めの声が掛かると同時に、両者とも大地を蹴り間合いを詰める。
元々軽装で素手のマーヤの動きは速いが、二メートル近い巨漢であるフレットも身体能力優れる獣人族だけあって、その身のこなしは軽やかである。
一直線に向かって来るマーヤに対して、フレットは縦に剣を一閃。
だがマーヤはそれを半身になって躱すと、そのままクルリと回転しフレットに背を向ける。
そしてそのまま後ろに飛び込むとフレットとほぼ重なるような形になり、その状態でフレットの腹に肘を入れた。
腹部の鈍い衝撃に、フレットは口から息を吐きだし体をくの字に曲げる。
マーヤはそのままフレットの襟首を掴むと、瞬時にブーストの魔法を発動してフレットを投げ、大地にその背を叩きつけた。
マーヤは声帯を切られて以来口を利くことが出来ない。では、いったいどうやって魔法を発動しているのか?
彼女は祈っていたのだ。己自身の秘められた力に対して……もっと速く、もっと強くと。
背中からモロに地面に叩きつけられたフレットは、ぐふっという呻き声と共に肺腑の中の空気を全て吐き出してもがいた。
それでも戦意を失わずに、ゴホゴホと咽ながらも素早く跳ね起きたのは流石と言うべきか……
だがその隙を見逃さず、間髪を入れずにマーヤが繰り出した追撃の右ストレートが迫る。
その拳がフレットの鼻面に叩きつけられるかに思われた瞬間、
「それまで! 勝者マーヤ!」
シンの試合の終了を告げる声が掛けられた。
寸止めで止めた右こぶしをゆっくりと戻し、シンの方へ振り向いたマーヤの顔は満面の笑みが浮かんでいた。
シンに褒めて貰えると思ったのだろう。千切れんばかりに尻尾を左右に振りながら近寄って来たマーヤの頭にシンは拳骨を落とした。
「マーヤ! ルールを聞いていなかったのか? 相手の背中が地面に着いた時点で勝負は付いていた。これは殺し合いじゃない、単なる腕試しだぞ!」
勝負に勝ち、シンに褒められるものだとばかり思っていたマーヤは、頭に拳骨を喰らって一瞬キョトンとしたのち、見る見るうちに両目に涙を溜めだした。
先程までピンと凛々しく立った両耳は、今では情けなくぺたりと垂れ、嬉しげに左右に揺れていた尻尾も悲しげに力無く垂れ下がっていた。
「ゴホッ、ゴホッ、もう一度だ! 今のは、なし」
咽ながら木剣を拾い立ち上がったフレットは、その言葉を最後まで言う事が出来なかった。
何故ならフレットに音も無く一瞬で近付いたシンが、その首を片手で抑え持ち上げたためである。
「もう一度何てねぇんだよ! 今のお前じゃ何度やったって勝てやしねぇ。相手が小娘だと舐めてかかるようではな」
慎重二メートル近い巨漢であるフレットの体重は優に百キロを超える。
それを片手で軽々と持ち上げ締め上げたシンに、周囲は静まり返った。
ギリギリと締め上げられたフレットは再び木剣を落とし、いくら両手に力を込めても顔を赤くしながらジタバタともがくだけで、全く振り解くことが出来ない。
シンは頃合いを見て、フレットを地面に降ろしてその手を離してやる。
フレットはその場に崩れ落ち、再びゴホゴホと咽かえった。
「だが、その負けん気は気に入った。マーヤは奴隷時代に首を切られて声が出せない。お前がマーヤの代わりになって隊に号令を掛けろ」
地面に四つん這いで咽ていたフレットは片手で喉を抑えながらシンを見上げる。
両の眼が爛々と赤く燃え上がり、自分を睨み付けているシンを見た瞬間、身体どころか魂まで竦み上がったような錯覚を受けて、意志とは関係なく頷いてしまう。
周囲の見物人たちも、瞬きひとつする間に数メートルの距離を詰め、巨漢を片手で持ち上げ締め上げたシンを見て竜殺しの名は決して伊達ではないと知る。
「賭けに負けた奴は、耳をかっぽじってよく聞け! 相手がどんなものであろうと油断する奴は二流だ。今回はいい勉強になっただろう? これからの戦いは今までに無い程に辛く厳しいものになるだろう。勝ちたかったら、生き残りたかったら決して油断せずに全力を尽くせ!」
帝国の英雄の実力の一端を垣間見た兵たちは、自然と襟を正してその言葉を聞いた。
言うべきことを言ったシンは、未だ俯きべそをかいているマーヤに言葉を掛ける。
「マーヤ、腕を上げたな。見事だったぞ」
その一言で、今の今まで泣きベソをかいていたマーヤの顔に大輪の花が咲き乱れていく。
頭を軽く撫でてやると、嬉しげに眼を細め尻尾を大きく左右に振った。
指揮官たちに集まるように声を上げると、シンは少し離れた所に控えている仲間の元へと歩み寄って行く。
レオナの前を通り過ぎる時に、何故かレオナが自分の頭を前に出して来たがシンはその意図を図りかねて無視して通り過ぎる。
通り過ぎてからその意図に気が付くが、何もしてないレオナの頭を何で撫でなければならないのかと思い、やはりそのまま無視することに決めた。
一方のレオナは、シンに無視され頭を差し出した状態でそのまま固まっていた。
そりゃそうでしょうよと、時折意味不明な行動を取る友人を眺めながら、エリーが呆れた溜息をついていた。
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「よし、集まったな。これから最初の作戦を説明する。まず最初にラ・ロシュエル国境を突破してトンプ湿地帯へと向かう。そこで一度、軍事演習を行う」
指揮官たちを集め、作戦の概要を説明する。指揮官たちの中には、先程マーヤに打ちのめされたフレットの姿もあった。
フレットにマーヤの代わりに隊に号令をし、マーヤの補佐をするように命じると誇り高い獅子族の青年は、それに異議を唱える事無く従った。
「軍事演習ですか? なら出発前の今ここで行えばよろしいのでは?」
指揮官の一人が異議を唱える。
「事前にトンプ湿地帯を我々は偵察してきた。あの湿地帯は、落ちれば身動きも出来ぬような泥沼がそこかしこにあり、危険な場所だ。その危険な場所で演習をして、どこが危険なのかを頭と体に叩き込む必要がある」
「なぜそのような危険な場所でわざわざ訓練を? どのような意図がおありか我々にもご教授願いたい」
シンは頷き、足元に広げた地図に目を落とす。
それに釣られてその場に居る全員が、同じように地図を見た。
「此度の作戦、進めば進むほどに危険が高まっていく。我々が敵国の内で活躍すればするほど、敵も本気になって捕捉撃滅を試みて来るだろう」
「そうか! あの泥沼に追っ手を引きこんで戦う積りだな? そのためにあの魔法の靴と魔法の布を用意したのか!」
流石にハンクは察しが良いなと褒めながら、シンは敵の追っ手をどうやり過ごすか、どう戦うかを説明する。
「我々はたかだか百七十。敵は場合によっては我々の何倍にもなるだろう。まともに正面からやりあうのは自殺行為に等しい。ならばどうするか? 敵との兵力差を埋めるためにトンプ湿地帯やヴェルドーン峡谷の地形を利用するしかないだろう」
「わかりました。ではトンプ湿地帯で軍事演習をし、それからル・ケルワに向かうと言う事でよろしいのですね?」
「ああ、その通りだ。それと皆に言っておくことがある。俺たちはル・ケルワに奴隷を受け取りに行くのだが、兵たちには護衛に雇った傭兵の振りをしてもらわねばならない。取引相手を欺くためにも、今から髪を切ったり髭を剃ったりするのは最低限で頼む。小奇麗な傭兵なんて、この世のどこを探してもいないからな。この部隊には幾人か淑女が参加しているが、むさいのは俺で散々慣れているから気にしなくてもいいぞ」
シンの冗談に指揮官たちは笑い、張りつめていた空気が僅かに弛緩する。
「それと最後にこれを見てくれ。この部隊の旗を用意した。この部隊のというよりも、偽装する傭兵団の旗だが」
シンは馬車から一振りの大きな旗を取り出して広げた。
その旗の中央には髑髏が、その下には斜め十字に骨がクロスしている。
そう、これは紛れもない有名な海賊旗であった。
「こ、これは……」
初めて見る海賊旗のあまりに禍々しいデザインに、その場にいる全員が絶句する。
帝国には海が無い。近隣国家で海があるのは、北のソシエテ王国である。
南側はハーベイ連合の南の砂漠を渡った先に海があると言われている。
詰まり、帝国人は海賊というものを知らない。更にはこの世界の海賊が、この有名な海賊旗を使っているのかどうかすらわからないのだ。
「旗は他にも二つ用意してある。作戦毎に旗を変えていく。理由は言うまでも無いな? メインとする旗はこいつでいいだろう。この部隊……傭兵団の名前だが、不死隊と言うのはどうだ?」
不死隊……その名を聞いた幾人かがゴクリと生唾を飲み込む。
「……いいじゃねぇか、この名前を聞いただけで敵も震えあがるようになるぜ、その内によ」
ハーベイはその禍々しい旗を持ち上げるとそれを掲げて大きく振った。
大陸歴七八七年七月、帝国南部のビルゼンスの街の郊外にてシン率いる偽装傭兵団、その名も不死隊が結成された。
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