ゴブリン
開かれた扉の先は、一言でいえば牢獄そのものであった。
小部屋に仕切られてはいるが、正面は鉄格子で中が丸見えであり、プライバシーの欠片も無い造りになっている。
一部屋に数名ごとに性別や年齢などで分けられており、誰もかれもが精神的疲弊によりやつれてはいるものの、食事は十分に与えられているらしく極端に痩せ細った者は見当たらない。
思っていたのとはまるで違う、奴隷の状態の良さにシンは驚きの表情を隠せなかった。
そんなシンの表情を見て、ブノワは得々として奴隷の管理体制を自慢し始めた。
「当店では、奴隷の品質を何よりも重視しておりますれば、食事は勿論の事、日々の運動も欠かさずに行わせております。お買い上げのその瞬間から、仕事に従事できるよう教育も施しております」
「ほぅ、見事であるな。で、一人当たりの値は幾らになるか?」
「金貨十枚は頂きとう御座います」
余程奴隷の状態に自信があるのか、最初から強気の値段を提示してきた。
「ちと高いな……」
「ご冗談を……これだけの高品質、他では更に値が張ると言うもの。これでも良心的なお値段となっております」
シンにとって奴隷の値段など、金貨十枚であっても二十枚であってもどうでもよい事であった。
いずれ起こるであろう聖戦の折に、この街を占領したならば、皇帝がキッチリとブノワから取り戻すだろう。
だからと言って、全く値引きの交渉をしないと言うのは返って怪しまれる。
「二倍の相場だとして一人金貨二十枚か。子供は当然半値であろうな?」
「はい、半値で宜しゅう御座います」
労働力としての価値が低い子供は、当然の事だが値段が安い。
「ふむ、先ずは奴隷たちをもっと見てからだな。ん? あれはエルフか?」
シンが視線を向けた先の部屋には、楚々とした妙齢のエルフが一人だけ佇んでいる。
「さすがは御目が高い! あれは当店の目玉商品でして、何でもエルフ国の貴族の娘だとか……如何ですかな? その身から自然と溢れ出す気品、それに類稀なる美貌! 王国に名高きオーベルヌ家に相応しい品ではありませぬか?」
確かにその美貌には目を見張るものがある。後ろからゴクリと生唾を飲み込む音がして振り返ると、そこには魅入られたように頬を染めながら、エルフに目が釘付けとなっているハンクの姿があった。
シンがじろりと睨み付けると、ハンクは慌てて俯き目を逸らす。
――――ハンクの阿呆め! 物欲しそうに見れば、そこに付け込まれ高値を吹っかけて来るに決まっているだろうが! それにしてもエルフの貴族の娘か……これはもしかすると使えるかも知れぬ。
「御付の方も気に入られたご様子……如何でしょうか? 本来ならば一見さまにはお譲りする事は無いのですが、オーベルヌ家たってのお望みとあれば譲らぬわけには参りませぬ」
商品の管理といい、その売り込み方といい、奴隷商人ブノワをシンは中々のやり手と感じていた。
――――ちっ、中々やるな。家名を逆手に取って来やがった……ここで、買わぬと言えば疑われてしまうか……やむを得ぬか……
ラ・ロシュエル王国の南で権勢を誇るオーベルヌ家が、高価とは言えたかが一人の奴隷を買い渋ったとあっては、醜聞になりかねない。
また、取次ぎのチップに金貨を握らせたり、それなりの手付金を支払ったりと金払いの良さを見せつけているのに、ここでこのエルフを買わずに吝い所を見せれば、要らぬ疑いを抱くかもしれない。
ここは、このエルフをどんな形であれ買い取るしかないとシンは判断した。
「幾らだ?」
「金貨二百枚で御座います」
「ふっ、ふはははは。この儂に舐め気な真似をすると申すか! いくら美しいとは言っても所詮は亜人! 何処の世界に亜人如きに金貨二百枚も出す馬鹿がおるというのか! 貴様、この儂を見縊っておるのではないであろうな?」
一瞬で顔を真っ赤にしたシンは、唾を飛ばしながら怒鳴り吼え、腰の長剣に手を伸ばす。
烈火の如き怒りに触れたブノワは、顔を青ざめさせながら己の失敗を悟った。
この男は武人気質だと自ら言っていた。つまり、色欲や財貨などより名誉を重んじるタイプの人間なのだろう。
名家であるオーベルヌ家に、美しいとはいえ亜人如きを御似合いだと言われ、更に吹っ掛けられたと感じ、甚くプライドを傷つけられたのだろう。
「も、申し訳ございませぬ。決してそのようなつもりでは……どうか、どうかそのお怒りを御鎮め下さいませ」
ブノワは跪いて謝罪し、許しを乞う。
ここで相手を完全に怒らせてしまっては、折角の旨味のある取引が……王国でも有数の権勢を誇るオーベルヌ家との繋がりが断たれてしまう。
「そうか、だがオーベルヌの名を出されてはこのエルフを買わぬわけにはいかぬ! 言え、幾らだ!」
ここまで上手く行けば演技に熱が入るというものである。
これでかなりの値下げが期待できると、シンは心中でほくそ笑む。
――――俺の演技も大したもんだ、今のなんかハリウッドスターに勝るとも劣らないんじゃないか? しっかし昔、図書館で時代劇のDVDを観ておいて良かったぜ。悪役の演技が、ほぼそのまま使えるもんな。
改めて値段を付けろと言われたブノワは、汗をびっしりと掻きながら必死に頭を巡らせる。
高ければ斬られ、かと言って安すぎればオーベルヌの名を軽んじたとして斬られる。
「で、では、お詫びの意味も含めまして、そ、その、金貨百枚では如何でしょうか? わ、わたくしとしましてもこれ以上は……も、元手も掛かっていることですし……」
シンはふーっと大きく息を吐き、剣から手を離す。
「良かろう。だが貴公、肝に命じるがよい。オーベルヌの名は時として金貨よりも重いと言う事をな」
「ははーっ、しかと肝に命じまして御座いまする」
二人のやり取りを間近で見ていたハンクは、顔を青ざめさせるほどに引いていた。
――――いったい全体これは何なんだ! 劇団員なんて目じゃない程の演技といい、本当にシンは何者なんだ? ただの冒険者じゃ絶対に無いだろうよ。全く……この演技に着いて行くことなんて、この俺に出来るわけがないだろうが!
その青ざめたハンクの顔を見たブノワは、従者がこれ程までに怯えるとは、矢張りこの男を怒らせるのは危険であると改めて認識した。
「土産にはちょうど良いか……他に何か変わった者は居らぬのか? 幾人か買って帰った方が怪しまれずに済むというもの。目ぼしい者が居れば教えよ」
武人気質……女には然したる興味を抱かないとなれば……ブノワは、一つ思い当たる品があった。
「そうですな……変わり種はあるにはあるのですが、お客様のお気に召すかどうか……」
予防線は張る。無礼討ちされてはたまらない。
「ほぅ、そうまで申すとは余程の変わり種なのであろうな……良かろう、案内せよ」
承知しましたと、ブノワは言うと、別館の地下室への扉を開けて地下へと降りる。
シンたちもそれに続き、地下への階段を降りて行く。
淀んだ埃と黴臭い空気の中で、それは厳重に鎖に繋がれていた。
「ゴブリンで御座います。この辺りでは珍しい一品でありまして、最初は五匹居たそうですが、捕獲する際に残りの四匹は死んでしまったとか……」
暗褐色の体、エルフのように尖った耳、上下の犬歯は鋭く発達しており、薄暗い闇の中で燃えるような赤い瞳が煌々と輝いている。
「……ゴブリン……なるほど、これがゴブリンか……」
エルフとも獣人族ともあまりに違いすぎる風貌に驚きを隠せず、言葉少なくただそれをじっと見つめる。
――――ゴブリンってのは妖精じゃないのか? まぁエルフも妖精では無く亜人だし、この世界ではそうなのかな……
暫くしてハッと自分を取り戻すと、若干の照れ笑いを浮かべた。
「ふはははは、すまぬ、すまぬ。ゴブリンについて話しには聞いてはいたが、この目で見るのは初めてでな……そうか、これが……」
「このゴブリン、多少難は御座いますが、言葉を話すことが出来まする」
「なに? 言葉が通じるのか?」
ブノワに向けていた視線を再びゴブリンへと戻す。
ゴブリンは赤い目を輝かせながら何も言わず、黙ってじっとシンを睨み続けていた。
ブックマークありがとうございます!
遂にRPG定番のやられ役のゴブリンの登場です。この世界でのゴブリンは弱い? 強い?
ゴブリンの今後に、ご期待下さい。




