軍手
帝国より派遣された、ヴァイツゼッカー子爵率いる友好親善の使節団を歓待して送り出したエックハルト王国の王宮の一室では、謎の献上品と彼ら使節団の者が使っていた手袋について重臣たちが頭を悩ませていた。
「この二本の棒は一体何だ? 何に使うのか?」
華美な装飾を施されている箱から出て来たのは、二本の木の棒……つまりは箸であった。
何に使うのか見当も付かないが、他の献上品と同じく大切に扱われていたので、価値はあるのだろうと丁寧に扱う。
頭を悩ます重臣たちの前に、国王ホダイン三世が姿を見せる。
「どうだ? 何かわかったか?」
エックハルト王国を統べる聡慧な君主であるホダイン三世にも、この棒が何であるかのかはわからない。
「も、申し訳ございません。この棒が何であるのか、我らではさっぱりと見当も付きませぬ」
「危険な物ではないのか? 呪具の類であるとか……」
「我らには、それすらわかりかねます。狼に臭いを嗅がせたところ、特に反応を示さなかったので毒ではないと思われますが……」
ここに居る臣は、ホダイン三世が特に目を掛けている俊英揃いである。
その彼らをもってしても判別不能と言うならば、国内でこの棒について知る者は居ないであろうと思われた。
「取り敢えずそれは厳重に封印して置くとして、早急に正体を突き止めねばならぬ。帝国に放ってある間者どもと連絡を取り、その棒について調べさせよ」
「はっ! 直ちに」
臣の一人が早足で部屋を出て行く。
次なる物は、使節団の者が使っていた手袋である。
冬でもないのに作業に携わる全員が、この手袋をはめていた事に気が付いた一人の家臣が、兵の一人と交渉し、一組だけ銀貨十枚で譲り受けたのだ。
このような作りも粗末な手袋に、銀貨十枚もと同僚たちに腹を抱えて笑われたが、その家臣は英邁で知れるヴィルヘルム七世が、大事な使節団に意味のない事をさせるはずが無いと、ホダイン三世に事の次第を報告し、手袋を献上したのであった。
その手袋とは一体何か? 日本には日常ありふれている物、そう軍手である。
シンが帝都に居を構えた時に、荷物を整理していたところ軍手が一組出て来た。
修学旅行の体験学習のおりに使用した物であったが、色々あってその存在自体を今まで忘れていたのだった。
帝都の何処を見ても、軍手を使っている人間を見た事は無かった。
これはもしかすると商売のタネになるかもと、ある裁縫所に持ち込んで制作依頼を出す。
その裁縫所は、かつてシンが失業者を世話した所で戦で夫や家族を失った、多くの未亡人たちが切り盛りをしていた。
持ち込んだ軍手の素材がポリエステル繊維では無く、綿であったこともあり、見慣れぬ目利安編みであったが時間を掛ければ作れそうであった。
早速お願いして作らせてみるが、綿で作られた軍手は諸費用込みで一組銀貨五枚と消耗品としてはべら棒にお高い品となってしまった。
個人で儲けるのは無理でも、国単位で作ればどうだろうかと、シンは軍手を皇帝ヴィルヘルム七世に売り込んでみることにした。
最初は皇帝も、シンが持ってきた粗末な手袋に価値を見出すことが出来なかったが、シンが強く推すので試しに庭師のガードナーに使わせてみる事にした。
軍手を手渡されたガードナーも最初は怪訝な顔を見せたが、一月ほどすると予備の軍手を欲しがるようになっていた。
それ程の物なのかと、今度は薔薇の世話をする太后に軍手を手渡して使うように勧めて見ると、これまた直ぐに次の軍手を欲しがるようになった。
これは使えると確信した皇帝は、シンと二人で軍手の生産を検討する。
問題は綿が比較的高価であることで、消耗品であるのに一組銀貨五枚では広く普及させるのは難しいと、二人は頭を悩ませた。
まず何より、綿の確保から入らなければならない。そこで皇帝は、反乱貴族から取り上げた土地と未だ荒れ果てている新北東領で、大々的な木綿栽培を始めた。
人員の確保は簡単で、国内で仕事にあぶれている失業者を充てる事とした。
失業対策にもなり一石二鳥であると、皇帝は鼻高々に廷臣たちに語ったという。
こうして手に入れた綿を使って軍手を編む仕事を与えられたのは、シンの進言により未亡人や孤児たちであった。
こうして失業者や孤児や浮浪児などが激減した帝国の治安は、以前とは比べものにならないほどに改善され、帝国は益々興隆していくこととなる。
最初に軍手に手を通した庭師のガードナーは、その一事のみで帝国史にその名を残す事となる。
現在、大陸歴785年の時点では、まだ大量生産の目途は立っておらず、一部の兵などに試験的に配られているに過ぎない。
「ほぅ、思っていたより着け心地は良いな」
軍手をはめたホダイン三世は、もう片方の軍手を宰相のミロスラフへと渡す。
渡されたミロスラフは、自分の大きな手には入らないだろうと首を振るが、ホダイン三世に試すように言われて、仕方なくその手にはめた。
「これは! 某の手の大きさから無理だと思っておりましたが、意外と伸びますな……しかし、この手袋の用途は何でしょうか? まさか初夏に入り始めたこの季節に防寒というわけでもありますまい」
ミロスラフの言う通り、防寒具ではないとホダイン三世も見ていた。
「この様な手袋一つ、大騒ぎするほどでも無いとは思うが、一応念のために探らせておくか?」
「その方がよろしいかと。その棒の件と共に探らせましょう」
箸と軍手を広めた当事者であるシンは、まさか箸と軍手の正体を探るためにエックハルトから大量に間者が送り込まれるとは、露ほども考えられぬことであった。
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エックハルト王国から帝都に帰還したリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー子爵は、副使であるヴィリィ・ラングカイト準男爵を伴い皇帝ヴィルヘルム七世に事の首尾の報告に玉座の間に控えていた。
間もなく近侍を数名従えた皇帝が現れ、両名の労をねぎらう。
ホダイン三世が、魔法剣や近衛騎士養成学校に関心を示したことを聞いた皇帝は、最初の接触には十分に成功と言って良い程の感触を得たと確信した。
両名の報告を機嫌よく聞いていた皇帝は、ヴァイツゼッカー子爵が最後に報告した一件を聞くと、こめかみに青筋を立てつつ両名を怒鳴りつけた。
「厳命しなかった余の落ち度もあるとはいえ、官給の品である軍手を他国の者に売るとは何事か!」
たかが手袋一つと高を括っていた二人は、激怒する皇帝に対し怖れ慄いた。
「も、申し訳ございませぬ。どうかお許しを……」
二人は床に額を擦りつけて許しを乞う。
そんな二人を見て、皇帝は大きく深呼吸をして怒気を静めると、二人に着いて来るように命じた。
「精が出るな、ガードナー。皆もご苦労である」
中庭へ突如現れた皇帝に、庭師のガードナーとその弟子たちは、すぐさま膝を折り平伏する。
「良い、作業を続けよ。ガードナー、近う寄れ」
皇帝の言葉を受けたガードナーの弟子たちは、立ち上がり作業へと戻って行く。
皇帝の命に逆らい、いつまでも平伏していようものなら、皇帝と師匠のガードナーの二人から怒声が飛んで来るからだ。
「ガードナー、御前に」
「ああ、毎日ご苦労である。今日はちょっと軍手の事を聞きたくてな、どうだ? 役に立っておるか?」
「はっ! 陛下より賜りましたこの軍手なる手袋、実に良い品でございまする。これを着けてから、葉や枝で手指を痛める事が減りました。今では作業するのに欠かせぬ品に御座いまする。それで、一つ陛下にお願いの儀がございまして……」
「何か? 遠慮せず申すが良い」
「はっ! では、お言葉に甘えまして……この軍手をさらに幾つか頂けないでしょうか? 恥ずかしい事なのですが、弟子共が取り合って喧嘩になる始末でして……」
「わかった。なるべく早く手渡せるよう手配しよう」
ガードナーは跪いて厚く礼を述べる。
皇帝の背後に付き従うヴァイツゼッカー子爵とラングカイト準男爵は、軍手がこれ程までに重宝されていると知り、驚きを隠せない。
「そちたちも何故あれほどまでに叱責されたか、理由がわからぬでは納得いくまい。再び場所を移すぞ、着いて参れ」
そう言うと皇帝は、再び宮殿へと歩き出す。
二人は互いに顔を見合わせた後、遠ざかって行く皇帝の背を足早に追いかけた。
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区切りのよい二百話なのに、地味な話ですいません。




