影の国家
惑星パライソ中央大陸で多数の信徒を集めている三教団の創生教、星導教、力信教はそれぞれ体系の異なった兵力を保持している。
現代の日本人の感覚からすれば、宗教組織が武力を持っていることに違和感を感じるであろうが、諸外国を見渡して見ればイスラム教の過激派など武力を有している宗教組織があることに気が付くだろう。
また日本に於いても、過去に遡れば寺が僧兵などを有していた歴史がある。
魔物が跳梁跋扈するこの惑星パライソでは、平民であろうと王侯貴族であろうと、平和を謳う宗教組織であろうと自衛のために武力を有さないことには、生きる事すらままならない。
現在シンが赴いている星導教は、有する戦闘員を神官戦士と呼んでいる。
力信教は戦闘司祭、創生教は聖騎士とそれぞれ固有の武力を保持していた。
彼ら神官戦士は、自衛は勿論のこと信徒の守護を主目的とし、その武力を権力闘争や国家間の戦争などに対して悪戯に用いることが無いようにと、教え伝えられてきた。
だが、ここで大きな決断を迫られることになる。近いうちに恐らく起こるであろう創生教が発する聖戦、これにどう対応するのか? 参加か、それとも傍観か? 参加するとして創生教とガラント帝国のどちらに組するのか?
我ら星導教はどう動くのか? 長い歴史の中で、力信教と同じく創生教によって少なからぬ迫害を受けて来た星導教は、力信教と同じく創生教を敵に回すのか?
今年で九十二歳となった星導教の総大司教である、カルロ・ルッチーニはシンが神より授かった神託をこの目で確かめてから決を下すとし、教団内外での軽挙妄動を慎むようにお触れを出した。
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左右に並び跪く神官戦士たちには一瞥もくれずに、シンは最奥で椅子に座る白髪の老人の元へと歩み寄る。
「ガラント帝国特別剣術指南役兼相談役のシンです。本日は、女神ハルより授かった神託を伝えるべくまかり越しました」
シンが頭を下げると、椅子に座っていた老人は傍らに控える者から杖を受け取り立ち上がった。
「星導教総大司教を務めますカルロ・ルッチーニと申します。遠路遥々、神の御言葉をお運びくださり感謝の念に堪えませぬ」
杖を支えにし、くの字に曲がった腰に片手を当てて立っているカルロの目は、未だにシンを完全に信用してはいない。
自分の言葉一つで信徒たちの行く末が決まる、総大司教の言葉というのは国境に縛られない分ある意味、皇帝や王よりも慎重に発せねばならない。
シンは老人が発するその不信を含んだ眼差しが、嫌いではなかった。
寧ろ人の上に立つ者ならば、これくらいの用心深さが必要不可欠であると考えていた。
「これが帝国のカールスハウゼンにある迷宮の最深部に於いて、女神ハルに授けられた神託の石です」
シンが差し出した現在の中央大陸では制作出来ない、正に神が作りしアーティファクトを目にした者たちは、それを目に収めた途端、口々に祈りの言葉を唱え出す。
「……それが……神託の石ですか……では早速、神の御言葉を……」
総大司教であるカルロが促すとシンは神託の石、トランスホログラフィーを起動した。
装置が起動すると、たちまち辺りに居る人間はトランス状態へと陥ってしまう。
この場に居る人間で、正気を保っているのはシンのみ。このホログラフィを見るのも四度目ともなると、完全に飽きてしまっていた。
退屈しのぎに後ろを振り返ると、ハンクとハーベイも口を大きく開けながら、上空に映し出された女神ハルの姿に釘付けとなっている。
マーヤに至っては、尻尾がこれでもかと天を突かんばかりに逆立ち、瞳は大きく開け放たれ、豊かな胸が上下し、荒い呼吸を繰り返している。
シンはゴクリと生唾を飲み込んだ。呼吸によって上下する胸にでは無く、毛が逆立って普段の倍ほどにも太くなった尻尾を見てである。
今すぐにでも触りたい……他の者にとっては神の御言葉を賜る神聖な時間が、シンにとってはマーヤの尻尾に触れるか否かの葛藤の時間となった。
やがてハルの話が終わり、トランスホログラフィーの効果が切れると、人々は興奮によって乱れた呼吸のまま口々に祈りの言葉や神への賛辞を唱え始める。
シンもまた、額に汗を掻き荒い呼吸を繰り返していた。彼は勝ったのだ、己の欲求に……
「これが真実ならば……いや、神の御言葉に嘘偽りがあるはずもない。忌々しき事だ……星導教も力信教と同じく帝国に組するほかあるまい……帝国にある迷宮で、帝国に属するシン殿に神託を授けたと言う事は、言うならば神が帝国を選んだと言うに等しい……そうではないかな?」
傍仕えの者に手渡されたタオルで、汗に濡れた顔を拭いた総大司教のカルロは、シンに向かって同意を得るように呟いた。
そう解釈したのならば、それはそれで都合が良い。シンは敢えてカルロの言を正さず、ただ沈黙を貫いた。
「シン殿、場所を移そう。ここは少し、騒々しい」
未だ興奮冷めやらぬ神官たちを尻目に、カルロは御付の者に支えられながら奥の部屋へとシンを導いた。
シンはハンクに声を掛けるが、返って来たのは生返事。ハーベイはそれよりも酷く、未だに放心状態であった。
仕方なくシンはマーヤに声を掛ける。だが、マーヤも直立不動のまま固まっている。
――――好機!
シンは素早くマーヤの後ろに立つと、逆立っている尻尾をむんずと掴んだ。
その触り心地は極上……至福の時間は僅か数秒。シンの行為に我に返ったマーヤは、素早くシンの手から尻尾を抜き、顔を赤らめながら犬歯を剥いて威嚇する。
ここで慌ててはいけない。シンは努めて冷静を保ちつつ、マーヤに普段通りに声を掛ける。
「やっと気が付いたか……大丈夫か? 何度名前を呼んでも気付かなかったんでな……」
落ち度が自分にあると知ったマーヤは、牙を収めてシンに頭を下げた。
何とか誤魔化すことに成功したシンは、奥で総大司教と話があるのでハンクとハーベイの事を頼むと告げ、ボロが出る前に足早にその場を立ち去った。
手にはまだ尻尾の感触が残っている。その手のひらを見るシンの顔は、にやけ笑いを抑えるために歪に歪んでいた。
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奥の部屋へと通されたシンは、星導教総大司教のカルロと向かい合って座る。
傍仕えの者が茶を煎れて配り終えると、カルロは手振りで人払いをした。
部屋の中にシンしか居ない事を確認すると、カルロはようやくその口を開いた。
「して、力信教はどう動くのですかな?」
「力信教は、帝国に全面的に協力を確約して下さいました」
「……でしょうな……ですが、星導教と力信教を合わせても創生教の三分の一程度の力でしかありません。保有する武力も創生教が圧倒的であり、もし他国との戦争中にでも聖戦を発動されでもしたならば、如何に帝国と言えども分が悪いと言わざるを得ません」
流石は総大司教だけのことはある。帝国が近い将来、ラ・ロシュエル王国と事を構えるであろうことを読んでいる。
「現在創生教が二派に別れているのをご存じですか?」
シンの問いにカルロは頷いた。
「無論知っておる。だが、二派と言っても圧倒的多数派とごく少数派。恐らく味方となるのはそのごく少数派であろう? それではとてもとても……」
国境を越える宗教組織のネットワークの強さを、シンは垣間見た気がした。
「こう言うのはどうでしょう? 創生教の総本山に私が赴いて、先程のように神託を見せるというのは?」
カルロは頭を振ってシンを止める。
「おやめなさい。如何に武勇卓越しているシン殿とて、聖騎士数千人を相手にして勝つなど不可能。殺されに行くようなものです。現在の創生教は、教団としての意義を完全に見失っています。あれはもう、影の国家と言ってもよい。総大司教の欲は神官や聖騎士に伝播し、彼らは神の教えを忘れて富を貪る愚者と化しています。神の御言葉もその耳には届きますまい」
総大司教を王とした影の国家、それが今の創生教の姿だと言う。
――――つまり帝国は、ラ・ロシュエルと創生教の二つの国家を相手取った戦に勝たねばならないと言う事か……
力信教と星導教の合力を得た今、焦点は創生教をどこまで切り崩せるかにかかっていた。
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