暴将を倒した英雄
エックハルト王国へ使者として赴いたリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー子爵は、幾度か賊や魔物に襲われながらも新北東領を横断し、人員物資、献上物を損なう事無く無事エックハルト王国国境へと辿り着いた。
国境を閉ざす関所で、ガラント帝国皇帝ヴィルヘルム七世より遣わされた使者であると告げると、軽い臨検を受けただけであっさりと入国する事が出来た。
厳しい取り調べを受け、幾日もこの場に抑留されることを覚悟していた子爵は、あまりに簡単に通されたことに拍子抜けするとともに返って不気味さを感じてしまい、使節団副団長のヴィリィ・ラングカイト準男爵に意見を求めた。
ヴィリィ・ラングカイト準男爵は口許に見事なカイゼル髭を蓄えた初老の男で、頭髪にはちらほらと雪のような白髪が混じり始めている。
背は低いが重厚肉厚の身体からは、ある種独特の威圧感が発せられている。
遊歴の身から功績を重ねての叩き上げただけのことはあり、万事あらゆる経験を持った頼れるベテランである。
この頼れるベテランを補佐として付けてくれた皇帝の配慮に子爵は感謝し、事あるごとに相談を持ちかけ自身の判断の参考にしていた。
「……そうですな……エックハルトも我が国同様、間諜に力を注いでいると聞き及んでおります。まして我らは、ルーアルトの使者に見せつけるように帝都を発した訳ですから、ルーアルトに潜らせている間諜から聞き及んでいたのかも知れませぬ。それともう一つ、エックハルトは力信教徒の多い国でありますれば、教団を通じて情報を得ていても不思議ではないのかも知れませぬ」
「なるほど、我らも別に隠し立てせずに堂々とその身を晒して来たのだから、気付かれていても別段おかしくは無いか……」
「左様ですな、ですが臨検一つを取って見ても、あまりにあっさりとし過ぎています。これは何かあると考えた方がよろしいでしょうな」
子爵は頷くと、エックハルト王都ロンフォードに向けて使節団を出発させた。
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エックハルト王国で現在至尊の冠を戴くのはホダイン三世。精力的な野心家ではあるが決して無理をしない慎重な男である。
ガラント帝国の帝都シャルロッテン・ヴァンデンべルグからエックハルト王国への使節団が出発したとの報を受けたのは凡そひと月前。
ルーアルト王国に潜らせていた間諜が、宰相アーレンドルフと重臣たちが何度も緊急に会議を開いていることに疑問を感じ調べたところで、この使節団の事が明るみに出たのであった。
他にも力信教のツテを使って情報の裏が取れると、国王ホダイン三世は重臣たちを集め、この使節団の目的とその対処について緊急の会議を開いた。
「この使節団ですが、何故今更なのでしょうか? 情報通り、ただの挨拶と言うならば国境を接した二年前に来るべきものであるはずでは?」
「いや、二年前は帝国で現皇帝とその叔父との間で内乱があった。そして落ち着く間もなく今度は、ルーアルトとハーベイの連合軍の侵攻を受けている。それが落ち着いて、やっと余裕が出て来たと言う事ではないか?」
盛んに交わされる意見に対し、ホダイン三世はただ黙って耳を傾けている。
これはいつもの王のやり方なので、集められた重臣たちも思い思いに口を開いて行く。
「使節団の長は、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー子爵。ふむ、代々外交に携わって来た旧貴族の者ですな。ただ、代替わりしたのか相当に若いようで……腹芸をするのならばもっと老獪な者を選ぶのではないかと思うのですが……」
「待て待て、ヴィルヘルム七世は実力主義者の側面を持っておる。その使者が若者だからとて、腹芸が出来ぬと決めつけるのは些か油断が過ぎようぞ」
彼らは自分達も先王やホダイン三世に、その実力を買われて今の地位に着いたという自負がある。
自分の王と同じく実力主義者であるヴィルヘルム七世に対し、警戒を抱くのは当然のことであった。
「その使節団に、例の竜殺しはおらぬのか?」
その声を聞き重臣たちの視線が集まるその先には、先日王太子として擁立されたパットル王子が、好奇心を抑えられずに発してしまった己の未熟さを恥じるように、顔を赤らめ俯いていた。
「王子よ、今は口を謹んでおれ」
ホダイン三世にそう窘められた王子は、身を縮こまらせながら重臣たちの会議の邪魔をしたことを詫びた。
素直な王子に良王としての気質を見たのか、重臣たちの王子を見る目は優しい。
幾人かが王に目配せをしつつ、王子に助け舟を出した。
「使節団にかの竜殺しは居らぬようです。ですが、力信教の司祭より一つ耳寄りな情報を聞いておりますれば……」
王は黙って頷き、話の先を促す。
「ソシエテ王国の暴将ザギル・ゴジンを討ったのが、その竜殺しのシンであると……」
「それは余も聞いた。確かにあの疫病神は、ここ一年半ほど姿を見せておらぬ。そうであるな?」
「はっ、かの暴将の愛剣である死の旋風は、今は竜殺しの愛剣となっておるそうで、それを実際に振るう姿を見た者が多数おりますれば、噂は真実であると見た方がよろしいかと」
「すでに民たちの間では、ザギル・ゴジンを討った英雄として騒がれておるわ」
度々境を犯しては暴虐の限りを尽くして行ったザギル・ゴジンを、異国人に討たれた諸将はその悔しさに臍を噛んだという。
ここにいる重臣たちも皆似たような思いを抱いているが、ホダイン三世とパットル王子の二人はそれらとは違う思いを抱いていた。
実はホダイン三世は、ここに居る誰よりもシンについて知っていた。
それはある一人の間諜がもたらした一通の報告書が発端であった。
その報告書には、シンが魔法使いであることと、その魔法を剣技に取り入れて独自の技を編み出している事が書かれていた。
ホダイン三世はこの報告を重視し、直ちに多数の間諜を帝国へと忍び込ませた。
帝国のアンスガーら影の活躍により、重要な情報を手に入れることは出来なかったが、返ってその厳重な警備体制が暗に情報の裏付けとなってしまったのであった。
魔法も剣も元より中央大陸に存在する物である。あのスードニア戦役でシンが発案したという土嚢、あれとて麻の袋と土くれ。
魔法剣にしろ土嚢にしろ、すでにある物を組み合わせただけであるが、未だかつてそのような事をした者が他にいただろうか?
そのシンの持つ発想力にホダイン三世は誰よりも危機感を抱き、間者を更に潜り込ませて情報を集めていた。
一方のパットル王子は御年十六歳の若者である。シンに対して抱く思いは、この頃の少年特有の英雄に対する憧れであった。
竜を討ち、父や諸将が手を焼いていた暴将ザギル・ゴジンを討ち、隣国ルーアルトの英雄である銀獅子を打ち倒すと、武功話に事欠かなぬ有様であり、パットルだけでなく年頃の少年たちは皆、突然現れた英雄に憧憬の念を抱いていた。
「おっと、話が逸れてしまいましたな。それで今回の使節団の目的ですが、某が思いますに大した意味は無く、単なる探りではないかと……」
多数の者が同意の声を上げるの見てから、ホダイン三世はその意見に同意した。
「そうだな、ではこちらも探りを入れて見るか……使者であるヴァイツゼッカー子爵とやらに直接な……」
大胆にも使者と直接まみえて、その真意を探ると言うのである。
四十半ばとはいえ、すでに老獪さを身につけているホダイン三世と、いくら実力が評価されていようともぽっと出の若造では勝負にならぬであろうと、重臣たちは皆一様のそう思うのだった。
そうはならないようにとヴァイツゼッカー子爵の補佐に、ラングカイト準男爵が付けられている事をホダイン三世を始め、重臣たちの誰もが未だ知らない。
それもそのはず、ラングカイト準男爵はその格好や仕草が騎士然とし過ぎており、間諜や関所の者たちの誰もが単なる護衛の騎士だと思い、そう報告していたからであった。
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