アレとコッチ
白パンに塩漬け肉とチーズを挟み込んだ軽食に齧り付きながら、皇帝とシンは情報の共有と今後の計画を立てて行く。
「ふぉれでな、シンよ。ルーアルト王国に向かってもらうのだが、念の為に万全の準備を怠らぬようにな」
口に物を詰め込んだまま話そうとするような、こんな行儀の悪い皇帝は他にいるのだろうか?
シンしか居ない時にだけ、皇帝はワザと下品に振る舞う事がしばしばあった。
何でもそのような行為は新鮮であり、やってみると楽しいのだとか……何かにつけて溜まっていくストレスが少しでも晴れるのならばと、シンは皇帝に付き合って自分も同じように飲み食いしながら話を続ける。
「うゎんでだ? 向こうは手出しできないはずだろ?」
「どこにでも跳ねっ返りはおるし、命の危険は無くとも嫌がらせは受けるやも知れぬぞ」
なるほどとシンは納得した。
「しかし本当に手出ししてこないのか? 俺なんてルーアルトにとっては、仇みたいなものだろう?」
「だからだ。ルーアルトと交わした約定に、お主に手出しをした場合には聖剣を火山に放り込んで処分するのと、もう一つあってな……これが今回の肝と言うべきか、ハンフィールド地方と言う黒鉄鉱を産出する土地を譲り渡すという条件を付けた。相手は切れ者と言われている宰相アーレンドルフだが、この男は頭は良いが欲も深い。鉱山と言う金のなる木をそう簡単に手放したりなど、決してしないであろう」
「あっ、わかったぞ! エル……お前、性格悪いな。俺がルーアルトに行けば、奴らはエルが鉱山欲しさに手を出させようと挑発していると考える。だが奴らはその手には乗るかと、決して俺に手を出さないと言う訳か」
性格が悪いと言われた皇帝は反論しようと口を尖らせる。
「謀略に性格は関係無かろう。余とて好きでやっておる訳では無いぞ!」
「わかった、わかった、そう怒るな。表向きは皇族かそれに類する誰かが、創生教から星導教に改宗するって名目なんだよな? で、誰が一緒に行くんだ?」
「うむ。それなんだが、母方の伯父のエルリック・フォン・レーベンハルト伯爵が同行する。レーベンハルト伯は南部の貴族たちの取りまとめ役でな。能力、実績共に信頼に値する。お主が今後南部で活動する時も、伯に支援をさせるつもりだ」
「おいおい、南部の重鎮みたいな人を、この時期に動かしちまって大丈夫なのか?」
ラ・ロシュエル王国が創生教と賊を隠れ蓑にして、帝国南部で暗躍している今、抑えの重鎮を動かすのは危険ではないのか? シンの言いたいことはわかるが、どうにもならない事情がある。
「シン……秘事を託せるほどに信頼出来る者は、帝国広しと言えどもそうは居らぬのだ。この計画の全容を知るのは余とお主、宰相とレーベンハルト伯のみ。漏れたら終わりゆえ最低限の者にしか知らぬ。伯を動かすことで、一時的に南部の力が弱まるが致し方ないであろう」
今は弱肉強食の戦国時代。身内とていつ牙を剥くか、わからぬ世界。故に能力はあっても、絶対なる信を置けるものと言うのは少ないのだろう。
「もし南部が荒らされようものなら、俺が奴らにきっちりとツケを払わせてやるから心配するな」
皇帝は口元に微笑を浮かべながら、頼むと言いながら目を瞑り頭を下げた。
シンは自ら言い放った大言壮語に気恥ずかしさを覚えたのか、話の話題を急に変えた。
「そういえばアレはどうなっている?」
シンは人差し指をくるくると回しながら聞く。
「アレか? アレは目下総力を挙げて増産中だ」
「じゃあ、コッチの方は?」
そう言いながら今度は、人差し指を垂直に立てて天井を指差した。
「コッチの方は、すまんがまだ目途が立っておらぬ。急がせてはいるのだが、何せ今まで想像もつかぬ様な代物ゆえな」
アレだのコッチだのと暈しているのは一体何か? それは何れラ・ロシュエル王国と創生教が仕掛けてくるであろう聖戦に於いて、ある意味で戦の趨勢を決めるかも知れない代物である。
こちらも情報が漏れぬように細心の注意を払いながら、金と時間を惜しげも無くつぎ込み、それぞれ研究と増産に勤しんでいた。
その後も時間の許す限り話し合い、シンがルーアルト王国に向けて出発するのは、レーベンハルト伯が帝都に到着する五日後と決定した。
シンのパーティ碧き焔は、表向きはレーベンハルト伯の護衛として雇われる事になる。
報酬は、成功報酬で一人当たり金貨五枚。これからそれぞれ個人の経費を引いても、金貨三枚以上は堅いと言う高額報酬に、新しく加わったハンクとハーベイ、マーヤは驚いて目を回した。
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「ダメだ! ちょっとその格好は…………煽情的過ぎる!」
出発の日時が決まりそれぞれが準備に勤しむ中、その事件は起こった。
マーヤは護衛の依頼と聞き、力信教の修道服を脱いで、動きやすい拳闘奴隷時代の装備を身に着ける。
腕に巻かれるのはナックルダスターの一つであるセスタスで、他には極端に布地が少ない皮製の水着のような物を纏うのみである。
薄褐色の引き締まったボディに、見事に割れた腹筋、上向きにツンと張り上げながら盛んに存在感をアピールする豊かな双丘を見て、シンだけでは無くカイルやクラウスも目が釘付けとなってしまう。
拳闘奴隷としてこの姿で戦い続けて来たマーヤには、今更羞恥心の欠片も見受けられるはずもない。
カイルの鼻から、つーっと鼻血を垂れてきたの見て、シンの待ったの声が掛かったのだ。
急いでレオナとエリーを呼び、マーヤに元の修道服を着るように申し付けると、シンは未だマーヤの身体から目を離すことが出来ない弟子二人の首根っこを掴んで、応接室を後にした。
未だ呆けているクラウスを蹴り飛ばして学校へと叩き出した後、シンたちはマーヤを連れて買い物に行くことにした。
留守番をゾルターンに頼み、保存食と酒の買出しをハンクとハーベイに任せる。
帝都東地区の市場でハンクたちと別れたシンたちは、行きつけの武具店に行ってマーヤの武具を物色する。
「あーこれなんてどうでしょう? 動きやすいと思いますが……」
店主が持ってきたのは何かの動物の皮で出来ているスーツのようなドレスだった。
「へーっ、面白いなこれは……何の革で出来ているんだ?」
「へい、これは南部の密林に住むティタノボアって言う大蛇の革でしてね、このように弾力があって容易に刃を通さないんですわ。弾力があるのである程度までなら伸び縮みするんで、鎧よりは遥かに動きやすいのではないかと……」
黒く染められた大蛇の革は、店主の言う通り弾力があり動きやすそうである。
この子用に仕立て直せるか? と聞くと、二、三日の時間を頂ければと店主は答える。
「ただ……旦那、こいつは見ての通り上物でして……何せこの弾力おかげで、普通の革の半分の厚さでも尚、このティタノボアの革の方が防御が高いんですわ。ですから偉い値が張りますが、よろしいので?」
幾らだと聞くと、仕立て直し代を入れて金貨百枚、それ以下では売らないと強気の態度を崩さない。
その値段を聞いたマーヤは、店主へと革のドレススーツを突っ返そうとするが、その手をシンは掴んで止める。
「買った。後、武器も見たいんだが、ナックルダスター系の武器で店主お奨めの上物はあるか?」
「毎度! 今見繕ってきますんで……おーい、お客様の寸法合わせを頼む」
店主は奥に居る店員を呼び、マーヤの寸法を測るように指示すると裏手へと消えて行った。
マーヤはシンの手を振り払って、頻りに首を横に振る。
そんなマーヤの両頬をそっと両手で挟み込みながら、シンは怯えを含んだ金の双眸を見つめる。
「マーヤ……よく聞け、これからかなり厳しい戦いが続く。ここでしっかりと装備を整えないと、死んじまうほどのな……金の事なら心配するな、戦いで返してくれればいいんだからさ。マーヤの働きに対する先行投資ってところだ」
この短い期間ながらも、シンと師弟のような信頼関係が出来つつあるマーヤは、躊躇いつつも最後には頷いて承諾の意を示した。
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予約するの忘れてました。気が付いて良かった




