力信教総本山
突如湧き上がった温泉に、観客たちから喜びの声が上がり始め、やがてそれは大きなうねりとなって割れんばかりの歓声へと変わっていった。
そんな中でシンは一人首を傾げる。
何故だ? 幾ら力加減を誤ったとはいえ、掘り返し亀裂を入れることが出来たのは精々数十メートル程ではないかと思う。
それなのに温泉を掘り当てたというのは……
シンは慌てて周囲を見回す。山はあるが山頂や中腹から煙が立ち上っている様子は無い。
観客や騎士たちと共に喜びの声を上げている男爵に、向こうに見える一際大きい山について幾つか尋ねた。
「男爵殿、あの向こうにそびえる山は、大昔に噴火したことはありますか?」
男爵は何故シンがそのような質問をするのか不思議そうな顔をしながらも、自分の曾祖父の頃に噴火したとの記録があると答えた。
――――休火山か! でも地表近くまで温まってるってことは相当ヤバイ感じがする。一応注意喚起をしておくか……一晩とはいえ世話になった事だし、この人たちを火砕流で滅んだポンペイの二の舞にはしたくないからな。
シンは男爵に、火山が噴火して灰が降って来たら街を放棄して遠くへ非難するように勧めた。
男爵がその理由を聞くので、シンは出来る限りわかりやすく説明したが、火山噴火の仕組みなどの話になると男爵はついてこれない。
だが男爵は各教団からシンが聖戦士と呼ばれており、神の御使いであると信じていたため、その言葉を記憶してリヒャルト家の子孫に代々伝えていくことにした。
この時より百七十三年後、このラーハ山は大噴火を起こす。
だが、この時この地を治めていたリヒャルト男爵の子孫のマノック・フォン・リヒャルト伯爵は、代々の言い伝えを守り街を放棄して速やかに避難したために人的被害は殆ど受けずに済んだ。
だがブローリンの街は火砕流に覆われて、ほぼ全てを灰と土砂によって埋もれてしまう。しかし、シンに纏わる土地と言う事で、リヒャルト伯爵家のみならず帝国の総力を挙げて街を掘り起し、復旧されることになる。
火山の噴火を言い当て、さらにリヒャルト家に災いから逃れる術を教えたシンは、神格化され廟を建てられて以後この地にて祀られることとなる。
温泉を掘り当てたことを感謝され、別れを惜しまれつつもシンたちは力信教総本山へと歩みを進める。
シンの魔法剣を見て興奮する男たちに比べ、昨晩折角旅の垢を落としたというのに、直ぐに頭から土砂を被せられたレオナとエリーの機嫌はすこぶる悪い。
その証拠に夕飯の時に配られたスープの内容が、カイルたちは具だくさんなのに比べ、シンのスープには具が全く入っていなかった。
涙を堪えながらスープを飲み干したシンは、これについて抗議もせずに、半ば不貞腐れながら早めに眠りに着いた。
シンが温泉を掘り当てた話は、瞬く間に帝国全土へと広がって行く。
思惑通りに、話に尾ひれが付いてシンの魔法剣は地下水脈を断ち斬るなどと大げさになっていき、いつしかそれが真実として語り継がれていくようになっていく。
これによってか影の暗躍によるものか定かではないが、シンに復讐を挑む者は殆どいなくなっていった。
治安の行き届いた帝国中央には、野盗の他は狼などの野獣くらいしか脅威は無く、シンたち冒険者にとっては安全とも言える長閑な旅を満喫することが出来た。
その帝国中央の西端にある、力信教総本山の麓の街アルバシュタットに着いたのは、リヒャルト男爵領の街ブローリンを出て五日後のことであった。
「おお、ここが総本山のお膝下か! 比叡山に対する近江坂本みたいなものかな?」
街に入った一行が、他の街には無い宗教色の強い街並みを頻りに感心しながら首を巡らせていると、ローブを被った一団がシンたちの方へと近付いて来る。
鮮やかとは言い難い少しくすんだ緋色のローブの下には、力信教のシンボルを象った首飾りが陽光を煌めかせてその存在をアピールしていた。
「お待ちしておりました。シン殿と御見受けいたします、アルバシュタットへようこそ。総大司教猊下より案内をするよう申し付かっております私、ニコラスと申します。以後お見知りおきを……ささ、こちらへどうぞ」
シンたちは力信教の司祭、ニコラスの案内を受けアルバシュタットの街を抜けて総本山へと進んで行く。
総本山は標高百メートルほどの小高い丘の上にあり、その麓で馬車や龍馬を預けて石造りの階段を登って行く。
「ったく、何も丘の上に建てなくてもいいだろうに……」
長い階段を登りながらハーベイが毒づく。
ハンクは司祭であるニコラスの手前、ハーベイを嗜めるが内心では同様に思っていた。
ハンクやハーベイだけでなく、全員がそう思っていただろう。
そんな様子にもニコラスは慣れているのか、咎めだてもせずにニコニコと笑顔を携えながら一同を先導して行く。
登り始めて十分少々、健脚のシンたちも軽く息を切らし始めた頃、ようやく神殿入口の門へと辿り着く。
力信教の教義の沿った、重厚でありながら飾り気のない門を見たシンは、その質実剛健さを好ましく思い口許を綻ばせる。
ぎぃと軋んだ音を立てながら門が開くと、中で神官や司祭が左右に別れ整列しており、中央最奥に一際鮮やかな色のローブを纏った恰幅の良い男が立っていた。
その手に持つ錫杖には、華美と言うほどではないがきめ細やかな装飾が施されており、おそらくこの男が総大司教であろうとシンは直感する。
そのままニコラスに着いて行くと、左右に整列した神官や司祭たちがシンに向かって拝礼して行く。
正直に言って止めて欲しいと思ったが、目的を果たす前に要らぬ波風を立てたくは無いので、敢えて気付かないふりをして無視する事にした。
「神の御子どの、お初にお目に掛かる。私は力信教総大司教を務めます、ハイメリクリウスと申します」
年の頃は五十代であろうか? 髪にはまばらに白髪が混じり始めているが、身体は引き締まっている。
一線は退いているのだろうが、鍛錬は続けているのだろう。その身体には厳しい修行によるものか、目に見えぬ威圧感のようなものが色濃く浮き出ていた。
そんな総大司教であるハイメリクリウスもまた、シンに向かって拝礼する。
「冒険者パーティ、碧き焔のシンだ。俺は神の御子などではないよ、ただのメッセンジャーさ」
「ご謙遜を。神がそのような重要な役目を常人に任せは致しますまい」
神に対する盲信的な姿に、少しだけ危険な香りを感じる。
だが、神秘的な出来事や天変地異などは、全て神の御業であると信じられている世界であることを思い出し、こういう世界なのだと考えを改める。
「早速だが目的を果たさせてもらう。丁度都合の良いことに多数の神官や司祭たちも揃っている事だし、先ずは神のメッセージを聞いて貰おうか」
そう言ってシンは懐から神託の石を取出し、装置を起動させる。
管理AIのハルの姿がホログラフィーとなって空に広がると、総大司教を始め神官、司教はどよめきそれに向かって拝礼をする。
神託の石の効果でシン以外の者は軽いトランス状態に陥り、皆無言でハルの発する言葉に耳を傾ける。
神の姿は見た事があるが、神託の石の効果を初めて受けるカイルやレオナ、エリーたちもその場で跪いて静かにその言葉に聞きっている。
ゾルターンは最初トランス状態に軽い抵抗を見せたものの、直ぐにその効果に屈して皆と同じようにハルの言葉を聞いている。
ハンクとハーベイは、その場の誰よりも早くトランス状態に陥り、その場にボーっと突っ立ったまま神託を言葉を聞いていた。
やがて長いハルの話が終わり、トランス状態が解けると辺りは先程とは打って変わって騒然とし始める。
「鎮まれぃ!」
総大司教ハイメリクリウスの一喝により、段々と騒ぎは収まりを見せ始めた。
だが、一喝した総大司教の顔色も神に会えた興奮により顔は赤くなっており、心の平静を取り戻すのはまだまだ時間が掛かるであろう。
「我々は主神である女神ハルの御言葉を確かに聞いた。その従神であるガルグを信奉する我らは、主神ハルの御心に沿うべく行動しなくてはならない!」
催眠波により強制的にトランス状態にされ、半ば洗脳と言ってもいいようなこの仕打ちに、シンの良心は軽い呵責を覚えたが、この世界に何れ起こる大災害に対するには仕方のないことだと、自身に言い聞かせる。
――――これを後もう一度やらねばならないのか……
そう考えるとシンは、流石にうんざりとし始めてきたのだった。




