指輪
翌日の早朝、皇家所有の馬車がシンの家を訪れ、出来上がったばかりの服と手紙を一通届けに来た。
手紙には、今回の服の費用は預かってある報奨金から差っ引いておく旨、演劇の代金は皇帝の奢りであることが書かれており、それと他には一言、上手くやれと書かれていた。
シンは親友に感謝の意を示しつつ、自室に戻ると早速届けられた服に袖を通す。
部屋に鏡が無いので全体像の確認は出来ないが、丈もきちんと合っており、色合いも派手過ぎずそれでいて地味すぎないという絶妙なバランスを配した作りに、宮仕えの被服職人の素晴らしい腕前に感動して思わず声を漏らした。
まだ演劇の開演までかなりの時間があるので、一度服を脱ぎ普段着へと着替えて、用意されているであろう朝食を摂るべく食堂へ向かった。
すでに皆揃っており、シンが席に着くと一斉に食事に手を付け始める。
新入りのゾルターンなどは今ではすっかり皆に溶け込んでおり、朝から赤ワインを所望してハイデマリーに窘められている。
チクチクと刺さるような視線を感じて顔を上げると、少しだけ頬を赤く染めたレオナが、シンの方を見ては視線を外すといった行為を繰り返していた。
シンと目が合ったレオナは、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
そんな二人を見て、カイルとエリーは大丈夫だろうかと不安に駆られ、ゾルターンは興味深そうに見詰める。
クラウスだけは、終始一貫して食事にだけ集中しており、脇目も振らずに出された朝食をせっせと胃に放り込んでいた。
開演時間の一時間前、そろそろ家を出るかとシンは再び勝負服に着替え髪を手で整える。
この世界にも整髪料は存在するが、柑橘系などの強い香りのするべたつくクリームなどであり、シンは使ったことが無かった。
香水の類も存在してはいたが、冒険者暮らしに必要性を感じないために持っていない。
服を着替えて手櫛で髪を整えるだけで、僅か数分で用意は整ってしまう。
用意が終わったシンは、玄関でレオナを待つ。
女性の身嗜みは時間が掛かると言うが、左程の時間を置かずにレオナは準備を整えて姿を現した。
元の素材の良さは皆も重々承知していたが、多少とは言え着飾った今日のレオナの美しさは筆舌に尽くし難いものがあった。
陽光を煌めかせる美しい金髪は後ろで纏め上げられ、質素だが上品な髪留めがその美しさに彩を添える。
淡い桃色のワンピースは普段の精悍さとは一変、女性特有の温かみを引き出している。
胸に添えられた銀のブローチがワンポイントになっており、単色のワンピースを飽きが来ないように配されていた。
その美しさにシンは声を失った。色恋に無頓着なクラウスさえも、目を大きく開いて呆然と佇んでいる。
エリーだけが、どうよ? と言った風にレオナの後ろで胸を張ってふんぞり返っていた。
シンが何も言ってくれない事に不安を感じたのか、レオナの表情が段々と曇り始めていく。
エリーが、しきりにシンに目配せをするも、シンはレオナの姿に釘づけで気付く様子はない。
シンはつかつかとレオナに歩み寄ると、その手を取り出発を促す。
その行為に呆れられたのではないと知ったレオナは、微笑を浮かべながら大きく頷いた。
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「本日はようこそ御出で下さいました。私、当劇場の支配人を務めますベンノと申します。以後お見知りおきを。帝国の若き英雄が、当劇場に足を運んで下さるとは光栄の極みに御座います。手配通りに特別席をご用意しておりますので、どうぞこちらに……ささっ、どうぞ、どうぞ」
ブルスト劇場に着いたシンとレオナは支配人を始め、一座の者総出の出迎えを受けた。
中には感極まって涙を流す者まで出る始末で、手厚いもてなしを受けながら特別席へと案内される。
用意された特別席というのは、普段は皇族や大貴族などが観覧する際に使用される席であり、平民でその席に通されたのはシンが初めてとのことであった。
特別席の向かい側に貴族たちの席があるが、シンの顔を見知っている者が幾人か居たようで、小さな話し声は瞬く間に歓声へと変わっていった。
「お集まりの皆さま、大変長らくお待たせいたしました。これより、帝国英雄譚第六章、誓いの口づけを公演致します。ですが、その前に皆様に重大な事をお伝えせねばなりません」
支配人ベンノの言葉に劇場がざわめく。
「なんと! 本日は帝国の若き英雄、竜殺しのシン様が当劇場にお越しになられております。そして麗しの女性剣士、レオナ嬢もご一緒されております。当劇場の者、皆感動に打ち震えており、かく言う私も興奮のあまり上手く言葉に表すことができません。今をときめく英雄をお待たせするのは失礼! 前座を飛ばしての公演とさせて頂くことを、どうかご了承下さい」
シンが来ていることが支配人の口から話された瞬間、劇場は興奮の渦に巻き込まれた。
観客の口から発せられた歓声は劇場そのものを揺らし、踏み鳴らされた足踏みの音は地鳴りのように鳴り響く。
それは始まりの喇叭が鳴り響くまで続けられ、喇叭が鳴り終わると今度は打って変わって、咳の音一つしない静寂が訪れる。
その歓声にレオナは驚き、シンの人気ぶりに相好を崩したが、シン自身はというとそれどころではなかった。
――――嵌められた! エルの野郎、何が奢りだ。ワザとやりやがったな、畜生め!
昨日の去り際に見せた、いたずらっ子のような微笑の意味を今更ながら知ったシンは、力なくガックリと項垂れる事しか出来ない。
――――第六章? いつの間にそんなに作られていたんだ? それに題名が確か……止めて! それは駄目でしょ!
折角整えた髪を両手で掻きむしりながら身悶えるが、こうなってしまっては最早観念するしかない。
もう既に劇は始まっており、横に座るレオナの様子を覗うと、まるで身を乗り出さんばかりに目を輝かせ夢中になって観ている。
止めることも、この場を去ることも無理だと悟ったシンは、廃人のようにプルプルと身を震わせながら、ひたすらに時間が経ち劇が終わるのを耐え抜く他なかった。
最後の口づけのシーンで幕が下り、劇場は割れんばかりの大喝采に包まれる。
レオナは自分の唇に人差し指を当て、頬と耳を赤く染めている。
その隣で汗をびっしょりと掻き、椅子の背もたれに深々とめり込むようにぐったりとシンは座っていた。
このような場所は一刻も早く立ち去らねばならぬと、余韻に耽っているレオナの手を取り、買い物へと誘う。
帰りも一座総出での見送りを受け、それを取り巻くように人々は集まり盛んに口笛を吹いてシンとレオナを囃し立てる。
シンがレオナの肩を抱いて歩き出すと、二人の背には様々な祝福の声が投げかけられ、二人は顔を真っ赤にしながらそそくさと劇場を後にした。
露店で果実水を買い喉を潤した後、二人は東地区の露店を練り歩いた。
すれ違う男どもは、誰もがレオナの美しさに見とれ足を止める。
そして隣にいる凶悪な目つきのシンを見ては、肩を竦ませて足早に立ち去って行く。
幾つもの露店に足を運び、二人は楽しい時間を過ごしていく。
一店、珍しいことに亜人の少ない帝都で、ドワーフの主人が開いている露店があった。
客は誰もより着いておらず、主人は暇そうにパイプを吹かしている。
吐き出した紫煙の向こうにシンが現れると主人は一言、冷やかしなら帰れと言って再びパイプを吹かし始めた。
床に敷かれた敷物の上に広げられているのは、包丁などの日用品から、ダガーや長剣などの武器、そして数は少ないが装飾品の類である。
シンは長剣を手に取り、刀身にじっと見つめる。
レオナも包丁を手に取って、様々な角度からそれを眺めていた。
「良い剣だな。主人が打ったのか?」
シンの問いに、ドワーフの主人は面倒臭げに首を縦に振った。
「だが、高い。武具なら未だしも包丁や鍋がこの値段では売れまい」
「ふん、物の価値のわからぬ者に安く売るくらいなら、捨てた方がマシってもんだ」
シンは気風の良い台詞に、笑みを浮かべた。シンはドワーフが好きだった。
出合ったドワーフは皆、誇り高く己の腕に自信を持っている。
他の商品はと、目を通していくと一つの指輪にシンの目が釘付けとなる。
「主人、この指輪は? 値段からいって相当な代物だと御見受けするが……」
一見するとただの古めかしい指輪、だが良く見ればその指輪には複雑な紋様が刻まれており、見る者を飽きさせない所か惹きつけて離さない。
シンの問いに、ドワーフは初めて笑顔を見せる。
「良く見つけたな。お前さんは良い目を持っておるようだな。その指輪は、守護の指輪と言ってあらゆる危険から身を守るまじないが掛かっておる。値段は、金貨百枚。びた一文負けはせんぞ」
金貨百枚、べらぼうな値段である。だが、シンの直感が金貨百枚でも安いと感じた。
「買った。が、今は手持ちが無い。後で家に取に来て貰えないだろうか?」
ドワーフの目がぎろりと光る。
「おめえさんの名は?」
シンが名乗ると、ドワーフの主人は顎髭と扱きながらそうか、お前が……と頷いた。
「いいだろう、持って行け。後で代金を受け取りに行く」
「感謝する、おい、レオナ」
まだ先程の包丁を見ているレオナに声を掛け、その手を取る。
レオナは慌てて包丁を置き、シンの方へ向きを変えた。
シンはレオナの白魚の様な細い指に、買ったばかりの指輪をそっと嵌めた。
最初は何事が起きたのかわからずに、呆然と突っ立っていたレオナは、シンが自分に指輪をプレゼントしてくれたのだと知ると、その場で舞い上がらんばかりに喜んだ。
「おい、お前たち! いちゃつくんなら余所でやれ、商売の邪魔だ!」
ドワーフの主人の大喝一声、二人は慌ててその場を離れる。
その後、レオナは暇さえあればうっとりと指に嵌められた指輪とシンの顔を交互に見ては、頬を赤らめるを繰り返す。
後日ゾルターンに見せ判明したことだが、指輪には強い魔法が掛かっており、その効果と学術的価値から、金貨百枚どころか倍の二百枚はくだらないことがわかった。
その値段を聞いたレオナは瞬く間に顔を青ざめさせ、シンに指輪を返そうとするが似合っているから外すなと言われ、青ざめていた顔色は瞬時に赤く染まっていった。




