返還交渉 其の三
グリュッセルは自身も帰還を急ぐと共に、早馬を出して事の次第をルーアルト王国の宰相であるアーレンドルフに伝えた。
手紙を読んだアーレンドルフは、急遽重臣たちを集めて会議を開いた。
会議に国王ラーハルト二世の姿は無い。先の敗戦以来、後宮に入り浸りとなり元々疎かだった政務は、宰相に全て任せてしまっていた。
「ガラント帝国皇帝ヴィルヘルム七世が、聖剣返還の条件として我が国に誠意を求めてきおった。その誠意とは、我が国内にある星導教の総本山に巡礼の使節団を派遣する事の許可と、道中の安全の確保を求めるとのこと。今までの強気の要求から一転してのこの要求、何か裏があると思われる。諸君の知恵をお借りしたい」
室内がざわめきに包まれる中、大臣の一人が声を上げる。
「皇室は代々創生教を信奉しているはずでは? なぜ星導教の総本山に巡礼するのか」
「宗旨替えということは考えられませぬかな?」
「だとすれば、わざわざ出向かずとも帝都に呼びつければよい。矢張り何か裏があると見るべきであろう」
その後もとりとめのない言葉が交わされ、然したる意見も見解も出せずに皆が静まり返った頃合いを見て、アーレンドルフは次なる情報を公開する。
「もう一つ重要な情報が、使者として送り出したグリュッセルから届けられた。それは、先日帝都よりエックハルト王国に向けて使者が発せられたというものである。これについても皆の意見を聞きたい。忌憚のない意見を望む」
先程とは比べものにならないほど、室内のざわめきは大きく、幾人かは盛んにハンカチで流れ出る汗を拭き、また幾人かは水差しからカップへ水を注ぎ緊張に乾いた喉を潤す。
「これは忌々しき事態では? その使者の目的は何か掴めなかったのか? ええい、グリュッセルめ使えぬ!」
「もし、もしですぞ、軍事同盟を結ばれでもしたら、我が国は東西両方から攻めたてられることになる。そうなってしまっては守り切れるとは言い難い」
「早まるな、まだ同盟の使者と決まった訳では無い。それに現状、対エックハルト戦線は十分に機能して敵を抑え込んでおる。余剰戦力を結集すれば、帝国が攻めてこようと持ちこたえる事は出来るはずだ」
「帝国は西からだけでなく北からも我が国を攻める事ができるのだぞ、もし仮に帝国がエックハルトと同盟を組んだとすれば、エックハルトも北へ迂回して我が国に攻め込んで来るやも知れないということだ」
「つまり帝国がエックハルトに道を貸すと、卿は言うのか? 馬鹿な、他国の軍を自国に招き入れるなどありえぬ」
熱を帯びた議論は、そのうち罵声と怒号に変わるだろう。
宰相アーレンドルフは、咳払いをして注目を集めると自身の見解を述べた。
「諸君の忌憚ない意見を聞いて、帝国が何を企んでいるのかがわかった。エックハルトへの使者と星導教への巡礼は分けて考えるべきであろう。エックハルトの方は未だ情報が足りぬゆえ、今結論を出すのは控えるべきであると考える。一方で巡礼の件、これは明らかなる策謀であり、その意図するところは巡礼を失敗させるところにあると見た。巡礼の使節団が傷つけられでもすれば、こちらの落ち度を責め、その賠償として土地を掠め取ろうという魂胆であろう。グリュッセルの寄越した手紙によると、皇帝はハンフィールド地方の割譲を要求したそうだ。勿論突っぱねたが、その後はまともに取り合わなかったという」
「ハンフィールド…………そうか、鉱山か! あそこは黒鉄鉱の鉱床がある。それが狙いか」
大臣の言に、重臣たちからも納得の声が漏れる。
「左様、帝国は相次ぐ反乱と今は属国のラ・ロシュエル王国と、険悪な関係になりつつある。優秀な武具の素材となる黒鉄鉱は喉から手が出る程に欲しかろう」
アーレンドルフの見解に一同は同意し頷く。
「して、宰相閣下、敵の意図は知れましたが如何なさいますか? 交渉の打ち切りをするので?」
意地の悪い言い方をする若い貴族を軽く睨みながら、アーレンドルフは口角を吊り上げる。
「まさか! ここはひとつ相手の思惑に乗って見ようではないか。無事に巡礼を済ませてやれば良い。それで聖剣は取り戻せるし、その間にエックハルトとの関係を探るとしよう」
「成程、相手はよもや我らが万全の護衛をするとは思いもよらぬはず、ヴィルヘルムの若造の悔しがる顔が目に浮かびますな」
会議室全体が笑いに包まれる。もしもこの様子をヴィルヘルム七世が見ていたのなら、彼も笑い床を転げまわったことだろう。
「しかしそれでも帝国が難癖をつけてくるかもしれませぬぞ、明文化をした方が良いのでは?」
その言葉にアーレンドルフは笑いを収め、額に手を当てて熟考する。
「いや、こちらからはするべきではない。相手からそうするように仕向けなければならぬ。こちらから動けば、帝国は怪しむかも知れぬ。こちらは引っかかった振りをし続けねばなるまいて」
こうして帝国の示した条件を飲むことと決し、グリュッセルの帰還を待たずに次の使者が送られることが決定した。
これはグリュッセルの手紙に書いてある皇帝が急かすような発言をしたことと、迷いも無く餌に飛びついたと見せるためである。
宰相アーレンドルフは切れ者である。切れ者であるが欲深な男であり、目に見えぬものより目に映る財に強く惹かれてしまう。
聖剣や鉱山などには注意を向けたが、宗教には無頓着であった。
後に帝国の真の意図が宗教勢力の協力を仰いで、聖戦の聖敵にされるのを防ぐものだと知り、聖剣を餌にしてまんまと釣られてしまった彼は、地団駄を踏んで悔しがったという。
---
気怠くも穏やかな午後の日差しの中、帝国の中部にある寒村の入口に二人の守衛が立っていた。
二人は村を守るというよりも、まるで日向ぼっこでもしているかのように、ただぼんやりと村から伸びる道の先を見ていた。
「あ~あ、気楽な冒険者の頃が懐かしいな」
「ぼやくな、こっちまで気が滅入って来る」
ハンクとハーベイはお互いの顔を見て大きな溜息をついた。
「なぁ、もう一度やらねぇか?」
「…………二人でか? 無理だ。お前はこれから暁の先駆者以上のパーティを作る自信はあるのか?」
「ない!」
きっぱりと言い切ったハーベイに、ハンクはあきれ顔である。
シンも世話になった冒険者パーティの暁の先駆者は、シンが迷宮都市カールスハウゼンを去った後も迷宮に潜り続け一通りの財を築きあげたが、地下四層でシンたちも苦戦した牛頭魔人の猛攻を受け、パーティーは壊滅し事実上解散状態となった。
貯金をしていた荷物持ちのグラントは、商売を始め新たな人生を歩き出したが、リーダーのハンクは、癖のあるパーティーメンバーを纏めるために度々酒を奢ったりしていたために僅かな蓄えしか無かった。
一方のハーベイは、飲む打つ買うの三拍子揃った典型的な荒くれ者で、貯蓄などとは無縁の存在である。
同じ村出身の幼馴染である二人は、取り敢えず故郷の村に戻って来たものの、元々が口減らし同然に追い出されただけあって歓迎されず、僅かな給金で村の守衛をやらされていた。
村の守衛には似つかわしくない装備を身に着けており、冒険者の名残で二人とも武具には妥協はしておらず、見る者が見れば涎を垂らす程の一品である。
売れば一財産になるとわかっていても、二人してともに、どうしても手放すことが出来ずにいた。
ハンクは自身の腰に履いた長剣を見て、ふとシンを思い出す。
この剣は、シンが地竜を倒した時に持ち帰った素材を売った金で買ったものである。
「なぁ、あいつは今何しているのかなぁ?」
「あいつって誰よ?…………ああ、シンか…………今や国の英雄様だぞ、さぞ面白おかしく暮らしているだろうよ」
ハンクの目が、腰の長剣に向けられているのを見て、ハーベイは誰の事を言っているのかがわかった。
ハーベイが今身に着けている武具も、ハンクのそれと同じで、地竜の素材を売った金でそろえた物であるからだ。
「本当にそう思うか?」
「いや、思わねぇ。あいつはなんていうか…………いつも騒動の中心にいる気がしてならねぇんだ。まぁ、俺らと違って退屈だけはしていなそうだ」
ハーベイの言葉に笑いながら頷いたハンクは、人通りなど滅多にない村へと続く一本道を、ただぼぅっと眺め続けていた。




