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帝国の剣  作者: 0343
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返還交渉 其の二


 ルーアルト王国の使者であるグリュッセルは、憤りと共に焦りも露わにしていた。

 何の手ごたえも無くこのまま王都へ帰れば、出世の道が閉ざされてしまう。

 それだけなら未だしも、前回の使者が交渉の失敗を自裁という形で責任を取っている以上、自分も同じように死に追い込まれるのではないかと、気が気では無い。


 顔色を目まぐるしく変えるグリュッセルを見て、一気に追い詰め過ぎたかと皇帝は傍らに控える宰相に無言の助言を求める。

 宰相は瞬きと咳払いを二つし、皇帝に頃合いだと合図を送った。


「土地の割譲も、財貨の要求も駄目となるとそうであるなぁ、誠意を見せてもらう以外にあるまいな」


「誠意、でありますか?」


 土地や財宝以上の誠意とは何か? ヴィルヘルム七世は何を望んでいるのか? 目まぐるしく思考するも答えは見つからない。

 ――――政略結婚か? 国王陛下の御息女を輿入れせよということか? だが、ヴィルヘルム七世は恐妻家と聞き及んでおる。幾人かの側室の輿入れの際も相当揉めたとか……他に何がある? ええい、皆目見当が付かぬわ!


「そう貴国の誠意を見せて貰いたい。我が帝国は星導教の総本山に、巡礼の使節団を送りたいと思っておる。貴公もご存じの通り、星導教の総本山は貴国にある。どうであろうか? 巡礼団に危害が加えられぬよう配慮してもらうというのは」


 土地の割譲や天文学的な賠償請求に比べると、あまりのささやかな要求である。

 裏に何かあるとわかっていても、思わず手を伸ばしてしまいたくなる魅力的な提案であった。

 グリュッセルの頭は混乱を極め、その場での即答を避けるのが精一杯。


「い、一度今のお話を本国に持ち帰ってもよろしゅうございますか? 某には決めかねますので……」


「構わぬ、だがなるべく早くな。余の気の変わらぬうちにな、はっはっは」


 使者を試しあざ笑うかのような素振りは終始変えず、皇帝は高笑いと共に玉座の間を去る。

 跪いたままその背を見送ったグリュッセルは、宰相に取次ぎの礼を述べ玉座の間を退出すると、慌ただしく宮殿を後にした。


 執務室に下がった皇帝は次の手に出る。

 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーという、家を継いだばかりの若い子爵を呼び出した。

 呼び出しを受けたヴァイツゼッカー子爵は、執務室に入ると跪こうとするが、皇帝は席を立って手でそれを制した。


「久しいな、父君の葬儀以来か? どうだ、きちんと領地は治まっておるか? 父君のその堅実な手腕には余も多くを教わったものだ」


 席を勧め、自らお茶を煎れる皇帝に、若いヴァイツゼッカーは緊張のあまり身を硬くする。


「はっ、先日もご加増頂き感謝の念に堪えませぬ。父と変わらぬ忠誠をお誓いいたしまする」


 はっはっはと笑い、そう硬くなるなと言いながら、自ら煎れたお茶に口を着ける。

 ヴァイツゼッカーもそれに倣い、カップを手に取りお茶を口に含んだ。

 ふんわりとした柔らかい上品な香りが、若い子爵の緊張を解きほぐしていく。


「今日は卿に特命を与えるために呼び出した。卿の父君は堅実な仕事ぶりをする良い外交官であった。それは卿も承知しておろう。そこでその仕事を誰よりも間近で見ていた卿にお願いしたい。一昨年前に帝国新北東領を手に入れた事で、東端の一部がエックハルト王国と接したことは、卿も知っておろう。その後も反乱やルーアルトの侵攻などで機会を逸してきたが、ここであらためてエックハルト王国に使者を送ることにした。卿にはその使者になって貰いたいのだが、どうか?」


 若輩のみでこのような大任を与えられるとは、思いもよらなかったヴァイツゼッカーは再び緊張感に包まれ、手に持つカップが小刻みに揺れた。


「某ごとき若輩にそのような大任をお任せ下さるとは、後衛の極みに御座います。して、今回の使者の目的は如何なるものでございましょうか?」


「うむ、そう難しいことでは無い。まぁ言うなれば、隣同士領地を接することになった挨拶といったところよ。だが、この任務を軽んずることなかれ、卿はエックハルト王国の気候風土から風習、また王族や貴族の勢力関係など見てきてもらうものは多々あるのだ」


「はっ、重々に承知致しております」


「父君の仕事ぶりを知っておる卿には今更のことであったな、出来れば直ぐにでも発って貰いたいがどうか?」


「ご命令とあらば、直ぐにでも。しかし準備の方は……」


 皇帝は鈴を鳴らし近侍を呼ぶと政務官の一人、ゴルツを連れてくるように命じた。


「今から来るゴルツに前々から準備をさせておる。すまぬが卿はこのまま暫し待て」


 再び自らお茶を煎れ、二人で過去の思い出話に花を咲かせていると、呼び出しを受けたゴルツ政務官が息を切らしながら執務室へ転がり込んで来る。


「ゴルツ、急な呼び出しすまぬの。あれの準備は出来ておるか?」


 ゴルツは息を整えながら跪こうとするが皇帝に遮られ、懐から一通の羊皮紙を取出し恭しく差し出す。


「これが目録であるな……ヴァイツ、卿も目を通しておけ。ゴルツよ、今日ルーアルトの使者が持ってきた挨拶の品もこの目録に加えよ。土産は多いに越したことは無かろう、どうせタダで貰ったものだし惜しむべく何物もないからな」


「び、美女十人は如何致しましょう?」


 まだふーふーと息を荒げているゴルツの問いに、皇帝はにべもなく答える。


「要らぬ。ルーアルトに送り返せ」


 皇帝も男であるし美女は好きだ。事実、妻である皇后マルガレーテは絶世の美女であり、後宮に居る数少ない側室も選りすぐりの美女ばかりである。

 だが、他国の送って来た得体の知れない美女に手を出す程、ヴィルヘルム七世は馬鹿でも女好きでもなかった。

 間者にも暗殺者にもなりうるかも知れない女を、いくら美女だからといって傍に侍らせるなど皇帝失格である。


 命を受けたゴルツは、来た時と同様に慌ただしく退出し、エックハルト王国行きの荷造りを急いだ。


「ああ、それとな、出発する際は東門を通って行け」


「東門? 北門では無いのですか?」


 訝しげな顔をするヴァイツゼッカー。


「うむ、東門から出ればルーアルトの使者の目に留まろう。奴らも馬鹿ではないであろうから、使節団の行先を調べるはずだ。その行先がエックハルト王国だと知ったならば、焦るはずだ。今後の交渉がやりやすくなるはず。良いか? 東門からだぞ」


 念を押されたヴァイツゼッカーは、承知致しましたと深々と頭を下げると、自らも出発の準備の為に部屋を辞した。



---



「グリュッセル様、グリュッセル様!」


 交渉の翌日、貴国の途に就く前の最後の朝食を楽しんでいたグリュッセルの前に、使節団の一人が血相を変えて転がり込んで来た。


「何だ、慌ただしい。朝食を摂ったら出発だぞ、卿も用意せよ」


 朝食を妨害されたグリュッセルは眉間に皺を寄せ、不快を露わにする。


「それどころではありませぬ。一大事ですぞ!」


 その慌て振りに只事ではない事を知り、身を乗り出して話を聞く。


「帝国からエックハルト王国へ使者が遣わされることが決まり、使節団と思わしき者たちが先程東門をくぐった模様で、買出しに行っていた御者がその姿を見たと報告して来ました」


 グリュッセルは大口を開けて驚き、手に持っていたスプーンを思わず手から落としてしまう。

 木製のスプーンは床に落ち、カラカラと小気味よい音を立てて転がっていく。


「な、な、な、なにぃ! これは一大事ぞ、直ぐに我らも帰国してこの情報を持ち帰らねばならぬ!」


 もう食事などにかまけている場合では無い。慌ただしく出発の号を下し、まるでその使節団を追いかけるかのごとく、同じく東門から一路ルーアルト王国を目指し帝都を発った。

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