月光
「で、何で着いて来るんだ?」
皇帝との会談を終えたシンは、そのまま家路に着く。
そのシンの後ろをゾルターンは、付かず離れず着いて来る。
「ほっほっほ、それは勿論、お主の家に厄介になるからじゃて」
「は? 宿は取ってあるんだろう?」
「察しの悪い奴じゃのぅ、お主のパーティに入ると言うとるんじゃ」
「はぁ?」
察しも何も想定外の事に、シンはあんぐりと口を開けて放心する。
「ちょっと待った、さっき魔導士養成学校の校長をやるって言ってたじゃないか!」
「そんなもん、今すぐという訳では無かろうが。まだ陛下の頭の中で、だけじゃろうが。これから予算を確立し、人材の確保をし、用地の買収や建物の建築、何をどう教えるのかなど、それらが終わってからが儂の出番だろうて。まぁ何年も先の事じゃよ。それまで暇じゃから、お主に着いて行くことにした。まだ儂の知らぬ魔道の神髄を、神から授かっておるだろうしの」
そう言ってカラカラと笑う老エルフのゾルターン。
一癖も二癖もあるこの老人を、シンは何故か憎めずにいた。
「まぁ爺さんが仲間になってくれるのなら大歓迎だわな。実力、経験申し分ないしな……でも、大丈夫か? 冒険者生活に老体は耐えられるのか?」
さっきまでの好々爺が突然真っ赤な顔で、唾を飛ばしながら激昂する。
「馬鹿にしおってからに! 大体若い物は、すぐにそうやって儂を年寄り扱いする。齢二百を越えていようとも、儂は死するまで現役じゃわ。何なら試してみるか小僧!」
老人の剣幕に、首を竦めながらシンは己の失敗を悟った。年寄りというものは、若者に年寄り扱いされるのを何よりも嫌うものだ。
「わかった、わかったから爺さん、落ち着け。それじゃ俺のパーティ、碧き焔に加わって欲しい。そして俺や仲間に魔法の指南をお願いする」
「わかればいいんじゃ、わかればな」
振りかぶった杖を降ろし、再びカラカラと笑い声を上げる。
全て演技だと知ったシンは、顔を顰めながら舌打ちした。
――――喰えない爺さんだぜ。だがそれはそれで、頼もしいっちゃあ頼もしいが……
「それと儂のことはゾルと呼ぶがええ、昔はそう呼ばれておった」
そう言って瞼を閉じたゾルターンの目には、若かりし頃の冒険者をしていた黄金の日々が浮かび上がっていた。
「わかった。ゾル爺、よろしくな!」
ゾル爺と呼ばれたゾルターンは、満更でもない顔をしている。
「うむ、よろしく頼むぞシンよ」
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「ただいま戻った。ハイデマリー、すまんが全員を居間に集めてくれるか」
玄関を潜り、出迎えに出たハイデマリーの背には赤子のローザが背負われていた。
ローザは涎を垂らしながら、穏やかな寝息を立てているのを見たシンは、声を顰めてハイデマリーの耳元で用を頼む。
シンの声と吐息にくすぐったそうにして、顔を赤らめながらハイデマリーは頷き、皆を呼びに行く。
「あの娘はお主の妻か? 華奢で幼いのぅ。子育ては大変だぞ、お主も手伝ってやらんといかんぞ」
「いや、あの娘は……ちょっと訳ありでな……その内詳しく話すよ。それと俺の嫁ではないし、背負っていた子も俺の子ではないんだ」
シンは貴族では無く平民だが、背後に複雑な事情を察したゾルターンは、それ以上詮索しなかった。
居間に集められた皆に、ゾルターンを紹介する。
紹介されたゾルターンはシンに対するのと違って、腰が低い。
「すまんがオイゲン、エルザと手分けして一部屋すぐに使えるようにしてくれ」
執事のオイゲン、女中頭のエルザ、と言っても他の女中はハイデマリーしかいないのだが……は早速部屋の掃除に取り掛かる。
「そういやレオナ、お前の剣、何だか凄い代物らしいぞ。強力な付与魔法が掛かっているんだと」
レオナは部屋に戻り愛剣、月光を手に取り、再び居間へと戻って来る。
「この剣にどのような?」
鞘から抜かれた月光は、細身の刀身から青白い淡い光を放っている。
「ああ、これじゃこれじゃ。月光、思い出したわ」
ゾルターンは月光をしげしげと眺めた後、喉につかえた物が取れたかのように、朗らかな笑顔を浮かべた。
「お主、ハーフエルフか。なら魔法は使えよう、先ずは剣を構えよ」
レオナは言われた通りに、帝国式剣術の基本の構えを取る。
「シン、お主は正面に立て。それで、嬢ちゃんは剣にマナを送り込め。そっと静かにゆっくりで良い、手の延長のように剣自身を体の一部のように」
レオナはゆっくりと体の奥底からマナを取出し、腕を伝わらせて手に、そして握っている月光へとマナを注いでいく。
マナが注がれていくと、月光の青白い光は段々と強まり、その光を正面から見ていたシンの様子に変化が現れる。
「よし、嬢ちゃん。もう良いぞ、そこまで。シンよ、しっかりせい」
ゾルターンは杖を振りかぶって杖の先端を、シンの頭頂に叩きつけた。
シンはあまりの痛みに、言葉にならない悲鳴を上げて、頭を押さえて床に蹲った。
「いてぇ! 爺さん何しやがる!」
頭に出来た瘤を摩りながら、憤慨するシンを宥めながらゾルターンは月光の効果を説明する。
「はっはっは、お主が悪い。簡単に眩惑されおってからに。眩惑から目を覚まさせるには強い衝撃を与えるのが一番じゃ。それでシン、お主は何を見た?」
未だ痛む頭を摩りつつ、シンは答える。
「剣が、曲がったり伸びたり、それに切っ先が二本にも三本にも見えた。これが月光の効果……ゾル爺の言う眩惑の効果か?」
「そうじゃ、剣を見た者を眩惑するという極めて強力な効果じゃ。だが、強い意志を持つ者や命の無い者には効かぬ。一度眩惑されてしまうと、時間が経つか先程のように強い衝撃や痛みを感じるまで解けぬ。それより、嬢ちゃんの方が拙いな」
レオナは剣を握ったまま床にへたり込み、ぜぃぜぃと息を荒げている。
「レオナ!」
直ぐにエリーが駆け寄ってその背を摩る。
「だ、大丈夫……少し……いえ、かなりの量のマナを持っていかれたわ……それだけよ……」
青い顔をしながらよろよろと立ち上がったレオナは、月光の刀身を暫し見つめた後、剣を鞘へと納めた。
ゾルターンは魔眼の魔法で、一部始終を見ていた。
「ふ~む、どうやら一気に半分近くのマナを使ったせいじゃろう。凄まじく効率の悪い武器じゃのぅ、まぁ効果が強力であるからにして、致しかたのないことか」
「じ、爺さん、俺の剣は? 俺の剣にはそういう強力な効果は付いてないのか?」
クラウスは慌てて部屋に戻ると、自分の剣を引っ提げて戻って来て、ゾルターンに見せた。
ゾルターンはクラウスのその行動に、笑いを堪えることが出来ずに、くっくっくと口の端から声を漏らす。
「どれ、ほぅ……業物じゃな、そなたのような坊主には惜しいくらいの。剛力と聖、硬化に軽量、至れり尽くせりじゃな。マナを通すことで発動する付与魔法は無いが、売れば金貨百はくだらぬ一品じゃな」
自身の愛剣を褒められたクラウスは、鼻高々。その喜びを隠そうともせずに嬉しげな歓声を上げる。
息を落ち着かせたレオナが前に出て、ゾルターンを見つめる。
「つかぬことをお伺いいたしますが、あなた様は筆頭魔導士のゾルターン様であらせられますか?」
「昔のことじゃ、今は碧き焔のゾルターンじゃて、な」
レオナの問いかけにそう答え、シンに向かってウインクをする。
「ゾル爺は魔法だけでなく色々な事に精通している。クラウス、お前は魔法は使えないが、魔法を使われた時の対処法などを教えて貰え。きっと役に立つはずだ」
シンにそう言われたクラウスは一瞬にして気を引き締め、ゾルターンに頭を下げて師事を乞う。
「なんの、儂とてシンに教えを乞う身。互いに教え合い競い合い高め合う。それで良い」
若い彼らを見て、ゾルターンは助言者として己の立ち位置を知る。
――――久しぶりに血が滾ってきよるわい。この者達に儂の全てを教えるのも悪くはないのぅ。




