謀議は続く
朝から長々と続く謀議は、終わる気配すら見せずにいた。
正午を告げる鐘の音が鳴ると皇帝は近侍を呼び、軽食の用意をさせた。
程なくして運ばれてきたのは白パンのトースト、上にはたっぷり厚くジャムが塗られており、水差しからは柑橘系の爽やかな香りが漂っている。
帝国では基本的に食事は朝晩の二食であるが、裕福な者や肉体労働者などはこのように昼に軽食を摂ることも多い。
喉の渇きを覚えていた三人は、水差しから木製のジョッキに果実水を注ぎ、喉を潤していく。
飲んでみてわかったのだが、柑橘系の他にハーブのような清涼感を伴う成分が含まれており、喉を潤すだけでなく疲れた頭にも沁み渡っていった。
果実水を飲み干してから手を付けたトーストは、外側がカリッとしながらも中はホクホクで、厚く塗られた野イチゴのような甘酸っぱいジャムと実に合っており、白パンとジャムの織り成す調和に舌鼓を打った。
人心地ついた所で、再び地図を眺めながら互いの意見を酌み交わしていく。
「創生教を二つに割るとしても、片方が帝都の支部だけでは力不足ではないか?」
「それだが、今内々に大都市の支部長を我らの考えを支持する者達へと配置転換しておる。それに民衆は創生教の腐敗ぶりにうんざりしている。ここ数年で、星導教や力信教に宗旨替えする者達の数が凄まじい勢いで増えておるのだ」
そう言いながら皇帝は、再び果実水をジョッキに注いでいく。
「民衆の支持を得られるのならば、まぁいけるか……それでもどれだけの信徒がこちら側につくか……」
シンの懸念するところは皇帝も宰相同じであるが、動かなければ一方的に聖敵認定され、聖戦と称する大義名分を与えかねない。
「分が悪くても、動ける内に動かねばならないか……で、最終的にラ・ロシュエル王国はどうするんだ?」
「国力比からいっても全面対決すれば、勝てたとしても帝国は深手を負うだろう。その傷口を近隣諸国に広げられたのならば、帝国と言えども失血死は免れぬ。そこで、ラ・ロシュエルの周辺の属国や諸部族を支援しつつ、ラ・ロシュエルと蜜月な創生教の勢力を削ぎ、その上で圧力を掛けて現国王を退位させる」
「それだとそのラ・ロシュエルの勢力を、相当削がなくてはならんな」
「うむ、しかも相手は一応帝国に恭順を示しており、確たる名分無しに攻める事は出来ぬ。それをわかっていての南部での狼藉よ。だが必ずや、余の臣民を害したことを後悔させてやるわ」
顔に出すのは避けたが、シンはその言葉を聞いて嬉しくなった。
――――エルは良く分かっている。民無くして皇帝は成り立たない、そのことを知っている。何か俺に手伝えることは無いのか?
「何にしても時間がかかるな……その間、南部の貴族たちを抑えていられるのか?」
シンの問いに皇帝も宰相も顔を顰める。
「それが、今回新北東領から任期を終えずに、南部の貴族を引き揚げさせた理由でもあるのです。戻して守りを固めさせておりますが、既に幾つもの村々を灰燼に帰されており、その怒りは天を突かんばかりで……しかも、拉致された者達が生きている可能性があると知って、国は民を奪われても泣き寝入りするだけなのかと、彼らの怒りの矛先がこちらに向かい始める始末であり……」
「彼らの気持ちを考えれば当然だな。これしかないか……他に良い思案も浮かばないしなぁ……」
すでに皇帝は、シンの知恵の冴えに期待の眼差しを向けている。
「シン、お主何か良い考えがあるのか?」
「あまり良いとは言えないが……陛下、俺をクビにしてくれ」
「は? 今何と言った?」
皇帝だけでなく宰相までもが口を大きく開け放って、思わず首を傾げてしまう。
「だから俺をクビに、つまり俺は官を辞すると言っているんだ」
それを聞いた皇帝は顔色を青くし、すぐにこめかみに青筋を立てながら憤怒の形相へと変わった。
この期に及んで帝国を去るつもりなのか? 皇帝の目からは怒りよりも悲しみがあった。
それでも喚いたり、怒鳴ったりしないのはシンを信じているからだろう。
「最後まで聞けよ、あくまで一時的にだ。俺は官を辞して帝国を去った……そう思わせたい。自由になった俺は賊になりラ・ロシュエルの荘園を襲い、拉致被害者を取り戻す」
「な、何? シン、お前!」
「勿論裏で支援はしてもらうぞ。だが、もしものことを考えると帝国の騎士や兵は使えない。俺が一から始めるとして……結構時間は掛かるかもな。だが、これなら相手も難癖の付けようが無いだろう。なんせ同じことをやり返されているだけなんだからな」
「しかし何もシン殿自らそれを行わずとも……」
宰相の言葉に皇帝も頷く。
「だが、帝国に属している騎士や兵を使わずに出来るか? 冒険者や傭兵を使うとしても信用出来るか? ここは矢張り俺が適任だろうよ」
しかし、と皇帝は食い下がろうとしたが、シンの真剣な眼差しを受けて口を噤んだ。
「ですが、今すぐとは行きませんぞ。先ずは力信教と星導教の総本山に赴いて頂かねばなりませんし」
「それはわかっている。だが一つ疑問なんだが、力信教の総本山は帝国国内だから良いとしても、星導教の総本山はルーアルト王国にあるんだろ? のこのこと出向くわけには行かないだろう?」
「それについては、今ルーアルト王国から国宝の返還を求められております」
「国宝?」
「うむ。お主がアルベルトにくれた、聖なる白鷺だ。これを返す代わりにお主の聖地巡礼を認めさせるつもりだ」
なるほどと、シンは頷く。
「ははは、安心せい。お主に毛ほどの傷でも付けようものならば、エイフェル火山の火口に投げ込むと脅してやるわ」
その後も、それを告げた使者の顔を想像したのか、ふふふと品の無い笑いを続ける皇帝を、宰相は顔を顰めながら目で叱る。
「それらも踏まえると色々と準備と調整が必要ですな。シン殿を罷免するにもそれらしい理由が必要ですし、時期も考えませんと……」
「そうだな……シン、最初はお主を創生教の総本山に赴かせて、そこで神託の石を使ってもらい創生教を混乱させる計画だったが、創生教の腐敗っぷりが思ったよりも酷くてな……謀殺の恐れがあるので変更を余儀なくされたのだ。だが結果としては、お主の身をより危険に晒してしまう事となった。許せ」
「気にするな。危険は承知の上だし、傭兵になった時や冒険者になった時、それに帝国に仕えた時から命の覚悟はしているさ。まぁ、簡単に死ぬ気は無いけどな……」
わが身を危険に晒して帝国を救おうとするシンに、皇帝と宰相は無言で頭を下げた。
「陛下、後はゾルターン老のことをシン殿にお伝えせねば」
ゾルターンの名を聞いた皇帝は、シンに済まなそうな顔をしながら拝み倒して来た。
「シン、すまぬ! 魔法剣の事を何処で嗅ぎつけたか、ゾルターンの奴に知られてしまった」
「ゾルターン? 誰だそいつは?」
「ゾルターン老は、今から百年ほど前に帝国に来て魔導士長として先々代に仕えたエルフの魔法使いです。先代が亜人を嫌ったために官を辞して隠棲しておりましたが、つい先日、帝都にふらりと現れて陛下に面会を求め、魔法剣の事を問い質したそうです」
エルフ! シンは純粋なエルフを見た事が無い。レオナはハーフエルフである。
警戒心より好奇心が勝り会って見たいと思い始めていた。
「……シン、拙かっただろうか? 魔法剣の事だが、まぁゾルターン老はあちらこちらに吹聴するような性格ではないが……」
何れは知られることだとシンが軽く流すと、皇帝は額の汗を拭いながら安堵の溜息を吐いた。
シンは机の上の地図の帝国とラ・ロシュエル王国の国境付近の地理を頭に叩き込んでいく。
――――それにしてもこの惑星パライソに来てから傭兵になり、冒険者になり、そして帝国に仕える事になったが、まさか擬態とは言え賊になるとはなぁ……カイルたちに何て言えばいいのだろうか? 危険だから来るなと言っても着いて来るだろうし、どうするか? 俺が死んだ時の事もエルに頼んでおかねば……




