現状の問題
「先ずはこれを見よ。これが今現在の帝国の版図だ。一昨年と違い、ルーアルト王国の領地を大いに奪い取った形となっている。特に注目すべきは、今まで国境を接していなかったエックハルト王国と、国境を接する事になったのが大きい」
皇帝の指が新北東領の東端をなぞる。
そこは地図上で、わずかではあるがエックハルト王国に接している。
「現在エックハルト王国は、ルーアルト王国から奪った東方辺境領の同化政策に力を注いでおり、我が国に対してちょっかいを掛けて来るようなことはない。だがこれは、単に新北東領が荒れて貧しいからであり、復興が進んで来れば事情は変わって来るやも知れぬ」
シン、皇帝、宰相の三人の視線がエックハルト王国に注がれる。
「エックハルト王国ってのはどんな国なんだ? 教えてくれ」
シンの問いに宰相が答える。
「エックハルト王国は建国百数十年の、中央大陸では比較的歴史の浅い新興国家です。気候、風土は帝国中部に準ずるかと思われます。信仰している宗派は帝国と同じですが、武を尊ぶ気質があり、中央大陸では珍しく力信教徒が一番多い国であります。現在の国王の名はホダイン三世といい、年齢は四十過ぎでその仕事ぶりは精力的で機知に富むと評判であります。事実、ルーアルト王国から東方辺境領を奪ったのも、我が国が元ルーアルト王国北方辺境領と西方辺境領を奪った際のルーアルトの反応を見てのことであり、その進撃は電撃的な速さで、あっという間に東方辺境領を制圧したとのこと」
「うむ、正に機を見るに敏ということだな。注意するべきであろうな」
地図を見る皇帝の視線が険しくなっていく。
「つけ入る隙や、弱みは無いのか?」
「エックハルト王国は現在の所、北のソシエテ王国からの難民を防ぐために北に兵力を展開しており、またルーアルト王国から奪った領地の防衛にも多量の兵力を割いている様子。新北東領が肥沃ならば話は別ですが、現在の状況で帝国に手を出すとは思えません。王も若く支配体制に揺るぎが出るようなそぶりは、微塵も感じられません」
「特に目立った弱点なしか、帝国とエックハルト王国の国力はどの位の差があるのか?」
「帝国を十とすれば、エックハルト王国は三ないし四と言った所でしょうか」
「結構な大国だな。今は良しとして、将来に対しての何らかの布石を打っておくべきだと俺は思うが……」
「余もそう思う。だが、今同盟を結んでもお互いの益にはならぬから、それは難しいだろう。何か良い知恵は無いか?」
「そうだな、無理に同盟を結んでもお互いに足を引っ張り合うだけかもしれんな。なんせ国境を接していると言っても僅かだし、共通の敵としてルーアルト王国があるが、向こうもこちらも攻め入るだけの余力は無さそうだしな……相互不可侵条約を結ぶ程度でいいんじゃないか?」
「ふむ、不可侵条約か……だが、手土産をどうするべきか……」
腕を組み悩む皇帝に、シンは一言いらないと言い放つ。
「かえって手土産なんぞ持って行ったら、弱みがあると思われかねない。ここは堂々と、国境を接した挨拶代りと思わせればいいのでは? だが、この相互不可侵条約は後々生きると思うぜ」
シンの言いたいことは二人には良く分かった。
こちらから侵略する意志が無い以上、仕掛けてくるのは向こうである。
もし条約破りをし、攻めて来れば大義名分はこちらのものであり、また平然と条約を破るような国とは、他国も一時的な協力はしても深入りしなくなるだろう。
「駄目で元々か。よかろう、それで行くとしよう。良いな? エドアルド」
「はっ、適当な使者の人選と献上物を見繕っておきます」
「うむ、豪華過ぎず、且つ貧相でない物をな」
難しい注文に宰相エドアルドは顔を顰める。
いつも何かとやりくるめられている皇帝のささやかな意趣返しといったところか。
「次の問題だが、シンには力信教と星導教の総本山に赴いて貰わねばならぬ。先ずはここを見てくれ」
指し示された場所にはラ・ロシュエル王国と書かれていた。
皇帝の言を宰相が引き継ぐ。
「ラ・ロシュエル王国は帝国の属国であります。表向きは従っておりますが、昨今軍国主義を掲げて近隣諸国の平定に乗り出し、同じ帝国の属国をも攻め、帝国の停戦命令を無視したりはぐらかしたりしながら着々と領土を広げている国です。この国には創生教の総本山があり、国民のほぼ大多数が創生教徒であります。去年の暮れ辺りから、ラ・ロシュエル王国と国境を接する帝国南部の村々が何者かに襲われ、住民が連れ去られるという事件が多発しております。表向きは賊の為したことになっておりますが、裏で手を引いているのはラ・ロシュエル王国と創生教であることは間違いありません」
「ちょっと待て、創生教が住民を攫ったというのか?」
この世界では宗教団体も魔物や賊などから身を守るために、当然武装している。
そのような略奪まがいの事をするその有体は、日本の僧兵に近いかも知れない。
「直接的な行動は確認されていませんが、賊の中に創生教の神殿騎士団らしき存在がちらほらと見え隠れすることや、連れ去られた住民が奴隷として、ラ・ロシュエルの貴族や創生教の荘園で働かされていることから、関与はほぼ間違いなしと見ております」
住民の拉致と聞いて、シンは真っ先に日本の北朝鮮に拉致された拉致被害者の事を思い出した。
激しい憤りが心中を真っ赤に染め上げていく。
「許せんな! 宗教とは人々を正しく導くのを是としているはずなのに、そのような非道を働くとは!」
「左様、余も創生教徒ではあるが、そのような振る舞い断じて許すわけにはいかぬ。奴らは教徒の数に胡坐をかいてその内情は腐敗しきっておる」
シンと同じように皇帝の目にも、怒りの炎が立ち上っている。
「なるほど、読めたぞ。それで俺を力信教と星導教の総本山に行かせ、両教団に力添えをさせるつもりだな。だが、両教団の力を併せても創生教には及ばないだろう?」
力信教と星導教の双方の力を併せても、創生教の半分にも満たないであろうことは、シンですらわかっていた。
「うむ。そこで余は創生教を二つに割ることにした。帝都の創生教を総本山とし、フレルク大司教を総大司教とすることに決めた」
フレルク大司教の名が挙がった時に、シンの顔に現れた僅かな嫌悪の影を見た皇帝は、そのまま言葉を続けた。
「不服そうだな。シン、お主はフレルク大司教の一面しか見えておらぬようだな。確かにあやつは欲張りでがめつい男であるが公人としては兎も角、私人としては実に清貧な男だぞ」
何を言っているのか? 帝都の教団支部に赴いた時に通された無駄に豪奢な応接室を思い出して、シンは怪訝な表情を浮かべた。
「フレルク大司教、あやつはな得た金は全て教団につぎ込んで、自身は贅沢などしてはおらぬのだ。事実、フレルクは良く言えば質素、まぁ大抵の者がみすぼらしいと思うほどの小さな家に住んでおる。教団支部に贅を凝らしているのも、まぁ言ってしまえばあれは帝都の支部であるがための見栄のようなものだな。教団内部からもフレルクに対する不平不満の声は殆ど上がっていない」
あの横柄な態度も虚勢なのだろうかと首を傾げるシンを、面白そうに二人は見つめる。
「創生教を二つに割ると言うが、上手く行くのか?」
「やらねば帝国は聖敵にされ、諸外国は全て敵になる。それだけなら未だしも、扇動された創生教徒たちが各地で反乱を起こす可能性もある。それを避けるためにだ」
キリスト教でいうカトリックとプロテスタント、日本でいう東本願寺と西本願寺と言った所だろうか。
「創生教の堕落と腐敗の証拠は山のようにある。それに加え、今回の住民の拉致の証拠を掴み余が世界に向けて声明を出す」
――――これは大事になってきたな。下手をすれば中央大陸中を巻き込んだ世界大戦になりかねない。
シンは地図を見ながら、事の大きさに思わずうなり声を上げてしまった。




