捕縛
「隊長、ケルヴィン隊長」
ディーツ侯爵の命により、帝都より派遣されてきた近衛軽騎兵隊の監視を行う九名の騎士達を束ねるケルヴィン・フュラーは、いつの間にか転寝をしていたらしい。
部下の声に浅い眠りを妨げられたケルヴィンは寝惚け眼をこすり、不機嫌そのものといった声で、何があったか問いただす。
「奴らが日の出と共に出した偵察隊が戻ってきました」
「なに? それで数はどうだ? 減っていたか?」
「いえ、出発時と変わっておりませんでした。それと、本隊の方に動きがありまして……どうやら出発するみたいですが、如何いたしますか?」
「ふん、決まっている。化け物退治は奴らに任す。俺たちは片が付いた頃合いを見計らって、奴らと合流し新北東領を出て行くように仕向ける。誰がこんな安い給金で命を張るかよ! お前らだってそうだろう?」
ケルヴィンが面白くなさそうにつま先で土を蹴ると、周囲の騎士達も頷き、声を上げて同意を示す。
「行先はわかっているんだ、奴らとは半日程ずらして行動する。交代で休息を取るぞ。だが火は焚くなよ、ここいらは碌な遮蔽物が無いから遠くからでも見つかる可能性が高いからな」
率いて来た騎士達からうんざりするような溜息が吐き出される。
火を使うことが出来ないので、食事は毎回固い干し肉とワインだけ。
ワインの量も日々減らされていき、あまりの待遇の悪さに不満の声が上がっていた。
「もう少しの辛抱だ。奴らと合流すれば火が使えるし、それに近衛なんだから俺らより良い物食っているだろう、遠慮なくご相伴に肖ろうぜ」
ケルヴィンの吐き出した言葉は、半分は自分自身に言ったものであった。
この部隊に集められたのは、独り身のうだつの上がらない者ばかり。
いざ何か起きても、容易に切り捨てられる存在。
その中でもケルヴィンは周りより年上であり、わが身を思うとより一層惨めな気分になった。
騎士と言えば華やかなイメージがあるが、名誉はあっても金と権力は無いのが実情である。
その実態は、現在の個人事業主に近いものがあるかも知れない。
給金は仕えた主から払われるが、怪我や病気の際の保証は一切無く完全に自己責任であり、更に装備を揃え維持するのも自身で行わなければならない。
武具や馬具の手入れや馬の維持費は馬鹿にならず、借金漬けになっている騎士も少なくは無い。
こんな状態であるから、ツテでもない限り結婚など夢のまた夢で、生活苦から騎士を廃業し冒険者になる者も後を絶たない。
はっきり言ってしまえば、ある程度の土地を持つ自作農の農民の方が遥かに裕福な暮らしぶりであった。
ケルヴィンも貧乏騎士の例に漏れず独身で、多額の借金を抱えている。
元々騎士だった父親のコネでディーツ侯爵に仕えたが、他家の騎士達と比べても吝嗇な侯爵が払う俸給は低く、主家を退転することも今まで何度も考えていた。
それをしないのは、もし侯爵家を飛び出しても侯爵家から他の貴族たちに奉公構を宣言されてしまえば、誰も雇ってはくれなくなり路頭に迷うからである。
なまじ権力の大きい侯爵家に仕えたために、かえって身動きが取れなくなっていた。
――――ちっ、誰も俺の実力を評価しやがらねぇ……俺はこんなもんじゃねぇ、必ずのし上がって皆を見返してやる。侯爵家と言えば聞こえは良いが、実際は酷いものだ。この仕事を無事に果たしても、あの当主じゃ褒美なんか寄越さねぇだろうなぁ……クソ!
馬術、剣術、槍術、弓術どれをとっても秀でた所は無く、それでいて誠実さに欠け金遣いが荒く、常に周囲に不満を漏らしている辛気臭い奴……上司や同僚たちからも煙たがられる存在、それがケルヴィン・フュラーという男であった。
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「それがシン殿のお考えか?」
街道を砂塵を巻き上げながら二騎の騎兵は並走し、乗り手は情報共有を図っていた。
「ああ、作戦の全ては奴らを捕えてから話すと……どうする? どうやって奴らを捕える?」
フェリスの問いかけに、ヨハンは正面を向いたまま指で後ろを走る馬車を指差す。
「睡眠障害用にクワンソウを干して粉末にした物を持って来てある。奴らに一服盛ろう」
「用意がいいな、流石はヨハン! 御見逸れいったぜ」
口笛を吹いて笑うフェリス、だが問題はどうやって奴らに服薬させるのか?
「奴らは必ず事の成否を確認しに接触して来るはず、そこで食事に招待してワインに混ぜて飲ませればいい」
方針は決まった。だが、ヨハンの顔色は優れない。
――――シン殿、もしも奴らを人質として切り抜けようとしているならば、それは間違いですぞ……貴族や権力者たちにすれば、騎士の命なんぞ傭兵のそれとたいして変わらない、いくらでも替えの利くものなのです。それをお分かりだと良いが……
その日の夜、ヨハンたちはウォルズ村に到着し互いの無事を喜んだ後、早速計画の準備に取り掛かった。
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「準備が終わりました。念の為に五軒の家に奴らを分散しておびき寄せて、クワンソウの粉末をワインに混ぜて一服盛ります」
「流石ヨハンだ、手際がいいな。しかし良く睡眠薬なんて持ち歩いていたな?」
袋小路に追い込んで上から網でも掛けようかなどと、物理的な策をシンは考えていたが、ヨハンの考えた策の方が確実性が高いと判断すると、即座にその策を採用した。
「ははは、これは本来このような使い方をする物ではないのですが……まぁ戦争病の治療、つまりは不眠症や怪我の苦痛で眠れない者などに処方するんですよ」
「なるほどな、れっきとした薬なのか……味はどうなんだ? 苦かったりしてバレたりしないか?」
「その点はご心配なく。ワインに混ぜてしまえばわからないでしょう」
「それと済まんな、土地のお清めの手伝いをさせてしまって……」
シンが頭を下げようとするのを、ヨハンは慌てて押しとどめる。
「いえ、返って何も作業をしていないと奴らが不審に思うかも知れませんし……」
「団長、ヨハン、奴らが来たぞ!」
扉の無い家の玄関からフェリスが首だけを突きだし叫ぶ。
後は任せたと、シンは奥へと慌てて隠れる。
「では、出迎えに行くとするか……」
ヨハンは椅子を蹴り、颯爽と家から飛び出して行くと、村の入り口に十騎程の集団が見張りの歩哨と問答を繰り広げているのが目に映った。
素早く、だが歩調を乱す事無く近づき名乗りを上げると、相手も下馬し名乗りを返して来た。
「某がこの部隊の指揮官であるヨハン・フォン・ハルパートである」
「私はディーツ侯爵直々の命を授かり応援に駆け付けた、ケルヴィン・フュラーと申す」
「おお、応援にとは忝い」
「様子を見るとどうやら間に合わなかったようですな……念のためにお聞きしますが、件の怪物は?」
わざとらしく辺りをきょろきょろと見回すケルヴィンを見て、ヨハンは苦笑を禁じ得ない。
「それが噂程の強さではありませんでな、あっさりと片付き申した」
「いやはや、流石は精鋭中の精鋭である近衛ですな、御見逸れいたしました」
一々芝居掛かった大仰な仕草を取るケルヴィンに、ヨハンは軽薄さを感じ取り内心で不快感を覚える。
「見ての通り今は後片付けの最中で……こんなとこで立ち話もなんですから、こちらへ……帝都より持参したワインがありますのでご一緒にどうですかな?」
「ほぉ、勝利の祝杯にご相伴預かってよろしいので?」
これまた芝居掛かった仕草を伴ってはいるが、ワインを飲みたいという欲求は素直に表情に出ていた。
「勿論、わざわざ応援に駆けつけて頂いたのです。ささ、どうぞあちらへ……おい、他の方々もおもてなしせよ。くれぐれも失礼の無いようにな! 申し訳ない、廃村故に状態の良い家屋が殆ど無くて……十人一か所にまとめてというわけには……勿論、分け隔てなく存分に酒を楽しんでもらうつもりなのでご容赦願いたい」
「いやいや、こちらこそ何のお役にも立っていないのに返って恐縮です。おい、お前たち、ハメを外し過ぎるなよ!」
微塵の疑いも見せぬケルヴィンを見て、ヨハンは内心でほっと溜息をつく。
その後、勧められるがままに酒杯を重ね、ケルヴィンは薬と酒により前後不覚になっていとも簡単に捕縛された。
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