先行偵察隊、シンと会う
時折聞こえる草原オオカミの遠吠え。
歩哨がその声に反応し、槍を構える。
動いた際に発する僅かな音が野営地に響き渡り、寝ていた者も目を開けて枕元の剣を手繰り寄せた。
「ちっ、遠吠えだけかよ。早く城に戻って熟睡したいぜ」
ぼやく騎士にフェリスも同意する。
「もう少しの辛抱だ。この任務をこなせば長期休暇くらい貰えるだろう。さて、夜明けと共に先行偵察に出るぞ。そろそろ準備しろ」
「はっ! 質問なのですが、もしウォルズ村にまだ化け物が居た場合は、我々が倒すのでしょうか?」
「それはよく偵察してからだな。何せ寄せ集めで編成されたとは言え、騎士団の一個小隊を二度に渡って撃退している程の強敵だ。いくら我々が倍の二個小隊規模だとはいえ、迂闊には手を出さない方がいいだろう。それに、団長が先に村に着いているとすれば、もう倒されちまっているかもなぁ」
この騎士は先の戦役において、別の部署に配されていた者であり、義勇兵団ヤタガラスに参加していた者では無い。
フェリスの言に、眉間に皺を寄せ納得し難い表情を浮かべながら、疑問を口にする。
その二人の会話を、周りにいる者達も耳を澄ませて聞いていた。
「その、特別剣術指南役を仰せつかるほどの腕前を疑うわけではありませんが……人と魔物は違います。いくら人間相手に強くても魔物相手に数人でとは、いささか荷が勝ちすぎるのではないでしょうか?」
「う~ん、俺も直接見たわけじゃないが、地竜を倒す程の強さだぞ? 倒した際に持ち帰り陛下に献上された角を見たが、あれは紛れも無く地竜の角だった。迷宮に潜って魔物との戦闘経験も豊富だろうし、大丈夫じゃねぇかな?」
いつの間にか二人の周りに騎士達が集まり皆で首を捻りながら、ああでもないこうでもないと議論が始まる。
「おい、お前ら! 何をやっているのか? ん? フェリス、そろそろ時間だぞ」
「おっと、いけねぇ。ヨハン、お前はどう思う? 団長がもう魔物を退治していると思うか?」
「当然だ。竜殺しの名は伊達じゃない、あのルーアルトの剣聖とまで謳われていたジョージ・ブラハムとの一騎打ちをお前も見ただろう。あの強さ、生半可な魔物など寄せ付けもしまい。だが、用心はしろよ。辺境ゆえ魔物の影が濃くなってきているからな」
草原オオカミの遠吠えが聞こえる方を見つめながら、ヨハンがフェリスに注意を喚起する。
フェリスは承知と短く返答すると颯爽と馬上の人となり、部下の騎士四騎を率いてウォルズ村の方へ駈け出して行った。
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ヨハン率いる軽騎兵隊から少し離れた所に、ディーツ侯爵が派遣した騎士達が身を寄せ合うようにして暖を取っている。
火を焚けば発見されてしまうので、体を寄せて毛布を頭から被っている。
魔物の襲来に備え、剥き身の剣を手に持ちながら浅い眠りを繰り返す彼らは、この任務に嫌気が差し始めていた。
「隊長、奴等が隊を二手に分けました」
「何? 数は? どの位の集団にわけたかわかるか?」
「はっ、夜明け前のつい先ほどに、騎兵数騎が街道をそのまま直進して行ったのを目撃しました。どうしますか? 我々も二手に別れますか?」
「……いや、待て……確かウォルズ村はもう近いはず、恐らく先行偵察だろう。例の魔物の様子を見に行ったに違いない。我らは引き続き本隊の動向を覗うとする」
顎に手を当て頭の中で周辺の地図を思い出し、隊長は判断を下した。
「それで、我々はどうするのでしょうか?」
「どうとは?」
「村に魔物が居た場合、我々も協力し参戦するのでしょうか?」
「はっはっは、馬鹿な! 何故我らがそんなことに手を貸さねばならんのだ? 我々の任務はあの近衛どもの動向を知ることが第一であり、その他のことはついでに過ぎん。ただでさえこの様な辺境まで派遣されて、連日野宿の貧乏くじを引いておるのだ、これ以上の仕事は御免こうむるわ。魔物を退治し終わった頃合いを見て、我らは奴らと合流しその後この新北東領を出て行くまで同行する。もし奴らが魔物に敗れた場合は、奴らが本土に撤退の構えを見せた後で合流する。大した俸給でも無いのに、一々命など賭けてはおれんわ」
「それを聞いて安心しました。しかし隊長はディーツ侯爵の子飼い、我らとは違うのではありませぬか?」
「ふん、侯爵は吝くてな……いい条件が提示されたならば、奉公先を変えても良いかと思っておる」
部下の問いに、隊長は渋面を浮かべながら吐き捨てるように答える。
これ以上の話は打ち切りと言わんばかりに、手を振って部下を追い立てた後、髭面の隊長は毛布を頭から被って再び浅い眠りに落ちて行った。
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朝日が昇り、夜霧が消え朝露が陽光を反射して煌めく中、村を一望できる丘の中腹に疎らに生えている大きな木の下で、シン達は火を焚き朝食の準備をしているた。
木の下で火を焚くのは、立ち上る煙を枝葉で分散させるためであり、遠くから賊などの敵に発見されるのを防ぐためである。
辺境に行くにしたって賊は姿を見せなくなっていったが、油断はしない。
大きな金盥に張ったお湯が沸騰し、盛んに湯気を上げ始めたその時、俄かに馬のカエデとモミジが嘶き、足を踏み鳴らして騒ぎ始める。
馬だけでなく、龍馬のサクラとシュヴァルツシャッテンも喉を鳴らしながら警戒の色を見せていた。
「カイル、着いて来い。レオナはこの場で待機、エリーは司祭たちを頼む!」
シンは腰の刀を引き抜くと、カイルを伴い馬たちが首を向ける方へと駈け出して行く。
木の影を伝うようにして姿を隠しながら様子を覗うと、数騎の騎兵がギャロップで近付いて来るのが見えた。
シンはブーストの魔法を唱え、目にマナを集め視力を高めて騎兵たちを見ると、その中に見知った顔を見つけ警戒心を解いた。
「カイル、あれは味方だ。あの騎兵たちの中にフェリスがいる。でも、何であいつがこんな所に居るんだ?」
木陰から身を乗り出して、手を振りながら大声でフェリスの名を呼ぶと、向こうも気が付いたのか馬腹蹴ってをくれて駆け寄って来る。
「団長、探しましたよ!」
「フェリス! どうしてこんな所に?」
フェリスは颯爽と馬から飛び降りる。
二枚目の彼が行うと、きびきびとした軍人特有の動作にも華があり、もしこれを世の御婦人方が見ていれば黄色い声が辺りに満ち溢れたかも知れないと、シンは思った。
「それが……陛下の御命令でして……」
「エル、っと陛下の?」
顔見知りに会い気が緩んだのか、つい皇帝の名を呼んでしまったシンは、慌てて言い直した。
フェリスも、その部下達も聞き逃してくれたことに感謝しつつ、シンは更に詳しい情報を聞き出そうとする。
「ええ、俺たちだけでなく、ヨハンとアロイスもいますぜ。軽騎兵二個小隊、百人を率いて団長に合流し、ウォルズ村の魔物討伐に協力した後、速やかに団長を護衛して帝都に帰還すると言うのが、今回我々が受けた命令であります」
「何か政変や戦でも起こったのか?」
「いえ、その様な事は我々が帝都に居る時には何も……故に命令の真意はわかりかねます」
シンは刀を納めながら顎に手を添えて、考え込む。
フェリスが村の魔物の事を聞くと、カイルを指差し、こいつが倒したと言葉短く返答した。
「は? いやいや御冗談を! 騎士団が二度も負けるような怪物ですぜ? いくら団長の御弟子さんと言えども……本当ですかい……いやはや、参ったなぁ」
シンの表情が変わらないのを見て、フェリスはシンが冗談を言っているのではないと悟った。
同行した騎士達からもどよめきの声が上がる。
「ってことは、もう帰還するだけなんですね?」
「いや、土地のお清めがまだなんだ。今、遺骨を集めそれを埋葬する作業をしている」
「それならば、ヨハンたち本隊が来ればあっという間に終わりますな。それよりも団長、ちょっといいですか?」
普段からおちゃらけて口許に笑みを絶やさないフェリスが、改まって真顔になったのを見て、シンの背筋に緊張が走った。
「団長、新北東領で誰か貴族を斬りましたか?」
その問いにシンが黙って頷くと、フェリスは目を瞑りながら頭に手を乗せて天を仰いだ。
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