再出発
皆が眠れぬ夜を過ごす中、シンは表面上は無表情を貫きながらも、心中では後悔の嵐が吹き荒れていた。
己の両手をじっと見つめる。とうに洗い流された血が、あとからあとから染み出てくる幻覚に囚われそうになり、首を振って正気を保とうとする。
――――やってしまったことは、もうどうしようもない。俺はこれからどうすれば……皆の目にあの時の俺はどう映ったのだろうか? レオナを泣かせてしまった……レオナに謝らねば、だが許してくれるだろうか?
カイルはどうだろう? あの時の俺の姿を見て、幻滅したのではないか? これからどう接すればよいのか? 全ては感情を抑えきれなかった俺の未熟、せめて彼らに類が及ぶのだけは防がなければならない。
キュルテンは治安維持派遣軍総司令官のディーツ侯爵の甥だと言っていた。
甥を殺された侯爵は、当然のことながら犯人を捕まえるべく軍を動かして捜索するだろう。
キュルテンの部下の大多数は逃げ散った。そこから情報が伝えられて追っ手が掛かるまでどの位の時間が稼げるか?
請け負った任務を放り出して帝都に逃げ帰るという選択肢もあるが、それをするかどうかシンは躊躇った。
シンは冒険者の肩書と共に、正式に帝国に仕える官吏の一人である。
冒険者の肩書が無くとも食うには困らない。
だが、レオナ、カイル、エリーは違う。彼らはただの冒険者であり、報酬を得られなければ路頭に迷う。
勿論、シンが生きていれば生活の面倒は見れるが、シンに万が一の事があったときにはどうなるのか?
冒険者にとっての財産の一つである、風聞。
皇帝からの直接の依頼を失敗したとなれば、冒険者パーティ碧き焔の名声は一気に失墜する。
落ち目の冒険者に依頼する者は居ない。その結果、彼らが路頭に迷う危険性があるのだ。
進むべきか? 退くべきか? 焚き火に枯れ枝をくべながらシンは悩み考える。
一晩中、眉間に皺を寄せながら熟考に熟考を重ねた結果、シンはパーティリーダーとして結論を出した。
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「昨日はすまなかった。醜態を晒したこと、そして皆を危険に巻き込んだことを詫びる」
朝食の時に、全員を集めるとシンは深々と頭を下げて謝罪した。
すんなりと自分の非を認め謝罪する姿に、皆は毒気を抜かれてしまう。
大抵人の上に立つ者は、我の強い者が多い。ましてや、この世界の様に荒れていれば尚更のこと。
このように素直に自身の非を認め頭を下げる者など、そうは居ない。
顔をあげたシンの表情に、まだ何処か戸惑い影を見つけたレオナは、つかつかとシンに歩み寄ると両手でシンの顔を挟み込むように叩く。
「しゃんとしなさい。まだ依頼は果たしてないのよ。さぁ、いつもの様に指示を」
シンの両頬に真っ赤な手形が付いているのを見て、皆が含み笑いをする。
「そうだな、レオナ……ありがとう。よし、これからの事だが……当然だが、俺たちに追っ手が掛かるだろう。たとえ出頭して正当防衛を主張しても、侯爵に握りつぶされるのがオチだ。これからは賊や魔物だけではなく、追っ手の心配もしなくてはならない。だが、任務は続行する。奴らは俺たちの目的も、行先も把握していない。向かう先のウォルズ村は辺境だ。そこに手が及ぶのはかなりの時間が掛かると俺は見ている。したがって速やかに任務を果たし、その後に奴等の網を潜って帝都に帰還する」
「うむ。それは良いとして、帝都にはどう戻る? 敵は当然、新北東領の入口たる城塞都市カーンの前に厳重な網を張るぞ」
トラウゴットが朝餉のスープを啜りながら、問い掛ける。
「うん。司祭の言う通りだと思う。そこで俺は、カーンには行かずにルーアルト王国を経由して帝国に戻ろうと思っている」
「なに? 馬鹿な! 儂らは兎も角、聖戦士殿はルーアルトに行けば間違いなく殺されるぞ! 自分が先の戦で何をしたのかわかっておるだろう、入り婿とはいえ王族を討ち取ったのだぞ!」
シンの言葉に皆は絶句する。
「うん。そこでアヒム司祭にお願いしたい。ルーアルト王国には星導教の総本山があるはず……アヒム司祭、俺を総本山に招待してくれないか?」
「は、はい?」
とんでもないことを言い出したシンに、全員の目が釘付けとなる。
「国境沿いで俺たちは潜伏し、アヒム司祭がルーアルト王国に赴き、総本山から正式な招待を受ける。総大司教あたりに出張って来て貰いその庇護の元、大手を振ってルーアルトに入国するのさ。まさか星導教の総本山のお偉いさん共々俺を抹殺は出来まい。もし仮にそれをすれば、ルーアルト王国は星導教の加護を失う事になる。まぁこれは網の目を潜り抜けられないと判断した時の策だが……」
シンのとんでもない無茶ぶりを受けたアヒムは、口を大きく開けたまま放心状態となっている。
「何はともあれ、まずはウォルズ村の件を片付けてからの事。それまでは、ウォルズ村に全力を注ぐ」
トラウゴットのシンを見る目が、すぅと細まる。
――――とんでもない事を考える男だ。権力者でもない一個人が、ここまで大々的に教団を利用しようとするなど前代未聞の事。果たしてこの男は英雄なのか? それとも奸雄なのであろうか?
方針が決した一行は、ペースを上げて一路ウォルズ村を目指す。
依然としてシンの顔色は冴えないが、その表情から迷いの影は薄れていた。
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城塞都市ハスルミアにいるディーツ侯爵の元に、凶報が届けられたのは事件発生から十日余りたってからのことだった。
「なに! キュルテンが死んだ? 何故だ? 賊に討たれたのか? キュルテンは精兵一個小隊を率いていたはず。それを打ち破る程の賊の集団がいるとの報告は受けておらぬぞ」
侯爵は目を掛けて可愛がっていた甥の死の報に、持っていた酒杯を地に叩きつけて激昂した。
「そ、それが、キュルテン殿を弑したのは、帝都より派遣された巡察士であると……」
「巡察士だと? そのようなものが来るとは聞いておらぬわ! 巡察士だろうと何であろうと、甥を殺されて黙ってはおれぬ。即刻ひっ捕らえて首を刎ねてやる」
侯爵の睨み付けるような鋭い眼光に晒された騎士は、汗を掻きながらその身を縮こまらせた。
「で、ですが、その巡察師はあの竜殺しのシンでございます」
「なに? それは確かか?」
「はっ、逃げ帰った兵どもが皆そう申しておりますれば……」
侯爵は口許に手をあてて爪を噛みだした。
決して行儀の良い仕草ではないが、これは侯爵が思案に耽るときの仕草であり、報告する騎士はその事を知っているので、間違っても声を掛けるような真似は決してしない。
「主を討たれ、仇も取らずに逃げ帰って来た兵どもは、一人残らず首を刎ねよ」
底冷えのするような冷たい声色で発せられた命令を受けた騎士は、一言御意にとだけ言うと命令を実行するべく部屋を後にする。
「巡察士……竜殺しのシン……なぜ今頃に?」
侯爵は深く椅子に座りなおすと、再び口許に手を当てて爪を噛みだす。
――――陛下が巡察士を送り込んで来た意図は何だ? まさか徴税がバレたか? だが、バレてもいかようにも言い逃れられるわ。あれは徴税ではなく、軍事物資の現地徴収とでも言えば良い。それとも民たちからの我々に対する感謝の寄進であったとでもしておくか。まぁ、何にせよ巡察士などという者がうろつきまわるのは好ましくはない。早々に消してしまうと致そう。ここは治安の乱れた新北東領、巡察士の一人や二人消えても誰も不思議には思わんだろうて……
翌日、新北東領に残っている自分の取り巻きの貴族たちを集め、甥のキュルテンを討った巡察士を語る賊を討伐すべく軍を出動させることを告げ、協力を仰いだ。
一軍を持って、城塞都市カーンへの街道を封鎖し、方々に小集団の偵察部隊を派遣。
だが、数日経ってもカーン方面はおろか、偵察の網にも掛からず、侯爵は怒りと共に焦りを募らせていった。
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