雷鳴剣
一角虎の重い一撃に耐え切れず地面に転がされたシンは、体中にはしる痛みを物ともせずに勢いよく跳ね起きる。
すかさず腰から天国丸を抜き構えるが、三半規管を痛めたのか視界が揺れて目の焦点が今一つ合わない。
だが、自身の不調を気にしている余裕は無い。
目の前では弟子のカイルが、一角虎の猛攻を紙一重で躱し続けている。
カイルは全身にびっしょりと汗を掻きながら、躱すのに精一杯でとても攻めに転じる余裕は無く、このままでは体力か集中力が切れて、爪牙の餌食になるのは目に見えている。
シンは一角虎の尋常では無い速さに舌を巻いていた。
――――魔法で強化した俺やカイルでやっとの速さだ。あの動きを止めないとどうにもならない、何か手は、手は無いのか?………………ある……だが、またぶっつけ本番かよ!
シンは体内のマナをフル回転させ、愛刀の天国丸へと注いでいく。
視界のブレが消えるとともに雄叫びをあげて虎の注意を引き付けると、刀身に時折光が爆ぜるような輝きを纏わせて果敢に突進していった。
「さっきのお返しだ、取って置きの技をお見舞いしてやるぜ!」
一角虎の注意が一瞬だけシンに逸れた隙に、カイルは大きく後ろに跳んで後退する。
呼吸をする暇も無い程の猛攻に晒されていたカイルは、肩で大きく貪るような荒い呼吸を繰り返す。
とてもではないが、一瞬の隙を突いて攻勢に転じることなど出来る状態では無く、汗と土ぼこりに塗れた顔には濃い疲労が浮かんでいた。
もう少しで仕留められそうなカイルを取り逃がした一角虎は、邪魔をしたシンに向かって苛立ちの咆哮を上げる。
鎧越しに腹にびりびりと響き渡る咆哮を受けて、シンの額から冷たい汗が噴き出し、やがてそれは鼻梁を伝い地に落ちて小さな染みを作り上げていく。
一角虎はシンとカイルと戦ってみて、自分の優位性を疑っていないのだろう。
余裕のある動きでシンに相対すると、赤く輝く目を見せつけるかのように大きく見開き、飛び掛かって来た。
飛び掛かって来た虎の人間の頭ほどもある大きな前足を、シンは左に転がり躱しながら刀を水平に振った。
バチンと何かを叩きつけたような大きな音がし、僅かに遅れて虎の悲痛な鳴き声が辺りに響き渡った。
少し離れた場所にいたカイルは、一角虎の爪先とシンの刀の先が触れた瞬間に、大きな火花が散ったのをその目で確認していた。
火花が爆ぜ、大きな音がした瞬間に虎の毛が 総毛立って、一瞬だけその身を彫像のように硬直させた様子を目撃したのだ。
「上手く行ったな……でもこの技も燃費が悪い。悪いが遊んでいる余裕は無いんで決着を着けさせて貰おうか」
起き上がったシンが摺足でにじり寄ると、にじり寄った分だけ一角虎が後退りをする。
赤く光る両目には、得体の知れない物に対する怯えが色濃く表れており、シンが僅かでも隙を見せれば身を翻して逃げ出そうと四肢に力を込めていた。
頭頂部にある白く大きな角が、ゆっくりと上下に揺らめく。
睨み合いはほんの数十秒、だがシンと虎にとっては永遠とも思える長い時間であった。
先に痺れを切らせたのは一角虎、腹を空かせていたためか集中力を切らせてしまう。
烈しい苛立ちの唸り声と共に、頭頂部の角でシンを牽制しようと前に突き出してくる。
恐るべき強敵、一角虎の見せた僅かな隙をシンは見逃さなかった。
角の先と刀の先が触れあった瞬間に、先程と同じように刀から電流が流れて一角虎の身を硬直させる。
シンは一度大きく大きく刀を引いた後、虎の右目目掛けて鋭い突きを繰り出した。
少しだけ斜めに刺さった刀は右目に吸い込まれていき、容易く眼底と突き抜け脳へと達した。
手応えを感じたシンは、すかさず両手に力を込めて刀身に捻りを加え、破壊面積の拡大を図った。
痙攣しながらもだえ苦しむ虎の、最後の足掻きの爪の強襲がシンに襲い掛かるが、あっさりと得物の刀から両手を離して大きく後退して躱す。
大きく後退しながら、腰部に備え付けている黒鉄鉱のナイフを引き抜き構えつつ、弾き飛ばされた死の旋風を探していく。
意外にも近くに落ちていたそれを拾い上げるとナイフを収め、死の旋風を振りかぶって烈しい痙攣を繰り返す一角虎の額に、大上段からの一撃を与えて止めを刺した。
「ふぅ、とんでもねぇ化け物だ……仕留める事が出来て本当に良かった。頭も良さそうだったからな、取り逃がして次に会ったら今の技も見切られてしまったかも知れないな」
右目に刺さった天国丸を引き抜き、大きく振って血を払う。
「師匠、今の技は?」
汗の上から土ぼこりで化粧を施したカイルが、近付いて来る。
良く見ればその体には汚れと共に、転がった時に出来た小さな傷が無数に出来ていた。
「カイル、無事か? 今の技は名前をつけるとすれば雷鳴剣といったところか……そうだなぁ、一言で言うなら雷を刀身に纏わせたものだ」
「雷? 雷ってあの空からばーっと落ちるあれですか?」
「そうだ、その雷だ。雷を強くイメージしながら電気の仕組みをある程度理解出来ていれば、今の技はお前にも出せるようになるだろう。制御に失敗すると自分に跳ね返ってくるから、勝手に真似しないように。ちゃんと仕組みからきちんと教えるからな」
「はい! それにしても凄いです! 一角虎は狩人や騎士団数十人掛かりで倒すような強敵なのに、師匠お一人で倒してしまうなんて」
カイルの尊敬の込められた眩しい眼差しを受け、気恥ずかしそうに顔を指で掻きながらシンは笑った。
「俺一人じゃ、負けてた。カイル、お前が時間を稼いでくれたから勝てたんだ。本当に助かったよ、礼を言う。しかしなんだなぁカイル、魔法剣は強力だが弱点が多いな。まず、マナの消費が大きすぎて連発出来ない事、そして準備に時間が掛かること……この二つの弱点をこれから二人でどうにかしていこう」
これはカイルも常々感じていたことである。
だが、どうにか出来るものなのだろうか? いや、常に研鑽し続け新しい技を産みだし続ける師匠ならばきっと……少年の目に映るのは己が理想とする英雄を体現したかのような男。
そんな男ならば不可能をも可能にするのではないかと、益々シンを見つめる目に熱が籠っていった。
「毛皮は惜しいが、持ち帰るのは無理だな。他に何か……ねぇな……肉は肉食獣だから硬くて臭いだろうし、このまま捨て置くか……」
シンの声で我に帰ったカイルは、父が生前に言っていたことを思い出す。
「あ、師匠、角が薬の原料になるらしいです。昔父さんがそう言っていたような……違っていたら御免なさい」
サイの角のようなものか。
薬効があるかどうかはわからないが、嵩張る物でもないので切り落として持ち帰る事にする。
中々馬車に戻って来ないのを心配したレオナがスプライトを頭上に漂わせながら、一角虎の角を切り落とそうとしている二人に近付いて来た。
スプライトの明かりに照らされた一角虎の姿を見たレオナは、小さく可愛らしい悲鳴を上げてしまい照れ隠しの咳払いをして誤魔化そうとする。
「お、お二人が戻って来ないので心配しました。しかしこれは…………もしかして一角虎ですか? まさかとは思いますが二人で倒したのですか?」
「ああ、強敵だった。角を切り落としたら直ぐに移動するぞ、血の臭いを嗅ぎつけて厄介なのに来られたら堪らんからな。お、よっと、おし、根本から取れたぞ。引き上げだ!」
ショートソード程もある大きな白い角をレオナに放り投げる。
この角の大きさから本体の大きさがうかがい知れる。
スプライトを一角虎の真上に動かして見ると、全長三メートルを優に超える巨体がうつ伏せに倒れていた。
あまりの事に開いた口が塞がらないとはこの事だろう。
レオナは近衛騎士だったので、地方の治安維持に駆り出されるような事は無かったが、地方ではこの様な猛獣や害獣の駆除を貴族子飼いの騎士団が討伐する事が多い。
そのために話だけは聞いたことがあったが、一角虎は下手をすれば騎士団総出で対処するような怪物で、それを二人で倒したとはその事実を直に目にしても、すぐさま信じることが出来ずにいた。




