次なる問題
レオナは自分が倒した賊に慈悲の一撃を与え、そのまま首を刎ねる。
その後ろを付き従う愛馬シュヴァルツシャッテンは、突如背後を振り返って目を細めながらグルルと低く鳴く。
何事かと思いレオナも振り返ると、シンがアマーリエを庇って賊に短刀で腕を刺されているのが目に入った。
シンがすぐさま反撃し、賊にトドメを刺すのが見えたが怪我の具合が心配でならず、慌てて駆け寄ろうとするのを、シンは大丈夫だと視線で止めてエリーを呼ぶ。
エリーの表情から、深手ではないことがわかり胸を撫で下ろすが、同時に沸々と怒りが込み上げるのを抑えることが出来ない。
アマーリエを担いで馬車に押し込めたシンが振り返ると、怒りで眉の角度が大分吊り上がったレオナがつかつかと足音を立てて近付いて来る。
怒っていても美しさが損なわれないレオナの顔を、シンは一瞬ぼうっと見惚れてしまった。
「大丈夫だ、問題無い」
シンがそう言い終わった次の瞬間、レオナの両手がシンの両頬を物凄い力で引っ張り抓りあげた。
「言っていることと違うじゃないの!」
平素から凛としているレオナは笑顔も似合うが怒り顔も似合うな、などと痛みを堪えながら思っていると不意に頬を抓っていた両手から力が抜けて、レオナの両目に薄っすらと水膜が張り始め、シンはそれが溢れこぼれ落ちるのを防ごうと慌てて謝罪の言葉を何度も口にする。
「すまん。ゆるせ、大丈夫だ……ちゃんとわきまえているから安心しろ」
そう言ってレオナの頭を撫でようと手を伸ばし始めたその時、草原オオカミの遠吠えが聞こえて、レオナは振り返り瞬時に頭を切り替え剣を構える。
無粋な奴めとシンは心の内で草原オオカミに舌打ちすると、すぐにこの場を離れるべく皆に指示を飛ばした。
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シンが帝国新北東領に入った頃、帝都では皇帝ヴィルヘルム七世と宰相エドアルドが、執務室にて一枚の報告書がもたらした新たな問題に対し、両者眉間に皺を寄せて頭を悩ませていた。
「今年に入って五カ所目か……で、報告書には書かれていなかったが生き残りは?」
「……生き残りは老いも若きも男も女も全て連れ去られたと、潜伏していた密偵から報告を受けております」
「連れ去られた先は? ああ、いい……想像はついておる。ラ・ロシュエルであろう……」
溜息と共に放り投げ出された報告書は、ひらひらと舞いながら執務室の床へと落ちる。
「はい、その通りにございます。頭が痛いですな……して、如何いたしましょうか?」
帝国の南にあるラ・ロシュエル王国は、形の上では帝国の属国である。
だが、近年内政が乱れ、敵の侵略を受けた帝国に対して、ラ・ロシュエルは軍国主義を掲げて近隣を切り従え急速に勢力を拡大しつつあった。
この動きに皇帝は気が付いていながらも、具体的な対応を取ることが全く出来ず、今やラ・ロシュエルの国力は現帝国の四分の一ほどにも達しようとしていた。
「ちっ、ゲルデルンが居らねばこの様な事にはならなかったであろうに、奴のせいで何もかもが滅茶苦茶になってしまったわ!」
皇帝が叔父のゲルデルン公爵との政争に明け暮れている間も、ラ・ロシュエルは近隣の部族や豪族を切り従え着々と勢力を拡大していた。
表向きは帝国に恭順を示し毎年の朝貢も欠かさず、礼節を欠くことは無かったが、同じように帝国に恭順を示していた諸部族や豪族を、帝国の許しも得ずに勝手に併呑していることを見れば、その野心が嫌でも心の内から透けて見える。
ラ・ロシュエルが領土を広げ国力を高めている間、帝国はと言うと、ゲルデルン公爵が功を立て己の発言力を高めるために独断で兵を動かして、ルーアルト王国西方辺境領を降し帝国に取り込んだ。
それに対抗するために皇帝もルーアルト王国北方辺境領の帝国に対する帰順を許し、公爵だけが功を立てて発言力が増すという状態を防ぐことに成功したが、その代償は大きい物となった。
逆臣としてゲルデルンがシンに討たれたあとも、その負の遺産は重く帝国に圧し掛かることになる。
北方辺境領はソシエテ王国に端を発したソシエテ大飢饉による難民が押し寄せ、それが暴徒化し城塞都市以外は全て略奪され、殺戮の嵐が北方辺境領全土を襲った。
これの鎮圧に、帝国各地から大多数の兵力を抽出しなければならず、その結果南部の守りが薄くなってしまったのである。
さらに運の悪いことに、帝国に難事は次々と押し寄せてくる。
ハーベイ連合にそそのかされたルーアルト王国の帝国への侵攻があり、シンの活躍によって比較的短期間で撃退出来たものの、それに同調して反乱を起こした貴族の討伐もあり、帝国は益々兵力を失って弱体化した。
反乱分子を排除し権力のほぼ完全なる掌握をした皇帝は、素早く幾つかの政策を施し国力の回復を図ってはいるが、一朝一夕にとは行くはずも無く元の国力を取り戻すまでは、かなりの年月が掛かるものと思われる。
「せめて新北東領の問題だけでも片付いてくれればな……今派遣している兵力の内、南部の家の者はどれ位いる?」
「はっ、凡そ三分の一程かと……故郷が荒らされているのに戻さねば不満を抱くだけでは済まないでしょうな……」
「やっと主だった賊の大規模な集団の討伐に成功し、これから掃討という時に兵を引くのは拙いな。また賊が勢力を取り戻しかねんぞ……あいつの知恵に頼らざるを得ぬか……いつ戻って来る?」
皇帝の問いに宰相は顔には出さないが、内心では思う所がある。
――――陛下はあの者に頼り過ぎている。これは後々忌々しき問題になるやも知れぬ。
「順調に行きましても後一月は掛かりましょう」
宰相の答えを聞き、皇帝は顎に手を添えて暫く考えた後である決断を下す。
「よし、軽騎兵百騎をシンの元に急ぎ派遣し速やかに例のアンデッドを討伐させよう。あれはあれで頭が痛い問題の一つであるから討伐することに越したことは無い」
「確かに、派遣した騎士団が二度にわたり撃退され士気も落ちておりますし、何より速やかに排除出来ないとなると騎士団の強さに疑いを持たれかねません。隣国の要らぬ野心を掻きたてる可能性も考慮すれば、シン殿に素早く始末してもらうのが一番でしょうな。指揮官は、またあの三人でよろしいでしょうか?」
「そうだな……話を最初に戻すが、ラ・ロシュエルに連れ去られた者達はどうなっている?」
「密偵からの報告によれば、戦える者は戦奴とされ、その他は創生教の荘園に奴隷として売られていったと……」
ラ・ロシュエル王国には創生教の総本山がある。
帝国内には力信教の総本山が、ルーアルト王国には星導教の総本山があり、それぞれの教徒たちは国境を越えて信者の獲得に火花を散らしている。
「創生教か……クソ! シンのもたらした神託のおかげで勢力を二分するこが出来たとはいえ、総本山の勢力は巨大で迂闊に手が出せぬ……」
「はい、もし創生教が帝国に対し聖戦を唱えますと今の帝国ではとても……」
二人同時に溜息を吐き、二人同時にテーブルの上にあるとっくに冷めてしまったお茶を口に含み喉を潤す。
「はぁ~頭が痛いな、取り戻すのは事実上不可能ではないか。しかし創生教も堕ちたものよな、攫われた無辜の民衆を救うどころか奴隷にするとはな」
「総大司教は欲に塗れた権力の亡者と噂高い男でありますれば、その下の者もお察しかと……一つだけ、手が無いわけではありません。多分の懸念はありますが……」
「それは、シンを総本山に行かせて神託の石を使わせるということであろう? 危険だ。もし奴等が神の教えを忘れているとすれば、欲に駆られて邪魔者であるシンを謀殺しかねないぞ?」
――――流石は英邁と謳われる皇帝だけのことはある。
宰相は自分の仕える主の聡さに満足感を覚え、思わずニヤリと口角を吊り上げてしまう。
「ですが、これによって多少なりとも創生教に混乱が起これば貴重な時間を稼ぐことが出来ます。せめて創生教がラ・ロシュエル王国に、直接力を貸せない状況にせねばなりますまい」
「はぁ、何でもシン頼りか……これは国家として全く健全ではないな……仕方がない、シンが戻って来てからもう一度検討しよう。差し当たっての問題は、南部に兵を戻すとして空いた穴埋めをどうするかだが……」
「今は帝国内の貴族たちも、取り潰しや領地替えなどで混乱しておりますれば、そこから兵力を抽出するのは厳しいかと」
「致し方あるまい……では新北東領の平定は中断し、現状の維持を目的としたものに切り替える。明日にでも大臣たちを集め、このことについて会議を行う」
いささかの疲れを感じた皇帝は、机の上に置かれた鈴を鳴らし近侍を呼ぶと、明日の会議の用意とお茶のお代わり所望をし、椅子の背もたれに身体を預けて静かに目を瞑った。




