三顧の礼 其の四
「では、始めぃ!」
ねずみ色をしたはっきりとしない空の下、ヘンドリックの掛け声と共に試合は始まった。
果たして勝つのは竜殺しのシンか? それともかつての剣術指南の孫のザンドロックか?
遠巻きにして試合を見る者達は、誰も声を上げずに固唾をのんで見守る。
両者、剣を正眼に構えたまま身じろぎもせずに睨みあう。
最初に動きを見せたのはシン。
ゆっくりと構えを解かずに、摺足で近付いて行く。
音を立てず、まるで地面を舐めるかのような摺り足。
それを目にしたザンドロックは、僅かに目を細めはしたが構えはそのままで、ピクリとも動きを見せない。
両者大きく一歩踏み込めば剣が届く距離まで間が詰まる。
ただ対峙し、距離を詰めただけのシンの顔からは汗が噴き出ている。
――――隙が無い。まいったな……組み合ってガチャガチャに持ち込みたいが、無理だろうなぁ……どうするか……
一方のザンドロックも浮かべている表情ほどの余裕は無かった。
シンの放つ猛獣のような気迫に内心で舌打ちを禁じ得ない。
――――戦い慣れている……何度も修羅場を潜った面構えだな……受けるか、攻めるか、どちらにせよ中途半端にはいかんな、力で噛み破られそうだ……さて、どう出て来るか……
シンの額に浮いた汗がこめかみを伝い、頬を伝って顎へと流れる。
顎に溜まった汗が地に落ちた瞬間、聞いた者が怖気立つような雄叫びと共に大きく踏み出して木刀を振るう。
ザンドロックは素早く力強い打ち込みを予感して瞬時に受け流そうとする。
刹那の交差、初太刀を受け流されたシン。受け流したザンドロック。
シンは綺麗に受け流されて僅かにバランスを崩し顔に動揺の表情を浮かべるが、予期していた追撃が来ない。
綺麗に受け流したはずのザンドロックもまた、驚きの表情を浮かべていた。
――――なんという重い剣……掠めて受け流しただけで、僅かだが手に痺れが走るとは……
両者位置を変え、再び構えなおす。
また睨み合いが始まるのかと誰もが思ったとき、ザンドロックの木剣が空を斬り裂く音を立てながらシンの肩口を狙い打ち下ろされる。
こちらから再び攻勢に転じようとしていたシンは度胆を抜かれ、間一髪で後ろに下がって躱すが、ザンドロックは攻撃の手を緩めずに、執拗にシンの左半身に斬撃を放ち続けた。
懸命にその場で受け躱そうとするが、手首のスナップを効かせた打ち込みの終わり際に僅かに軌道を変化させる剣と、それらの間に混ぜて出される重い一撃を前にして決断を迫られる。
――――前か、後ろか……決まってる……前だこの野郎!
受けた剣を力を込めて弾くと、シンは足を踏み出して前へと押し出す。
ザンドロックも弾かれた剣を伝わった衝撃が手を通し、全身に伝わるが踏み堪えて矢張り前へと足を進めた。
意地と意地のぶつかり合い、もつれ合うようにして鍔迫り合いとなり、両者のこめかみに青筋が立つ。
歯をむき出しにして全身の筋肉を用いて相手を押し返そうとするも、両者の力は拮抗し鍔迫り合いのまま、まるで時が凍りついたかのように動かない。
「ハーゼ、どちらが勝つ? シンか? ザンドロックか?」
興奮した皇帝の下問をハーゼは敢えて無視した。
剛のシンと柔のザンドロック。どちらにも勝機はあると見ているが、ザンドロックの技量が僅かに上か。
見ている者達も思わず呼吸を忘れそうになるほどの、激しい戦いに手に汗を握りしめる。
ハーゼが瞬きもせずに二人を凝視しているのを見た皇帝は、何を聞いても答えを得られないと知り再び両者の戦いに視線を戻す。
「ぐぬぬぬぬ……だあぁりゃぁあ!」
シンの顔色が赤からどす黒く変わり、気合いの声を上げてザンドロックを押し返す。
ザンドロックも顔を真っ赤にしながら更に力を込めるが、一瞬僅かにシンの力が上回り、遂に均衡が破れる。
そのまま力任せに押すと誰もが思ったが、シンは大きく後ろに下がり両肩で荒い呼吸を繰り返した。
ザンドロックも同じように下がり、矢張り同じよう両肩を上下させながら苦しげに荒い呼吸を繰り返していた。
両者の呼吸が次第に治まりを見せて来ると、この場にいる誰もが終わりを予感せずにはいられなかった。
――――次だ、次の一撃で勝負は決まる。
シンは大きく深呼吸をすると、木刀を上段に構えなおした。
それに対するザンドロックも、同じように上段に木剣を構える。
静寂が場を支配し、誰もが息を止めて見守る中、シンは雄叫びを上げて自分の一番得意な抜き胴を仕掛ける。
ザンドロックも猿叫を上げながら、向かい来るシンに対し鋭く重い打ち下ろしを放った。
木刀と木剣が両者の身体を撃つ打撃音は二つのはずだが、遠巻きに見ている者たちには一つしか聞こえてこない。
だが、シンの木刀はザンドロックの胴を見事捉え、またザンドロックの打ち下ろしはシンの首筋に撃ち込まれていた。
両者共に、打ち込みによる衝撃で膝を折り呻き声を上げる。
勝ったのは果たしてどちらか? 音から言って引き分けでは? この場にいる者たちの殆どがそう思う中、数名だけが勝負の行方を知っていた。
皇帝はハーゼの顔を見る。ハーゼ伯爵は大きく息を吐くと、瞼を閉じて疲れた目を揉み解し始めた。
続いてシンの弟子であるカイルの顔を見ると、真っ赤な顔をして目に涙を溜め、眉間に皺を寄せ歯を食いしばっているのが見える。
――――ああ、そうか……負けたか……
「参った」
ほんの僅かではあるが、ザンドロックの打ち込みのが早かったのだ。
だがその一瞬が、実戦では生死を分ける。
首筋に打ち込まれた斬撃により、シンの剣は僅かに逸れたのだ。
シンは打ち込まれた肩を摩りながら一言、自ら負けを認めて数歩後ろに下がると深々と頭を下げた。
ザンドロックは咳き込みながら立ち上がり、数歩下がる木剣を掲げて礼をする。
瞬きどころか息をするのも忘れていたかのような観戦者たちは、大きなため息の後で割れんばかりの歓声を上げた。
「流石だ……剣術指南役に相応しい変幻自在の剣、堪能させて貰った。感謝する!」
シンの賛辞を受け、ザンドロックも答える。
「貴公程の手練れ、我が人生において初めてお目にかかった。竜殺しの異名は伊達ではないな……」
カイルがシンの元に歩み寄り、愛刀である天国丸を差しだす。
その目には薄っすらと涙が浮かんでおり、敬愛する師の敗北を素直に受け入れずにいた。
受け取った天国丸を腰に差し、ひび割れた木刀をカイルに手渡す。
「両者、見事! シン、惜しかったな。ヘンドリック、実に見事な試合であった」
両者は皇帝の前に跪く。
「シンよ、魔法剣を使わなかったのか?」
「はっ、剣術の試合なれば……剣術のみで勝負するのが当然でありますれば……」
首を垂れたままシンは答える。
その横顔をザンドロックは見るが、その顔には一部の驕りも見られない。
「魔法剣とは何でございましょうか?」
皇帝に対して不遜ではあるが、ザンドロックは問わずにはいられない。
御前試合の勝者に対するささやかな褒美と見たのか、態度を変えない皇帝を見て周りの者はそれを咎めなかった。
皇帝はシンを見て、拙いことを言ったか? と視線を投げかけるが、当人は穏やかな表情で軽く首を振るのを見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「余はその名を知るのみ。シン、良ければ説明してやるがよい」
「はっ、魔法剣とはその名の通り剣に魔法を組み合わせたものであります。私もまだ試行錯誤の段階で、口で説明するよりは見て頂いた方がわかりやすいかと……」
「うむ、余もどんなものか目にしたい。この場で出来るならば実演して見せよ」
「はっ、では……危ないので皆さま方、少しお下がりくださいますよう……それと、この地面を多少傷つけてもよろしいでしょうか?」
ヘンドリックの方を向き、シンが問う。
自身も興味が湧いたヘンドリックは、無言で頷き了承した。
皇帝とザンドロックが大きく下がる。何を思ったかハーゼ伯爵は再び魔眼の魔法を唱え、より近くで見ようとして前に出るも、シンによって手で制される。
「カイル、今から出す技をよく見ておけよ」
「はい!」
先程まで泣きベソを掻いていたカイルは、繰り出す技を一瞬たりとも見逃すまいと、目を皿のようにして食い入る様にシンを見つめた。
ブックマークありがとうございます。
日曜日は時間が取れなかったので、月曜の朝六時の予約投稿とさせて頂きます。




