三顧の礼 其の三
翌朝、レーデンブルグの街の高級宿で朝食を摂り暫しの時を置いてから、ザンドロックの居るクリューガー邸に向かう。
皇帝に付き従うのは、ハーゼ伯爵、シン、カイル、騎士五名の計八名。
街のほぼ中央に位置する小高い丘の上に、クリューガー邸はあった。
門を守る守衛にハーゼが来訪を告げると、守衛は恐縮しつつも困惑した表情を浮かべる。
「主は早朝より狩りに出かけまして、お戻りになるのは夕刻になるかと思われます」
「左様か、ではここで待たせて貰おうかのぅ」
ハーゼはそう言うと、道の端にある岩に腰を降ろす。
守衛は貴人がその様な行いをするとは思いもよらず慌てて止め、ザンドロックの父であるヘンドリック・クリューガーに報告する。
「なに? ハーゼ伯爵? ああ、そうか陞爵されたのか……何にせよ、追い返すわけにも行くまい。応接室へお通しせよ」
ヘンドリックの指示を受け応接室に通された一行は茶の接待を受けるが、その対応はどこまでも事務的であり好意の欠片も感じられぬものであった。
皇帝は普段の華美な服装では無く、目立たぬようにちょっと上品な貴族程度の服装であったために、ヘンドリックもハーゼ伯爵の従者か何かであろうと、特に気にも留めなかった。
付き従う騎士とシンを見て、武威を示すつもりかと鼻で笑っていたが、片腕の少年カイルを見て露骨に顔を顰めた。
――――誰の従者か知らぬが、この様な片手の小童にまで剣を持たせるとは、クリューガー家も舐められたものよ……
当たり障りの無い会話をしていると、当主であるザンドロックが帰宅し、あからさまに不機嫌な顔をして応接室へと入って来た。
「遠路遥々ようこそ御出で下さいましたな。御用件が剣術指南をやれと言う事でしたら、今すぐにお帰り下さい」
派遣した使者同様、膠にべも無い対応に護衛の騎士たちが殺気立つ。
「先触れも出さずに訪問した無礼をお許し願おう。余はエルム・ヴィルヘルム・フォン・エルバーハルトと申す」
ザンドロックもその父であるヘンドリックも、祖父が宮殿を追われてから中央とは関わろうとせず、一度も帝都に赴いておらず、現皇帝の顔を知らなかった。
クリューガー家も帝国貴族であるからには、臣下として皇帝の前に跪かねばならない。
散々応接室で不遜の態度を取っていたヘンドリックは顔を青ざめさせ、冷たい汗をかきながら即座に跪いた。
息子であり当主であるザンドロックは、皇帝を一睨みした後でゆっくりと跪いた。
「数々のご無礼、平にご容赦を……」
ヘンドリックが汗をかきながら謝罪の言葉を口にする間、ザンドロックは静かに跪いたまま口を噤み黙っている。
「よい、卿らは余の顔を知らなかったが、余も卿らの顔を知らなかったのだ。楽にして座るが良い」
使者ならば例え伯爵だろうと公爵だろうと素気無く追い返すのだが、皇帝ではそうはいかない。
ヘンドリックは怖れ畏まりながら、ザンドロックは渋々といった様子で席に着いた。
「先ずは、クリューガー家に対し先代皇帝の不明を詫びよう。宮殿内の、いや皇族、貴族問わず腐敗していた当時の帝国の体制を余の代で改めようと思っておる。そなたの祖父同様、近衛騎士団長の地位を追われたユルゲン卿を先日再び近衛騎士団長として復帰させた。今、帝国は変わろうとしている。どうか卿の力を貸してほしい」
そう言って頭を下げる皇帝を、ザンドロックは冷ややかな目で見つめる。
「剣術指南は確か……カステルン卿のはず。某の席はござらぬゆえお断り申す」
「カステルンは先日辞任した。ゆえに剣術指南役の席は空いておる」
「ならば特別剣術指南役がいたはず、やはり某の出る幕では御座らぬ」
そう言うザンドロックの視線は、皇帝の背後に立つシンに注がれている。
「シン、説明せよ」
振り向いた皇帝に言われ、シンは一歩前に踏み出すと腰に差した刀を鞘ごと抜いて片手で持ち上げて見せる。
「特別剣術指南役を仰せつかっているシンと申します。私が何故、特別剣術指南なのかはこの刀という剣に理由があるのです」
ヘンドリックとザンドロックの視線が、シンから刀へと移る。
シンは静かに鞘から刀を抜き、よく見えるように刀の向きを変えた。
「この様に片刃で僅かに反りがあります。この刀は刺突、斬撃に重きを置いた武器であり、帝国で普及している剣とは些か扱い方が違うのです。私は帝国式の剣は苦手であり、この刀しか扱えませぬ。従って、剣術の参考にはなりえども、本格的に指南するにあたわず。故に剣術指南の前に特別の文字が付くのです」
シンの抜き放った刀の美しさに、二人は目を奪われてしまい、言葉は半分ほども耳に入らない。
「何と、何と神々しい剣か……」
ヘンドリックは立ち上がり、両手を机に突き喘ぐようにして言葉を紡ぎだす。
ザンドロックも思わず腰を上げかけるが、寸での所で自我を取り戻して腰を戻した。
「と、いうわけでな……ザンドロック、卿の席はある。余に力を貸してはくれぬか?」
「幾つか条件が御座います。先ずは、クリューガー家の名誉を回復する事。二つ目は不当に取り上げられた領地を戻す事。三つ目は……そこにいる特別剣術指南と試合をさせて頂きたい。この三つが果たされるならば、陛下により一層の忠義を誓い、剣術指南役を謹んでお受けいたします」
皇帝は再び後ろを振り向き、シンの顔色を覗う。
シンはやれやれと言った風に肩を竦めたあと、皇帝の目を見て頷いた。
「よかろう……クリューガー家が不当に下げられた家格を戻す事を公文書に記載し、公言しよう。また領地であるが、出来る限りもとの領地を卿に戻す。が、完全とまでは行かぬかもしれぬ……それは許せ。だが、他に代替地を必ず用意する。三つ目だが、シンが了承したのであれば許すが、ルールを決めよ。流石に両名に大怪我をされては困るのでな」
「では、刃引きの剣では無く木剣にて行いまする。よろしいか?」
そう言われたシンは頷くと、カイルに訓練用に持参していた木刀を宿まで取りに行かせた。
「では、中庭へ案内致そう。そこに訓練用の広場があるのでな」
そう言って部屋を出るザンドロックの後をシンが静かに追いかける。
「陛下の御伴をした甲斐がありましたな。いやはや、これは面白くなり申した」
ハーゼ伯爵は顎髭を扱きながら笑みを浮かべ、シンの後に続いて部屋を出る。
それを追うようにして、皇帝と騎士達、ヘンドリックも応接室を後にした。
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「師匠、これを」
カイルの渡す木刀を受け取ると、腰に差した刀の天国丸をカイルに預ける。
その様子を見ていたザンドロックの目が鋭くなった。
ザンドロックはカイルの隻腕を見て、最初は小間使いか何かだと思っていた。
腰に刀と称する剣を差しているのも、シンの予備武器としてか、それとも何かのパフォーマンスによるものと思っていたのだが、カイルがシンを師匠を呼ぶのを見て疑念を抱いた。
――――あの刀と言う剣は少年が片手で使える程軽いのか? 見れば握りは拳が二つはいる程にはある……片手半剣のような使い方をするのだろうか? どうもわからぬが、用心した方がよさそうだ。
シンとザンドロック、両者は手に持つ獲物の具合を何度も振って確かめる。
風を裂く鋭い音が響き、その音に導かれるかのように方々からギャラリーが集まって来る。
最初は応接室にいた者たちだけが稽古場の広間に集まっていたが、何処から知れたのかクリューガー家に仕える者たちで手の空いている者は集まって、広場を遠巻きにして見ていた。
シンは木刀を地面に置くと準備体操を始め、それが終わると股割りを始め、その関節の柔らかさに皆は驚き声を上げる。
そんな周囲を全く気にせずに、股割りを行うシンを見たザンドロックは、警戒心を更に高めた。
――――なんという関節の柔らかさ! 曲芸師のようだ……これは、意外性のある攻撃に注意した方がよさそうだな。
審判役はザンドロックの父、ヘンドリックが務める事となり両者は互いに礼をした後、十歩の距離を開けて向かい合うと静かに木刀と木剣を構えた。




