三顧の礼 其の二
曇り空の下、見晴らしの良い街道から僅かに外れた場所で、じょろじょろと音を立てながら小便が渇いた大地に沁み込んでいく。
馬を休ませるために小休止を取り、シンと皇帝は並んで立小便をする。
その直ぐ後ろには皇帝を守るべく、騎士達が半円を描き囲むようにして立っている。
背を向け合い立っているが、小便の最中に人の気配がしてシンは落ち着かない。
「シン、お主の弟子のカイル。あのような高価な刀を授けるとは、随分と入れ込んでいるようだな」
「ん? ああ、岩切のことか。冗談半分で岩斬って見ろと言ったら、本当に真っ二つにしやがったからな。目ん玉が飛び出るほど驚いたぜ」
「なに!」
皇帝が驚いて身体ごとシンの方に向き直るが、放尿は続いており、尿がシンの方へと勢いよく放たれ続ける。
慌ててシンは飛びのくが、飛沫がブーツに撥ねるのを見て、露骨に顔を顰めた。
「ああっ! 馬鹿、小便したままこっち向くな、ひっかかるだろうが! エルのアホ!」
「あっはっは、すまぬ、すまぬ。で、今の話は本当か?」
悪びれた様子を些かも見せずに、白い歯を見せて大声で笑う皇帝。
「嘘を言ってどうする。あいつは魔法と剣を組み合わせることが出来る、言わば魔法剣の使い手だ。惜しむべくは隻腕であることだが、それが切っ掛けで才能が開花したとも言える。そんじょそこらの奴らなんか、話にもならないほど強いぜ。十年後には俺を越えているかも知れないな」
皇帝とシンの会話が嫌でも耳に入る距離にいた騎士達は、隣同士無言で顔を見合わせた後、遠くで見張りをしているカイルを見る。
――――まさか、あの少年が?
騎士達は心中に疑念を抱くが、竜殺しのシンの一番弟子ならばあり得るかもしれぬと、カイルを見る目に力がこもる。
「ふふふ、その様な者に守られているならば、余も安心できるというものだな」
放尿を終えた二人は、逸物を振って尿の飛沫を宙に飛ばしたあと、いそいそとズボンの中に収める。
なお、この時の事を護衛の騎士の一人がこっそり日記に書いており、後年その日記が見つかり公開され、臣下と並んで立小便をするという、皇帝ヴィルヘルム七世の気さくな一面を示すこととなった。
その後も適度に休憩を挟み、夕暮れ前にオストルカンプ男爵領の街、メルーサに入り一泊した。
メルーサを治める代官は、オストルカンプ男爵に皇帝がお忍びで領内を通過することを、早馬を飛ばして報告するが、オストルカンプ男爵が慌てて騎士団を動員し夜通し駆けて到着した頃には、既に皇帝はクリューガー準男爵領へ発った後だった。
その後も何事も無く順調に一行は馬を進める。
流石に帝都近郊は治安が乱れておらず、賊などは姿どころか影すら見えない。
長閑な田舎の風景が続き皆が厭いている中、皇帝だけは非日常感を満喫しているのか、テンションが高い。
そんな皇帝のいる馬車の中で、カイルは静かに修行に明け暮れていた。
「カイルよ、そちは大人しいな。暇であろう」
「いえ、魔法の修行をしてますから。お気遣いなく」
魔法の修行と聞き、皇帝だけでなく自らも魔法を使う事の出来るハーゼ伯爵が、カイルの言に興味を示す。
「ほう、ただ座っているかと思われるが、一体どのような修行をしているのか。よければ教えてほしいものじゃが……」
カイルはチラリと外に視線を投げかける。
「安心せい、シンには余から言っておくゆえ……余も興味があるのだ」
「では……伯爵様はどうやって魔法を使うのですか?」
「儂の場合は、心を静め意識を集中し体の奥底に眠る力をゆっくりと目に動かすようにすると、目に魔力が灯る」
「なるほど……僕や師匠と同じですね。伯爵様の体の奥底に眠る力、マナをゆっくりと意識して全身に回して行くのです。マナは筋肉と同じで負荷を掛ければ量が増えると、師匠が言っておりました。マナを最初はゆっくりと、馴れてきたら速度を上げて、頭の天辺から足の指先まで意識しつつ全身を駆け巡らせていく。そんな修行を師匠と共にやっております」
ハーゼは早速言われた通りにマナを動かそうと試みる。
目を閉じ、微かな唸り声と共に額に脂汗が浮いてくる。
数分後、ぜぇぜぇと荒い息を吐いて顔を赤青と目まぐるしく変色させつつも、コツを掴んだのかどこか満足気な表情を浮かべるハーゼの姿があった。
「はぁはぁ、こ、これは、効くな……で、出来れば五十年前に知りたかったぞ……はぁはぁ、これを毎日やっておるのか?」
息も絶え絶えなハーゼを皆が心配するが、そんなことはお構いなしに年不相応のギラついた瞳をカイルに向ける。
「はい、毎日やります。マナは枯渇すると気絶したり、最悪死に至るので使い切らないようにと、不測の事態に備えて、半分ほどは常に残しておくように言われております」
大きく深呼吸して、息を整えたハーゼはチラリと外を見て呟いた。
「お主とシンの強さの秘密がわかった気がするわい……世の魔法使いは、見た目が派手な放出系魔法の魔法陣や詠唱ばかりを研究している。だが、マナと言うたかのぅ……それが足りないがために魔法陣を描き、長い詠唱をして不足分を補っているのではないか? この修行法でそのマナとやらを増やせば、魔法陣を書かず詠唱も短くて済むのではないか?」
「それが、放出系はそれだけではないようで……師匠は放出系魔法も使えますが、私は使えません。何でも師匠が言うには、魔法陣や長い詠唱は先程伯爵様がおっしゃられた事以外にも、別の何かががあるらしくて……なんでも理を知らねばならぬとおっしゃってました。ですが、自己強化魔法や治癒魔法はこのやり方で伸ばすことができます」
「ふ~む、この修行法を取り入れれば我が国の魔法使いたちを大幅に強化出来ると思うたが……自己強化魔法と治癒魔法か……」
ハーゼは長い顎鬚を扱きながら唸り声をあげる。
「あ、でもこの修行を続ければ魔力切れは起きにくくなるので、放出系魔法でも無駄ではありませんよ」
「そうじゃの。じゃがこのやり方は、老いた儂にはちと厳しいわい。わっはっは」
その二人の会話を黙って聞いていた皇帝は、この時に魔法学校を作ることを決めたと言う。
問題は教師となる人材、これを見つけるのに相当に苦労するであろうことが、即座に作ることの出来ない理由の一つだった。
――――先ずは剣術指南。一つずつ確実に、焦りは禁物である。
皇帝は街道からも見える田畑をのんびりと眺めながら、改革を焦るなと自分に言い聞かせた。
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ザンドロックが居るレーデンブルグの街に着いたのは、帝都を出てから二日後の夕方であった。
流石にこのまま皇帝の権力に物を言わせて夜間に押しかけては、ザンドロックの気を害するであろうとのことから、街の宿に泊まり明日の日中に訪れる事にした。
当然身分は明かさずに、街で一番良い宿に一行は泊まる。
「し、師匠! 藁のベッドじゃありませんよ、見てください!」
素早く装備を外しベットに飛び込むと、身体がシーツに包まれた柔らかい綿の中に埋もれていく。
カイルは初めて泊まる超高級宿に、子供のようにはしゃぎまわる。
「カイル、はしゃぐな。俺たちは皇帝陛下の護衛でもあるのだぞ。今晩は交代で寝て、不測の事態に備える。良いな?」
「は、はい。申し訳ありませんでした……」
顔を真っ赤にして詫びるカイルの頭を撫で、シンも装備を外すとベッドに飛び込んだ。
「おほっ、こりゃいいな。綿がふんだんに使われていて柔らかくて気持ちいいな、この話をしたらレオナとエリーが羨ましがるぞ」
そう言ってゴロゴロとベッドの上を転がるシンを見て、カイルは自分にははしゃぐなと言ったくせにと口を尖らせた。
「で、どうする? 先に寝るか? それとも後にするか?」
カイルは小一時間ほど悩んだ後、最初に飛び込んだ柔らかさが忘れられず、先に寝ることに決めた。
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