試験終了
抜けるような青空の下、受験者たちはただひたすらに走り続けている。
シンは一周五百メートルのトラックを四十周したら、つまり二十キロメートル走れば合格だと走りながら声を掛けて行く。
それを聞いて終わりがあると安心する者、終わりには到底辿りつけぬと諦めてしまう者、自分が何周走ったかわからず困惑する者、一人一人似通っていても微妙に異なる反応を見せる。
相も変わらず先頭を走るのはクラウス。
シンの命によりハンデを背負わされてのハーフマラソンに、流石にクラウスも苦しげな表情を浮かべる。
現在大体半分の十キロ走り終えた段階での脱落者は、シンが投げ飛ばしたホラーツとその取り巻きを入れて
三十七名。
その全てが貴族であり、近侍の者からその報告を受けた皇帝は鼻で笑った。
十二キロメートルを越えたあたりから、脱落するものが目に見えて増えて行く。
一人の受験者が身体の限界を迎え、胃液を吐き出してしまう。だがその生徒は咽せて涙目になりながら、なもも走ろうと足を前に踏み出す。
また別の受験者は、足が攣ったのだろうか転んで起き上がろうとするが、立ち上がれず自分の足を何度も拳で叩き、それでも立てないと知ると這ってでも前に進もうとした。
他の受験者も皆必死の形相で息を切らせ、喘ぎ、苦悶の表情で走り続けている。
その姿を見たシンは、己の胸の奥から熱い血潮が込み上げて来てしまい、感情を烈しく揺さぶられた。
――――この世界の人間は凄い。俺が十五の頃に一度でもこれ程までに真剣になったことがあっただろうか? 全てを投げ打って全力で挑んだことがあっただろうか? この世界に来て全力で生きると決めたが、彼らの姿を見て自分はまだまだ至らないと思い知ることが出来た。……だが、俺は……俺であって俺では無い。仮初の身体に他人から与えられた力、先の戦に関しても自分の知恵では無く、ただ地球の知識や歴史を引用しただけ……これらを駆使しても果たして俺が全力で生きたと言えるのだろうか……
倒れた者、明らかに体調を崩した者、怪我をした者は、係員に連れられてトラック中央の天幕の中で治癒士たちの治療を受ける。
天幕の中は嗚咽の声に満ち溢れているが、それは怪我や体調不良によるものではなかった。
試験に落ちたと思った受験者たちの悲しみと絶望の嗚咽の声は、天幕から離れた所にいる皇帝の耳にも届いている。
試験開始から三時間が経過した。
殆どの者がゴールをし、係員から手渡された皮製の水筒に齧り付くようにして、喉に水を流し込む。
中には気管に入り咽ながら、なおも水を飲もうとする者もいる。
それから三十分ほと経ち、最後の走者がゴールして近衛騎士養成学校の二次試験は終了した。
完走者の数は二百八十一名、脱落者は百六十二名。
クラウスは最後まで先頭を走り続け、見事一番でゴールした。
誰もが疲労困憊しており、口を効くのも億劫といった有様で、中には地面に大の字に寝ころんでそのまま眠ってしまう者もいた。
完走者たちは皇帝から労いの言葉が掛けられると、疲れ切った体を引き摺るようにして試験会場を後にした。
その顔は成し遂げた達成感と合格の喜びに満ち溢れており、身体はふらふらでも表情だけは精気に満ち溢れていた。
「シンよ。合格者の数が二百八十一名とのことだが、ここから更に脱落者が出るのだろう? ちと少ないのではないか?」
シンは皇帝が何を言いたいのかがわかった。
「ご安心を、失格確定は十キロまでに脱落した者のみです。完走できなかった者については入学の意志を問い、入りたいと言うのであれば入学させます。ただし、一年後にもう一度この試験を受け、完走できなければ退学処分とします」
その言葉を聞いた皇帝は満足気に頷くと、天幕へ赴きシンの言葉通りの説明をする。
悲嘆に暮れていた受験者たちは歓声を上げて、口々に入学の意思があることを伝えようとする。
少年少女たちの熱意を肌で感じた皇帝はその顔を綻ばせた。
「だが、忘れてはならぬぞ。一年後に実力を示すことが出来なければその先は無いということを。今日はご苦労であった、ゆっくりと体を休め後日に備えよ」
この処置により合格者二百八十一名、暫定合格者百二十五名、合わせて四百六名が入学決定となった。
後日それぞれに合格通知、不合格通知が送られ、暫定合格者には先に述べた条件が合格通知に書かれていた。
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シンが後片付けを終えて校門を出ると、先に出ていたクラウスがレオナたちと話しながら待っていた。
「なんだ、待っていてくれたのか。よし、帰えるか」
皆でわいわいと騒ぎながら家路に着く。
途中にある串焼きの屋台の前を通ると、その匂いを嗅いだクラウスの腹が大きな音を立てた。
シンは笑いながら串焼きを買って、クラウスに渡す。
「前にもこんなことがあったな。……クラウス、合格おめでとう。結構きついハンデを与えたのに一位でゴールするとはな……誇りに思うぞ」
串焼きを受け取りながら最初は照れ笑いを浮かべていたが、次第に両目に涙が浮かび上がり、クラウスは嗚咽を漏らす。
クラウスにとってシンは特別な存在だった。
村を訪れた騎士を見てそれに憧れ、騎士になるという夢を村の皆は笑い、クラウスを変わり者扱いした。両親にすら鼻で笑われ、幼いクラウスの心はささくれ立った。
その夢を初めて受け入れてくれた人がシンであり、さらにその夢の後押しを全力でしてくれた。
クラウスにとっては産むだけ産んでおいて、散々こき使った挙句に口減らしに家を追い出した両親や兄弟よりもよっぽど自身に愛情を注いでくれたシンに対し、一種の神格化と言ってもいいほど敬愛の念を抱いていた。
そんなシンに誇りに思うとまで言われたクラウスは、感極まって溢れ出る涙を堪えることは出来なかった。
咽び泣くクラウスの頭をシンの大きな手が壊れ物を扱うかのように、優しく優しく何度も撫でた。
「クラウス、お前の夢はまだ始まったばかりだ。そのまま全力で行けるとこまで行ってみろ。もし一人では力が及ばないことがあればいつでも俺を頼れ、レオナやカイル、エリーもお前を応援しているし力になってくれる。だから、胸を張って全力で騎士を目指せ」
クラウスは声を出さずにただ大きく頷いた。
その後ろではレオナとエリーが手で顔を覆って泣いていて、カイルもまた涙を流していた。
「お前ら泣くな、今日はクラウスの合格祝いにパーっとやるぞ、パーっとな!」
皆を促して向かうは商業区の市場。
市場に着くとエリーとレオナは今日は腕によりを掛けると息巻いて、食材を買い漁る。
シンも酒をしこたま買い込み、カイルとクラウスはエリーたちが買った食材を、これでもかと言うほどに持たされていた。
それを見たシンが笑うと、二人も互いに目を合わせて大笑する。
こんな日が続けばいいのにと誰もが思うが、それを口に出す者はいなかった。
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「お断り申す。何度来られようとも剣術指南を引き受ける気はござらぬゆえ、失礼致す」
ザンドロック・クリューガーは、皇帝が派遣した二度目の使者を膠も無く追い返した。
祖父、ゲルハルト・クリューガーは、かつて剣術指南役に就いていたが、汚職に加担するのを拒否したがために讒言され、先代皇帝はそれを信じ宮殿を追われた。
祖父から宮殿の、貴族社会の腐敗を聞いて育った彼は、官に就くことを良しとはしなかった。
――――今更どの面を下げて頼み込むのか! クリューガー家が受けた仕打ち、忘れたとは言わせぬぞ。
祖父は宮殿を無実の罪で追われ、半ば強制的に蟄居させられた。
父のヘンドリック・クリューガーは、貴族でありながら貴族社会を追い出されたために、貴族の娘と結婚することすら出来なかった。
幸い知り合いの、とある商家の娘を娶ることが出来て、家系は保たれたが貴族社会では平民の血が入ったクリューガー家をもう二度と貴族として扱わないであろうことは、想像に難くない。
現皇帝の改革の噂は多少耳にしていたが、貴族社会に堆積した腐泥を取り除けるとは思えず、積極的に関わろうと思わなかった。
先の戦では、消極的でありながら参加をし、帝国貴族としての最低限の責務を果たすのみとして物資の搬入などの手伝いをしただけであった。
クリューガー家は祖父の代は男爵家であったが、宮殿を追われた際に格を下げられ、今では準男爵となっている。
逃げ帰る様に戻って来た使者の話を聞いて皇帝は頭を抱え込み、その夜皇后に愚痴をこぼすが、今はアルベルト皇子の事以外耳に入らない皇后に腹を立て、相談役のシンを呼び出し不満をぶちまけていた。
「だいたい帝国の貴族だというのに、皇帝の命に従わないとはどういうことか! マルガもマルガで口を開けばアルベルトのことばかりで、ちっとも話し相手にならぬ! 面白くない!」
皇帝は溜まった鬱憤を晴らすかのようにシンに対して、様々なことを早口でまくし立てる。
それをうんざりしながら聞いていたシンは、相談役とはこういう役ではないだろうにと思いつつも、友の憂さ晴らしに付き合うのだった。
ブックマークありがとうございます。
タイトルですが、変更前のタイトルは一月位経ったら消します。




