皇子アルベルト
朝露が柔らかな日差しを受け宝石のように輝く中、二人の剣士が対峙していた。
その二人を少し離れた所から見守る三人はそれぞれに複雑な思いを抱いていた。
「よし、実戦形式の訓練をしよう。魔法は一切使用禁止、剣術と体術のみの使用でやろう」
「はい、お願いします!」
元気よく返事を返すカイルを見て、思わず顔が緩みそうになるのを懸命に堪えたシンは自身の頬を叩いて気合いを入れなおす。
「いきます」
「応」
両者とも腰を僅かに落とし、シンは正眼に、カイルは剣を腰に差したような横凪の構えを見せる。
シンはその構えを見て僅かにだが眉を顰めた。
――――何か仕掛けて来やがる気だな……だが、最初からそれを見せては相手は警戒心を抱くことになるぞ。さて、どう動くか見物だな。
お互いに視線は相手の顔に注がれたまま、ジリジリと間合いが詰められていく。
離れて見ている三人の内、カイルと同い年のクラウスの両の拳はきつく握られ、額には汗がにじみ出ている。
互いの剣が相手を捕える距離に間合いが詰まったその時、カイルが吠えるような雄叫びと共に渾身の力を込めて横凪を放つ。
シンは咄嗟に腰を落とし、木剣を大地に突き刺すようにして横凪を受けようとした。
木剣同士が激しくぶつかりあう音が辺りに響き渡る。
渾身の力を込めたとはいえ、片手でしかも身長差、体重差があるカイルの横凪は、シンの木剣に容易く受け止められ致命打を与える事は出来ない。
弾かれるままにカイルは駒のように回転しつつ側面から後方へと回り込み、シンの腰部に斬撃を叩き込もうと試みる。
シンは前に飛び込むようにして前転して躱し、即座に体勢を整え剣を構え襲い来る袈裟切りを剣の根本で受け止める。
――――面白い、やっぱりこいつは天賦の才ってやつかな。惜しむべきはやはり左手が無いことか……その非力さをどう克服するか。カイルはまだ十五歳、体も成長するし実戦ならば魔法も使える。これからが楽しみだな。
その後もカイルは攻め、シンは守る。躱し、受け止め、流されて、カイルの剣は今一歩どころか数歩足りず、シンには届かない。
その顔に焦りが見え始め、呼吸が荒さを増すと共に剣術にも荒さが出始めて来る。
少し離れた場所からその様子を見ているクラウスの目は大きく見開かれ、握った拳は宙を泳ぎ、口からは喘ぐような声が漏れ始めていた。
――――カイル、お前は天才だ。いつも一緒に訓練しているから馬鹿な俺でもわかる。それでも、お前の才を持ってしても師匠に一撃も与えられないというのか! カイル!
呼吸が乱れ顎が上がり始めた弟子の姿を見て頃合いと見たシンは、止めを刺すべく一気に攻勢に転じる事にした。
カイルはギリギリで躱し、受け流し続ける。シンの剣をまともに受け止めれば力で押し切られ、それでお終いであることは十分に承知している。
カイルの精神を削り取るかのように、シンの攻勢はねちっこく、厭らしい。
精神が悲鳴を上げ出し、堪えきれずにカイルは相討ちを狙いに行ってしまう。
その隙をシンは見逃さなかった。袈裟切りを左の肩口で受け、その隙にわき腹に剣を叩き込むと見切ったシンは袈裟切りの軌道を僅かにずらして首を狙う。
慌てたカイルは後ろに倒れ込み、難を逃れるが馬乗りになったシンの拳を鼻面に叩きこまれてしまう。
「相討ち狙いだと? ふざけているのか! そんなざまじゃ次の依頼には連れて行けんな。お前は朝飯まで庭を走れ、走りながら良く考えろ」
シンはエリーを呼んでカイルの鼻血を治癒魔法を掛けて止めさせると、追い立てるようにして庭で走り込みをさせた。
続いてクラウスと稽古をするが、興奮して動きの固くなってしまっている所を付け込まれ、見せ場も無くあっさりと負けて、シンの拳骨をくらい地面にしゃがみ込んだ。
レオナやエリーとも訓練をしたあと、シンは井戸で汗を洗い流し、戦利品のホーリー・イーグレットを携えて宮殿へと向かった。
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シンが宮殿へと向かった後、残った四人は朝食を共にする。
「まだいてぇ……エリー、魔法掛けてくれよ」
クラウスが顔を顰め頭をさすっているのを見たエリーは拒絶の意志を示す。
「駄目よ、それにそんなのクラウスならすぐに治るわよ。唾でもつけときなさいよ」
「ひでぇ、なぁカイルお前もそう思うだろう?」
クラウスが覗き込むようにしてカイルの顔を見るが、カイルは暗い表情のまま朝食に手を付けずにいた。
クラウスがレオナに縋るような視線を投げかけると、レオナはお茶飲み干してからカイルに声を掛けた。
「カイル、今日は腰に短剣を履いていないのね。どうしたの?」
「後で研ごうと思って部屋に置いてあるんです。でもそれが何か?」
腰に皆の視線を感じたカイルは重々しく口を開いた。
「剣を研いでみればわかるかもしれないわね。でもヒントはここまで、自分で気付かないとシン様は次の依頼に連れて行ってはくれないわ。カイル、よく考えて、よく思い出しなさい」
言い終わるとレオナは空になった食器を集めると洗い場へと向かって行った。
カイルはレオナの言葉に困惑し、助けを求めるようにエリーの顔を見るが、エリーは真っ直ぐ見つめ返してくるだけで、救いの手を伸ばそうとはしなかった。落胆しつつもレオナの言う通り剣を研ぐべく自室に向かう。その足取りは重く、弱弱しい。
――――あの様子だとエリーも答えを知っている。だが、あえて言わなかったのだろう……何に対して師匠は激怒したのだろう? わからない……
カイルは机の上に置かれた父の形見である短剣を鞘から抜いて、その刀身をただ黙って見つめ続けていた。
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「アルベルト皇子に面会をしたくて参上仕った。取次ぎを願いたい」
シンは宮殿の衛兵に来訪の目的を述べ、自身の帯びている刀と持ってきた布に包まれたホーリー・イーグレットを手渡そうとする。
「そのままで、少々お待ちください。上役に取り次いできますので、では」
しばらくぼんやりと宮殿を眺めながら待っていると、侍従武官長のウルリヒが小走りで近づいて来た。
「シン殿、急な来訪とは何か事件でもあったのでしょうか? いや、シン殿はあまり宮殿に来られることが無いので……」
ウルリヒの慌て振りを見て、シンは自分の失敗を悟った。
「ああ、申し訳ない。先に約束を取り付けておくのを忘れていました。今日来たのは、アルベルト皇子にこの剣を献上しようと思いまして」
そう言って持っていた包みを解いてホーリー・イーグレットをウルリヒに手渡す。
「これは? まさか! 銀獅子の剣か! 本当にこれを献上すると?」
ウルリヒの驚き様に困惑しながらもシンは頷いた。
「取り敢えず中へ、ああ、武器はそのままで結構。陛下よりシン殿の帯剣のお許しが出ておりますので」
「宮殿内での武器の携帯は衛兵、近衛、皇族だけのはずでは?」
「はい、しかし陛下がお認めになったのであれば問題はありませぬ。過去にも幾つかの例は御座いまして、特に功多き臣には許しが出る事があるのですよ」
いつもの応接室では無く、より奥にある小部屋に通されると間髪を置かずにして給仕の者がお茶を運んでくる。
若い給仕の娘は、シンの顔をチラリと横目で見た。ティーカップを持つ手は僅かに震え、お茶の表面が小刻みに波打っている。
程なくして盛大な赤子の泣き声と共に、皇后が乳母と侍女を携えて現れた。
「皇后陛下、ご機嫌麗しゅう。産後の肥立ちも良いと聞いておりましたが、御尊顔を拝し奉り臣もやっと安心する事ができました」
シンは跪いて来訪の目的を述べると、皇后自らシンの手を取って立ち上がらせた。
「シン殿、あなたにはなんとお礼を言ってよいのか……本来ならば私の方から出向いて礼を言わねばならないと言うのに。帝国を、陛下を救ってくれてありがとうございます。ささ、お座りになって、さぁ」
皇后に促されるままに椅子に座ると、慌ただしく扉が開け放たれる。
「シン、来るなら事前に連絡せよ。丁度仕事が片付いたからよかったものの、まったくお主は……」
開け放たれた扉の音に驚いたアルベルト皇子は盛大な鳴き声を室内に響かせ始めた。
皆の非難の視線を一斉に浴びた皇帝は、頭を掻いたあとアルベルトを抱っこしてあやすが一向に泣き止まない。
見かねた乳母が皇子を取り上げてあやすが、ぐずり泣き続ける。
次に生母である皇后があやしてみるが泣き止む気配すら見せず、皆は困り果てた表情で再び皇帝に非難の視線を浴びせた。
いないいないばぁでもしようかとシンはそっと近づき、皇子の顔を覗き込むと途端に泣き声は収まり、それどころか笑顔を浮かべ始めた。
そのまま皇后より皇子を譲り受け、体をゆすりながらあやすとキャッキャッと笑い声を立て始め、しばらく続けていると疲れたのか皇子は夢の中へと旅立って行った。
「お主にそのような才があったとはな……アルベルトは気難しくて乳母たちも手を焼いておるのだが」
シンはアルベルトの開いた手のひらに自分の人差指をそっと乗せる。
懸命に握り返してくる小さな手を見て、思わずにんまりとした笑みがこぼれ落ちる。
それを見た部屋に居る全員が、シンの外見とその行動のあまりの差異に吹き出したのは仕方のないことだろう。




