10 もう一つの人格
ベラの秘密の回です
俺の目の前にいる美しい少女は、打ち震えていた。
無情を装いきれず自分の感情を見せてしまったことに悔しさを覚えているのだろうがそれすら消し去ろうと必死になっている。
ここまでして感情を隠し生きている李y風とは何なのか。
俺はふと思いついてやってみることにした。
ゼルデンを出てからずっと≪気配察知≫の索敵範囲を最大にしているが、その索敵範囲ギリギリの位置に青い点があった。
十二宮のお宿が存在することから、あの青い点は【人馬獣】。
なんとなく形は想像できるのだが、やはり会ってみたい。
だが、その場所に彼女のような普通の人間を連れていけばどうなるだろうか。
【金牛獣】は恐れられていた。【宝瓶獣】も畏怖の対象とされていた。【双魚獣】に至っては誰も近づこうとしない。
では、彼女にも十二獣と対面して本物の恐怖を感じてもらおう。それでも感情を隠すことができるだろうか。
「ベラ、行きたいとこがあるんだ。一緒に来て。」
ベラは思いがけず話しかけられたのでびっくりしていたが、そんなベラの返事も待たずに彼女を抱え上げ、≪気脈使い≫で森の上を飛んでいく。彼女は必至で俺にしがみ付いていた。
もはや本能的な恐怖は抑え込むことができないくらい心が乱れている…。
俺は青い点が示す場所に到着した。
そこは森の中で少し開けた場所。見ると周りの木々にはフクロウなどの夜行性の鳥が数多く止まっており、時折鳴き声を上げながらじっと俺を見ていた。
(…来たか。)
開けた場所の中心がぼやけたかと思うと、そこに巨大なモノが出現した。
これが…人馬獣…。
半人半馬。それは想像通り。だが、想像以上だったのは、全身を覆った銀色に輝く鎧。下半身の四肢も上半身の両腕も背中の羽根まで銀色の防具に覆われている。一見すればいったいどれほどの重量なのかと思ってしまうほどだ。
そして赤くぼんやりと輝く弓。射手座の象徴ともいえるもの。それは左腕に据え付けられていた。
(俺の声が聞こえるか?)
「…はい、貴方様が…【人馬獣】様ですね。」
俺は片膝をついて一礼する。
(儀礼は不要。俺に人間の慣習など意味はない。)
「わかりました。【人馬獣】様、何やら私にご用があるように思いましたが。」
この神獣は俺の索敵範囲ギリギリでチラチラ姿を見せ、俺を誘っているかの様に思えたのだ。
(うむ。珍客が居て困っておってな。【宝瓶獣】のじじいに相談したら貴様を教えられたのだ。半信半疑ではあったが…本当に神力が漏れ出しておるな。)
神獣同士で情報交換してるのか。しかしこの神獣は他の神獣と違ってそこそこ話が通じそうな気がする。
(ところで、貴様の横にいる竜人の雌は何だ?殺していいのか?)
【人馬獣】は左腕にある赤い弓を構えた。
「お、お、お待ちください!彼女は私の仲間です。」
【人馬獣】は構えた弓を降ろした。
(なんだ、貴様のモノか。)
つまらなさそうにベラを見る。ベラは完全瞳孔が開き、目の前の光景は視界に入っているものの認識すらできず、まるで虚空を見つめる状態でガタガタと震えていた。当然失禁もしっぱなしである。
少々難易度が高すぎたか。
それにしても、【人馬獣】は別の意味で危険だ。さっきまで話が通じると考えていたが撤回。下手を打てば話の通じない相手だ。
一言でいえば、単純明快。悪く言えば何も考えてない。そんな雰囲気だ。
「ところで、私に用とは?」
(うむ、こいつだ。)
【人馬獣】は胸から小さな光るものを取り出した。
青く光るもの。スライムの様にくねくねと形を変えて、蠢いていると表現するのが正しいか。一体あれは?
「それは何でございましょうか。」
(ウンディーネだ。)
な?精霊?い、いや、俺の想像では精霊て小さな可愛い女の子の恰好をしていて…違うの?あれ、どう見ても光るスライムじゃん!
俺はびっくりして【人馬獣】の手のひらでウゴウゴしている物体を凝視する。
(精霊などここ数百年見ることもなかったのだがな、この前森の中で死にかけていたところを拾った。)
どうしよう?
あまりに想像と違う姿に正直どうしていいかわからない。
(俺にはこの精霊は不要。故に貴様が契約しろ。)
そう言って光るウネウネを差し出す。
契約?なんのことだ?このぐにゅぐにゅ動くものを取ればいいのか?
俺はチラッと【人馬獣】を見る。銀色の仮面に覆われていて表情をうかがい知ることはできない。
俺はスライムのような精霊を【人馬獣】の手から恐る恐る持ち上げた。青いスライムは一瞬だけ強く輝き、その後溶けるように消えていった。
え?これでいいのか?せ、説明が欲しいんだが…。
俺はもう一度【人馬獣】を見た。
(では、まかせたぞ。)
そう言って【人馬獣】は消えていった。
周りの木々に泊まっていた鳥たちも飛び立っていく。
やがて、闇夜に静寂が訪れた。
……。
もうちょっと説明が欲しい。あの精霊を俺はどうしたらいいんだ?
今考えても仕方ないのだがどうしても考えてしまう。
しゃぁあああ…。
し、しまった!ベラのこと忘れてた!
俺の横でものすごい形相で全身を震わせ、失禁し続けていたベラをやさしく抱き寄せる。目をうつろにし、涙を流して震えていたが、俺の手を感じて我に返った。
「ご、ご主人様……あれは一体…?」
俺はゆっくりとベラの頭を撫でる。
「神獣様だ。この世で唯一俺たち人間が立ち向かうことの許されない相手。君はその神獣様の圧倒的な神力に怯え、意識を失いかけていたんだよ。」
ベラは頭を俺の胸に寄せた。
「…怖かったです。」
「そうか。君は怖いという感情を抑えきれなかったんだな。」
「…はい。」
「これで、君は無情ではないことが証明された。そろそろ真実を教えてくれないか。」
「…わかりました。ですが…もう少しだけこうさせて頂いてもよろしいですか。」
ベラは腕の俺の背中に回す。俺は黙ってベラの頭を撫で続けた。
俺とベラは大きな樹の上に腰かけていた。周りの木々は階下にあり、この樹だけが頭一つ飛び出していた。このため、心地よい風が当たっている。
ベラは俺にずっともたれていた。表情は険しい。俺に甘えているという感じではなく、ためらいを跳ね除けようとしている雰囲気だ。
「…ご主人様、お待たせしました。」
唐突に言葉を発する。俺はベラを見やる。そこには真剣な表情をしたベラがいる。
「聞こう、話してくれ。」
俺は彼女に真実を話すよう促した。
「あたいの本当の名は“ウルチ”といいます。」
おいおい!名前まで偽っていたのか!?でもどうやって?≪鑑定≫の能力を偽るほどのスキルってことか?
「ウルチの父親は、小竜族の族長でした。ですが、以前ご説明の通り、部族同士の争いに負け、命を奪われました。」
そこは聞いた通りなのか。族長の娘とは知らなかったが。
「相手の部族は雷竜族。雷を崇める竜人の一族です。彼らは掟に従い負けた部族の男どもを殺していきました。そうしてウルチの父も兄も命を落としました。女子供は全て奴隷にされ四肢の腱を奪われました。」
そうか部族同士の争いの掟に基づいた敗者への制裁になるのか。それにしても残酷だな。だが気になるのは、ベラがウルチを他人の様に説明するところだ。
「しかしウルチは族長の娘です。族長の一族は根絶が掟。ウルチは命を奪われる運命にありました。彼女はこの雪辱を果たすべく何とかこの場を生き残るために必死になりました。」
ウルチは殺されるのを逃れるために何かをしてベラと入れ替わったのか?
「ウルチは自分の心を閉ざし、別人の心を作り出しました。そうして生まれたのが、あたいです。」
…そういうことか。彼女は多重人格者。今肉体を制御している精神はベラ。だが、本当の肉体の宿主は“ウルチ”。彼女は別人格を作り出し、それが肉体を制御することで【ベラ・ショウリュウ】という別人になりかわり、難を逃れたということなのか。
「しかし、命は助かったものの、四肢の腱を切られ、鑑賞用奴隷として他国に売り飛ばされ、数々の地獄を見ることになりました。」
う~ん、なんとなくわかって来たぞ。
「毎日のように汚らわしく見つめる主たち…。意味もなく殴られ、泥を食べさせられ、糞尿まみれにされ、人間扱いを受けず、ウルチの精神は壊れかけていました。そこであたいがもう一度肉体を制御しその間にウルチは心の傷をいやすことにしました。」
ベラの表情はずっと険しい。
「最初は生き残るため、次に壊れかけた心の傷を癒すため、あたいはウルチに代りこの体を制御しました。作られたこころ…。最初は当然感情というものを持ち合わせておりませんでした。しかし、こころの中でウルチを看病するにつれある感情が芽生えました。」
「…愛情か。」
俺の推測にベラは肯いた。
「最初はこの気持ちがなんなのかわからず、混乱いたしました。しかし、これがウルチに対する愛情だと気付いた時…。一気に他の感情も覚醒し始め、あたいは…。」
「芽生えた感情を持て余した…てことか?」
「はい。どうすればいいのかわからず、たどり着いた答えが、『無情に徹する』だったのです。」
納得はできる。だが、ここまで徹し続けるには別の理由が必要だ。
俺はある事象に気づいた。
「そのウルチは、今どうしてるんだ?」
ベラの表情が固まる。かすかに震えている。
「ウルチは…あたいの中で生きています。しかし…そのこころは徐々に薄れていってます。このままではいずれ存在そのものが消えてしまうと思われます。」
俺は精神の病に関する知識はあまりない。多重人格についてもテレビで特集したときに得た知識程度のものだ。今、ベラが話した現象がウルチという存在を消してしまうかなんてことはわからない。ただ、言えることは一つ。
「ベラ。今の俺から言えることは1つだけだ。『決してウルチを否定するな』」
ベラは息を飲む。
「あ、あたいはそんなことは!」
「わかってる、意識してすることはないだろう。だが、人間には識以下という領域があってな。自分が考えている事の否定がそこにあるそうだ。人間は無意識にその識以下にある自分の考えていることの否定を表に出してしまうことがあるそうだ。」
ベラは目を閉じ、涙の流した。この表情はかつて体験したことがあることを意味している。
「ベラは意識して感情を殺そうとすることにより、識以下で感情を生み出し、爆発させそれがこころの中にいるウルチの存在に影響を及ぼしているのではないかと思う。」
テレビで得た知識だが。
「いきなり自分の性格を変えることはできない。だが、ウルチを否定する考えは絶対に起こすな。それだけに意識を集中させろ。…その間に俺がウルチを助ける方法を見つける。」
ベラは嗚咽を漏らした。
「お願いします!あたいはどうなってもいい!ウルチをウルチを助けて下さい!」
ベラは俺にしがみ付き泣きじゃくった。
これがベラの抱える秘密。
重苦しい内容だが、受け入れないわけにはいかない。
「ベラ、ウルチの事も君の事も助ける方法を俺は探す。君はそれを手伝うこと。これは絶対命令だ。」
ベラは小さくはいと答える。その言葉には以前のような冷たい響きはなく、目には精気と感情がこもっていた。
「…今、ウルチはどうしてる?」
俺に寄り添うように抱き付いているベラは少しだけ考えるような素振りを見せる。
「昏睡の状態です。呼びかけても反応はありません。以前と変わらずです。」
少し悲しげに言葉を返す。
「んーすぐに何かの変化があるわけではないんだな。ベラ、コトあるごとにウルチに呼びかけるようにしてくれ。」
「畏まりました。」
俺たちは樹から降りた。俺はさっきの精霊が気になってしきりに手のひらを覗いていた。
「ん?」
ベラが何かに気づいてスカートの中にてを入れる。
ああ、たっぷり失禁してんだもんな。
するとベラは下着を脱いだ。
「…下着がべちょべちょになってしまいました。」
“下着がべちょべちょに…”
なんといういやらしい響きなのだ。
ベラはそういう意味で言ったのではないが、俺は勝手に脳内変換をしてしまっている。≪思考並列化≫と≪情報整理≫が「今ならいける!」と後押ししてきた。ええい!散れ!俺の煩悩!
…と、とにかく感情を殺すことを止めたベラはそれほど魅力的になったということだ。
俺はベラを抱きかかえ、≪気脈使い≫で開拓地に戻った。
既に真夜中で、松明の明かり以外は見えなくなっていた。だが俺は≪気配察知≫で正確にサラ達の居場所を把握し、みんながいる部屋の扉を開ける。
扉の前でサラ、フォン、エフィが正座をしていた。…一体これはどういう状況か。
部屋の奥ではソファでくつろぐヨーコが。フォンの隣には3人を心配するエメルダ嬢がいた。俺はエメルダ嬢に尋ねた。
「これは一体…何?」
「いや、サラとフォンがご主人様が戻って来るまで待ってるって言い出して…。」
見るとサラとフォンは怖いくらい真剣な眼差しで俺を見てる。エフィは、とばっちりを食ったかんじだな。何で妾まで?という感じで顔が不機嫌だ。
「ご主人様が、ベラの為に頑張ってるのにサラ達が先に寝てしまっては申し訳ないです!だからこうしてお帰りになるまで待っておりました!」
「…同感。」
「…。」
サラとフォンは意見が一致しているようだが、エフィは無言。俺は黙って3人の頭を撫でた。
「サラ、フォン、ありがたいことだが、俺と一緒に疲れてしまっては、誰が疲れた俺たちを守るんだ?」
うーとサラは唸る。エフィがすかさず追い打ちする。
「だから言ったであろう!アンタたちの浅はかな考えがエルの負担になるんだよ!」
フォンが目の色を変えエフィに襲い掛かる!間一髪俺はフォンに跳びついて抑え込む。フォンは低い声で喉を鳴らしエフィを威嚇する。エフィは身動きの取れなくなったフォンを見て更に煽る。
「フォン!落ち着け!エフィ!これ以上煽るな!」
いつもなら目を赤くして呪いが発動したフォンには怯えるのだが、今日に限って必要以上に突っかかる。扉の前の正座が相当頭に来てるらしい。
誰か、この二人を止めるのを手伝え!
「皆様、あたいのことでご迷惑をお掛けしてすみませんでした。」
喧騒の中、ベラが全員に向かって深くお辞儀をした。
全員がベラに集中する。
明らかに、以前のベラとは違うベラの声。言葉にしっかりと感情が込められている。その違いが一目瞭然のため、とっくみあおうとしていたフォン、エフィもアワアワしていたサラも、エメルダ嬢もソファに座っていたヨーコまでもが固まった。ベラは自分自身の変化を自覚している。
「お手数をおかけしました。あたいはご主人様のお蔭で自分の感情をお見せすることができるようになりました。」
ベラはもう一度お辞儀をする。
みんなは何がどうなったのわからないので、説明を求めるように俺を見た。どう説明しようか。
「それとエフィさん、下着をべちょべちょにしてしまったので新しいのを頂けないでしょうか。」
スカートをまくりあげ、スース―状態の下半身を見せるベラ。
なんてことを……するんだ?
俺への視線は完全に別のものに変わった。
失望、嫉妬、怒り、嫌悪、不信…いずれも俺を蔑むような感情を乗せた目が俺を睨む。
…ベラよ。君は何故そんなメガトン級の爆弾を落としてくれたんだ。
「…どういうこと?女ならだれでも言い訳?」
ヨーコの低い声が響く。
「ち、ちが…」
「死ね!変態!」
ヨーコの声を合図にベラ以外全員が俺に襲い掛かった。
「痛っ!サラ!噛みつくな!」
「フォ、フォン!爪が食い込んでる食い込んでる!」
「エフィ!ほっぺた千切れるって!」
「ぶはっ!エメルダ!鼻まがったから!血も出てるし!」
「ぎゃ!!ヨヨーコ!なんで浣腸なんだよ!てか、そんな棒どこから…ぎゃ!」
俺は5人の女の子からよってたかって文字通り乱暴された。
その後、誤解を解くのに朝までかかってしまった。
ベラは二重人格者でした。ファンタジーな世界での二重人格者をどう位置付けるべきか悩みながら書いているので、おかしいところもあるかもしれません
そのあたりはご容赦を。
次話は閑話休題的な内容ですが、“この世ならざる者”の秘密もいくつか登場予定です。
ご意見、ご感想を頂ければ幸いです。




