9 無情の竜人少女
「キャァア!」
俺たちが氷狼を弄んでいる間に、他の盗賊たちと戦っていたサラ達の馬車から悲鳴が聞こえた。
「黒竜!こいつらに適当に説明しておいてくれ!」
それだけ言って、悲鳴のする方へ跳んだ。
馬車についた火を消そうとしたエフィに盗賊が襲い掛かりエフィが怪我をした。襲い掛かった盗賊はベラの≪ブレス≫を浴びせられてその場から逃げたが、怪我をしたエフィはうずくまっていた。
ベラは腕から血を流しうめき声を上げているエフィを一瞥しただけで、次の攻撃に備えてその場を離れた。
俺はその一部始終を見ていた。
エフィに駆け寄り、手当てをする。
「エフィ、≪傷治療≫を掛ける!痛みを伴うが我慢しろ!」
そういって、スキルを発動させた。エフィの腕の切り傷が緑の光に包まれる。
「うぐっ!」
エフィは顔を顰めて呻いた。
盗賊は全滅した。最後はフォンが逃走した盗賊を矢で射殺し、ようやく辺りは静かになった。
「ベラ!」
俺はベラを呼ぶ。彼女はまだ馬車を守って臨戦態勢で森の奥に向かって構えていた。俺に呼ばれてやってくる。
「…何故エフィが怪我をした時、助けなかった?」
ベラはエフィを見る。
「…ご主人様の命令にはエフィさんを助けろとはなかっ…」
バシィ!
俺はベラの頬を叩いた。
ベラの長い髪が乱れた。
俺とベラの間に冷たい空気が流れた。
「…俺なんかの“命令”より、仲間の“命”の方が大事だ。間違えるな。」
ベラは何も言わず叩かれた頬に手を当てていた。
「もう一度言う。奴隷が一番大事にすべきは自分の命。次に仲間の命。そして主の命令だ。忘れるな。」
それだけ言うと俺はエフィを抱え、ベラの側から離れた。エフィは俺の腕の中で気まずそうに俺を見ている。俺はもっと気まずそうにエフィの顔すら見れなかった。
エフィ、俺のこの態度で察してくれ。
俺たちが盗賊達を退治し終えてしばらくしてようやく応援部隊がやってきた。ライラ殿の馬車だけを何とか逃がして開拓地に向かわせていたので、ライラ殿が寄越してくれたのだろうが、結局俺たちだけで対処しきってしまった。
「遅くなってすまんな現状を報告してもらえるか。」
応援部隊の隊長である犬獣人の男が、周りの様子を見ながら俺に声を掛けた。俺はその場に座り込み、ワザと疲れた風を装って答えた。
「森に入ったところでこの盗賊らに襲われた。事前に≪気配察知≫で検知できたお蔭で奇襲されずに済んだのが良かったみたいだ。あと、この先にアジトがある。一応制圧はしたが、そこにも首輪をした獣人が10人いた。」
俺は簡単に説明した。そして気怠そうにアジトの方角を示す。犬獣人はその方角を見て鼻をヒクヒクさせた。
アジトからも盗賊と奴隷を引き連れて合流し、中部隊規模になった俺たちは犬獣人率いる応援部隊に守られるような恰好で、開拓地に向かった。
到着するまでに俺はヨーコ、エメルダ、サラ、フォン、エフィとは会話をすることができたが、ベラとは目を合わせることもできなかった。ベラも、馬車の奥で終始無言で虚空を見つめている状態だった。
ヨーコが俺の横に体を寄せて小声で話しかけてきた。
「ちょっと、あの奴隷はどうすんの?思いつめてるようにも見えるし、全くなんも考えてないようにも見えるし…。それよりも、さっきのあの魔獣の件、どう説明すんの?」
俺はチラッとだけヨーコを見る。
「大丈夫。奴隷たちにも何もしゃべらないようにお願いをしている。」
「お願いって…あんなの脅しじゃない…。」
「そうとも言うかな。それよりも、ヨーコ、俺は疲れた。ちょっと膝を貸してくれ。」
俺は無理やりヨーコの膝に頭を置いて寝転ぶ。
「や!ちょ、ちょっと!」
ヨーコは抵抗するが俺がガッチリヨーコの腰を掴んで固定して頭を乗せたので、ようやく抵抗を諦めた。恥ずかしそうにして周りの視線を確認していた。
俺たちは開拓地に到着した。
開拓地は既に小規模の集落を形成していた。だが、大きな井戸を中心にして外縁の木々を伐採していっており、開けた土地がどんどんと広がっているという雰囲気だった。
「無事だったようですね!」
ライラ殿が胸をなでおろす仕草で俺たちを迎えた。
「はい、なんとか。」
「辺境伯に報告をお願いできますか。」
そう言ってライラ殿は俺を村の中心近くにあるおおきな建物に案内した。貴族にかかわるのは好ましくないのだが、この場合は仕方がない。俺はライラ殿について行き、辺境伯に謁見した。
できるだけに端的に、自分たちに都合の悪い部分はカットして報告をする。それでもまっとうな内容での報告なので、辺境伯からは別段疑われはしなかった。
だが、報告し終えたところを見計らったかのように兵士がバタバタと駆けこんで来た。兵士は謁見する俺たちに一礼した後、辺境伯のもとへ走り寄り耳打ちをした。
辺境伯の顔色が急激に変わった。
辺境伯も犬獣人であの応援部隊の隊長さんと同族だと思われる。男性獣人は女性獣人より顔が動物に近く、俺からすれば細かの表情なんかはあまり良くわからない。だが、その俺がはっきりとわかるくらい、辺境伯の顔は怯えた表情だった。
ドカドカと大きな足音を立てて3人の獣人が入ってきた。
「構わぬ。楽にしろ。」
姿勢を正し、敬礼をする周りの兵士をたしなめながら俺の横を通り過ぎる。辺境伯が立ち上がり、自分が座っていた椅子を3人の男の真ん中のひときわ大きい男に勧めた。
「盗賊どもに苦戦していると聞いてわざわざやって来たのに退治したそうだな。嫌がらせか?」
口調は脅している風ではなかったが、辺境伯は完全に怖気づいている。
「そ、そんな滅相も…。バジル商の護衛部隊のこの者のお蔭で…。」
でかい獣人はどっかと勧められた椅子に座り、その前で膝をついている俺を見据えた。
「あ。」
俺は魔の抜けた声を出した。
「お。」
それに応えるかのように椅子に座った大男が喜色を浮かべる。
ライラ殿が慌てて俺をたしなめた。
「エルバード殿!なんと失礼な!陛下。ご無礼を。此の者に代りわたくしがお詫びをいたします。」
髪型や、着ている服装は全く異なるが、声や肌に感じる威圧感、≪気配察知≫で捉えた魔力が、果物屋で出会ったロフィと名乗った男そのものだった。
今、ライラ殿が…“陛下”と。
獅子獣人。ロフィと名乗ったが本当の名は“ロフト”この時点で気づくべきだった。フラグが立ったどころの騒ぎじゃない。
「構わぬ、ライラ殿。…また、会ったな。エルバードと申すか。」
陛下と呼ばれた獅子獣人は嬉しそうに鬣を扱きながら俺に話しかけた。
「は。その節は知らぬとは言え、とんだご無礼を。」
俺は膝をついたまま深く頭を下げる。貴人と相対して話をする場合には基本的に目を合わせてはならない。面を上げよと言われても相手の腰の辺りを見る程度までしか上げてはならず、ましてや獣人族を束ねる王を前に顔を上げて会話することなど…。
いつの間にか獅子獣人が俺の目の前に座っており、俺の顎をくいっと指で持ち上げた。必然的に俺の顔は上を向き、獅子獣人を正面に見据える格好になった。
「…ふうむ。只者ではないと思うておったが、盗賊団を一網打尽にしてしまうとはのう。」
口調はいたって普通だが、眼光がハンパない。もう俺は愛想笑いしかできない状況に追い込まれていた。
「陛下、そのようにみられては誰でも萎縮してしまいます。」
辺境伯が隣から助け舟を出してくれた。
「ほほう、そうか。エルバードとやら、盗賊の討伐大義であった。褒美を取らせる。下がってよいぞ。バジル商、貴殿には別の話がある故、このまま残っておれ。」
た、助かった。
俺はこれでもかと言わんばかりの一礼をして、この場をあとにした。
辺境伯への謁見が、獣人族国王陛下への謁見にすり替わり、褒美まで与えられる…。
目立ち過ぎ…。
ヨーコに怒られる…。
ナヴィス殿にも怒られる…。
どうすればいい?褒美を辞退するか?いやいやそんなことをすれば即死刑だ。このままヤグナーンに転移するか?それはナヴィス殿に迷惑がかかる。
俺はフラフラとした足取りでみんなが待っている馬車へと帰って来た。
みんな俺のあまりの憔悴しきった表情を見て声を掛けあぐねている。うん、そっとしておいてくれ。
俺はフォンを座らせ、彼女の膝枕で横になった。そして真下から大玉を見上げる。
…完全に現実逃避してる。
フォンは周りの目は気にせず、優しく俺の肩に手を添えてくれていた。
あぁ、このまま記憶を失いたい…。
「エルバード殿!」
外から男の大声がして、現実に戻された。
近くにいたエメルダ嬢が扉を開ける。そこには獣人兵士が立っていた。
「ご休憩中のところ失礼する。エルバード殿におかれましては、明後日の朝、ゼルデンの領主館へ参られたし。盗賊討伐の褒美授与を略式で執り行う旨、ご了承されたし!」
兵士は早口で言伝を報告する。
完全に現実に引き戻され、俺は目を閉じる。兵士が俺の返事を待っているのだが、言葉が出ない。
「主、エルバードに代り返答致す。言伝の件、了承した。お役目ご苦労。」
エメルダ嬢が見るに見かねて兵士に向かって返事をした。
「はっ!」
獣人兵士は敬礼をして去っていく。エメルダ嬢は無言で扉を閉めた。
何が起こったのか状況を理解できないみんなが俺を見ている。俺は目を閉じているから見えないけど絶対俺を見ている。視線を感じるもん。
「ヨーコさん…。果物屋で会った獅子獣人の大男、今ここに来てる…。」
「はぁ?」
ヨーコの間の抜けた声が聞こえた。
「エメルダさん…。その人、王様だった。」
「はいぃ?」
今度はエメルダの裏返った声。
「獣王国ワル・グインド第61代国王ロフト・ビーレダン。たしかそうだったよね、サラちゃん。」
サラはヒッと悲鳴を上げた。その横でヨーコがあっと声を上げる。ヨーコも気づいたようだ。
「褒美の授与ってなんだろなぁ。まさか叙勲とかじゃないよねぇ。」
「略式だから叙勲はないと思うけど、それでもエルの名前は正式文書として記録されるぞ。」
エフィが答える。
「そうだよなぁ…。嫌だなぁ。」
俺は寝返りをしてフォンのお尻をぺしぺしと弄ぶ。フォンは黙ったままだ。
「ベラさん、俺とお散歩しようか。どうせライラ殿が陛下に呼ばれてて、今日はここに一泊することになりそうだし。」
「あたい…とですか?」
俺は起き上がり、きょとんとしているベラの手を取って歩き出した。
「エメルダ、宿の手配はライラ殿に確認しておいて。フォンはエメルダさんの補佐をして、後のみんなはエメルダの指示に従って。」
そう言って出て行こうとしたが、
「ご主人様はどちらへ?」
サラが心配そうに聞いて来た。
「俺、ちょっと現実逃避してくるから。」
そう言ってベラの手を引っ張って馬車を降りて行った。
「あ、あの、どちらへ?」
ベラの手を引っ張って当てもなく歩き続ける俺に声を掛けた。
「うん、いや、まずベラには謝らないといけないなと思って…。」
俺は振り向いてベラを見た。ベラは何のことかわからないようだった。
「その、顔を叩いて悪かった。」
俺はベラに頭を下げる。
「ご主人様の意にそぐわないあたいが悪いのです。奴隷への躾として叩かれるのは当然だと思っております。」
「躾とは暴力を振るうことじゃない。わからせることなんだ。でも俺はベラの事を我慢できずに叩いてしまった。そのことを謝ってるんだよ。」
「それが躾なのだと…。」
ベラの言葉に俺は首を振った。
「それは言葉で意思疎通のできない動物に対して行うことだ。言葉の通じる人間に対して行うものじゃない。だけど俺は君を叩いた。叩かなければ気が済まないという感情が働いたからなんだ。」
「感情…。」
ベラは口をつぐんだ。感情の話になるとなにかと黙りがちになる。
「ベラ、これまでに主に叩かれたことはあるかい?」
ベラは少し考えた。
「…はい、何度か。」
「その主は何で君を叩いたんだ?」
「…わかりません。あたいはただ檻の中で座っているだけの奴隷でしたので何をして怒られたのか理解できませんでした。」
「叩くことが躾と称しても、君が理解できなければ躾にはならない。君が叩かれたのは…自己の感情を満足させるためだったからだよ。それは単なる暴力なんだ。」
ベラは無言だった。
「俺はその主たちと同じことをさっきやってしまったんだよ。」
ベラは理解してくれただろうか。叩いたことを謝っている意味を。そしてその先にベラの中に見え隠れしている君自身の感情を。
「ですが、あたいはご主人様に叩かれても仕方がないと思いました。ご主人様が起こった理由も理解できましたし。」
「そう、君は俺の怒りという感情を理解した。だから、俺に叩かれた後ずっと悪いことをしたという反省の感情を持っていた。」
ベラの表情が一瞬だけ動く。
「君は感情を失ったと言っているが、ちゃんと理解しているし、持っている。」
「ですが、あたいには…」
「じゃあ、何故君は俺が無言で手を引っ張って歩き続けているときに、声を掛けて来たんだ?」
ベラは初めて表情を見せた。
しまった、という顔である。
「俺が目もうつろに行先も伝えずただ歩き続ける状態に、君は不安を覚えたんだ。だから声を掛けてしまったんだよ。」
ベラは平静を装い、無情の表情を作り上げようとしているが、明らかに動揺していた。
「君は感情を持っている。感じている。理解もしている。…なのにそれを全て押し殺して生きている。」
ベラの表情は複雑さを増した。動揺、不安、恐怖、後悔、悲観。どれとも取れる表情をしている。そしてそれを無理やり押しとどめ無表情に戻そうと必死にもなっている。
「君は、何故“無情”を装うとしているんだ?」
獅子獣人は国王陛下でした。わかりやすかったですかね。
一方ベラは感情がないことを偽っていると看破され同様しています。
次話ではベラの謎が解明されます。
ご意見、ご感想を頂ければ、幸いです。




