7 その死を考える
夕方にカルタノオを出発した一団は湖に沿って北上し、日も十分に沈みきったところで野営地点に到着した。本来であれば、日の出ているうちに到着しておきたい場所だったが、どうしても今日中にここまで来ておきたい理由があった。
一つは、公爵に追いつくため。
もう一つは、翌日から『雨の地』を移動するため。
この『雨の地』は一年中『雨』が降っている土地だそうだ。おかげで地面は常にぬかるんでおり、植物は光が届かない為育たず、不毛の土地となっていた。この地を抜けたところにヴァルムントがあり、移動には一日掛かるため、できるだけ『雨の地』に近い場所で野営し、翌日は早朝から移動してヴァルムントに入れるようにしたかったらしい。
街を出てから休みなく行軍したため、みんな疲れ切っているようだった。
俺は、伯爵の馬車からは離れた場所にエメルダ様とエフィを連れてテントを張り、食事の準備を始めた。
街で運よく柔らかなパンが2つ手に入ったので、焼いたソーセージと砂糖で甘くしたスクランブルエッグと薄く切った野菜を挟んだホットドッグを作り、エメルダ嬢とエフィに渡した。俺は硬い干し肉と余った野菜で作った野菜炒めで、温いワインを飲む。
エフィは歩き続けたせいで筋肉痛になったようで、食事をするまではぐったりだったが、ホットドッグを食べた後は多少元気になったようで、足の痛みについてずっと文句を言ってきていた。もちろん俺は無視している。
エメルダ嬢は明日に備えてさっさと寝てしまっていた。
「エフィ。この先に何があるかわかっているよな。」
俺の唐突な質問にいままで文句を言い続けていたエフィは一瞬面喰っていたが直ぐに険しい顔に変わり、下を向く。
「明日、その横を通るときは何もするなよ。」
エフィは驚いた表情で顔を上げる。
「お前がエルフだってことは、周りの人間で気づいている奴もいるんだ。お前が、明日あの馬車の残骸の前を通るときに変な言動、行動をすれば、変に勘ぐられる可能性もある。だから明日あの馬車の横を通り過ぎる場合は、初めて見るような顔をしろよ。できるな。」
エフィは曖昧な返事をする。ちょっとこれは危険かもしれん。対策を考えよう。
俺は明日の為にテントの中に潜り込んだ。
翌日。
起きた時にはエメルダ嬢はテントも片付けて、馬の世話をしていた。当然エフィはまだ寝ている。俺は文字通りエフィを叩き起し、テントを片付けさせて、出発の準備をする。
今日の夕方にはヴァルムントに到着する予定だ。今日はエフィも連れてヤグナーンへ戻るつもりだから、事前にエメルダ嬢にも伝えておこう。
「エメルダ様、夕方にはヴァルムントに到着します。また、挨拶周りがあると思いますが、その後は厩に印をつけてヤグナーンに戻りますが。」
とたんにエメルダ嬢の表情が明るくなった。
「で、では、ハンバーグは!?」
「いやさすがにそれは無理です。ですが、別の美味しい料理をご用意しますよ。」
複雑な表情をしているが、絶対おいしいものができるはずだ。…だが、色が受け入れられるかどうか…。
「ああ、それから、寝るときは必ず寝間着を着て下さいね。でないと起こしに行ってまた…いたたたたたたっ!」
注意をしようとしただけなのに、手首を思いっきり捻ってきた。右手があらぬ方向に曲がりそうだったので、体を入れ替えてかろうじて痛みを和らげる。文句を言おうとエメルダ嬢を見たら真っ赤な顔をして睨みつけてきた。
「…忘れろ!」
「い、いや、だから寝間着は着て下さいね!」
エメルダ嬢は俺の胸ぐらを掴み締め上げる。
「忘れろ!」
俺は首をコクコクと縦に振って応答する。締め上げた手を放し、怒り肩で去って行くエメルダ嬢。…忘れられるはずがないでしょ。
一団は北に向けて出発した。道の向こうは靄がかかったような景色で、ある地点から『雨』が降り注いでいる。全員防水用に蝋を塗り込んだローブを纏い、『雨の地』へと入って行く。
俺はバーバリィの側を歩いているエフィに声を掛けた。
「エフィ、右手を出して右足を鐙に掛けて。俺が手を引っ張るから同時に足に力を入れて。」
エフィは言われるがまま俺に右手を差し出す。俺はその手を握って上に引っ張り上げバーバリィの上に乗せる。バーバリィはチラッとだけこっちを見たが気にすることなく足を前に進めた。
馬の背に乗ったエフィは初めて見る景観に顔を紅潮させてキョロキョロする。
「よかったなエフィ。バーバリィはお前の事認めてくれてるぞ。」
俺がそう言うとバーバリィの方を見て一瞬だけ嬉しそうにしたが直ぐに口をへの字に曲げた。
「フフン、当然よ。妾にひれ伏さない生き物なんて…ぴぎゃぁ!」
俺は最後まで言わせずに顎を下から手のひらで突き上げた。下顎が上顎に衝突し間に挟まった舌が悲鳴を上げた。
「エフィ、馬の上は結構揺れるからな。下手に喋っていると今みたいに舌を噛むぞ。それからフードを深くかぶってろ。濡れるぞ。」
俺は文句を言うエフィを無視し前を見る。前を歩くエメルダ嬢は馬上からチラチラ振り返ってはこっちを見ていやらしい視線を向けてきた。
「…な、なんでしょうか?エメルダ様。」
いわゆるジト目でエメルダ嬢は俺を見ている。
「…エルバード。なんかいやらしい。」
ぶはっと吹き出したのはエフィの方で、何故か慌てふためく。
「ち、違うぞ!い、いや、違います!エメ、エメルダ…様!これは、エ、エルが勝手に妾を乗せて、わ、妾は命令…」
「エル?」
俺が突っ込みを入れる。お前、一度もそう呼んだことないだろう?
見ると、エメルダ嬢がクスクス笑っている。
「クククッ!“エル”か。私も今度からそう呼ばせて貰おう。」
俺をいやらしいと言っておいて、“エル”という呼び名を聞いて勝手に満足してしまった。
「エフィ。別に俺の事をどう呼ぼうが構わんから。」
軽くフード越しに頭を撫で、肩を引き寄せる。
「それよりも体重は俺に預けておけ。でないと馬から落ちてしまうぞ。」
エフィは俺に体重を預けたまま完全に沈黙した。たぶん、ここまで間近に男を近づけたことはないんだろう。威勢の良さはなくなってしまった。
『雨』はずっと降り続いている。一団は馬車の残骸があるところに差し掛かった。何人かが残骸を調査している。俺とエフィはその横を無言で通り過ぎた。俺に抱き寄せられて沈黙していたエフィは怪しい行動を取ることはなかった。
俺は無言で馬を進め、馬車が見えなくなるのをじっと待った。やがて馬車は『雨』の靄に視界から消え、安堵のため息をつく。
「エフィ、もういいぞ。」
エフィは俺を見上げた。辛そうな顔をしている。エフィは視線を俺の胸元に戻しギュッとしがみ付いた。
あの残骸に対して何かを感じていることは確かだ。今はそっとしておいてやろう。
俺は馬上のエフィをそのままなすがままにしてそのまま進めた。
『雨』はずっと降り続いて人々の気分を落ち込ませ、会話をする者はなく、ただ馬車の車輪の音と馬の蹄の音だけが『雨』の中に響いていた。
北の空が青みがかってきた。目の前はまだ『雨』が降っているが、向こう側は青空が広がっている証拠である。
何人かの傭兵が喜びの声をあげる。まったく『雨』は人の気持ちを落ち込ませるもんだったがようやく落ち着ける。
ギギィィイ!
鉄のきしむ音が聞こえた。
道の先に大きな門があり、その門が開いた音だった。
ヴァルムント。
山に囲まれた盆地に築かれた街で、南の城壁は『雨』の境界線に沿って建てられている。
一ノ島の南部を管理する州都なので、街には様々な行政機関を司る建物が立ち並んでいるらしい。
城門の右にはヒト族国家を示す旗が、左には南部州を示す旗が掲げられており、他の街とは一線を画すような雰囲気を漂わせていた。
俺たちは門をくぐり、ようやく日の光を浴びた。濡れたローブを脱ぎ、湿った体に光を浴びてまるで光合成でもするかのように元気を取り戻そうとする。
この街では、俺にもちゃんと宿が割り振られていたようで、ナヴィス殿が手配してくれたらしい。まあ、俺の為というより、エフィの為だろうが。だが、ナヴィス殿の使いから渡された地図に書かれた宿名を見て一瞬躊躇する。
【双魚宮】
いろんな過去が甦る。系列店なんだろうか。俺は地図を見て進む方向がわかっても移動する気になれず、その場に立っていた。
「エル、早く宿へ行こう!」
早くベッドに入って休みたいのかエメルダ嬢は俺の腕を取って引っ張って行こうとしていた。
「あ、あの…」
中年の男性がそんな俺に声を掛けてきた。
「ナヴィス殿が到着されたと聞いて来たのですが…。」
男は辺りをせわしなく見回しながらナヴィス殿の居場所を聞いて来た。
「失礼ですが、あなたは?」
「あ、すいません!ヴァルムントで商いを営んでおります。以前にナヴィス殿から奴隷を購入して以来、懇意にさせてもらっておりまして…。」
この商人、奴隷持ちか。だが一人で来ているな。奴隷は置いて来たのか。
「なるほど。どのようなご用件で?」
言いにくそうにしていたが、意を決したのか俺の質問に声を落として答えた。
「あの…私の奴隷が死にかけています。」
「怪我か病気ということですか?」
「いえ、老齢でもう寿命なのでしょうが、最後にナヴィス殿に会いたいと申しているので!」
これは口利きをしてやるべきか。この商人もせっぱつまっているようだし。
「…奴隷の名は?」
「は、はい、ウガルダと言います!」
「エメルダ嬢!この方をナヴィス殿の宿までお連れ頂けますか?俺は一足先にナヴィス殿に掛け合って来ます。」
そう言って俺は、エメルダ嬢とエフィのこの場を任せて宿に向かい、ナヴィス殿を探しに行った。宿の中では、ちょうど一息ついたあとのようで、階段を降りている途中のナヴィス殿を発見する。
「おお、エルバード殿!挨拶周りはまだですぞ。いかがしましたか?」
俺は階段を駆け上がり、ナヴィス殿の側に寄って小声で話す。
「ナヴィス殿、ウガルダという奴隷をご存知ですか?」
俺の突然の質問に戸惑いつつも記憶を探って答える。
「え、ええ。若い頃に世話をした奴隷ですな。計算知識を持っていたので商家の主人を探して送り出し…そうか、確かヴァルムントの商人でしたね。」
ナヴィス殿はウガルダがこの街にいることを思い出して嬉しそうにした。
「そのウガルダという奴隷が死の床にあると、商家の主が来ております。」
俺の言葉にナヴィスが表情を変える。俺を押しのけ、階段を降りていき、エントランスから外へ飛び出す。俺も後を追ったが、護衛にいた傭兵が状況を理解できずあたふたしている。
「俺が付き添います!そこで待っていて下さい!」
それだけを言ってエントランスを出た。
外では商人がナヴィス殿に泣いて抱き付いていた。
「ウガルダが!ウガルダが!お願いします!私の家まで来て頂けますでしょうか!」
商人の慌て様は周りの目でも明らかで、ナヴィス殿もたじろいでいる。
「まず、落ち着かれませ!ウガルダは今どこに?」
ナヴィス殿が叱咤し商人に問いかける。
「商館で…。」
「ナヴィス殿、まず行きましょう。エメルダ様とエフィも同行させてください。」
俺はナヴィス殿に同行の了承を求め、厩へと走る。ナヴィス殿の馬を引っ張り出し、ナヴィス殿の下へ戻る。
ナヴィス殿は商人を後ろに乗せ、俺はエフィを前に乗せ、3頭の馬で商館へと急いだ。
商館に到着した俺たちはそこで待っていた使用人に馬の手綱を渡し、商人を先頭に中に入った。
奴隷用の部屋にウガルダは横になっていた。部屋の扉が開く音は聞こえていたようだが、音のする方向を向くことはせず、ただ天井に視線を向けている。
「ウガルダ!」
ナヴィスの声に反応し、目を見開きゆっくりと首を動かす。大商人の姿を見つけ口元を緩める。
「…ナ…ヴィス…様!」
「老いたよのぉ!5年前に会うた時はもう少し元気であったろうに。」
ナヴィス殿は涙を浮かべている。
「し…幸せに…なりすぎた…ようで…」
苦しそうにではあるがうれしさがにじみ出るような表情のウガルダ。だが、その顔には精気はない。
「ご…主人様…。ありがとう…ございます…。もう…思い残す…ことは…」
商人はウガルダに駆け寄り手を握る。
「ありがとう!ありがとう!お前が来てくれて本当に良かった!今、お前を解放してもらうから!ナヴィス殿!お願いします!」
商人は死に逝く奴隷の解放をナヴィス殿に依頼する。ナヴィス殿も首輪を外そうと手を伸ばしたが、ウガルダはゆっくりと首を振った。
「ご主人…様…。私は…このままが…いい…です。このまま…ご主人様の…奴隷で…。」
そこまで言ってウガルダは咳き込む。ナヴィス殿はウガルダの手を握る商人の更に上から手を握り、言葉を掛ける。
「ウガルダ。私からもお礼を言わせてもらうよ。ありがとう。」
商人はわんわん泣いている。二人ともわかっていた。この老人はもうすぐ息を引き取ることを。老人は病気ではない。老衰なのだ。手当をして回復を望むことはできない。
だが奴隷として一所懸命働き、主人にも愛されて満足のいく死を迎えている。俺にはそう見える。
「エフィ。よく見ておけ。この方は奴隷だが、人間として死を迎えようとしておられる。」
俺はナヴィス殿から教えてもらった節を口ずさむ。
“奴隷とは、道具であるが道具にあらず。命あってこそその使役を果たす。その命の重みは低けれど、ゆめ無きものではなかりけり”
ウガルダがその言葉に反応した。
「ナヴィス…様。あの…言葉…、ひさし…ぶりに…聞きまし…た。…世代は…代われど…受け継がれて…おられる…ようで。」
ナヴィス殿は涙声で肯く。
「当然じゃ…この世に重みのない命など存在しない。それが私の信条だからな。」
苦しそうにほほ笑むウガルダを見て、堪えきれなかったのか、エフィは俺にしがみ付いた。
ウガルダは少しだけ商人のほうを見て天井を見上げる。
「はぁぁぁ…。」
大きく息を吐いて、動かなくなった。
1つの命がまっとうな最期を迎えた。
涙こそ流したが、悲しむ者はなく、笑顔でこの老人を見送った。
ナヴィス殿、商人は何度も「ありがとう」を呟いている。ウガルダという老人にとってはこれ以上の幸せはないだろう。
俺は、エメルダ嬢とエフィを連れて先に外に出た。
「エ、エルバード…。何故、私たちを連れて来たのだ?」
エメルダ嬢は、聞きにくそうにしながらも俺に声を掛けてきた。
俺はどうしてだろうと考えた。考えたがうまく説明できる答えは出なかった。
「…わからん。わからんけど…見るべきだと思ったんだ。」
エメルダ嬢相手に敬語を使わず答える。エメルダ嬢はそれについては何も触れない。
「あの老人…幸せそうだった…。」
エメルダ嬢が呟く。エフィがそれに頷いている。
「私は奴隷なのに何で幸せそうにできるんだ?と思った…。」
エフィも同感のようだ。
「奴隷だから…不幸なんだ、と言うのは固定観念なんだろう。」
俺も独り言のように呟く。
どんな環境であっても、どんな身分であっても人間は幸せを手にすることはできるのだろう。その幸せを手に入れられるかどうかは、人間が何をしてきたか、に依るんだと思う。
そこに身分は関係ない。
俺は改めて実感する。
「エル…。」
エフィが、俺のローブを握りしめたまま声を掛けてきた。
「妾は、エルの奴隷でいても…あの老人のような顔…できるか?」
難しい質問だな。俺はお前の幸せが何なのかまだ分からんぞ。
だけど…。
「当然だ。俺の奴隷に不幸な奴はいない。俺がお前たちの罪も全て受け取ってるんだ。心配すんな。」
ドンと拳で胸を叩く。
「…ありがと…ございます…ご主人…様」
言いなれないのかたどたどしい口調だが、俺をご主人様と認めてくれたようだ。
「…これからも宜しくな。」
俺は笑顔をエフィに送った。
「…でも、おいしいモノは食べたい!」
へ?
「毎日ベッドで寝たい!」
な…なに?
「あ、あと、昼まで寝かせて欲しい!」
…。
「食後には必ずケーキを…ウギャッ!」
俺は最後まで言わせなかった。槍の柄で頭を叩きエフィを黙らせる。
どさくさに紛れて何要望を出してきてんだ?
これはもう、お尻ペンペンの刑…確定だ。
人の死に関するお話なんですが、お互いに感謝し合える別れを表現したかったのでこんな話になりました。
永遠の別れに対しては身分の上下は関係ないと思います。
次話は支配人に再登場してもらう予定です。
もうこの支配人は準レギュラーにすることに決めました。




