1 新しい生活
港町ヤグナーン。
この街の歴史は比較的新しい。
元々は単なる海路における中継地点でしかなく、船乗りの休息用の宿があるだけであったが、この地域の景色の良さに目を付けたある貴族が、周辺一帯の土地を開拓し、保養地として街を作り出したのが最初である。
この地域は保養地として貴族たちの人気となり、たくさんの人間が移住して巨大な街に発展した。街は、半月型の湾を中心に東部、北部、北西部、南西部の4つの地区に分かれており、南西部が特権階級のみが立ち入りを許可されている特別地区となっている。北西部は高級住宅地区、北部は商業地区、頭部が中低階級者の居住地区と区分けされ、更にその周りに貧民街が広がっている。
俺は北部の商業地区内に居を構えた。
4~5人が暮らせる広さの空き家を借りたのだが……結果的には一人暮らしになっていた。
サラは、小剣術を習得するために、エイミーとガラの街にいる剣術者の所に合宿へ。
フォンはベスタさんの教育を受けるために、ナヴィス殿の商館に泊まり込み。
せっかく3階建てのそこそこ大きい家を借りたのに、俺しかいないというのは寂しい。
ナヴィス殿は、ヤグナーンでも屈指の大商人で一代で今の地位と富を築きあげた成り上がりの人間だそうだ。本人はそれを認識できているので、どんな人であっても下手に接するため、他人から恨まれることはほとんどない。またナヴィス殿は受けた仕事は必ず達成させているので、貴族たちからも信頼があった。
ナヴィス殿はヤグナーンに本拠を構える『私設傭兵団』の大口出資者で、元締めでもある。傭兵団の活動範囲はヤグナーンだけでなくその周辺地域にまで及んでいる。その名は他国にも知られているらしい。
俺もその傭兵団の一員としてナヴィス殿の下で働いているのだが、ここに来てやっているのは傭兵稼業ではなく……経理だ。
ナヴィス殿は、ヴァルドナの海賊討伐の為、20日間もヤグナーンを離れていたので、決済の必要な処理が大量に溜まっていたのだ。最初はその処理は4人の算術士と呼ばれる専門の職業の人が処理していたのだが、それを見た俺が、余りの効率の悪さに思わず口を出してしまったことから、作業をやらされる羽目になったのだ。
…だって、こいつら足し算と引き算しかできないんだもん。
この世界の数学は非常に未発達だった。そこに高校中退ではあるが、発達した世界で勉強をした俺の知識は、未知のものである。そんな知識を使って、残高計算や、収支確認、はたまた在庫確認を行えば、どんどん片付いてしまう。
そんなわけで、鎧を着た格好なのに経理担当として毎日数字と格闘していた。
その日は、昼過ぎにナヴィス殿がやってきた。昨日までの販売分の整理の進捗具合を確認したあと、俺を護衛として外に連れ出した。
「エルバード殿。これから何件か回ります。付いて来てください。ああ、手ぶらで結構。」
そう言って、馬車に乗りこみ、俺に入る様に促す。俺は何もわからないまま、馬車に乗りこみ、ナヴィス殿の隣に座った。
馬車に揺られることお日様1つ分。
大きな門をくぐってとある屋敷に到着した。ナヴィス殿は馬車を降り、屋敷の玄関へ向かう。俺もそれに付いていった。使用人らしき女性が現れ、中に通される。豪奢な調度品の配置された部屋に通されしばらく待つと、
「お待たせした、ナヴィス殿」
そう言って一人の男が入ってきた。社交辞令的な挨拶を交わし、ソファを勧められてナヴィス殿と俺は座る。
「以前マイラクトへ行かれた際に海賊に襲われたとお聞きしましたが。」
ナヴィス殿はさっそく本題に入ってきた。そして、俺も何のために呼ばれたかを理解した。
「…何をお知りになりたいのですかな。」
男は、警戒心丸出しの返事をする。がナヴィス殿は全く気にせず、話を続ける。
「はい、実は、マイラクトに出没していた海賊と思われる輩を討伐しまして。彼らの拠点から盗品と思われる品がいくつか見つかったのですよ。」
「待て。それはヤーボ村の盗賊の事か?その事件については盗品は見つかっていないはずだが。」
男の口調は更に厳しいものになった。
「いえ、実は盗品は見つかっています。ですが、全て≪所有者記録≫が外されていたため、報告できなかったのです。」
男の目つきが変わる。
≪所有者記録≫のスキルは一度つけると外すことはできない。だからこそ所有者を証明する優れたスキルとされ、重宝されているそうだ。それを簡単に外されてしまえば、その価値は失われる。
「その件については、傭兵団のほうで調査中です。最初の質問に戻りますが、奪われたものを教えてください。」
ナヴィス殿の話の内容は相手を信用させるに十分だったようだ。
「【コルデールの壺438】と【コルデールの壺439】だ。」
ナヴィス殿は無言で俺に視線を送る。俺は≪異空間倉庫≫のリストから、男の言った名前を探した。
俺は右肩のファスナーを開き、壺を2つ取り出した。男は驚愕の表情で、口をパクパクさせている。
「これでございますね。≪所有者記録≫は付いておりませんが、あなた様を信用してお渡しいたします。…もちろんただと言う訳にはいきませんが。」
話はナヴィス殿主導で進められ、男はこの壺2つを金貨1000枚で買い取った。これでも元の値段よりかなり安いそうだ。…こんな壺のどこに値打ちがあるのか?
サラの値段は金貨500枚だから、やっぱり奴隷より価値のあるものはあるんだ。
今日は3件の家を周り、俺が塒で手に入れた宝を破格の値段で売った。
商館に戻ってからナヴィス殿は俺に耳打ちする。
「今日の一件は、しばらくすれば有力者間で広まるでしょう。後はあちらから連絡があるはずです。」
なるほど。あの海賊団に襲われたことのある貴族や商人が、秘密裡にナヴィス殿に連絡を取ってくる。それを受けて、俺が≪異空間倉庫≫で運んで届ければ、誰にも知られずに取り戻すことができる、という訳だ。要は餌を蒔いたということか。
…ということは、外出は今日で終りか。明日からまた、数字と格闘か…。
俺はいい加減あの数字だらけの部屋にうんざりしてた。ようやく、今日の作業分を終わらせて部屋を出た時には、とっくに日は沈んでいた。
作業報告をしに、ナヴィス殿の部屋に行くと部屋には先客がいた。
「あ!ただいま戻りましたご主人様!」
俺を見るなり、怪我をしそうなくらいの勢いで俺に抱き付いてきた女の子。
「ってぇぇ…。ちょっとは自嘲しろよ…。」
くの字になりながらも、頭を撫でてやる。相変わらず“奴隷”とは思えない元気の良さだ。
「おかえり、サラ。」
俺の自慢の奴隷。“忌み子”の呪いを持つ生まれつき奴隷の美少女だ。頭の回転は速いのだが、かなりの天然で、扱いの難しい子だ。
サラは、俺の皮鎧に頭から突っ込んだため、軽く眩暈を起してる。…まったく。
部屋には、俺の戦友、マグナールとその奴隷、エイミーもいた。エイミーは礼儀正しいお辞儀を俺にする。相変わらず無表情だが。
「ようマグナール。ご苦労さん。」
俺は握りしめた拳をマグナールに突き出す。マグナールも同じように拳を突出し、軽く突き合せる。
「予定通り、スキル習得させて返ってきたぜ。」
サラとエイミーは戦闘活動がよりできる様にガラの街で特訓を受けていたのだが、今日帰って来た。
「ご主人様!ご主人様!サラを≪鑑定≫して下さい!」
そう言って両手両足を広げて待ち構えるサラを手で制して、部屋の奥へ行く。
「ナヴィス殿、今日の分です。」
ナヴィス殿の机に伝票の束を置き、結果を報告する。
「ご苦労様。どうですか?」
「やはりハーランディア島の食糧不足は深刻です。小麦が高騰しています。それとマイラクトの商人による鉄、武具の買い取りが目立っています。」
ナヴィス殿は曖昧な質問をしたが、俺の回答は明快なものだった。それを聞いたナヴィス殿は顎に手を当てて考え込んだ後、
「小麦の件は明日、伯爵様に依頼しましょう。それと、マイラクトの商人には、鉄、武具を売らないよう協会に手配しましょう。」
対応を簡潔に決定し俺が提出した伝票を引出しにしまった。
俺が、収支の突き合せを行いながら、伝票で取り扱われている商品をチェックし、気づいたことを報告する。要は統計を取って報告しているのだ。普通の算術士は出来ない。故に非常に重宝されてしまっている。
「今日は店じまいです。下でフォンさんも待っていますから、今日は帰っていいですよ。」
やった!
俺はお礼もそこそこに、サラの手を引っ張って階段を降りて行った。
階段下には、ベスタさんが待っていた。
「エルバード様。お疲れ様です。こちらも全工程を終了致しました。フォンちゃんをお返しいたします。」
そう言ってお辞儀をした。後ろからフードを被った少女が顔を出す。
俺の自慢の奴隷。一族皆殺しの悲劇の過去を持つ“海銀狼族”の少女。美しい青銀色の髪と、感情を視覚的に訴えてくるフサフサの尻尾、そして究極の感触の大玉2つを持っている。この間まで声も出せない状態だったが…。
「お疲れ…様です、ご主人。」
すごい!ちゃんと喋れてる!それにお辞儀もすごくきれい。
「…フォン、すごい綺麗なお辞儀…」
思わず、サラも見とれてる。年季だけはお姉さんのサラですら、綺麗と思うのだから、すごいでしょ。前は、獣人式の片膝付いた挨拶だったが、今の大玉がタプンタプン揺れるお辞儀の方が…い、いや何でもない。
とにかく、頑張ったことを褒めてあげると
「ご主人…の奴隷として、恥ずかしく…ないよう、にして頂いた…まで。お褒め頂く…ほどでは、…ありません。」
と返事するが、尻尾はブンブン振られてる。わかりやすいのは相変わらずか。
「ベスタさん、ありがとう。」
ベスタさんにお礼を言って、商館を出る。裏手に回り、愛馬バーバーリィを連れ出す。いつもは一人なので、バーバーリィを駆って帰るのだが、今日は3人なので、荷物をバーバーリィに乗せて、徒歩で家へと向かった。途中で店に寄って、食材を買い込む。ヤグナーンに来て初めて3人そろっての食事だ。今日は盛大に行こうじゃないの!
ヤグナーンで借りた家は下級貴族が所有していた3階建ての家で、一階には台所と客間、倉庫と風呂の2軒構造。二階はリビングダイニングと台所。三階は寝室が3部屋に奴隷用の部屋が2つという構造だ。
おそらく、元々は2つの家だったのを二階三階をくっつけた感じになっている。
一介の傭兵ごときが所有するには豪華すぎると言われるが、お金は全然問題ないので、即決即金で借りた家だ。
ただ今までは俺一人で寂しく寝ていたのだが、今日からは…
グフフ…!
サラとフォンが家の中を一通り見回ってリビングに戻ってきた。二人ともキラキラした目になっている。よっぽどこの家が気に入ったのだろう。特に奴隷用の部屋には少々硬いがベッドが設置されていた。毛布に包まって床に寝る必要はないのだ。
戻ってきた二人にこの家について説明をする。
「部屋には個人用の物置が床とベッドの隙間に用意されている。自分の服やなどはその中に仕舞っておくように。」
二人は嬉しそうに返事する。
「それから二人とも≪鑑定≫と≪弱所の心眼≫を掛けるから。」
そう言って二人を並ばせる。まずはサラ。
【サラ】
『属スキル』
≪鑑定≫
≪風見の構え≫
≪弱所の心眼≫
≪小剣の構え≫
≪二刀流≫
『固有スキル』
≪察言観色≫
『呪い』
≪忌み子≫
≪契約奴隷≫(エルバード)
サラは小剣術のスキルを取得している。戦闘も任せて大丈夫なのかな。前から気になっていたが。この≪察言観色≫というのはなんだろう?ナヴィス殿かベスタさんに聞いてみよう。
続いてフォンだ。
【フォヌヘリアスタ】
『属スキル』
≪短弓速射≫
≪長弓確射≫
≪渾身の一撃≫
≪狼連撃≫
≪狼連脚≫
≪気配察知≫
≪気配同化≫
『固有スキル』
≪撥水毛≫
≪感情表現の尾≫
≪獣化≫
『呪い』
≪エルフへの多情多恨≫
≪契約奴隷≫(エルバード)
やったぞ!≪失声症≫が消えている!これは大きな前進だぞ、フォン!
フォンも嬉しそうに尻尾ブンブンだ。
さて、≪弱所の心眼≫でお互いの弱点を確認しよう。
「サラ、≪弱所の心眼≫をやってくれ。」
「はい、ではご主人様から…」
そう言ってスキルを発動させる。
「あー…。」
うわ…、サラが俺の弱点見て、納得してる。前の時は『ヘタレ』の意味を知らなかったから、うまくごまかせたけど。
「サラちゃん、何が見えてるのか言ってくれない?」
「はい、『可愛い女の子の涙に弱い人』って出ました。」
隣にいたフォンが噴き出した。…フォン、覚えとけよ!
「…サラ、次はフォンを。」
フォンは目を泳がし始めた。サラがスキル発動する。空中に表示された何かを見てしばらく考えてから、チラリとフォンの大玉2つを見た。
「…ちゃんと弓矢を構えることができない、て出ました。」
フォンが自分の胸を見る。俺も見る。何気に目を合わせる。俺は弓矢を取り出しフォンに渡す。
「…構えてみて。」
フォンが左手て弓を持ち、右手に持った矢をつがえ、弓を引いた。俺はフォンの真後ろに立ち、身長差を活かして上から覗く。
弦と弓の間に右の大玉がすっぽりと入っておいる。
俺は左手をフォンの前に回して右の大玉を鷲掴みしぐいぐいと押し込んだ。フォンは俺の左手をじっと見てる。
かなり押し込んで、ようやく右の大玉が弓矢の直線上を外れた。
「フォン、今度胸当てを作りに行こうか。戦闘中だけガッチリ抑え込むように張り付く仕組みの胸当てができるらしいから。」
鷲掴みされたままのフォンは弓矢を構えたままの姿勢で、真後ろにいる俺を見上げた。
「…やわらかい?」
これ以上ないほどの極上の言葉で囁かれ、俺は動転する。
「…う、うん…。」
俺はバツの悪そうな返事をしたが、フォンは嬉しそうにもたれかかってきた。
フォンは甘え方がうまい。こっちが心地よく受け入れられる。俺も左腕全体でフォンを包み込みしっかりと抱きかかえる。
こうなるとサラは完全においてけぼり状態だった。悔し悲しい表情でフォンを見ている。こぶしがわなわな震えてる。
俺はフォンを放し、サラを手招きする。悔し悲しい表情のまま、俺の下に来るサラ。
「ごめんなさい。嫉妬してしまいました。」
「サラだから許す。」
俺はサラを抱き寄せた。無言のままのサラ。たぶんいろんな気持ちがにじみ出ているんだろう。複雑な表情のまま俺の胸に体を寄せる。
「サラ姉。…ごめん。」
フォンが謝ってきた。サラはチラッとフォンを見て、首を振る。
「じゃあ、サラ。≪弱所の心眼≫の結果を教えてくれないか。」
話題を変えたつもりだが、サラの体は一瞬ピクッとした後固まってしまった。見ると俺に顔を見られないように下向いているが、多分赤くしてる。
これは、俺に関することだったな。わかりやすい子だ。
「ご主人、サラ姉の…弱点は、私が聞いておく。…今はこのまま。」
フォンが気を利かせてサラを庇おうとした。
俺はフォンに目で礼を言って、
「サラ、お前は金貨500枚で俺に買われたな。フォンは金貨15枚(首輪と契約書の手数料)だ。実はお前の方がエライ!な!」
そのしばらく、俺とフォンでサラを持ち上げる大会で盛り上がった。
…どこの世界に奴隷を一所懸命持ち上げるご主人様がいるんだ?
…その夜、サラとフォンは自分たちのベッドで寝たいと言ったので、結局「グフフ」的なことなく、眠りについた。
目を開けると見たことのない世界が広がっていた。
ようやく三章をアップできました。
三章の舞台設定がブレブレで固まってなかったので再考してました。
三章は一ノ島が舞台となります。この島は人間族の支配する地域ですが、
他の種族も住んでいますので、物語の中に登場します。
種族の特徴をしっかり表現できればと思います。
ご意見、ご感想を頂ければ幸いです。




