書籍発売記念SS 旦那様の呼び方
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ある秋の日の休日。
「ソフィアさん、お久しぶりね」
「お義姉様! お久しぶりです」
ソフィアは応接間にてジークハルトの姉であるアリアを迎え入れていた。
アリアは平日は商会での仕事がある日もあるのだが、本日は元々仕事のない曜日であるし、兼ねてから屋敷でお茶でもと約束をしていたのだ。
「ここに来るのも久しぶりね。あなたたちの食事会以来かしら」
そう言ってティーカップを持つ仕草はとても優美に感じ、ソフィアはドキリとした。
「はい。お義姉様とは時折商会でお会いしておりますが、お屋敷でお会いするのは二度目となります」
ソフィアは例の魔法式の一件がきっかけであれから何度か商会へと訪れていた。
その度にジークハルトの姉であり商会の経理を担っているアリアとは顔を合わせており、会話も交わしたのだった。
「商会ではゆっくりと腰を据えて会話をすることはできないから、今日は招待いただけてよかったわ」
そう言ってアリアが右手を挙げて給仕の者を呼び、テーブルの中央に置かれているケーキスタンドからマフィンを目前の皿の上に取り分けるように指示を出した。
それは、以前にソフィアが商会に赴いた際に手土産として持参したマフィンであり、アリアが嫁入り前に公爵家でよく好んで食していたとソフィアは料理長から聞いていたので今日のこの場で出そうと思い至ったわけである。
「そうそう。ジークがあなたのことを褒めていたわよ」
そうアリアから伝えられると、ソフィアは内心ドキリとした。
普段からアリアからジークハルトの愛称である「ジーク」という言葉は聞いているはずなのに、今日は自分のことを褒めていたという情報と一緒だからかなぜか身体の温度が瞬く間に上昇する。
「! そ、そうなのですね⁉︎」
慌ててソーサーの上にティカップを置くソフィアに対して、アリアは特に動じていない。
これまで何度かソフィアはジークハルトの商会へと赴いており、その度にアリアと対面していたからかアリアはソフィアの性格をよく理解しているのだろう。
「ええ。公爵家の仕事を正確に行ってくれているし、何よりも使用人のことを大切にしてくれることに感謝しているって言っていたわ」
そう言って微笑むアリアに、ソフィアは益々自分の体温が上昇するように感じた。
だからか、普段ならばあまり質問しないことを思い切って訊いてみようと思った。
「あの、旦那様の愛称ですが……」
「ああ、ジーク?」
「は、はい! その、お義姉様とお義父様はそうお呼びのようですが、他にも愛称で呼んでいる方はいらっしゃるのでしょうか?」
アリアの動きがピタリと止まり、数秒後にティーカップをソーサーの上に置いた。
「そうね。今の時点ではわたくしたち二人だけだと思うわ。……そうだ。ソフィアさんも呼んでみたらどうかしら?」
「‼︎ 旦那様のことをでしょうか⁉︎」
「ええ。きっと、とても喜ぶと思うわ」
そう言ってどこか意味深な笑みを浮かべるアリアに対して、ソフィアは普段かかないような汗をかいた。
「喜んでいただけたらよろしいのですが」
「それは絶対に大丈夫よ」
「では、今度機会があれば勇気を振り絞って言ってみます!」
「……そうね」
アリアは何を思ったのかスッと扇子を開いて口元に当て、しばらく何かを考えたのち小さく頷いた。
「それでは、わたくしはこれで失礼するわね」
「それでは、お見送りをいたします」
「いえ、少々所用があるのでここで大丈夫よ。ありがとう」
そう言って笑顔で退室するアリアを、ソフィアはカーテシーをして見送ったのだった。
◇◇
その日の夕方。
ソフィアは専属侍女のテレサに連れられて中庭を散策していた。
普段であれば夕食前の読書をしている時間なのだが、今日は珍しく散策でもとテレサから誘いを受けたのだった。
「夕日に照らされて庭園の花々がとても綺麗ですね!」
「左様でございますね」
テレサはにこやかに受け答え、控えめにソフィアの傍を歩いている。
そんな彼女に促されて中庭の中央部まで歩みを進めると、園庭の花々を眺めるジークハルトが立っていた。
ソフィアがソッとジークハルトの方に踏み出すと、彼はソフィアに気がついたのかソフィアの方に視線を向けた。
「君も散歩に来たのか?」
「は、はい! 旦那様もでしょうか?」
「ああ。たまには夕方に散策も悪くないと思ってな」
テレサは、そっとソフィアに耳打ちをした。
「奥様。旦那様に何か伝えることがあるのではないでしょうか?」
「伝えることでしょうか?」
ソフィアは疑問に思うが、ふと先ほどのアリアとのやり取りが過った。
「‼︎」
思わずテレサの方を見やるが、彼女はとても気持ちの良い笑顔を浮かべている。
「それでは、わたくしは出入り口で待機しておりますので」
そう言ってテレサは、早々とカーテシーをしてから立ち去った。
ソフィアの思考は混乱しており、徐々に頬が紅潮し始める。
二人でしばらく花を観賞したのちジークハルトが声をかけた。
「ソフィア」
「は、はい!」
「最近は夕方になると冷えるな。そろそろ戻ろう」
「お気遣いをいただきましてありがとうございます。ジーク様」
思考が混乱しているからか、ソフィアは気がついたら声に出していた。
言ったあとにハッと口元を手で押さえ、すぐに言葉を訂正しようとする。
「ソフィア」
「は、はい!」
「もう一度呼んでくれないか?」
夕日と夕焼けを背に、ジークハルトの笑顔がソフィアの胸に染み渡った。
「いや、それはやめておこう。……君に伝えたいことがあるんだ。それを伝えてからもう一度君の口からその名前は呼んでもらいたい」
そう言って再び微笑んだジークハルトの笑顔を、ソフィアはしばらく忘れなかった。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
とっても久しぶりの投稿で緊張しています…!
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