第43話 好きなだけ泣くといい
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「旦那様、ソフィアです」
夕食後、ソフィアはジークハルトの要請によりジークハルトの私室の前に立っていた。
緊張し過ぎたために逆に一周して冷静になり、深呼吸をしたのちジークハルトの私室の扉をノックする。
ちなみに、今夜ジークハルトの寝室を訪ねると侍女のテレサに伝えたところ、彼女はなぜか微笑みながら涙を流して侍女のマサと共に念入りに湯浴みを行ってくれたのだった。
寝着を身につけて室内用のガウンを羽織る姿は、これまで何度もジークハルトに見せているが、それはあくまで居間でのことである。
彼の私室を訪れること自体が初めてなのもあって気恥ずかしさが高まったが、これから言われるであろう「アイリスとの関係」のことを思うと、それは自然とは消えていった。
ジークハルトは室内用の白いシャツに黒のスラックスを身に着けている。
「ソフィア、呼び立てて悪かった」
「いえ、とんでもありません……!」
扉の先のジークハルトの私室からは、自分の部屋とは違う香りが漂っていたので、再び緊張感が湧き上がってくる。
(これから、どのようなカミングアウトが待っているのでしょうか……。想像すると緊張で声が裏返ってしまいます……!)
そう思うと、ソフィアはその場で小さく身震いをした。
彼女のその様子に気がついたのか、ジークハルトは入室するようにと促し、互いにソファに向かい合って座った。
「ソフィア、単刀直入に要件を伝える」
「は、はい……!」
普段の居間でのひと時とは違い、ジークハルトは雑談や前置きを置かずに要件を伝えるようである。
「日中、君は私のかつての婚約者に遭遇したそうだが、彼女の言葉は全くの事実無根だ。私は彼女と復縁する気など全く持ち合わせていない」
あらかじめ予想していたものとは全く反した言葉に、ソフィアは目を見開いた。
「そ、そうでございましたか……」
だが、どういった感情を持てばよいのか、感情の置き場所が分からずソフィアは視線を彷徨わせた。
てっきり、アイリスと一緒になるから引き継ぎをしっかりと頼むと言い渡されるものだと思っていたし、それに伴う今後の身の振り方をジークハルトに相談をしようとも思っていたのだ。
『俺は、君との契約結婚を破棄したいと考えている。本来の契約期間の終了後も君には俺の妻として俺のそばにいてほしいんだ』
ジークハルトの言葉が、再び過ぎった。
(そうです……、旦那様は以前にあのように仰ってくださっておりました。あの言葉には始めから偽りはなかったのです。ですが……わたくしは……、わたくしには……)
ソフィアは思考を巡らせると、息を小さく吐き出してから真っ直ぐとジークハルトの瞳を見た。
彼のダークブラウンの瞳はソフィアを熱く見つめており、彼女は自分自身の不甲斐なさから思わず視線を逸らす。
「それでしたら、フォーレ伯爵令嬢があのように仰っていたのは、何か思い違いをされていたのでしょうか?」
「ああ、そのようだ」
「そうでございますか」と呟くと、ソフィアは何とも居心地の悪さを感じてスッと立ち上がった。
「それでは、わたくしはこれで失礼をさせていただきます」
そう言って、扉まで移動しドアノブに手を掛けるが、ジークハルトに背中から抱きしめられて扉を開けることができなかった。
「待って欲しい、ソフィア。俺は君を愛しているんだ。君に一切の疑念を抱いて欲しくない」
(……‼︎)
思わぬジークハルトの力強い温もりに、ソフィアのモヤモヤとした思考が一気に吹き飛んだ。
加えて「愛している」という言葉を受けて、心臓が早鐘のように打ち付ける。
「……だ、旦那様……」
「思えば、俺は君を傷つけるようなことばかりしてしまったな。心から申し訳なく思っている」
「それは……」
二人はしばらく互いの温もりを感じたあと、ソファに腰かけた。
ただ、一つのソファに隣合って腰掛ける形であるが。
「わたくしは、旦那様に傷つけられたとは思っておりません……! むしろ、こんなわたくしに大変よくしていただいて、感謝の念が絶えません!」
そう言い切ると胸の奥が熱くなり涙が込み上げてきたが、必死に堪えた。
そんなソフィアの様子を受けてなのか、ジークハルトは目を細める。
「君は思い違いをしている」
「……と言いますと」
「君は『なんか』ではない。君以上に素晴らしい女性はいないのだから」
(……‼︎ もの凄い破壊力です……。それにあ、愛して……)
実のところ、ソフィアは全面的にキャパオーバーで今にも卒倒寸前なのであった。
加えて、これまで何度かエスコートなどでジークハルトの腕に触れるなどはあったが、先ほどのように抱きしめられることは初めてのことであったし、今も彼との距離が近いので胸の鼓動が非常に騒がしかった。
だが、ソフィアはジークハルトに自分の想いを伝えなければならないと、騒がしい胸を抑えるように胸に手を当てた。
「……わたくしも、旦那様をお慕いしております。ですが、わたくしは何の価値もない人間なのです。旦那様と肩を並べて生きていく資格など、わたくしには全くないのです」
ジークハルトは、ソフィアの瞳をまっすぐに見つめた。
「そんなことはない。君はまず綺麗であるし、何事にも配慮のできる貴婦人だ。邪なところなど一つもなく、誰に対してもわけ隔てなく接する」
瞬間、ソフィアは自分自身に急激に熱が込み上げてくるのを感じた。
(‼︎ そ、そんなにも褒めていただけるとは……‼︎)
褒められること自体に免疫のなかったソフィアだが、グラッセ公爵家での暮らしの中で「自己肯定感」が彼女の中で確実に育まれていた。
「それに、……君は残酷な俺の言葉から決して逃げなかった。本来であれば、絶望したり糾弾してもよいはずなのにだ」
ソフィアは首を静かに横に振った。
「旦那様、それは違います。……わたくしはただ単に分からないのです。自分に向けられた感情が邪なものかそうでないものなのか。今でこそ好意を向けていただくこともありますが、以前のわたくしは、ただいないものとして接せられるか、たまに嫌悪感を向けられるかのどちらかでしたから……」
言葉にするとこれまで心に蓋をして堪えていた感情が溢れ出して、涙が溢れ出してきた。
「申し訳ありません……、旦那様……、すぐに拭きますので……」
瞬間、ジークハルトはソフィアを抱き寄せスッポリと自身の胸の中に包み込んだ。
「……好きなだけ泣くといい」
その言葉が引き金になったのか、ソフィアはしばらくジークハルトの胸の中で嗚咽を漏らしながら泣いていた。
一通り泣き通すと、ポツリと呟くように言葉を発した。
「本当は、怖かったのです……。フォーレ伯爵令嬢から向けられる敵意が……。ですが、わたくしには怖いと思う資格もないと……どこかで思っているのかもしれません」
「そんなことは決してない。君には全ての感情を抱く権利があるんだ」
「旦那様……。ですが、そうしてしまったら、無関心を貫かれてもしわたくしが涙を流したとして誰も見向きもしてくれなかったら、心が壊れてしまいます……」
ジークハルトの、ソフィアを抱きしめる腕の力が強まった。
「だから君は、なるべく負の感情を表に出さないようにしていたんだな」
「はい……」
ソフィアはジークハルトに対して本音をこぼしたことに対してどこか安堵感を抱いたが、同時に不安も抱いた。
(旦那様は、こんなに弱いわたくしを知ってどう思うのでしょうか……)
だが、ジークハルトの手つきは優しく彼女の髪を撫でて、その温もりはどこまでも安心させてくれた。
「君はこれまで本当によくやってきたと思う。だが、これからはもっと自分の負の部分を晒け出してもいいんだ」
優しく背中をさすってもらっていると、心地よく凄く安堵し、このままジークハルトの胸の中で眠りにつきたいという気持ちが湧き上がってきた。
だが、何か自分の胸の奥に一抹の不安のようなものがこびりついているように感じた。
(旦那様のお言葉に甘えて、この胸の中のモヤモヤを打ち明けても、変に思われないでしょうか……)
そうぼんやりと巡らせると、ソフィアは意を決して口を開いた。
「実は……わたくしがまだ五歳ほどのことなのですが……」
「ああ」
ジークハルトは、変わらずソフィアの銀髪を優しく撫でている。
「あの頃もわたくしの周りには、使用人や家族はほとんど接することはなかったのですが、……ある日前触れもなく、あのわたくしと進んでお話を一度もしようとしなかったお母様が……」
思い出すと思わずこれまで封印していた「理不尽だ、納得できない」という気持ちが溢れでてきた。
「大丈夫か? もし、辛いようなら日を改めてもよいが」
ソフィアは、ジークハルトの胸の中で首を横に振った。
「いえ、よろしければ、……このまま続けさせてください」
「ああ、分かった」
ソフィアは、小さく息を小さく吐き出すと話を続けた。
「ある日、お母様がわたくしに大きなクマのぬいぐるみを贈ってくださったのです」
「ぬいぐるみ?」
「はい。……頭に赤いリボンが結んであって、ふかふかで五歳の頃のわたくしが丁度両腕で抱きしめてすっぽりと被さるくらいの大きさでした」
それまで、ほとんど嗜好品など与えられたことがなかったソフィアは、そのクマのぬいぐるみをそれはもう大切に扱った。
五歳の頃は、まだ屋根裏部屋ではなく子供部屋の隣の空き部屋がソフィアの私室であったが、幼児の部屋であるにも関わらず玩具やお絵かきをするための用具などは一切置いていなかった。
だが、姉の部屋には山ほど置いてあったので一度姉に少しの間だけでも貸してもらいたいと願ったのだが、無視されてしまいそれは叶うことはなかった。
だから、母親に贈ってもらったぬいぐるみは心から嬉しかった。一生大切にしたいと思ったし、実際には一人もいなかったが友だちのようだとも思っていた。
──それなのに。
「ある日、お姉様がわたくしの部屋に来て『これはわたくしのよ』と言って取り上げられてしまったのです」
「……そんなことがあったのか……!」
ジークハルトが声を張り上げたので、ソフィアはビクリと身を起こした。
「……はい。ですから、わたくしは、一度手にした望みや幸せはいつか必ず消えてしまうと心のどこかで思っているのです……」
「そのようなことをされては、そう思うのは無理もないことだ。そして、それは決して許されることではない!」
ソフィアは大きく目を見開いた。
ここまで取り乱しているジークハルトを見るのは、初めてだったのだ。
「ソフィア。君には悪いが君の実家に対して俺は容赦ない対応をせざるを得ないようだ。君との契約に関しての書類は強制的に提出するように促し、君が希望するのならば彼らには君に対して謝罪させるように命じる」
「旦那様……」
ソフィアの胸は熱くなり、たちまち視界が涙でぼやけた。
「そのように仰っていただいただけで、わたくしは満足です……。ですが、本音を言えば契約書は、破棄していただきたいです……」
そうジークハルトを見上げて精一杯微笑むと、彼はそっとソフィアの額に唇を落とした。
「それは、俺の本当の妻になる意思があるということでよいか?」
その言葉にソフィアの頬はみるみるうちに赤く染まっていく。
「……そ、それはまだその、心の準備がですね……」
ジークハルトは口元を緩ませ軽く微笑んだ。
「では、一晩俺の胸を貸すからゆっくり準備をして欲しい」
「────‼︎」
ソフィアの頬は更に赤くなるが、泣き腫らした顔をジークハルトに見せたくないのと泣き疲れたのもありソフィアは再び彼の胸に顔を埋めた。
「ソフィア……」
そうして、二人の時間は優しく流れていった。
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