第39話 エリオン男爵家にて2
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「ソフィアさんとの契約結婚はなかったことにしていただきたい。また、正式に彼女と結婚を考えています」
先の一件から約一週間後の週末。
ジークハルトは宣言どおり、エリオン男爵家のタウンハウスへと訪れていた。
なお、前もって先触れを送っていたからか、玄関先で対応した執事に問題なく応接間へと通されたのだった。
彼は黒のフロックコートを着込んでおり、その様は一分の隙も見せないように感じる。
「な、何を仰っているのですか⁉︎ あれは不出来な娘です。公爵閣下には全く不釣り合いも甚だしいのです。あんな娘よりも、私の長女のリナはいかがでしょうか。リナは完璧な淑女で」
「結構です。……妻の大切な実父にこのようなことを言うのは気が引けるのだが、あなたは真に娘のことが見えているのか」
「無論です! 第一、あの娘には全く魔力がないのですよ。あいつは生まれてきただけで我が家の平穏を乱したのです」
(ソフィアがこの場にいなくて本当によかった。こんな言葉、とても聞かせられない)
ジークハルトは右手を強く握り締めて、息を小さく吐き出した。
怒りが沸々と湧き上がってきた。
どうして、この父親は実の娘に対してこのような酷いことを言えるのだろうか。
そう思考を巡らせると、ある考えに行き着いた。
おそらく、彼らには驕りがあるのだろう。自分達には高い魔力がある。他の者とは違うという選民思想があるのだ。
それがどんなに愚かなものなのか、ジークハルトはエリオン男爵を目前にして身を以て感じた。
(もう、二度とソフィアをこの家の敷居を跨がせてはならない)
「あなたの言い分は理解した。ならば私はこの契約を破棄することを断言する。支度金はすでに支払っており、問題はないな」
「くっ……‼︎ ……はい……」
ジークハルトは、半ば脅迫めいて敢えてこのような口調で言い放った。
「では失礼する」
そうして、ジークハルトはエリオン家のタウンハウスを後にしたのだった。
◇◇
ジークハルトを見送ると、エリオン男爵は力なくソファに腰掛け直した。
「……非常に不本意だが、仕方がないか……」
ジークハルトとしては、正式な婚姻書類はすでに貴族院に提出をしているし、嫁入りの準備支度のためにとエリオン男爵家には支度金まで払っている。
契約結婚の書類さえなければ、なんら問題のない結婚であるのだ。
一方で、ソフィアの父親からしてみれば、娘を一年間の契約でジークハルトに売った形であり、もしジークハルトが契約書を何らかの形で隠蔽をしてその事実のみを明るみにしてしまえば、男爵家にとっては大きな痛手となるだろう。
「ただでさえ、魔法式の件で我が家は商会から突かれているのだ。これ以上のスキャンダルはまずい」
呟くが、どうしても納得ができないという気持ちも込み上げてくる。
「我が家門に魔力がない人間が輩出されたなど、そんなことがあってはならぬのだ! 予定では、あれは公爵閣下にボロ雑巾のように扱われてゆくゆくは平民としてひっそりと生を終える予定だったのだ!」
それなのに、なぜソフィアは公爵家で大切にされているのか。
思い返してみると、先日レストランでソフィアと遭遇した際に、彼女はまるで公爵夫人のような華美なドレスに身を包み、ジークハルトにエスコートされながら入店して来た。
「……まさか、あれは本当に男をたぶらかす能力に長けていたのか……?」
エリオン男爵は、妻や娘がかつて言っていた「人の物を欲しがる、癇癪が酷い」等の言葉の全てを信じていたわけではなかった。
だが、彼はソフィアに全て罪を被せれば家庭の平穏が保たれると考えて、敢えて彼女らの言葉を鵜呑みににしていたところもあるのだ。
「……本当にそうだったとしたら、由々しきことだが仕方がないのかもしれない。悪いがリナには諦めて……」
呟くと同時に扉からノックが響いた。
「お父様! わたくしです!」
「ああ、入りなさい」
「失礼いたします」
リナは入室するなり、向かいのソファに腰掛けて大きく見開いた。
「お父様。公爵様はどのようなご用件だったのですか? あれとの契約はあと八ヶ月ですが、それ以降はわたくしが代わりに公爵家に嫁ぐことになるのですわよね?」
リナは上品な笑顔を浮かべている。
真実を教えてしまえば傷ついて、人前で取り乱したこともない娘が涙をこぼすかもしれない。
そう思うと心苦しいが、エリオン男爵は意を決して先ほどのやり取りをリナに全て伝えた。
「な!」
リナが大きく目を見開いて驚く様子は珍しいが、思ってもみなかった事態だろうから仕方がないだろう。
「……お父様。公爵閣下は騙されているのです。あれは男を誑かす能力が高いだけの魔力なしの無能です。……公爵家に相応しいわけがないのです」
「それは、私とて重々承知をしている。だが、公爵が直談判に訪れた時点でもう詰んでいるんだ。この件はもうこれまでにしよう」
男爵は目を細めるが、リナは少し間を置いたのち、口角を突き上げた。
「お父様。わたくし先日王宮に訪れた際、とても素敵なお友達ができましたのよ。そのお友達と近々会って来ますね」
「それはよかったな。是非会って来なさい」
「はい」
そう言って微笑んだ娘の笑顔がいつもよりも冷たく感じられて、なぜだか男爵は全身に冷や汗が滲んだのだった。




