六 一網打尽
立花というのが、恋人か友人か知らないけど、別件で死んだ人間の恨みを私に向けられても困る。
一応、私に殺された人間の復讐や恨みなら、正面から真摯に向き合う気がないでもない。
まあ、相手の復讐を成立させて、死んであげる気はないけど。
「「「なっ!」」」
手錠をかけようとした警察官が、自分の流した血の海に沈むと、拳銃を構えた五人の警察官は驚愕の表情を浮かべて絶句している。
驚くヒマがあったら、拳銃を撃ったほうがいいと思うんだけど、同僚の死が衝撃的だったのか、凍りついたように動かない。
一閃。
拳銃を構えたチンピラ警察官の両腕を手首のあたりで切断。
皮も、肉も、骨も、抵抗なく切れる。
やっぱり、二〇〇〇円のナイフの切れ味じゃない。
一閃。
ナイフを逆手に持ち替えて、股下から一気に切り上げる。
「アギャアアアァ」
チンピラ警察官が中途半端な腹開き状態で、内臓を地面にこぼして、断末魔を上げながら崩れる。
こいつのことは、それなりにムカついたから、痛めつけてから殺したいところだけど、悠長に拷問している時間もないから、サクっと殺した。
残り、四人。
「ワ、ワアアアァァァ」
刺す。
発砲しないで、錯乱したように、拳銃を持ったまま腕を振り回す警察官を、順手に持ち直したナイフを眉間に突き立てて黙らせる。
残り、三人。
左手で殺したての死体を保持して、拳銃の射線を遮りながら、間合いを詰める。
「クソッ!」
警察官の一人が忌々しそうに、顔を歪めている。
あるいは、顔を歪めているのは、嫌悪感からかもしれない。
私が手にしているのは死体で、生きていないのに、こいつらは発砲を躊躇する。
これは死体で、もう同僚じゃないのに、傷つけつけることを躊躇うことで、自分の命を危険にさらしている。
バカじゃないかと思う。
でも、そういう行動は嫌いじゃない。
まあ、だからって、私は殺しを躊躇ったりしないけど。
投擲。
死体を片手で、一番近くにいる警察官に投げつける。
「うがっ」
死体と衝突して、警察官の動きが止まる。
刺す。
刺す。
刺す。
刺す。
素早く、四回、警察官の腹部にナイフを刺した。
投げた死体と折り重なるように、そいつも死体となる。
残り、二人。
「チクショー!」
叫びながら、すごい形相で二人の警察官が、必死に私に向かって銃口を合わせようとしている。
けど、射線が私と重なるとは思えない。
別に、銃口から伸びる弾道が、幻視できたりするわけじゃない。
それでも、ある程度、銃口を注視すれば、銃弾の当たらない漠然とした安全地帯はわかる。
後は、警察官の動きで変化する安全地帯を移動すれば、撃たれないし、撃たれたとしても、銃弾が私に命中することはない。
なぜなら、二人の警察の動きが遅すぎる。
相手が、わざとスローモーションで動いているのかとすら思ってしまった。
謎の声の影響で、身体能力と肉体の強度だけじゃなくて、動体視力や反射神経のようなものまで強化されているみたい。
一閃。
「嫌だアァー!」
私がナイフで腹を切り裂いた警察官は、はみ出る内臓を抱えるようにうずくまって動かなくなった。
残り、一人。
『レベルが上がりました。進化が解放されました』
中性的な謎の声が脳裏に響く。
進化?
意味がわからない。
まあ、最後の一人になった警察官を殺してから考えよう。
「く、くるなぁー!」
冷静じゃない表情をした警察官の人差し指が動いて、明らかに命中しない照準で拳銃を発砲しようとしている。
こいつが何発撃っても、別にいいけど、その流れ弾で誰かが傷ついたり、死ぬのは、少し嫌だ。
私が私の意志で行った殺しでもないのに、私のせいで傷ついたとか、殺されたとか、非難されるのは面白くない。
だから、
「な、なんで」
警察官が手にした拳銃の回転する弾倉部分をつかんで、動かないようにした。
こうするとリボルバーとかいうタイプの拳銃は、撃てなくなる……らしい。
前に見た映画か、アニメの情報なので、絶対の確信はなかったけど、本当に発砲できないようなのでよかった。
拳銃を撃てないことで驚いている警察官の眉間にナイフを突き刺して、サクっと殺す。
残り、〇。
一応、警察官の脅威度は計れたかな。
SATとかの特殊部隊はわからないけど、普通の警察官は何人いても普通に問題なく対処できる。
必要以上に警察官と出会いたいとも、殺したいとも思わないけど、正面から戦えば撃退できるとわかったのは大きな収穫。
これで過剰に警察を警戒する必要がなくなった。
それでも、寝込みなんかを不意打ちされたら、どうなるかわからないから無防備に油断すわけにはいかない。
それ以外にも、私の他にも謎の声に影響された存在の可能性。
それも複数。
まだ、明確な敵じゃないけど、味方というわけでもない。
下手をしたら、警察以上の脅威になる可能性もある。
まあ、情報不足で、なに一つ断定できないけど。
どういう存在かまったくの不明だけど、そういう存在がいて、出会う可能性があるって警戒しておいたほうがいい。
ああ、あとレベルアップと進化があった。
というか、進化ってなに?
鉄皮のときにみたいに、なにか想像すると、勝手に決定されるのかな?
どんな存在にされるかわかったものじゃないから、うかつに変な想像をするわけにもいかない。
でも、このままというわけにもいかない。
進化先の一覧でもわかればいいんだけど……
「なに、これ?」
半透明な表示が空中に出てきた。
「赤鬼、角が生えて肌が赤くなる。力が強い。黒鬼、角が生えて肌が黒くなる。頑丈」
進化先と思われる表示が出てきた……のかな?
まあ、多分、そうでしょう。
これで進化と関係なかったら、逆にビックリする。
でも、一言だけ言いたい。
説明がザックリしすぎ。
角が生えて、肌の色が変わって、力が強くなったり、頑丈になったりすると言われても、進化後の容姿や力の具体的なイメージができない。
下手をすると、角と肌以外にも、三メートルぐらいの巨体になってしまう可能性もある。
簡易的でもいいから絵とかあったらイメージしやすいのに。
力についても、何倍になるとか、これぐらいのことができるとかの説明が欲しい。
と、要望を強くイメージするけど、半透明の表示に変化はない。
ダメか。
気を取り直して、色々と表示を調べていると、色違いの鬼以外にも吸血鬼とかもあった。
進化後のデメリットを警戒して、進化を保留するのも、選択肢としてなくはない。
けど、後で進化できなくなる可能性や、ここで進化しておけばって後悔する可能性もある。
どうしようかな。
「うーん…………うん? 獣鬼?」
獣鬼、二足歩行の獣の姿に変身できるみたい。
狼男みたな感じかな?
能力的なことは変身以外に説明がないけど、現状にプラスして獣人のような姿に変身できる、獣鬼が一番デメリットが少なそう。
うん、これにしよう。
進化先、獣鬼。
『進化先がリクエストされました。変身時の獣を選択して下さい』
謎の声が予想外のことを告げる。
獣?
獣鬼になったときに変身する獣をどうするかってこと?
私に適応する獣を強制的に割り当てられるんだと思ったんだけど、自分で選べるんだ。
でも、どうしようかな。
最速の獣チーター、肉食獣最強のシロクマ、陸上最大のゾウ。
あるいは、タカとかを選んだら、飛べるようになるかもしれない。
でも、ここは、無難で私と縁もある百獣の王ライオンにしよう。
苗字に獅子が入っているから、相性もいい気がする。
まあ、根拠はないけど。
一応、百獣の王だから、酷いハズレにはならないと思う。
『ライオンの獣鬼に進化します』
謎の声が聞こえると共に、全身を猛々しくも熱い力の奔流が駆け巡る。
焼けるような激痛じゃないし、命の危険は感じないけど、全身が地味に痛い。
「アアアウウァ」
少しつらかったけど、一〇秒くらい耐えたら、波が引くように熱と痛みが消えていった。
一度、深呼吸をして、呼吸を整えてから、袖をまくって腕を確認してみたけど、これといった目だつ変化はなかった。
失敗……じゃないと思う。
なにしろ、自分の奥底に新しく生まれたスイッチのようなものを感じられる。
別に、体のどこかに物理的なスイッチが生えたわけじゃない。
自分を獣へと切り換えるイメージ上のスイッチ。
一応、スポーツバッグから駅前で買ったばかりの手鏡を取り出して、顔を確認してみるけど、鉄皮を獲得して褐色になっている以外、目だった変化はない。
まあ、夜空の下で街灯を光源にしているから、些細な変化を見逃している可能もあるけど。
とりあえず、後始末をして移動しよう。
まだ、外に出てこちらを確認しようとする野次馬はいないけど、いつ見られてもおかしくはない。
むしろ、断末魔や叫び声が聞こえたら、善良な一般市民は警察に通報する。
ここにいると追加の警察官と出会ってしまうかもしれない。
脅威には感じないけど、その後が面倒なので出来れば出会うのは避けたい。
返り血で汚れた黒いパーカーを脱ぎ捨てて、スポーツバッグからウェットティッシュを取り出して、手と顔とナイフに付いた血をぬぐう。
学校指定のえんじ色のジャージには、目立つ血の付着がないので、そのまま着ていく。
新しく着替えとしてスポーツバッグから取り出したパーカーは少し明るい赤だけど、夜で暗いからそれほど目立たない……と思う。
そうであって欲しい。
少しだけ、犯罪現場に証拠品を不用意に残しすぎの気がする。
けど、すでに警察には身元がバレているから、そこまで神経質になる必要はないかな。
血で汚れたパーカーを持って行くのはかさ張って面倒だし、鑑識が血眼になって私への手がかりを探す証拠品になってもらおう。
もう、ここから離れてもいいんだけど、それが視界に入った。
死体となった警察官たちが拳銃を手に保持している。
結局、発砲することのなかった拳銃が六丁。
別に、財布、警察手帳、手錠、警棒は必要ないけど、拳銃は持っていれば役立つかもしれない。
あるいは、拳銃を奪うことで、いまよりも警察は私の捜索に力を入れるかもしれない。
でも、すでに、同僚を六人、殉職させているから、拳銃の有無に関係なく、最大限の力を投入してくる気がする。
それに、拳銃は単純な武器としてじゃなくて、なにかの交渉材料に使えるかもしれない。
まあ、邪魔になったら、捨てればいい。
警察官の死体から次々に六丁の拳銃を回収していく。
拳銃には盗難防止用と思われる金属製のワイヤーが付いていたけど、ナイフで簡単に切ることができた。
それと、警察官が持っていたスマホのうち二つが指紋認証でロックが解除されるタイプだったから、少しだけ心がひかれたけど、相手にこちらの位置がバレそうだから止めておく。
だから、目的のネットカフェの場所だけ警察官のスマホで調べてから、履歴からなにを調べた探られないように、スマホを粉々に破壊した。
ついでに、他の警察官が持っていたスマホも破壊する。
目的のネットカフェの場所もわかったから、六つの死体に背を向けて後にした。
「職務、ご苦労様でした」
一度だけ振り返って、適当に一言だけ残してから、再び歩き出す。
地元じゃないから、土地勘はないけど、ネットカフェまでのルートは複雑じゃないから、迷うことはないと思っていたのに、一時間たってもネットカフェにたどり着けない。
早ければ二〇分、遅くても三〇分でたどり着いているはずなのに。
気づいていなかっただけで、私は方向音痴なのかな。
まあ、あまり徒歩で遠出とかしなかったから、気づけなかったのかもしれない。
それでも、一応、目的地の付近には着ていると思う……多分。
なんだけど。
今日は運がない。
後方からパトカーが徐行しながら、私の横を通り過ぎたと思ったら、そのまま行かないで一〇メートルぐらい先で停止した。
パトカーはサイレンを鳴らしていないけど、嫌な予感しかしない。
間違っているかもしれないけど、パトカーはミニパトと呼ばれるタイプだと思う。
前に見たアニメか、ドラマで、交通課の婦警さんが乗っていた気がする。
さっき殺したチンピラ警察官たちと一緒にいなかったのは、この婦警さんたちが遠くにいたからかな?
さすがに、チンピラ警察官の死体を警察側が発見していないってことはないと思うから、この婦警さんたちは殺害犯の私を探すための応援として呼ばれたのかもしれない。
どちらにしろ、六人の警察官を殺しても、空白地帯は生まれなかった。
一応、パーカーのポケットのなかにある折りたたみナイフをそっと握る。
警戒しながらも、目立たないように足を止めない。
ミニパトまで数メートルぐらいの距離に近づいたとき、ミニパトのドアが開いて二人の婦警さんが降りてきた。
「君、少しいいかな?」
第一声は意外にも、チンピラ警察官と違って高圧的じゃない。
むしろ、優しげで丁寧な口調。
「はい、なんでしょう?」
無難に返事をしながら、相手を観察する。
二人のうち私に声をかけた方は、ややタレ気味の大きな目をした、なかなか可愛い容姿をしている。
もう一人は、切れ長の瞳で少し冷たい印象の美人。
二人に共通しているのは、警戒したり、緊張したりしているようには見えない。
私を獅子堂リオと知って声をかけたわけじゃないのかな。
少なくとも、一〇人以上を殺害して、同僚を六人殉職させた相手を前にした様子じゃない。
これが私を油断させるための演技なら、二人はすぐに警察を辞めて女優に転職したほうがいい。
「緊張しなくても、大丈夫。別に、補導しようかそういうわけじゃないから」
こちらを緊張させないためなのか、タレ目の婦警さんは優しげな笑みを浮かべている。
「…………そうですか。それで、なにか、御用ですか?」
タレ目の婦警さんの態度が予想外で、私の対応も必要以上にぶっきらぼうなものになってしまった。
「あーっと、その、こんな時間に一人で歩いているから、どうしのかなって。なにか、不安や問題があるなら、相談に乗るし、力にもなるよ」
タレ目の婦警さんは笑顔を浮かべているけど、目は真剣だった。
でも、それはこちらを疑ったり、探ったりするような不快なものじゃなくて、こちらを心配してのものだと思う。
まあ、母以外から心配してもらった実体験がないので、確信が持てないけど。
「…………いえ、大丈夫です」
タレ目の婦警さんの態度と言動から考えると、彼女は私を家出少女か、それに類するものだと勘違いして心配しているんだと思う。
こんな時間に駅近くとはいえ、人通りの少ない裏通りを女子中学生が一人で歩いていたら、良識ある警察なら勘違いして補導するかはともかく、とりあえず話を聞こうとする……かな?
まあ、人を思いやれるのは美徳だと思うけど、いまの私にはありがた迷惑でしかない。
それでも、私のことを思うなら、早く離れて欲しい。
長時間の接触は、双方にとって幸せな未来をもたらさないと思うから。
「本当に?」
「ええ、色々あった問題が消えたので、もう問題に悩まされることはありません」
ある程度、正直に答える。
沈黙や否定で応えるよりも、ある程度、本当のことを伝えた方が、相手も安心して早く解放してくれる気がするから。
それに、嘘は言っていない。
問題は消えて、私が森山イツカや折本たちに悩まされることはなくなった。
なにしろ、あちらは死人、もう問題の起こしようがない。
殺したことで別の問題が起こるかもしれないけど、それは殺人を行った私の問題で、あいつらが起こす問題というわけじゃない。
「それならいいけど、本当に大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。でも、それなら、駅までの道を教えてくれますか?」
大丈夫だから関わらないで、と言ってもこの人は簡単に引いてくれなさそうなので、少しだけ助力を頼んでみる。
実際、道に迷っているから、駅までの道を教えてもらえれば、ネットカフェまで一人でたどり着ける。
「道?」
タレ目の婦警さんは不思議そうに首をかしげる。
「ええ、迷ってしまったようなので」
「ああ、そうなんだ。そっか……」
タレ目の婦警さんは少しだけばつが悪そうな表情を浮かべている。
隣の切れ長の目をした婦警さんを見れば、こちらは苦笑している。
彼女たちの態度の意味がわからないから、首をかしげながら応じた。
「どうかしたんですか?」
「いやぁ、君のこと家出少女だと思って」
タレ目の婦警さんが言い難そうに言った。
やっぱり、私を家出少女だと勘違いされていた。
でも、私が獅子堂リオだと彼女たちに気づかれていないと、少しだけ安堵しながら応じた。
「家出ですか、その予定はないですね」
本当に、その予定はない。
すでに、帰る家がないだけ。
それに家のあった場所には、思い出の残滓と炭が山積していることだろう。
「そっか、そっか、こっちの早とちりだったか」
照れたように笑う彼女を見ていると、殺伐としていた心が少しだけ温かくなった気がした。
「ご心配おかけしました。ありがとうございます」
「いやいや、あんまり気にしないで、こっちが勝手に勘違いしただけだから。うーん、でも、それなら、家まで送っていくよ?」
「いえ、駅までの道を教えていただくだけで大丈夫です」
素早く、笑顔で丁重に断る。
ミニパトでの移動?
彼女たちに、私が獅子堂リオだと、バレるリスクが跳ね上がる。
そんな密室空間に一緒にいたら、どんなに鈍くても気づかれてしまう。
それに、ミニパトに乗ったら、フードを下ろさないといけない。
車中でもフードを被るなんて、護送される犯人でもなければやらないと思う。
密室空間で、フードを下ろすなんて、絶対に気づかれる。
「別に、そんなに手間でもないから、気を使わなくてもいいのに」
と言いながら、渋々といった様子で、タレ目の婦警さんは駅までの道を丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます」
「いやいや、これくらいどうってことなって。なんたって、私は市民の味方、警察なんだから、もっと頼っていいんだよ」
タレ目の婦警さんは嬉しそうに胸をはる。
言葉だけ見れば、胡散臭い建前にしか見えないけど、多分、この人は本心からこの言葉を言ってるんだろうなということは、なんとなくわかった。
隣の切れ長の目をした婦警さんは、少しだけ呆れたように肩をすくめている。
「今度から、そうします」
これは嘘。
この人に嘘を言うのは、どうしてか少しだけ胸が痛くなるけど、しょうがない。
人殺しの私が警察を頼るなんてできるわけがない。
でも、良かった。
本当に、良かった。
これで、この人たちを殺さなくてすむ。
そのことが、本当に、良かった。
あるいは、この人たちに、私が人殺しだと、バレなかったことのほうが、良かったのかのしれない。
特に、縁もゆかりもない、ただ、少しだけ心配してくれた。
それだけの関係なのに、本当に不思議。
でも、そんな不思議な感覚とリスクに満ちた二人との関係を断ち切るように、一度、頭を下げてから背を向ける。
なのに、
「婦警二人、発見」
そんなヘビに全身をはわれるような悪寒を感じる声を背後から聞いた。
驚いて振り返ると、そこには木刀を持った上下灰色のスウェットを着たメタボ気味の三〇前後の男が立っていた。
でも、わかる。
一目で、わかった。
道理や理屈をすっ飛ばして理解した。
あれは、人間じゃない。
見た目は人間だけど、あれは間違いなく人間じゃない。
あれを、人間と間違いえるなんてありえない。
ライオンをネコを間違えるくらいに、ありえない。
差異はあるけど、私と同類の者。
だから、あいつの行動も容易に予想できてしまう。
さっきの言動と組み合わせて考えると、タレ目と切れ長の目をした二人の婦警は殺される。
拳銃で抵抗しても、彼女たちが生き残れる可能性は少ない。
なら、どうする?
木刀男が二人の婦警を殺している間に、ここを離れるのが最善かつ合理的な判断のはず。
彼女たちは縁もゆかりもない、もっと言えば敵対している組織に所属している人間。
手助けするメリットなんて、一つもない。
もっと言えば、手助けしても、デメリットしかない……はず。
…………まあ、でも、手助けするメリットがあるとすれば、心配してくれたあの二人の命が助かるってことくらいかな。
その代償として、どれだけ強いかもわからない同類と戦うことになる。
私が大量殺人を行った獅子堂リオだって、二人にバレてしまう。
駅の場所を聞いたことで、駅の近くにある泊まろうと目を付けていたネットカフェも警察にマークされるだろうから、今夜は野宿が確定になる。
…………まあ、それなら、収支として悪くない。
ある意味で終わっている私の道行きにのしかかる少しの負債を受け入れることで、善良で優しい人間が救われるんだから、悪くない。
うん、悪くない。
もしかしたら、木刀男の殺人にこそ、正当な理由があるのかもしれない。
それに、自分で少し前に警察官を殺しているのに、ここで警察の人間を助けるなんて、行動が一貫してないのかもしれない。
でも、そんな些細なことなんてどうでもいい。
私みたいなものにも優しくできる人間が助かるんだから。
助けた後で感謝なんかされないで、怖がられて罵倒されるかもしれない。
あるいは、拳銃を向けてきて敵対するかもしれない。
でも、それは、当然のこと。
私は大量殺人鬼なんだから、それでも優しくされたいなんて、傲慢で贅沢が過ぎる。
「あ、あなたは?」
木刀男が人外だって理解できなくても、明らかに普通じゃなってわかったみたいで、二人の婦警さんは戸惑っている。
私からしたら、二人は反応が鈍くて、危機感が薄い。
木刀男を目視すると同時に、発砲するか、逃げ出さないと、生存の道はない。
それでも、生き残れる確率は低そうだけど。
もっとも、私が介入するから関係ない。
「オレか? オレは、ただの」
そこで、木刀男は言葉を切って、二人の目の前で木刀をミニパトに叩きつける。
その一撃で、ミニパトが爆音と共に廃車になる。
明らかに、ただの木刀をメタボなオッサンが振った結果じゃない。
感覚的にはわかっていたけど、これで事実として木刀男が同類だって断定できた。
「殺人鬼だ」
恐怖や緊張を感じさせない口調。
警察と正面から敵対することを欠片も恐れていない。
鬼になって、レベルが上がって手に入れた力に、酔っているのかもしれない。
「殺人鬼?」
タレ目の婦警さんは、目の前の非現実的なことに思考が追いついていないのか、不思議そうに首をかしげている。
「マヤ、この人、課長から警告されていた事例かもしれない」
一方、切れ長の目をした婦警さんは、心当たりがあるのか、険しい表情をしている。
「えっ? それって」
「反応が鈍い。せっかく、婦警に出会ったのに、残念だ」
木刀男は私のようにフードで顔を隠すこともしないで、盛大にため息をした。
心底、本当に、二人にガッカリしたとでもいうように。
「あなたは、なにを言っているの?」
切れ長の目をした婦警さんも、木刀男を警戒はしても、すぐに拳銃を抜こうとはしない。
知識として、鬼の危険性を知らされていたみたいだけど、本質的に実感できていないよう。
まあ、でも、突然、上司からこういう非常識で危険なのいるみたいだって警告されても、都市伝説のように信じ切れなくても仕方がない。
私も当事者じゃなかったら、証拠を見せられなければ信じないと思う。
「鈍いな。もういい、面倒だ。死んで経験値になれ。お前たち二人で、記念すべき二桁達成だ」
「きょ、凶器を捨てて、大人しくしなさい」
タレ目の婦警さんが、警棒を構えて警告する。
良識ある警察としては、正解なのかもしれないけど、この場だと滑稽ですらある。
「あまりに滑稽で、まるで道化だな。哀れだから、お前から殺してやる」
「っつ」
わずかに声が口から出てしまう。
ある程度の痛みは覚悟していたけど、それ以上に痛くて声を抑え切れなった。
木刀男の木刀を、婦警さんの命に代わって、受け止めた左腕は痛かったけど、骨折とかはしなかったみたい。
鉄皮の恩恵かな。
「なんだ、お前。…………お前は、バカなのか。どうして、警察をお前が守っている?」
私が同類だと気づいたのか、木刀男はバカを見るような視線を向けてくる。
まあ、こいつに言われなくてもわかってる。
自分を捕まようとするかもしれない相手を助けるなんて、意味不明。
でも、後悔も迷いもない。
「君、なにしてるの! 危険だから、すぐに、逃げないさい」
切れ長の目をした婦警さんの焦るような口調の警告に、少しだけ嬉しくなる。
彼女は、偶然、タレ目の婦警さんの相棒をしているだけの人かと思ったけど、自分の命も危機的な状況で未成年の少女に警告を出すだけの良識がある。
ついでに助けようと思ったけど、気持ちを切り換えて、彼女もしっかり助けよう。




