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鬼ごっこ、人ごっこ  作者: アーマナイト


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14/15

一三 初仕事

 私が連絡会の所属になってから三日が立った。

 正直、ユリネと交渉をする前は、話がまとまらなくて破談になってもいいって思っていた。

 だけど、いまなら連絡会に所属して良かったって言える。

 あれから私の家として用意されたのは、防犯カメラなんかのセキュリティのしっかりとした家具付きの高層マンションの一室。

 部屋に案内されてベッドに横なったら、すぐにスイッチが切れたように、そのまま半日近くも熟睡してしまった。

 自覚していなかったけど、私はかなり疲労していたみたい。

 起きたときに、心身が軽くてビックリしてしまった。

 いつのまにか、自分じゃわからなかったけど、心身に重りのような疲労が蓄積されていたみたい。

 多分、無自覚だったけど、私は常に気を張って色々と警戒していたんだと思う。

 でも、それは当然かな。

 だって、人外の力を手に入れたといっても、私はあまりにも孤立していた。

 国、

 社会、

 そして世界から。

 孤独には慣れていたから、寂しいとは思わないけど、周囲のすべてが自分とは違う異質なものなってしまったから、周囲に対して常に気を張るのは当然。

 まあ、変質したのは、周囲じゃなくて私だけど。

 だから、気を抜いてゆっくりできるようになったのは良かった。

 それだけでも、連絡会に所属した価値はあると思う。

 それに、隣の部屋に住むメイも裏社会の人間とは思えないほど、家具のデザインや機能、食事の好き嫌いなんかをさり気なく聞いてくれたり、丁寧で気をつかってくれるから、なかなか快適な日常が送れている。

 その気づかいはビジネスライクなものかもしれないけど、私への公私のサポートのために、わざわざ隣にメイが引越ししてくれたのは嬉しかった。

 森山イツカや鴨居カエデを嫌悪しているから、同性というだけでメイのことも自動的に嫌悪して、殺人衝動を高めてしまうんじゃないかって思っていた。

 でも、メイの内心はわからないけど、横柄じゃない話し方と細やかな気づかいが、私は嫌いじゃない。

 私の部屋に、用意されたと思われる可愛らしいぬいぐるみたちも、近寄りづらい外見のメイが趣味で選んだと思うと、自然と頬が緩む。

 まあ、私自身はぬいぐるみを持っていたことがないし、欲しいとは思わないけど、メイが部屋のインテリアとして用意してくれたのだから、邪険に扱うつもりはない。

 そして、ついに今日は初仕事だ。

 生まれて初めての仕事だから不安でドキドキしてるけど、同じくらい大人になったみたいでワクワクしている。

 まあ、仕事と言っても、殺人っていう社会的にアウトで、真っ黒な非合法なものだけど。

 予定通り、メイの運転する黒のSUVが雑居ビルの手前で止まる。

 この雑居ビルの三階に入っている消費者金融の業者を皆殺しにするのが私の仕事。

 深呼吸して、集中する。

 装備の確認。

 愛用の折りたたみナイフ。

 メイが用意してくれたスマホ。

 五万円が入った財布。

 そして、合計で一〇万円を超えるらしいランニングシューズ、上下の赤のジャージ、赤のパーカー。

 ジャージにパーカー姿で逃走していたから、メイたちに私はジャージとパーカーの愛用者だと認定されたみたい。

 このときだけはメイの細やかな気づかいが、少しだけ嫌になってしまった。

 別に、嫌いじゃないからいいけどね、ジャージとパーカー。

 でも、部屋に用意されていた服の大半が、ジャージとパーカーなのはどうなんだろう。

 それにジャージが学校指定のダサいえんじ色のジャージにならってなのか、赤系統で統一されているのは少しだけ勘弁して欲しいかな。

 お高いジャージの着心地は、学校指定のダサいジャージとは比べ物にならないほど良いけどね。

 でも、複数の色が用意されたパーカーを確認して、安堵している時点で色々ダメな気がする。

 内心、モヤっとした思いがないわけじゃない。

 ただ、強く拒絶するほど嫌いなわけでもないし、用意されたなかでスカートやデニムとかの少数派の服を着るのは、なにかに負けた気がしてしまうので、結局のところジャージとパーカーを着てしまっている。


「リオ、大丈夫?」


 運転席のメイが心配そうに聞いてくる。

 メイの言葉の意味はわかるけど、意図がわからないから思わず聞き返していた。


「え、なにが?」


「なにがって、リオが危険な場所に行くから、心配したの」


 メイが呆れたように肩をすくめる。


「……危険って、相手は人間だよ? 銃で武装したのが一〇〇人いても、私が死ぬとは思えないかな」


 だから、これから行くところが危険だとは思えない。

 木刀男と戦った後は自分以外の鬼が危険だと思ったけど、森山父たちとの戦いを経験して、その思いは変化している。

 自分が最強だって、浮かれて傲慢に相手を侮るつもりはないけど、過剰に警戒することもしない。

 進化していなくても、殺害数が一〇人以上なら警戒するべきだと思う。

 でも、一〇人以上の人間を殺せば、どうしても表側だけじゃなくて裏側の社会でも、それなりに目立つ。

 メイに確認したけど、これから向かう消費者金融にいる人間には、そういう話がないらしい。

 鬼がいるとしても、周囲にバレないように細々と数人の人間を殺している鬼だ。

 だから、過剰に標的を恐れる必要はない。


「それはそうだけど、相手は森山たちが鬼になるために殺した人間を用意した連中だよ。自分たちも自衛のために、鬼になっている可能性は十分にある」


 これから向かう消費者金融の連中によって、森山父たちが鬼になるのに必要な人間が用意されたらしい。

 殺しても問題にならない人間なんてどうやって用意したのか、メイに聞いてみたら、借金が帳消しになるなら自分から失踪したように偽装して、殺されてもいいという人間が一定数いるらしい。

 なかなか業の深い話だ。

 この話があるから、メイは連絡会が把握していない強力な鬼の可能性を警戒しているのかもしれない。


「うーん、その可能性はあるけど、私みたいに進化までしている鬼がいるとは思えないから、大丈夫だと思うよ」


 私が思うに、メイは心配しすぎだ。

 裏社会の人間とは思えないほど気を使ってくれるし、連絡会の組織のなかで上手くやれているのか、逆に私が心配になってしまう。


「……わかった。でも、十分に気をつけて」


「ありがと、十分に気をつける。それじゃ、獅子堂リオは初仕事に行ってきます」


 SUVの助手席から降りて、改めて深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 メイに言ったみたいに、消費者金融での仕事を危険だって思ってるわけじゃない。

 でも、初めての仕事だから、それだけで緊張してしまう。

 子供が初めてのお使いで、不安になるのと同じかな。

 うん、でも、それだけ。

 身の危険を感じて怯えることも、非合法な殺人を実行することに忌避感もない。

 まして、相手は黒に近いグレーな方々だ、

 ますます躊躇う理由がない。

 少しだけ、死んでしまった母がどう思うかなって考えてしまったけど、無意味で無益な考え。

 いまも母が生きていたなら、私は母の平穏のために、私を殺し続けて鬼になっていなかった。

 でも、母はもういない。

 だから、母のために遠慮する必要も、

 母のために我慢する必要も、

 母のために自分を殺す必要もない。

 自分のために、自分の人生を行くだけ。

 まあ、やりたい希望や夢もない、空っぽな自分なんだけど。

 生きていれば、そのうちなにかで、その空虚も埋められるかな。

 そんなことを意味もなく考えて足を進めていると、消費者金融のドアの前まで到着した。

 一応、パーカーのポケットに仕舞ってあるナイフに触れて確認するけど、抜かない。

 それに変身もしない。

 この仕事は素手でやってみる。

 連絡会の会長をしている竜崎ユリネが、私の仕事として用意した案件の難易度を確認するための試金石にする。

 変身してナイフを使ったら、難易度を確認するまでもなく、終了してしまうから、変身とナイフは必要になるまで使わない。

 それに、素手での殺人の効果で、凶器である肉体が強化されることも期待している。

 まあ、微々たる強化で、レベルアップよりも効率が悪いけど。

 素手で殺すとナイフが強化されないけど、それは仕方がないかな。

 現状でも、ナイフは十分に強化されているから、鬼を相手に戦うことを考えても無理に、これ以上強化しなくても大丈夫かなと思ってる。

 無言でドアを開けて、消費者金融に入っていく。


「まだ、やってな……」


 ドアの近くにある受付カウンターのような場所に、タバコをくわえて座る濃い化粧をした三〇代ぐらいの女性が、驚いたような表情を浮かべて言葉を止める。

 フードを被っていても私が小柄で未成年っぽいから、訝しく思っているのかもしれない。

 でも、それ以上、彼女がなにか言葉を口にすることはない。

 思いっきり振るった拳が、彼女の頭を粉砕して破裂させる。

 残された彼女の胴体が、首から血の噴水を生み出し、あたりに漂うタバコと化粧品の臭いを生々しい血の臭いが覆いつくす。

 彼女の背後の白い壁にできた血肉で描かれた花火は、どこか水墨画のようでなかなかにシュール。

 女性が相手だと、攻撃を躊躇う?

 ありえない。

 というよりも、躊躇う理由が私のなかにはない。

 なにしろ、私の最初の殺人は女性だ。

 いまさら、女性だからって手心を加えたり、躊躇う道理がないかな。

 もしも、彼女が物凄い善人で、多くの人間から愛されて必要とされていたら、少しは殺すか考えたかもしれない。

 でも、こんなところに彼女がいる時点で、その可能性はほとんどないかな。

 ゆっくりと慎重に奥へと進む。

 事前の説明だと、ここには殺すべき人間の男が、あと四人いる。

 ここを見張っていた連絡会のメンバーによって、標的たちが雑居ビルに入っていくを確認されている。


「……ざけん……」


 ドアのある奥の部屋から、怒鳴り声が聞こえる。

 ドアに声が遮られて内容はわからないけど、複数人の怒鳴り声が確認できる。

 身内でケンカ?

 声の雰囲気から違うかな。

 ……嫌な予感がする。

 どうしてだろう、この予感は外れない気がしてしまう。

 ただでさえ、男女関係なく、怒鳴り声や罵声というだけで、折本に恫喝されたトラウマが刺激されて無意味に不安になるのに。

 一度、ゆっくりと深呼吸をして、一時的にでも気持ちを落ち着ける。

 わずかに揺れて不安定になった気持ちが、平静になったと思い込む。

 ドアを思いっきり蹴破って、部屋に侵入する。


「誰だ、てめぇは!」


 喚く男が一匹。

 そいつの足元に、頭を踏まれて土下座する四〇代ぐらいの女性。

 途端に、

 視野が、

 血が激しく逆流して、

 赤く、

 赤く、

 赤く、

 一色に染まったと錯覚してしまう。

 感情が、

 怒りが、

 爆発する。

 母を幻視した。

 ありえないことで、似てもいない別人なのに。

 幻視した。

 痩せこけて土下座する女性の姿が、あまりにもボロボロになるまで働いた母の姿を思い出してしまう。

 別人なのに。

 それでも、母が踏まれている。

 理性は違うと告げて、わかっているのに。

 感情の手綱が切れてしまう。

 一歩で、女性を踏む男に迫る。

 瞬時に、試金石とかの小賢しい考えを彼方に置き去りにして、この身を黒いライオンへと変身。


「なっ!」


 私の変身を見て男が驚きの声を上げる。

 それが男の人生最後の声。

 右手の指先を意識する。

 即座に、人の爪に近かったそれが、凶器と呼べるほど鋭く強靭なネコ科の爪へ変わる。

 これも周囲を警戒することなく、落ち着いて暮らせるようになった副産物。

 ヒマな時間に、意味もなく変身して色々と試した結果の一つ。

 凶器たりえるこの爪で、男の腰を抉る。

 周囲に細切れになった臓腑を撒き散らしながら、上半身は宙を舞い部屋の奥に落下する。

 残された下半身が、女性の上に倒れそうになったから、蹴り飛ばして壁のシミした。

 残り、三人。

 二人は普通の人間だけど、一人は鬼。

 メイの予想が当たった。

 でも、止まらない。

 そう、止まる必要なんてない。

 相手が鬼でも殺すだけ。

 拳銃でも抜くつもりなのか、懐に手をやった男の眉間に人差し指を突きたてる。


「アガッ」


 骨を突き破って、脳まで深くめり込んだ人差し指を引き抜く。

 男はわずかに痙攣して倒れる。

 残り、二人。


「グホ」


 手刀が心臓を突き破り、背骨を砕く。

 残り、一人。


「てめぇ、鬼だな」


 白い……というか、もはや青白い肌をした強面の鬼が金属バットを持って喚く。

 かなりの速度で金属バットが振るわれるけど、木刀男の木刀よりも脅威だとは感じない。

 この鬼は武術の経験者じゃないのかな。

 速いスイングだって思うけど、それだけ。

 なんだか、色々と雑。

 木刀男の木刀は、避け難いタイミングで避け難い所に振るわれるから、なかなかウザかった。

 それでも、なかなか速いから金属バットを避けて、この鬼に一撃を入れるのは難しい。

 ある程度のダメージ覚悟で金属バットを受け止めてから、反撃するのがいいかもしれない。


「ッツ」


 思わず声が口に出てしまった。

 多分、金属バットを受け止めた腕に問題はない。

 普通に動くし、骨も折れていない。

 だけど、痛い。

 かなり痛い。

 ある程度の痛みは覚悟していたけど、それでも苦痛のうめきが出ちゃうくらい痛い。

 鬼になって、痛みを感じる機会が減っているから、より痛みに敏感になっているのかもしれない。

 ともあれ、奴の金属バットは停止して、胴体はがら空き。

 相手は鬼だから、爪が効かない可能性も考えて、爪を引っ込めてから、全力で拳を奴の腹に振るう。


「ゴフッ」


 奴は凄い勢いで吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

 壁に格闘マンガのような放射線状の亀裂が入った。

 奴もそれなりのレベルになっていたのか、全力で殴ったのに原形を保っている。

 でも、奴はピクリとも動かない。

 だから、気を抜いてしまった。

 油断。

 土下座した姿勢のままで停止している女性に、安否を確認しようって視線を向けようとしたとき、視界の端で死んだと思った奴が素早い動きで懐から抜いた拳銃を構えようとする。

 銃口の先は?

 私じゃない?

 ……生きている!

 全力で動く。

 発砲。

 衝撃が胸を襲う。

 けど、ノーダメージ。

 鬼は?


「甘ちゃんが!」


 頭に強烈な衝撃と共に痛みが炸裂する。

 停滞。

 追撃がない?

 なぜ?

 鬼は?

 後ろに跳んでわずかに距離を稼いだ奴は、不愉快な笑みを浮かべて、再び銃口を女性に向けようとしている。

 奴を殺すことを優先すると、女性が死ぬ可能性がある。

 見知らぬ女性。

 なんの縁もない。

 助けたところで、なんの特にもならない。

 感謝の言葉どころか、恐怖で怯えられるだけ。

 なんの意味もない。

 母の生前の姿を重ねてしまっただけの女性。

 ただの幻影。

 過去の残滓。

 でも……それでも、私はこの女性が死ぬ姿を見たくない。

 ……まあ、この女性を守る理由としては十分かな。

 発砲。

 衝撃。


「死ね、クソが」


 殴打。

 衝撃。

 でも、止まらない。

 今度は覚悟していた。

 覚悟を決めて、暴力に耐えることには慣れている。

 奴が離れる前に、顔面を殴り飛ばす。

 再び奴が壁にめり込んで、亀裂をつくるけど、今度は油断しない。

 慎重に近づく。


「死ねぇ」


 女性を狙う銃口を遮る。

 発砲。

 衝撃。

 殴打。

 衝撃。

 離れようとする奴に追いついて、拳銃を握りつぶす。


「なんなんだよ、てめぇは」


 奴の言葉に応じないで、パーカーのポケットからナイフを取り出して構える。

 一合。

 ナイフと交差した金属バットが、わずかに抵抗しながらも輪切りになる。


「クソが、なんでだよ! オレはどんな傷でも治す骨癒の力を持つ鬼なんだぞ」


 こつゆ?

 骨癒?

 回復系の力?。

 私の攻撃が効かなかったんじゃなくて、即座に回復していただけってことかな。

 なら、回復で追いつかないくらい壊して、壊して、壊して、殺しきる。

 一閃。


「アギャアアァ」


 奴の両手首が床に落ちる。

 一閃。

 首を切り落とす。

 一閃。

 一閃。

 切断した頭部を四分割。

 一閃。

 一閃。

 心臓を中心に胴体四分割。


『レベルが上がりました』


 中性的な声が脳裏に響く。

 奴はこれで死んだ可能性が高くなったけど、それでも回復する可能性を警戒して、一分ぐらい様子見したけど、さすがに回復しないみたい。

 ちゃんと殺せたかな。

 女性はどうなったかって視線を向けると、恐怖の表情を浮かべて白目をむいて気絶している。

 まあ、生きているからいいか。

 戦闘も終了したから、変身を解除する。

 空腹と殺人衝動が、内部で自己主張をしだす。

 気絶している女性を見ると、脈絡もなく殺そうって主張してくるけど、無視して足を進める。

 数分前からは考えられないほど血生臭い部屋を出て、メイのところに向かう。

 この血生臭い部屋に普通の女性を残していくことに、若干の罪悪感を覚えないでもないけど、命を救ったからあまり責めないでもらいたいかな。

 まあ、あの女性とは、二度と関わることもないと思うけどね。






「どういうことかな、リオ」


 二日後、連絡会の会長竜崎ユリネに呼び出され、告げられた言葉に、私は首を傾げながら応じた。


「どうとは?」


「君の契約違反だよ」


「契約違反?」


 困った。

 本当にわからない。

 色々考えてみたけど、連絡会に所属してからの行動で、契約違反に当たりそうなことはない。


「消費者金融での件だ。私のオーダーは、あの場にいる全員の殺害。だが、報告では生存者がいた」


「あの鬼が、あそこから復活したの?」


 だとしたら、本当にしぶとい。

 ゴキブリ以上のしぶとさだ。


「まさか、君の切り刻んだ鬼は死んでいる。私の言う生存者とは、あの消費者金融を利用していた筧マリという女性のことだよ」


 ユリネの言葉に、ドキリと少しだけ脈動がゆれる。


「でも、彼女は消費者金融の人間じゃない」


「それがどうした。確かに、考え方によっては標的にならないかもしれない。だが、目撃者だ。それに、彼女は消費者金融を利用していただけの一般人。我々の暗黙の了解に対して無知な素人が、賢明な沈黙者でいると思うか? 警察に通報されるだけなら、どうとでもなるが、SNSで騒がれるとなかなか面倒なことになる」


 ユリネの言葉は正しい。

 少なくとも、


「それは……」


 私がこれ以上言葉を、口にできなくなる程度には。


「困ったことだろう」


 客観的に考えて、その通りだと思う。

 裏社会の殺し合いの現場を目撃した一般人。

 賢く危険を察知して、沈黙しているとは限らない。

 正義感や良識に従って、警察に通報するかもしれない。

 あるいは、ユリネの言うように、軽い気持ちでSNSへ投稿してしまうかもしれない。

 連絡会にとってのメリットなんて、なに一つない。

 返す言葉が思いつかないで、沈黙を続けてしまう。


「…………」


「安心しろ、今回はこちらで処理した」


 ユリネの処理という言葉に、なぜか不安に思いながら首を傾げて応じる。


「……処理?」


「ああ、処理だ。警察に通報することも、SNSで騒ぐこともないように、きっちりと処理した」


 ユリネの言葉に、心臓が一度だけ大きく反応して、熱が引いていく。

 体か、心か、あるいは両方の熱が引いていく。


「……そう」


「不満か?」


「いえ……」


 そう、不満は……ない。

 相手は縁もない人間。

 むしろ、生きていると不都合な人間。

 だから、私にユリネの判断を不満に思う理由はない。


「次からは、現場で少しでも判断に迷うようなことがあったらメイに相談しろ。あれには、それだけの実力と権限がある」


「……メイのこと、信頼しているんですね」


「……ただの客観的な事実だ」


「失礼します」


 ユリネに背を向ける。

 これ以上、ここにいると心が揺れに揺れて、安定しないから、早く出ていきたい。

 だけど、


「次からはしっかり頼む。うちのフロント企業とはいえ、急に人員をねじ込むのは大変だからな」


 背中からユリネに意味不明なことを言われて、思わず足を止めて振り返ってしまった。


「……は?」


「どうした?」


「殺したんじゃ……」


 尻つぼみになる私の言葉に、ユリネはニヤリとした腹の立つ笑みを浮かべて応じた。


「なにを言っている。裏社会の人間ならともかく、この情報化された社会で、一般人を問題化することなく殺すのは手間なんだぞ。コストがかかりすぎる。それに、相手の口をローコストで塞ぐなら、こちら側に取り込むのが手っ取り早いからな。なにか、勘違いでもしたか?」


「別に……」


「さっきも言っただろう、迷うなら聞けって」


「ここに、メイはいないんだけど」


「まあ、確かにな。彼女が死んでいなくて、嬉しいか?」


 なぜか、ユリネが少しだけ優しそうな笑みを浮かべて言ってきた。


「別に、関係のない人間の生死に興味ないから。……失礼します」


 ここにいると色々と恥ずかしいので、小走りで部屋を出ていく。

 なぜか、強張っていた頬が緩んで、心が温かくなっている気がするけど、きっと気のせい。

 だって、私にはそうなる理由がないから。

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