一一 竜崎メイは出会う
竜崎メイ視点
与えられた部屋で、次々に送られてくる情報を処理していく。
これは私にとって、専属の業務じゃない。
他の人員のヘルプ。
私はあの人……会長から直接指示を受けて、連絡、事務、送迎、荒事など広範な業務を行っている。
けど、権限が大きいわけじゃない。
簡単に言えば、忙しいところへ派遣される雑用だ。
私と同じ時期に入った連中の大半が、それなりに出世して責任ある立場になっているのに、私は会長直属と言えば聞こえはいいけど、部下が一人もいない末端でしかない。
会長は、私が信用できないから、権限を与えないで目の届く側に置いているのかもしれない。
会長……あの人のことを好きか自分でもわからないけど、育ててくれたことに感謝はしている。
あの人が、仕事のことで苦労しているのを知っていたから、少しでも役に立ちたくて、この連絡会という組織に入った。
だから、出世そのものを強く望んでいるわけじゃないけど、あの人に評価されないのは失望されているようで、悲しくて切ない。
やっぱり私は組織の連中が噂するように、あの人にとって、過去の汚点で消したい過去の象徴なのかもしれない。
長時間の事務仕事による疲労で、ネガティブな思考を繰り返しながら、業務を淡々と処理していると、部屋にすらりとした長身の美女、レイカさんが入ってきた。
年齢的にはすでにアラフォーらしいけど、全然そうは見えない。
艶のある長い黒髪が、さらにその印象を強くしている。
絶対に、二〇代前半の私よりもサラサラで綺麗な黒髪、羨ましい。
そして、あの人が一番信頼している友人で、部下。
私も昔から、レイカさんにはお世話になっている。
もしかしたら、母親のあの人よりも接点があるかもしれない。
なによりも、公私共にあの人に信頼されているレイカさんは、私の憧れだ。
「メイ、仕事よ」
仕事をあの人じゃなくて、レイカさんから告げられるのは珍しくない。
でも、この部屋に入ってきたときから、レイカさんが不安そうな表情をしている。
いつものレイカさんなら、荒事になる可能性のある仕事でも、淡々と告げるはず。
どんな難題が告げられるのか、自然と身構えてしまう。
「レイカさん」
「さきに言うけど、この仕事は危険だから気をつけて」
「この業界の仕事に、安全な仕事なんてないですよ」
法と秩序から外れた仕事に関わるってことは、法律や国による庇護がないということ。
一応、この業界にも、約束、規則、規律のようなものはある。
でも、明文化されているわけじゃなくて、暗黙の了解の上にあるあやふやな紳士協定のようなもの。
この業界の人間を相手に、紳士協定が積極的に守られると期待するのはバカだ。
あからさまに破らない程度の価値しかない。
だから、この業界の仕事はどんなものでも、油断して自衛を怠れば、潰されて食い物にされる。
「それはそうだけど、今回は特に危険なの」
本当に、珍しい。
レイカさんが仕事を告げるついでに、注意点やアドバイスを教えてくれることはあったけど、直接的に危険だと言われたことはない。
どれだけ危険なのかと不安になる。
「……どういう仕事」
「仕事の内容としては、お客さんを迎えに行って、ここに怒らせないで連れてくるだけよ」
送迎の仕事は珍しくもないし、仕事の内容自体は複雑でもない。
でも、送迎する相手によっては、仕事の難易度が跳ね上がる。
「面倒な相手?」
「色々な意味でね」
レイカさんが、タブレットで送迎する相手の情報を見せてくれる。
獅子堂リオ、一四歳の鬼。
少し前に、中学校で一〇人以上を殺して、拳銃で武装した複数の警察官と交戦して発砲を許すことなく殺害、なんらかの力を手に入れた鬼とも交戦して勝利している。
この鬼、獅子堂リオが一三支部長の森山ともめて殺したらしい。
良くぞ、森山を殺してくれた。
ありがとう。
思わず、感謝の言葉を口にしそうになった。
森山は同僚だけど、死を悲しむような仲間意識はない。
暴力ホストの成れの果て、大物ぶった三流の悪党。
口と態度が悪くて、褒めるべきところのない、あの人に成り代わろうという野心を隠しきれないバカ。
正直、死んでくれて、ホッとしている。
それはともかく、レイカさんが懸念している獅子堂リオの危険性は理解できた。
けど、この獅子堂リオという鬼は危険なだけの存在じゃない。
彼女が連絡会の戦力になるなら組織にとって有益で、他の組織とのパワーバランスも、こちらに有利な形で変化するかもしれない。
だから、わからない。
これだけ重要な人物を私が迎えに行くのか。
もっと別の経験豊富な人材に任せるべきじゃないかと思ってしまう。
「危険の意味はわかった。でも、これを迎えに行くのが私でいいの?」
「どういう意味?」
「だって、このリオって鬼、これからの連絡会に重要な存在でしょ。それなのに、私でいいのかなって」
「ユリネがあなたに任せるって言ったの」
「あの人……会長が。……失敗して、鬼に私を始末させたいのかな?」
そう……そうだよ。
多分、絶対にそう。
一瞬だけ、あの人に認められたみたいで嬉しかったけど、そんなことがあるわけがない。
だから……だって、あの人が私を認めるなんて……。
「はぁ……このポンコツ似た者親子は」
レイカさんが疲れたようにため息をする。
なんとか、レイカさんに私があの人に認められていない理由をいくつも告げるけど、取り合ってもらえない。
それどころか、さっさと迎えに行けと追い出されてしまった。
……解せない。
森山が任されていた一三支部の事務所の前に到着すると、自分で運転してきた黒のSUVから降りて、後ろから付いてきていた黒いワゴン車に近づきドア越しに運転席の人物に話しかける。
「柳内、私がなかを確認してくる。それまで待機して、私が客人と車で出発したら、仕事にとりかかれ。なかを確認して、清掃作業の内容に修正があればそのとき追加で指示を出す。なければ、そのままだ」
「了解です、お嬢」
ワゴン車に乗るサングラスに、スキンヘッドの凶悪な顔面の男、柳内が言った。
こんな犯罪者の見本のような顔をしているが、この柳内は意外に礼儀正しくて、バカをやってハシャいだりしない分別もあり、過剰な野心もない技術屋で連絡会にとって貴重な存在。
ただ、専門バカなところがあって、変化する状況に対する応用や思考の柔軟性があまり期待できない。
前にレイカさんは、柳内がもう少し柔軟な人間なら、すぐにでも森山のついていた支部長以上の幹部にしたのにと言っていた。
一応、柳内は死体や凶器を処理して、犯罪現場などを警察の鑑識が調べてもわからないようにするスペシャリストたちをまとめる立場だから、幹部と言えなくもないけど、地味な仕事だからなのか、組織の他の連中からは下に見られている。
まあ、本人たちはそんなことを気にせず、鑑識や科捜研が調べてもなにも出ないようにって、日々の仕事に励んでいる。
私も柳内のことは、仕事も人間性も信頼しているけど、私をお嬢と呼ぶのは勘弁してもらいたい。
でも、柳内としては、私がトップの娘だから敬う必要があるらしい。
「……行ってくる」
お嬢と呼ぶのを止めるように言っても、柳内は止めないとわかっているから、少しだけうんざりした気持ちで連絡会一三支部の事務所に入っていく。
森山たちが殺されていると思われる部屋の前まで、問題なく到着した。
着ているスーツの前ボタンを外して、ホルスターに収まっている拳銃をすぐに抜けるようにする。
初弾は装填済みで、安全装置のないロシア製の拳銃だから、抜いたら即座に撃てる。
もっとも、撃てたとして、部屋のなかにいる相手に対して有効だとは思わない。
少々物騒なお守り程度の価値しかないと思う。
部屋に入る前に、ノックをする。
相手は年下の女子中学生だけど、鬼だ。
どんなことがきっかけで、キレるかわからない。
相手の容姿と、常識に引っ張られて、年下の女子中学生だと侮るわけにはいかない。
慎重な対応が必要だ。
「……どうぞ」
ドア越しに、少女の声が聞こえた。
普通の少女の声。
人間を二〇人以上、殺している者の声には思えない。
「失礼します」
部屋に入って、私は後悔した。
この仕事を受けるべきじゃなかった。
目を閉ざして、うつむいて、一心不乱に胃の内容物を床にぶちまけたい。
けど、耐える。
意志の力を総動員して、平静な態度を偽装する。
部屋のなかは異常だった。
一方の壁に男がめり込んで、血と肉と骨で作られた奇抜でグロいオブジェになっている。
別の壁が無数の血肉の破片で、おぞましく生肉色にデコレーションされている。
床を見渡せば、いくつもの死体。
仕事柄、死体には見慣れているけど、ここまで殺し方が想像できないものは珍しい。
これらの視覚情報が、生理的嫌悪と吐き気を急上昇させてくる。
それに加えて、周囲に漂う鼻腔にへばりつくような血肉の臭いと、充満した焼きつくような硝煙の臭いが混ざり合い、さらに吐き気を刺激する。
こういった現場には一般人より慣れているつもりだけど、吐いて楽になりたい。
というか、これが重要な仕事で、あの人に役立つことだから、かろうじて耐えていられるだけ。
これが重要な仕事じゃなかったら、他の人間に任せてすぐに帰っている。
それぐらい、きつい。
けど、そんな部屋のなかで、ジャージとパーカー姿の小柄の少女、獅子堂リオは死体なんて気にならないかのようにリラックスした様子で、ソファに座って菓子パンを食べている。
しかも、シャワーでも浴びたかのように、少女の髪は濡れていた。
別に、変じゃない。
ここにはシャワー室があるから、変なことじゃない。
返り血で汚れて気持ち悪いから、シャワーを浴びてスッキリした。
とても普通のこと。
ここが猟奇的な殺人の現場じゃなければ。
その上、これだけの死体に囲まれながら、ソファに座って平然と食事をする。
この獅子堂リオという少女、見た目は普通の小柄な少女だけど、間違いなく鬼だ。
少なくとも、まっとうな人間の感性とは、ズレている。
獅子堂リオが食べ終えるのを待ってから、声をかける。
……まあ、こちらの精神を立て直すのに、時間が必要だったという側面もあるかもしれない。
「獅子堂リオ様ですね?」
確信しているけど、確認のために聞く。
「はい、そうです。あなたは? ユリネという人じゃないでよね?」
「ユリネは私の母です。私は竜崎メイと言います」
「母親、ですか。……親を手伝えるのはいいですね」
言葉と裏腹に、獅子堂リオは寂しそうな表情をしている。
疑問に思ったけど、地雷の危険もあるから、あえて追求しないで無難に応じる。
「……ありがとうございます。それで、移動の前にいくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「いいですけど、それよりも、もっと口調を崩しても私は怒りませんよ」
「そう……ですか」
「はい、罵倒や恫喝じゃなければ大丈夫です。むしろ、硬い口調だと、こっちも緊張します」
「わかりま……わかった。善処する」
「お願いします」
お互いに自己紹介も終わったから、リオと情報交換をする。
重複する情報でも、認識のズレがあるかもしれないから、横着しないで一つ一つ情報の確認とすり合わせを行う。
「ちょっと、待って。じゃあ、森山は鬼なの?」
「そうですね。いつからかは知らないけど」
「それ以外にも、三人が鬼になっていたなんて……」
状況から考えて、あの人やレイカさんが知っていたのに、知らせなかっとは考え難い。
なら、二人も森山を含む、この支部の四人が鬼になっているとは、知らないことになる。
一方で、リオが二人と連絡したときに、四人の鬼のことを告げなかったことに、深い意味があるとは思わない。
どちらかと言うと、自分自身が鬼だから、四人が鬼だという情報の重要性に、リオが気づいていない可能性が高いと思う。
「疑ってます?」
リオの言葉に、首を横に振って否定する。
予想外の情報に驚いて、対応を考えることに集中しすぎて反応できなかっただけ。
明確な根拠もなく、危険な客人を疑うような無謀なマナー違反をしたりしない。
けど、私の反応にリオは納得できないのか、床に落ちている刀を拾ってこちらに差し出す。
「なら、この刀で、適当にその辺の物を切ってみてください」
「この刀で?」
慎重に刀を受け取りながらも、頭のなかでは疑問符がいくつも浮かんでいる。
リオの意図がわからない。
この刀でなにかを切ることに、どんな意味があるのか。
疑問はつきないけど、行動しないでさらにリオを疑っていると勘違いされるとやっかいなので、デスクのはしのほうを目がけて刀を振り下ろす。
「これは……」
デスクのはしがキレイに切れ落ちた。
剣道の心得もない私が適当に振るったのに、それなりに厚みのあるデスクが抵抗なく切れた。
ありえない。
これは異常な現象。
手にした刀が、常識外の不気味な物に思えてくる。
「鬼がそれで人を殺したから、普通の物よりも強化されています」
リオの言葉で思い出す。
鬼が人殺しをして強くなるだけじゃなくて、殺人に使っている凶器も強化されることを。
つまり、この刀も鬼の凶器で、その影響で異常な切れ味を見せたのか。
「上司に連絡しても?」
スマホを取り出しながら、リオに確認をとる。
この業界だと応対しているときに、必要だからとスマホで外部と連絡すると、キレないまでも不機嫌になる奴は多い。
こういう細かい確認をおろそかにして、だろう判断で行動するとろくなことにならない。
「どうぞ?」
なぜ、一々確認するのか、リオは不思議そうに首を傾げている。
リオにしたら、私の行動は滑稽に見えているかもしれない。
けど、仕方がない。
微妙な気持ちになりながら、レイカさんに連絡して、情報の共有を行い指示を受ける。
追加のオーダーは、この場でリオに殺された者たちのスマホと鬼が使用して強化された武器の回収。
できれば、パソコンとかも回収したいところだけど……無理。
というか、この部屋を見回してもパソコンが一つもない。
ここでリオが暴れたから壊れたとかじゃなくて、本当にパソコンが皆無。
どうなんだろう。
森山のセキュリティ意識が高いから、警察や他の組織に情報を奪われる危険をさけるために、ここにパソコンを置かなかった。
……ないな。
あいつの性格だと、面倒な事務仕事をアウトソーシングとか言って、機密も考えないでつながりのあるフロント企業に丸投げしている可能性のほうが高い。
……頭が痛い。
もしも、連中が下手なところに任せていたら、最悪の場合、連絡会の機密を抜かれていたり、アキレス腱を押さえられている可能性もある。
この後、レイカさんに直接報告しよう。
それに、森山を含めて四人が鬼になったことも重要だけど、誰を殺して鬼になったのかも組織にとっては重要になってくる。
組織の把握していない構成員による殺人なんて、放置しても百害あって一利なし。
迅速に状況の全貌を知って対処する必要がある。
幸い、スマホの回収は簡単だった。
そう、簡単だった。
あの人と連絡するために、リオが森山たちのスマホを回収していたから。
けど、正気が少し削られた気がする。
なにしろ、回収されたいくつかのスマホには切り落とされた指が付属していた。
意味はわかる。
指紋認証のスマホだから、持ち主の指が必要だった。
そう、意味も必要性もわかる。
けど、リオからスマホとビニール袋に入った切り落とされた指を無邪気な顔で差し出されたら、色々と心が削れる。
リオは見た目が普通の少女だけど、やっぱり感性が人間とは違う鬼だ。
そのまま崩れそうになる平静を偽装して、リオを私のSUVになんとか乗せる。
まだ、気を抜けないけど、後はあの人のところまで、リオを怒らせることなく届けるだけ。




