一〇 竜崎ユリネは話す
竜崎ユリネ視点
飾り気のない質素な見た目の事務所の部屋で、頻繁にスマホとパソコンで連絡を受けながら、淡々と仕事を処理していく。
裏社会で名の知れた組織のトップの部屋としてはかなり地味で、処理している仕事も地味な事務的なものばかり。
だが、忙しい。
元から忙しかったが、鬼などというよくわからないイレギュラーが発生したせいで、さらに忙しい。
こちらへ影響の小さい日常的なイレギュラーならともかく、鬼関連のような世界的な規模のイレギュラーは、確実に私たち周辺の力関係を色々と塗り替えるほど大きい。
それどころか、鬼への対応とその影響は国レベル、世界レベルで勢力図や力関係が変化する。
私と、私の組織『連絡会』に、その流れに対して多大な影響を与えるような力はない。
首都圏の裏社会を牛耳っていると勘違いしている連中も多いが、連絡会は裏と表の調整役で、多用な裏の組織同士の連絡係にすぎない。
確かに、連絡会には大小複数の裏の非合法の組織とつながりがあり、政財界、警察、自衛隊とのコネもある。
しかし、それは連絡ができるだけで、命令どころか、些細なお願いすら簡単にはできないつながりだ。
本当の連絡会に、他を一方的に支配するような圧倒的な権力、武力、財力などない。
だが、力がないから動くのは危険だと事態を静観して受身にまわれば、変化する事態に様々な影響を与えられないどころか、生き残ることすら難しい。
対処するための一手、一手が重要なのに、長考する時間的な余裕もない。
だというのに、鬼の力を手に入れてハシャぐバカが、組織の末端にいて困る。
むしろ、鬼の力を手に入れて調子に乗る連絡会とつながりのない連中のほうが、明確な敵だから対処が容易だ。
それに比べて身内だと、害にしかならないバカでも、簡単に処分できないから面倒でしかない。
そのハシャぐ奴が、他の組織から連絡会へ出向できていると、さらに対処が面倒になる。
うちに人員を出向させている相手の組織も、軽挙妄動するバカを処理することに反対しないが、許可する代わりに対価を寄越せと厚顔無恥なことを、堂々と口にする。
……いや、厚顔無恥なことを大声で、要求できるから裏社会でのし上がれるのか。
そもそも相手を気づかい、思いやれるなら、裏社会に所属していないな。
その上、鬼になってハシャぐバカの処理は、ショットガンやライフルの使用が必要になる。
そのための段取りと後始末で、さらに手続きと各方面への連絡と調整が必要になるから、私の手間が一気に増加する。
裏社会の組織なのに、私は役所の人間よりも、事務処理をしている気がしてくる。
絶対に私を殺して組織を乗っ取ろうと、浅はかに考えている連中には処理できない仕事の量だ。
少なくとも威張って、怒鳴って、暴力を振るのが、支配であり自分の仕事だと信じているバカには一日も勤まらない。
とにかく、私、竜崎ユリネは、連絡会の会長として、目まぐるしく変化する事態に対処するために、ここ数日、不眠不休で頑張っている。
各方面から連絡が来るたびに、イラ立ちと疲労が蓄積されて、アルコールに逃げたくなるが、カフェインで我慢。
この状況でアルコールを飲んだら、思考と判断が鈍り、ミスを連発して破滅する未来が容易に想像できてしまう。
事態が沈静化したら、自分へのご褒美にビールを一杯だけ許そう。
それ以上はダメだ。
絶対に、我慢できなくなるから。
もっとも、その事態の沈静化がいつになるか見当も付かない。
刻々と増加する仕事を処理しながら、そんな思考をしていると、目の前の固定電話が鳴り出す。
「もしもし」
ワンコールで電話に出る。
電話にはツーコール以内に出ないと、面子がどうのと言ってキレるバカいるので、これも連絡会の会長には必須の技能。
「……これ、なんて言えばいいのかな? えっと、森山……なんだっけ。……ああ、森山キリトだ。森山キリトの知り合いですか?」
「お前は、誰だ?」
電話のディスプレイには、組織の支部長を任せている森山のスマホからと表示されているのに、受話器から聞こえてきたのは、明らかに少女の声だから、いくつかの事態を想定しながら警戒する。
「人に名前を聞くなら、自分から先に名のべきなんじゃないですか?」
文言だけで考えるとこちらを挑発しているようだが、声と口調からは不思議と嫌味が感じられない。
むしろ、純粋な疑問をそのまま口にしたようにも感じられる。
「お前も私に名乗っていないが?」
「あれ? ああ、名乗っていない! ……まあ、名乗ってもいいか。私は獅子堂リオです」
「獅子堂リオ?」
すぐには思い出せないが、記憶のどこかに引っかかる名前だ。
近くのデスクで仕事をしていたレイカを手招きしながら、電話をスピーカーにして彼女にも相手の声が聞こえるようにする。
「ええ、獅子堂リオです。それで、あなたの名前はなんですか?」
「私は竜崎ユリネという、呼び方は好きにしろ。それで、森山キリトがどうした」
「お友達ですか?」
電話の向こうからの問いかけに、思わず笑ってしまいそうになる。
森山キリトが、私と友達だなんてありえない。
同じ組織に所属して、上司と部下の関係だが、そこに信頼や尊敬などではなく、淡々と業務をこなすドライなビジネスだけの関係……でもない。
お互いにミスをしたり油断をすれば、潰したり引きずり下ろしたりする関係。
利用価値のある潜在的な敵といったところか。
油断を誘い、判断を迷わせるために贈り物をして、情報収集とプレッシャーをかけるために近況報告を聞く間で、友達とはとても言えない。
いまの私にとって、本当に信頼できる友人は数人しかいない。
……いや、数人もいると言うべきか。
「いや、違う。奴は私の仕事上の部下だ」
笑いを押し殺して告げた私の言葉に、電話の向こうの獅子堂は嬉しそうに応じる。
「よかった、上司の人ですか」
「ああ、それで奴のスマホで私に電話をしてきたのは、どんな用件だ」
いくつか予想は立つが、一つに絞り込めない。
「用件? 森山キリトに、私が鬼だから自分の組織に所属しないかって、スカウトされたんです」
獅子堂リオの予想外の言葉に、少しだけ思考が乱れるが、声に出さずに淡々と応じる。
「ほう、奴が、お前を組織へスカウトしたと」
頭のなかで、予想を修正していく。
「ええ、でも、森山キリトは気に入らなかったので殺しました」
「なに? お前が奴を殺したのか?」
思わずありがとうと、感謝の言葉を口にしてしまいそうになるが、なんとかこらえる。
それよりも明らかに、未成年の学生であろう声の少女が、裏社会の人間を殺せるのか?
と疑問が思ったが、すぐに思いなおす。
電話の向こうにいる獅子堂は、未成年の少女かもしれないが、すでに人間ではなく鬼だ。
少女が鬼になっているなら、裏社会の者を殺しているのに、落ち着いた受け答えができていることに、納得できる。
この電話の向こうにいる獅子堂リオという鬼の少女は何者なのか、疑問に思っていると、それに応じるようにレイカが、そっとスマホの画面を見せる。
そこには、獅子堂リオに関する情報が表示されていた。
さすがにレイカは優秀だ。
獅子堂リオについて、検索したものを見せるのではなく、すでに簡易的ではあるが彼女に関する情報が見やすいようにまとめられている。
すぐに、レイカのまとめた情報を読み込んで、自分のなかに落とし込む。
獅子堂リオの鬼にいたる経緯や森山との因縁について、驚きながらも声などの態度には出さない。
思考を加速させて、予測を修正して、素早く方針を決めていく。
「ええ、殺しました。でも、森山キリトが死ぬ前に、提案したことには興味があったので、もっと上の人と交渉してみようかなって、電話をしてみました」
少女の言葉は人間としてみたら、ぶっ壊れている。
提案した人間を殺したのに、上司との交渉をするなど、宣戦布告にしか聞こえない。
だが、私はここ数日、少女と似たような理解不能な思考や判断をする鬼という連中の報告を受けて知っている。
だから、彼女の発言の意図も、挑発などではなく、ただの素直な言葉だと判断した。
「そうか。一応、確認するが、お前は鬼なんだな?」
「ええ、そうです。あれ? 森山キリトからの連絡はなかったんですか?」
「ないな。お前のスカウトについては、奴の独断だ」
警察との交戦経験のある鬼の少女。
ここが鬼のいない世界で、少女がただの人殺しなら、警察側に高値でリークする程度の価値しかない。
だが、鬼の誕生した世界で、少女の価値は跳ね上がっている。
たった一人で、軍隊に匹敵するかもしれない戦力。
少なくとも、支部長の森山が私に了解も取らずに、独断専行で欲しがる程度には価値がある。
だから、私に対する切り札にするためにも、森山は私に少女の存在を隠していたのだろう。
「……なら、スカウトの話は、なしですか?」
「いや、お前に興味がある。直接、会って話そう」
むしろ、会って確実にこちらへ取り込みたい。
獅子堂リオという少女の性格や戦闘能力の詳細は不明だが、明確な味方は無理でも、せめて友好な関係が結べればかなり有益だ。
しかし、一方で、野放しでフリーの彼女は連絡会にとって、かなり危険かつ迷惑な存在になると予想される。
ならば、多少のリスクを犯しても、直接の交渉をするべきだし、それを相手が望んでいるなら、なおさらだ。
「直接ですか?」
電話の向こうから少女の戸惑うような声が聞こえてくる。
「なんだ、嫌なのか?」
「いえ、鬼の私と直接会うのが怖くないのかなって。組織の構成員を殺しているのに」
「なに、この業界が長いと、鬼や悪魔みたいだと呼ばれる連中と会うことに慣れている。それに、お前は私を殺したいのではなく、所属したのだろう?」
彼女など、まだまともなほうだ。
彼女は鬼で、これまで会った誰よりも一番強いのかもしれないが、ここまで電話で話した限り、そこまで危険だと判断しない。
少なくとも、目の焦点が合わなくて、会話が成立せず、銃を手にした相手や、状況や自分の立場も理解できていないのに、プライドばかりが肥大したサディスティックな変態で、バカな連中と交渉するよりは安全だろう。
「……まだ、決めてはいません」
「そうか」
それから、少女に電話で相手の状況、支部の事務所の状況を確認してから、対応を考えて伝える。
「そちらの事後処理はこちらでやる。お前は迎えの人間をやるから、そいつが到着するまで静かにしていてくれ」
少女の話を聞く限り、支部の事務所の状況は良好と言えないが、悪くはない。
あそこも、ここと同じようにしっかりと防音がされているから、銃声を聞いて近所の住人に警察へ通報されているという可能性は少ない。
それに、あそこが警察に通報されているなら、ここへ向こうの担当から苦情のような連絡がきているはずだ。
「了解」
少女との電話が切れると同時に、沈黙していたレイカが口を開く。
「ユリネ! なにを考えているの!」
「いまは仕事の時間だ、会長と呼べ」
無意味と知りながらも、レイカの意識を逸らそうと試みるが、
「誤魔化さないでください!」
ダメだった。
ただ、レイカが怒るのも当然だ。
そこは理解もしている。
私の部下として、友人として、レイカの態度はとても正しい。
だが、私に獅子堂リオと会わないという選択肢はありない。
「落ち着け、レイカ」
「私は落ち着いています」
レイカの顔は赤くなって、眉間に深いシワもできている。
明らかに、怒りで興奮していて、落ち着いていない。
だが、友人とのコミュニケーションを円滑にするために、そのことを指摘したりしない。
「……そうか。獅子堂リオという鬼が、連絡会の力になる。それが、この連絡会にとってどれだけ有益なことか、レイカにならわかるだろう」
「……拾える情報から推測できる彼女の有用性は理解しています」
「なら」
さらに紡ごうとした言葉を、レイカが遮る。
「ですが、それでも、ユリネが……会長が直接鬼と対面するリスクを負う必要はないと思います」
「なら、鬼との交渉を誰に任せる?」
連絡会には慢性的に、こういった交渉が可能で、信頼できる人材が不足している。
裏社会には肉体言語を得意な奴が多すぎて、まともな交渉のできる理知的で理性的な奴が少ない。
それも当たり前の話で、理知的で理性的な奴なら、表の社会で普通に適応できるから、わざわざ裏社会に流れてくる理由がない。
当然、そんな裏社会で貴重な人材が連絡会に流れてくるわけもなく、きても組織を乗っ取ろうと画策していたり、仕事で知りえた情報を外部に漏洩するスパイまがいの信頼できない連中だけだ。
「それは……私が」
レイカの言葉を私が途中で遮る。
「却下、お前は私の半身だ。レイカを失うリスクを背負うなら、私が直接交渉をする」
「……ずるいです」
「そう心配するな。獅子堂リオは、森山キリトたちを殺すまで、初日意外で派手な殺人をしていない。鬼だから殺人を忌避してるわけではないだろうが、無闇に殺人をするタイプではないようだ。彼女が怒るようなことをしなければ、大丈夫だろう」
「その怒るポイントが、鬼と人間ではズレているので、見誤る危険が大きいと思います」
レイカが渋い表情で、苦言を口にする。
レイカの言うとおり、鬼と人間とは違う生き物だ。
見た目は同じで、鬼も人間のときの記憶と人格を継承しているが、価値観が著しく変化している。
これまで収集した鬼の情報を精査してみれば、人間を躊躇いなく殺せるといったわかりやすい変化もあるが、好悪や嗜好のようなものも人間のときとは変化していることが多い。
怒らせないつもりで、鬼に気を使って交渉しても、気づかずに地雷を踏み抜いて殺される危険性も十分にある。
「それはそうだが、危険を嫌ってノーリスクでリターンを得ようとするのは難しい。結局のところ、虎穴に入らなければ、虎子を得られん」
「そう……ですね」
「それに、獅子堂リオという存在は、連絡会にとって……いや、もしかしたら、私にとって、強力な奇貨か、鬼札になるかもしれない」
「それほどですか?」
「連絡会には武力がない」
まったく、ないわけではない。
だが、せいぜい現場での自衛程度のもので、他の組織と争えるほどのものではない。
「……はい」
「表の社会なら、財力、権力、コネで代用も利くが、裏社会での交渉では武力という純粋な力が、ものを言う。相手の横暴を黙らせる暴力的根拠がなければ、交渉にすらならないことも珍しくない。その連絡会の武力を獅子堂リオが担ってくれるかもしれない。まあ、まだ、可能性の話だがな」
連絡会に武力がないから、立場の弱い大手の下請けのような受動的な立場に甘んじている。
しかし、連絡会が他の組織も無視できない武力を手に入れれば、一方的な下請けではなく主導的立場へ変革できるかもしれない。
「…………わかりました。それで、彼女の迎えには誰を? よろしければ、私が行っても?」
「いや、メイに行かせる。あいつなら、獅子堂リオを不用意に怒らせえることもない」
私の言葉に、レイカはあからさまなため息で応じる。
「はぁ」
「なんだ、私の判断に不満か?」
「いえ、判断に不満はありません」
「なら、なんだ」
「メイのこと、評価しているなら、直接言ってさしあげればよろしいのに」
「私の評価なんて、あいつは気にしていないさ」
娘のメイは連絡会で部下という立場だから、それなりに連絡をしている。
だが、一方で私的な会話はほとんどない。
生活のためとはいえ、こんな仕事をしていたから、子供のときはほとんど側にいてやれなかったし、学校でも私の仕事のせいでイジメられたりもして、迷惑ばかりかけていた。
それなのに、メイは連絡会に所属するようになって、私の仕事の手伝いをしている。
幼少期の復讐をしたいのか、あるいは会長と呼ばれながら大した力も持っていない私を哀れんでいるのかもしれない。
実のところ、メイに復讐として害されるなら別にかまないと思っている。
このことを少し前に私がメイに殺された場合のことを考えて、メイを頼むとレイカに告げたら、
「はぁ、本当にユリネは娘のことになると、不器用でポンコツになりますね」
いまと同じように、レイカはバカを見るような表情を浮かべていた。
「ポンコ……上司に向かって、酷い言い草だ」
「いまのは親しい友人への評価です」
「ッチ、とにかく、支部の後処理と、迎えの手配を頼む」
「了解しました」
レイカが優雅に一礼して、部屋を出て行く。




