第5話 下品な冗談の裏側に
「それで、なんですけど。次は私の質問に答えて頂いても良いですか?」
何故か五つも年下の少女──しかも一国の王女である──に膝枕をされながら、質問を受けるアデル。夢であったと言われる方がまだ納得がいく状況だった。
「は、はい。俺に……いえ、私に答えられる事であれば」
アデルの慣れない一人称が面白かったのか、アーシャはくすくす笑った。
「言葉遣いは気にしないで下さい。先程までの通り、話しやすい話し方で構いませんから」
「ですが、殿下」
「今は、ただの怪我人と治療者です。あんまり聞き分けが悪いと、その殿下が怒りますよ?」
むむっと怒った表情を作って、アーシャがアデルの顔を覗き込んだ。
下から見ていた事もあって、その顔が面白くて思わずアデルは吹き出してしまった。思わず吹き出してしまったが、時と場所によっては死罪も有り得る無礼だ。
アデルは慌てて表情を作り直すが、肝心の姫君は気にした様子もなくにこにことした笑顔に戻っている。
(全く……とんでもない王女殿下だな。大陸の方じゃ考えられない)
アデルは肩を竦めて、「わかったよ」と敬語を使う事を諦めた。
少なくとも誰も今は見ていないのだ。本人が良いと言っているのだから、良いのだろう。
「……では、まずあなたのお名前から伺っても宜しいですか? ずっと訊こうと思っていて聞きそびれてしまっていたので」
なんとお呼べすればいいのかわからなくて困ってました、と王女は微苦笑を浮かべた。
「えっと……俺はアデル=クライン。大陸の西側にあるランカールの町ってところで冒険者や傭兵をやっていた」
「アデルは大陸の冒険者の方だったんですね! 私、冒険者の方とお話するのは初めてです」
アデルの何ともない自己紹介を、王女は瞳を輝かして楽しそうに聞いていた。
警戒心がないというか、何というか……その無警戒さにはアデルとしても心配になってしまうが、膝枕をされている状態では何を言っても説得力がない。結局何も言わずに彼女の次の言葉を待った。
「それでは、アデル。アデルはどうして王家の洞窟にいて、あんな大怪我を負っていたんですか? あの傷は明らかにここに住む魔物から受けたものじゃないですよね?」
王女が早々に核心に迫る質問をしてきた。
アデルは何と答えようか迷ったが、ここで会ったのも何かの縁だろうと思い、一切合切全て話す事にした。それに、彼はこの少女に命を救われている。彼女には全てを話す義務があるだろうと思ったのだ。
それからアデルは、先程このキッツダム洞窟で起こった一部始終を話した。どういった経緯でここにきて、オルテガ達がどういった目的でこの場所を選んだのか、そしてどういった理由で裏切られたのかについても全て話した。
それだけでなく、何故かアデルはこれまでの自らの人生の経緯まで自然と話してしまっていた。自分が何故孤独に生きていて、どうしてパーティーに加入してしまったのかまで、まるで懺悔をする様に語っていたのである。
無論、これらの話は本筋には関係ない。だが、アーシャはそんなアデルの話を相槌を打ちつつ、時には瞳を潤ませる程感情移入しながら、真剣に聞いてくれていた。彼女は実に聞き上手で、話している側も心地良くなってしまうのだ。
「……まあ、そんなわけさ。結果、一人で生きていればよかったのにパーティーに入ってしまったせいで、このザマってわけだ。全く、ケツからひり出るアレの上をごろごろ寝転がってる様な胸糞悪い人生だよ」
「もう、アデルったら。下品ですよ?」
冒険者崩れの汚い冗談にやや驚きつつも面白そうに笑うアーシャに、アデルはどうしようもない心地良さを感じてしまっていた。
明らかに自分の生い立ちや両親の死などは話す必要がなかった事だ。恋人であるフィーナにも話していなかったのに、自然と彼女には話してしまっていたのが不思議だった。
できれば、アーシャとこうしてもっと話していたい──そう思わされる程に、アデルにとっては心地良い時間だった。
だが、今は神がほんの気まぐれで天界から地上に金貨を投げ入れたかの様な時間だ。いつまでも続くものではないし、これが偶然に次ぐ偶然の上に成り立っている事はアデル自身も理解していた。
ただの怪我人と治療者の関係が終われば、冒険者崩れと王女殿下の関係に戻る。こうして話す機会もなくなるだろう。
「面白おかしく話してくれましたけど……アデルはとても辛く、寂しい人生を歩んできたんですね。王宮で何一つ不自由がない暮らしをしていた私は、その大変さを欠片程もわかってあげられません。それが……悔しいです」
一通り話終えると、先程まで笑っていたアーシャが眉根をきゅっと寄せて、沈んだ表情を見せた。
「そんな、何を言ってるんだよ、アーシャ王女。あなたは何も気に病む必要がないんだ。こんなのは……言ってしまえば、冒険者稼業や傭兵稼業を営んでいれば、誰にだって起こり得る。俺だけが特別ってわけじゃない。俺の危機感が足りなくて……後は、運が悪かっただけさ」
アデルは慌てて起き上がり、アーシャをしっかりと見据える。
彼女に飲ませてもらった薬が効いてきたのか、もう頭痛も収まっていたので起き上がる程度であれば容易だった。
「運が悪かった、ですか?」
「ああ、うっかり冥府の入り口に迷い込んじまったかと思えば、目の前でケルベロスと邪竜が決闘を押っ始めた程にな。王女殿下と出会ってなければ、間違いなく死んでいたよ」
「でも、結果的にアデルは死にませんでした。それって、運が悪いんですか?」
「え……?」
思いもよらなかったアーシャの言葉に、アデルは思わず顔を上げた。
そこには、天界から差し向けられたと言っても過言ではない天使の様な笑顔があった。もしこの場面を切り取って肖像画にできるのであれば、切り取って永遠に壁に飾りたいと思う程に、美しい笑顔だ。
「それに、私はその御蔭でアデルとこうして出会えて、お話ができました。この出会いを、ケ……えっと、お尻からひり出るアレと同じとは、思いたくありません」
彼女は早速冒険者崩れから仕入れた語彙を実用している様だった。一部は下品過ぎて再現できなかった様だが、王女で聖女とは思えない程下品な言葉遣いになっている。
「おいおい……王女様がなんて言葉を遣ってやがる」
「えへへ。使い方、これで合ってましたか?」
完璧だよ、とアデルが返してやると、アーシャは顔を赤らめて恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。
その面映い表情は、人生で初めて使った下品な言葉に対する恥ずかしさから来ているのか、その言葉の真意からくる恥ずかしさから来ているのか、アデルにはわからない。だが、不思議と彼も王女と同じ気持ちでいる事──即ち、あの裏切りと追放を、不幸で不運だったとは思いたくないと思う様になっていた。
「そんな言葉、ここを出たら絶対に使うんじゃないぞ」
アデルがぶっきらぼうな物言いでそう言い、彼女から顔を背ける。
アーシャ王女はそんな彼を見て嫣然として笑い、「わかってますよ」と彼の横顔を眺めるのだった。




