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第34話 宰相と伯爵の思惑

「それにしても、グスタフの野郎は何でそんなに余裕があるんだ?」


 ある夜、寮の談話室の隅っこでアデルはカロンに訊いた。

 西部同盟が負けて、ライトリー王国もゾールに降伏した。そうとなれば、海路も既に押さえられており、ヴェイユ王国もゾール教国に狙われる危険があるのだ。例え兵力が少なくとも、敵の上陸に備えて国力を回復させる時期であり、私利私欲に血税を使っている場合ではないのだ。

 カロンは「あまり大きな声では言えませんが」と前置いてから続けた。


「ゾール教国に不戦のまま降伏するつもりだと思います」

「何だと?」

「これはあくまでも僕の予測なので、何とも言えません。でも、そうとしか思えないんです」

「それで、あの野郎は今これだけ遊び散らかしてるのか」


 その通りです、とカロンが頷いた。

 要するに、グスタフ宰相は遊ぶだけ遊んでトンズラをこく気なのか、或いはゾール教国に身を差し出す事で利権を得ようと言うのだ。売国奴にも程がある。


「糞ッ……俺達は何もできないっていうのかよ」

「そうとも限りません」


 カロンが声を潜めて、アデルに顔を寄せた。アデルもカロンの方に耳を傾ける。


「ルベルーズのダニエタン伯爵が軍を上げる可能性がある、という噂があります」

「なんだって?」


 ルベルーズはダニエタン伯爵が統治するヴェイユ島の西側の領土だ。だが、先のヘブリニッジ戦役でルベルーズの兵もロレンス王についていったので、今ではぎりぎり町の治安を守れる程度の兵力しかないとされている。


「そんな事、ダニエタン伯爵にできるのか?」

「いえ、伯爵もそうしたい気持ちは山々でしょうが、おそらく無理だと思います」


 カロンが即答した。ダニエタン伯爵自体が既に老齢で、最前線に立って兵士を鼓舞できる状態ではない。また、主力部隊はヘブリニッジ戦役で失っており、戦力もほとんどないのである。軍を上げたところで、王都を陥落させるのは難しいであろう。


「ただ、もうダニエタン伯爵が奮起するしか、この国が助かる道は……」


 今、本当の意味でヴェイユ王国側の人間は、もうダニエタン伯爵しかいないであろう。もう一人のベルカイム領を統治するヴィクトル伯爵は、グスタフ宰相と以前から仲が良く、宰相側の人間だ。

 ダニエタン伯爵が立ち上がったとしても、まずはベルカイム領でヴィクトル伯爵と戦わなければならない。そこで勝ったとしても、王都を攻略できるほどの兵力は残っていないだろう。


(奮起、か……それって、完全に内戦状態だよな)


 ダニエタン伯爵の奮起──カロンはそう言葉を濁しているが、実質的には国賊行為だ。

 これまで一度も内戦が起こった事がない国で、暴走する宰相をダニエタン伯爵が討つという筋書きになるが、グスタフ宰相はリーン王妃を軟禁している。そして、自らの言葉は王妃のとして扱え、と宣っているのだ。そのグスタフと戦う事は、完全に反乱を意味する。

 そしてそれは同時に、リーン王妃とアーシャ王女を人質に取っている事にもなる。ロレンス王とダニエタン伯爵は旧知の仲で、親友の様に仲がよかったといわれているそうだ。だからこそ、その家族のリーン王妃とアーシャ王女の存在を無碍にはできない。反乱を起こす勇気があるかと問われれば、なかなか難しいだろう。


「頼れるものが、伯爵の国賊行為のみってか。絶望的だな」

「しっ。声が大きいですよ」


 カロンが口に人差し指を当てて、厳しい目つきをする。


「ただ、希望もあります」

「希望?」

「はい。ロレンス王は主力兵士を率いてヘブリニッジ戦役に臨みましたが、何人かの優秀な人間を敢えて連れていきませんでした」

「そうなのか? それは誰だ?」


 アデルは首を傾げると、カロンが嘆息して呆れた様な笑みを浮かべた。


「まずは、ベルカイム領の聖騎士ロスペール、それとルベルーズ領にいる亡国の騎士エトムートです」

「あいつら、戦役には参加していなかったのか」


 聖騎士ロスペールと亡国の騎士エトムートは、一年前の競技会で決勝を争っていた人物だ。今年は競技会どころではないが、今でもこの国最強の騎士はこの二人である事に間違いないだろう。


「はい。おそらく、ロレンス王はもしもの時に備えて若く将来有望な戦士をヴェイユ王国に留めておいたのでしょう」


 カロンは「そして」と付け加えて、にやりとアデルを見た。


「僕はそこにアデルさんも含まれていると思っています」

「え、俺⁉」


 予想外の言葉に、アデルは思わず吃驚の声を上げる。

 自分がそこに数えられるとは思ってもいなかったのだ。


「正直、僕はどうしてアデルさんを連れていかないんだろうって疑問に思ってました。アデルさんは冒険者だけでなく傭兵の経験もあって、実力もおそらくここヴェイユ王国ではトップクラスな上に大陸にも詳しい。そんな人を連れて行かないのは、不思議だなって。ただ、今のこの状況を見る限り……」

「もしもの時の戦力って事か」

「おそらく。ロレンス王はアデルさんとアーシャ王女の関係にも気付いていたのかもしれませんね?」

「え⁉」


 予想外のツッコミに愕然とするアデルであった。

 カロンはそんなアデルを悪戯げに見ている。


「ま、待てカロン。誤解があるぞ。別に俺達はそんな変な関係じゃ──」

()、と来ましたか。まあいいんですけど、それよりアデルさん。そろそろ時間じゃないんですか?」

「え?」


 カロンの言葉に、再度ぎくりとする。

 誤魔化そうとするが、彼は悪戯に笑って「()()()、ね?」と付け足した。


「うぐっ……どうしてそれを」


 そう言われて、思わず声を詰まらせるアデルであった。

 今日は週に一度だけアーシャと会う事が許されている日なのである。許されるといっても、近衛騎士のシャイナが少しだけ話せる様に場を作ってくれているだけだ。逢瀬と言うには、健全過ぎる。


「そろそろ気付いてる人もいるんじゃないですかね。冒険者上がりの王宮兵士が王女様とデキてるって」

「ばッ──デキてねえ!」


 アデルは思わず必死に否定する。実は彼としても何と言って良いのか分からない程、二人は微妙な関係だったのである。

 アデルとアーシャは一年前に誓いの口付けをして以降、密会してどちらともなく口付けをしてはいる。しかし、互いに気持ちを伝え合う事もしていなければ、それ以上の関係にもなっていない。何より、王女と兵士でそれ以上の事が許されるはずがないのだ。

 だが、王女のアデルを見る瞳が完全に恋をしている乙女のそれである事や、アデルを見掛けると嬉しそうに話し掛けにいく様などを城の者は見ており、うっすらと関係を察している者も何人かいた。

 何より、恋をしていなければ、口付け等求めてこないだろう。


「ほんとですかねぇ……全く、どっちが国賊なんだか」


 カロンは溜め息を吐いて、じろりとアデルを見た。


「国賊って……そりゃないだろう」


 こっちだって悶々としているのに、とアデルは心の中で文句を言っていると、丁度そのタイミングで「アデル」と彼を呼ぶ女性が現れた。橙色のショートカットの女性騎士──即ち、アーシャの護衛騎士・シャイナである。

 週に一度の逢瀬の時間だ。

 カロンはやれやれ、と肩を竦めて、アデルにからかいの視線を送るのだった。

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