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第22話 お誘い

 それからアデル達は噴水の前で話し込んでいた。

 話し込んでいたと言っても、アーシャの作ったクッキーを摘まみに、彼女の話を聞くだけだ。彼女はその美しい声色で、彼女の身の回りに起こった事をただ楽しそうに話していた。

 座学ではどんな事を学んでいるのか、そしてそれがどれだけ退屈か、退屈過ぎて教育担当の教師の白髪を数えて時間を潰しているか等を話してくれる。また、侍女との会話や噂話、或いは近衛騎士のシャイナについてもアーシャは楽しそうに話す。

 アデルはそんな彼女の会話を聞いているだけで心が癒されていくのを感じた。

 無論、住む世界が違うなと感じる事は多かった。だが、それはもはや生まれた時点での身分が異なるのであるから、仕方のない事だ。

 むしろ、「王族はそういった生活をしているんだな」くらいの感覚で聞いていた。他人事として聞いてみると、それは結構面白い話だった。冒険者をしていては絶対に知り得ない情報だったからだ。

 アデルの話も聞かせて欲しいと言われたが、「俺のは殺すだの殺されるだのの話ばかりだからクッキーが不味くなるよ」と断った。

 こうして話してみると、この純粋無垢な王女様に、冒険者の汚い話等聞かせてはならないと思えたのだ。ただ、アーシャは残念そうに眉を顰めていた。

 彼女にはただ、世界の綺麗なものだけ見ていて欲しいし、彼女に汚いものを見せない為に自分の様な兵士がいるのだ。アデルはここヴェイユ王国で過ごす様になってから、そう考える様になっていた。

 この王国はアデルが歩いてきた大陸の国よりも遥かに平和で、優れている。無論賊の様な類はいるが、国だけで治安が維持できる規模だ。それだけ国力も強い。

 アーシャ王女が王位を引き継ぐのか、はたまたアーシャ王女の将来の夫がこの国の王になるのかはわからない。だが、彼女の代まで幸福に過ごせる様に、この国の平和を守りたい。それが、自分の命を救ってくれたアーシャ王女への恩返しだと考えていた。


「今日はアデルとたくさん話せて嬉しかったです」


 そろそろ日が傾いてきて、会話のネタも尽きてきた頃合いだ。アーシャ王女が唐突に切り出した。


「クッキーを作った甲斐がありました」


 王女は目を細めて、嬉しそうにはにかんだ。


「それにしても、どうして侍女から貰ったなんて言ったんだ?」

「すみません、そう言わないとアデルが食べてくれない気がしたので」


 嘘を吐きました、と王女は微苦笑を浮かべた。

 彼女の推測もなかなかに鋭いな、とアデルは思った。確かに最初から王女が作ったお菓子だと言われていれば、食べなかっただろう。


(何でこの子はこんなに身分の差を気にしないんだろうな)


 アデルはふとそんな事を思った。

 では、彼女が誰彼問わず身分の差を気にしないかというと、そうではない。()()()()()()()()()()()はしっかりと区別はつけているし、アデルが初めてこの王宮に来た日も兵長に対して『王女の()()と近衛騎士の()()()()のどちらを守るつもりだ』と威圧していた。あれが()()()()()()()()()()()だったとしても、ここまで一介の王宮兵士に対して同じ目線で接してくる意味が彼にはわからなかった。


「あの……嘘を吐いた事、怒ってますか?」


 アーシャがおずおずと訊いてきた。

 アデルが言葉を発さなかったので、気に障ったのかと不安だった様だ。


「いいや、怒ってないよ。どんな良い子だって、ママに言えない悪い事をたまにはするもんだ」


 アデルは笑みを浮かべてそう言うと、アーシャは「お母様にちゃんと報告できますよ?」と反論した。そして、御互いに噴き出す。確かに、この程度の可愛い嘘なら母親にも言えるだろう。

 それに、その嘘はアデルが遠慮する事を見越した上での嘘だ。彼が遠慮なくお菓子を食べてられるようにする為の、優しい嘘であるとも思えた。


(この子は……本当に優しい子なんだな)


 アデルは改めて、彼女の持つ優しさに触れた気がした。


「本当は……アデルとお話する為に、クッキーを作りました」


 アーシャ王女が唐突に驚くべき事を言った。


「俺と話す為って……どうして? そんな事しなくても、話くらいならいつでも──」

()()()()をしないと、アデルの事だからすぐにぴゅ~って逃げていっちゃうじゃないですか」


 アデルの言葉を遮って、彼女は言った。

 これもまた、彼女の推測通りだ。アデルも王女と話すのは好きだが、周囲に気を遣うのと、万が一誰かに見られた時の事を考えると、あまり長く話すのは良くないと思っていたからだ。

 幼い頃から色んな人を見ているからなのか、アーシャ王女の洞察力は並大抵ではなかった。


「私はお友達として話したかったんです」


 アーシャはぷりぷり怒って言った。

 その表情があまりに可愛くて、アデルは思わず吹き出してしまった。


「あ、笑う事ないじゃないですか。アデル、ひどいですよ?」

「ごめんごめん、可愛くて、さ」

「か、かわ……⁉」


 可愛いという言葉に反応してか、アーシャ王女は言葉を詰まらせて、一気に顔を真っ赤に染めた。


(あ、やべ。やっちまった)


 アデルは言ってから後悔した。

 すんなり心の声を出してしまったのだが、色々とまずかったかもしれない。王女殿下に可愛いなどと、無礼にも程がある。


「……私、可愛い、ですか?」


 顔を赤らめながら、上目遣いで遠慮がちに訊いてくる。

 その表情は、嘘偽りないほどに、可愛らしかった。


「あ、ああ。もちろん。可愛いよ」

「ありがとう、ございます……」


 気まずい沈黙がそこで二人の間を包む。

 二人は互いに視線をあちこちに移しては互いをちらちら見て、目が合うとどうにもこそばがゆい。

 このままいても気まずいので、別れを告げようとすると、アーシャは思いもよらぬ言葉を放った。


「あのっ。来週、闘技場で競技会が開催されるのは知っていますか?」

「競技会? ああ、噂程度には……」


 闘技場に出向いた際に、壁に書いてあった事だ。

 競技会とは、町民・剣闘士・兵士や騎士までもが身分を問わずに実力を競い合うトーナメント形式の大会だ。木製の武器を用いて、誰がヴェイユ王国最強の戦士かというのを決める大会だそうだ。エントリー期間は終わっていて、もうアデルは出る事はできないが、この国の大きな祭りでもあるらしい。

 色々な出場者がいるようだが、もっぱら優勝候補はベルカイム領のロスペールとルベルーズ領エトムートの二人らしい。

 ベルカイム領のロスペールはこの国唯一にして最強の聖騎士と呼ばれる戦士で、一方のルベルーズ領のエトムートは大陸からの亡命者で、ダニエタン伯爵の養子になったそうだ。詳しくは知らないが、亡国の騎士だとか。ちなみに、そのエトムートであるが──これはまだ噂の域を出ないが──アーシャの将来の婿候補、とまで言われている。

 ヴェイユ島の西側を統治するダニエタン伯爵の養子であれば、国としても安泰だろうとの見解だそうだ。アーシャがその噂を知っているかどうかはわからないが、アデルにとっては面白くない話だった。


「それで、その競技会がどうした?」

「えっと、その……」


 アーシャが顔を赤くして、途端にもじもじとし始めた。


「どうした?」

「あのっ……私と一緒に、見に行きませんか?」


 何を言い出すのかと思っていれば、ただの同行の誘いであった。


「護衛か? それなら別に俺でなくても」

「いえ、まあ、その……護衛という形にはなってしまうんですけど、アデルと一緒に行きたいなって……ダメでしょうか?」


 おずおずと、相変わらずの上目遣いで訊いてくる。顔は赤いままだ。


「いや、それなら全然……俺に別の仕事が回ってこなければ、だけど」

「それなら大丈夫です!」


 何故かアーシャが自信満々に答える。


「そうなのか? それなら……まあ、俺でよければ」


 アデルの返答に満足したのか、アーシャは嬉しそうにはにかんだ。


「じゃあ、競技会の日の朝十時に、ここで待ち合わせですよ?」

「王女殿下の御心のままに」


 アデルは肩を竦めてそう言うと、アーシャはくすっと笑って、少しだけ首を傾けた。


「──アデル」


 そして柔らかい笑みを浮かべたまま、彼の名を呼んだ。


「ん? 何だ?」

「えっと……クッキー、美味しいって言ってくれて嬉しかったです。また作りますから、今度も食べて下さいね?」


 彼女は少し恥ずかしそうにそう言うと、アデルの返事を聞かないまま城内へと戻っていった。

 アデルはそんな彼女の後ろ姿を、緩んだ頬のまま見送っていたのだった。


「……バカか俺は。何をへらへらしてるんだ」


 自分の頬に触れて、思わず溜め息を吐く。

 アデルは自分が思っていた舞い上がってしまっていた事に気付いてしまったのだ。

 自分がそうなってしまう理由にも彼は薄々気付いていて、その理由を考えると彼の胸の奥はちくりと痛むのだった。

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