ウェルの目的
「私相手に情けをかけるとは、随分となめた真似をしてくれるではないか」
先ほどまでウェンリーの姿があった場所に向かってそう毒づく。
話を聞いている最中も全力で回復魔法を使っていたため、彼女につけられた傷はほぼ治っていた。
拳を何度か開いて閉じ、体が問題なく動くことを確認してから、ぽっかりと口を開けた下階に繋がる階段へと目を向ける。
おそらくウェンリー、そしてイルシアたちもこの下の階にいるはずだ。
あの口ぶりから行って、イルシアたちの身柄はウェンリーに確保されていると考えるべきだろう。
となればあまりのんびりはしていられない、皆の体に危害が及ぶ前に急いで助けださなければ。
強化した足で地面を蹴り、階段を駆け下りていく。
薄暗く深い階段はかなり下まで伸びていて、明らかに外から見た屋敷の高さよりも深い距離を下っていた。
ウェンリーの思う通りに形を変化させることのできるこの屋敷の中は、一種の異界だ。
どんな危険が潜んでいるかわからないため、一瞬たりとも警戒を解かずに下へ下へと潜っていく。
ようやく階段の終わりが見えてきて、平坦な地面へと足をつけた。
空気はひんやりと冷たく、屋敷の地上部分とは違い全面石造りの通路が奥へと続いている。
まぁ、どんな材質に見えようとその正体は性質を変化させたスライムに変わりはないのだけど。
一体ウェンリーの本体はどれだけの体積を誇っているのか想像もつかないし、その巨大な体をここまで制御しきるのは見事な手腕だと思う。
彼女はこの三百年、絶えず新しい体の使い方を鍛えていたのだろう。
例えそれが、望まずに与えられたものだったとしても。
「……人間の魔族化、か」
それができるかもしれないということは、私もかつて考えたことはあった。
世界魔法は存在自体が反則なので、代償さえ気にしなければほぼなんでもできるという理由もあるが、それ以前にすでに人間の魔族化という前例はあると思っていたからだ。
私たち魔族は、人間の体に魔物の性質を混ぜ込んだような存在。
今のウェンリーのように、なんらかの方法を使って魔物と人間の合成ができれば、魔族を作り出す事は可能。
そして私たち魔族の原点は魔族内でも知られておらず、魔族の元を辿っていった先でいずれたどり着くのは恐らく……。
そんなことを考えていた最中、通路の奥から悲鳴のようなものが聞こえた気がして、はっと顔をあげる。
耳をすませると、金属がぶつかりあう音や怒声が微かに聞こえてきて、この先で荒事が起きていることは間違いなさそうだ。
ぼんやりしている場合じゃないと、急いで通路を駆け進む。
先に進むにつれて、薄暗い通路をうっすらと橙色の光が色付け始めた。
色はどんどん濃くなり、やがてその光は開けた空間へとつながる。
「エリーゼ様!」
広間に駆け込んだ私の耳に飛び込んだのは、聞きなれたイルシアの声。
彼女の周りでは無数の不定形の化け物がうごめき、今にも襲いかかろうとその体を伸縮させている。
けれどイルシアに抱えられたエンが放つ魔法のせいで一定の距離以上は近づけないらしく、その体を燃やしながら一進一退を続けていた。
その近くではシェリエとカルツが共に剣を抜き放ち、襲いかかるスライムたちを何度もなんども切り裂いている。
奮闘しているようだがこのスライムたちはウェルが生み出したものであり、弱点である核を持たないため倒しきることができず、彼らの顔には疲弊が色濃く刻まれていた。
その様子を、少し離れたところで壁にもたれかかったウェルが眺めている。
彼女の表情は帽子に隠れて見ることができず、どんな心情でこの状況を引き起こしているかは推測しようもなかった。
「二人とも少し止まるのじゃ! フレイムアロー」
指で指し示した方向に、幾本もの炎の矢が打ち込まれる。
カルツとシェリエを取り巻くスライムたちを焼き払い、二人からスライムを遠ざけた。
ようやく一息つけたようで、シェリエ達は安堵のため息をついている。
「助かったエリーゼさん。あなたも無事で何より……」
「ウェル! これはどういうことだ! ちゃんと説明しろ!」
私に頭をさげるシェリエの横で、彼女の言葉を遮るようにカルツが叫ぶ。
いつも物静かなカルツがみせた激情にもウェルはみじろぎひとつせず、はぁとため息をついてから壁から背中を離した。
「どういうこともなにもないよ。見たとおり、全部ボクが仕込んだ事でした、騙されちゃってバカみたい、ってだけ」
呆然としているカルツとは視線を合わせず、そんなことより、と言ってウェルは私に視線を向ける。
「随分早かったねエリーゼ。そんなにイルシアさんが大事?」
「当たり前じゃ。さて、今度は逃がさんぞウェンリー」
「元魔王が人間に肩入れとか、本当萎えるなぁ。でもボク達が知らなかっただけで、君はあの頃からそうだったみたいだしね」
やりづらいよ本当とつぶやきながら、ウェンリーは杖を手にし、前に構えた。
「あとその名前で呼ぶのやめてくれないかな? 今のボクはウェル。ウェンリーなんていう愚か者は、リエラに裏切られた時に死んだの」
「戯言をぬかしおって。ではウェル、その格好で私に挑むのも、過去との決別の表れということか?」
先ほどまでと違い、ウェルの服装は私たちと旅をしてきた時と同じ、黒のマントに身を包み、同じく黒の三角帽子を目深くかぶっている。
「そうだよ。ボクは魔法使いウェル。エルネルト教の企みを挫き、教皇を討つことで今度こそ人間界に平和をもたらす者」
仰々しくそう口にしたウェルが大きく杖を横になぐと、前回屋敷に入った時と同じように地面が大き振動を始めた。
「その礎のために君たちには、ここで犠牲になってもらう」
「……おぬしの目的はまさか」
私のつぶやきに応えるように、ウェルはくすりと笑って口を開く。
「ねぇエリーゼ。君はもちろんスライムの特徴をしっているよね?」
彼女が考えていることを理解した私は、身を翻してシェリエとカルツの方に近づいた。その首根っこをひっつかみ、急いでイルシアの元へと向かう。
「スライム最大の特徴、それは捕食した相手の能力を取り込むこと。君の力と知識があれば、ようやくボクはリエラに対抗できるだけの力を手に入れられる」
この深さでは、崩壊前に屋敷から脱出するのは難しい。
私だけならともかく、ただの人間である三人を抱えながらとなればほとんど不可能だ。
ならば、取りうる手段は一つしかない。
イルシアのそばまで駆け寄った私は、どさりとシェリエ達を地面に放り投げた。
痛っ! と二人が悪態を付くが、時間がないので無視してイルシアに向き直る。
「イルシア、私の頼みごとは覚えておるな?」
私の問いかけに、彼女は力強く頷く。
ならば良いと彼女の頭に手を乗せてから、空いた手で魔法を構築する。
「少し荒っぽいが我慢するのじゃ。エン、あとは頼むぞ」
任せろと言わんばかりに火を履いて鳴くエンを見てニコリと微笑んでから、構築した魔法を石壁に向かって撃ち放つ。
爆音と熱風を伴って放たれた炎弾は壁を溶かし、巨大な穴を開けて屋敷の外までの道を切り開いた。
いくら形質が変化しているとはいえ元はスライム、私の魔法を完全に防ぐまでは至らない。
えぐり抜かれた大穴のその先で外の景色が垣間見えるが、修復を始めたスライムがどんどんその穴を塞いでいく。
人が通れるほどの大きさを確保できるのは、もう幾ばくの時間もないだろう。
もう片方の手で、暴風で構築された龍を紡ぎ出し、その龍の上に三人を放り投げた。
「エリーゼ様も早く!」
龍の上からイルシアの手が伸ばされるが、私は首を横に振ってその手を振り払う。
「私はまだやるべきことがあるのでな」
最後にそう告げてから、イルシア達を乗せた風龍を塞がりかかっている穴の中へと突っ込ませた。
イルシア達が屋敷の外に脱出するのと同時に、私が空けた大穴は完全にその口を閉じる。
「お見事。自分の身を呈してまで友達の命を助けるなんて涙が出ちゃう」
冗談めかしてそうのたまうウェルを、私は冷めた目で見返す。
「おぬしが見逃したくせによく言うわ。本音では私以外に危害を加えたくなかったのじゃろう」
よくよく思い返してみれば、ウェルの行動は不自然な点が多い。
まるで何かに迷い、踏ん切りがつかずにいるかのように。
その理由の一端には間違いなく、カルツやイルシアの存在があるのだろう。
私が逃げ出そうとしたならともかく、あの三人を逃がすだけならウェルは邪魔してこないだろうと踏んでいた。
「例えそうだったとしても、ここで死ぬ君には何の関係もない話だよ」
ウェルがそう言い捨てたのと同時に、いままで建物を構築していたスライムがウェルの周囲を残して一斉に液状化する。
洪水のように押し寄せる粘液は私の体を覆い尽くし、この身を捕食せんと殺到した。
「おやすみエリーゼ。ボクの勝ちだ」
彼女のその言葉を最後に私の視界は完全に閉ざされ、聴覚も全く機能しなくなる。
無音で真っ暗闇の世界が、あっという間に私を包み込んだ。
呼吸もできず、息苦しさと圧迫感を感じながら、私の意識もその暗闇に引きずり込まれそうになる。
けれど意識が落ちる前に、その黒く塗りつぶされた世界を、私の魔法が赤く切り裂いた。
「なぁウェルよ。おぬしに一つ大事なことを教えてやろう」
私を包むように燃え上がった巨大な炎の柱は、私以外のものをすべて燃やし尽くし、天に昇る紅き塔として夜空に君臨する。
「どれだけの謀略を図ろうと、どのような策を練りこもうと、圧倒的な暴力の前にはすべて無意味だということを」
再び取り戻した視界の中で、驚愕の表情を浮かべるウェルの姿を見つけ、ぐいっと唇の端を持ち上げた。
「ここまではおぬしの思惑通りじゃろう。体内の最深部におびき寄せ、逃げられないように人質までとり、そして見事私の捕食に成功した」
呆気にとられていたのは一瞬、ウェルの表情はすぐに苦々しいものへと変わっていく。
「だからこうして破られたのは、単純に力量の問題。それでも私を喰らいたければ、手足をもいで切り刻んでから捕食するべきだったの」
炎を纏った大剣を大きく横に薙ぎ、なお私にまとわりつこうとするスライムを焼き払った。
天に向かって空いた大穴をつたって、魔法で生み出した風に乗り上昇していく。
その進行を阻もうとスライム達が触手を伸ばして道を塞ぐが、それよりも早く私の放つ炎が焼き焦がしていった。
「イルシア達の身を心配する必要がなくなった今、私に手加減をする理由はない。おぬしの企みもここまでじゃウェル」
ウェルの体内を抜け出し、霧の晴れた夜空へと逃れた私は、空高くからウェルを見下ろすように見つめる。
先ほどまで屋敷があった場所には、粘ついた塊が荒れ狂う水面のようにのたうっていて、その中心ではウェルが可笑しそうに笑っていた。
「形勢逆転、って感じかな? 全く規格外にもほどがあるよ。けどこれで終わったわけじゃない」
杖を構え、たぎる戦意を瞳に灯しながらウェルは真っ直ぐに私を見据える。
「お望み通り、今度は手足をちぎってばらばらにしてから食べてあげる」
「やれるものならやってみるがよい。わかっておると思うが、私は強いぞ」
お互いに自分が負けるなんて一片たりとも想像していない私たちは、そう言って不敵に笑い合った。




