攻略開始
夜の闇の中、濃い霧をかき分けるようにして先へ先へと進む。
目指す場所はアルガスの郊外、万が一戦闘になっても住民に被害が及ばない場所だ。
夜の暗さと霧の影響で視界はほとんど残っておらず、気を抜けば一瞬ではぐれてしまうため、私たちは固まって走り続ける。
こまめに後ろを見ながら、皆がちゃんとついてきているかを確認しつつ私は先頭を走っていた。
「……いつまですねてるんじゃおぬしは」
振り返るたびに鬼のような形相で私を睨みつけてくるウェルと数度視線を交わしたのち、耐えきれなくなった私は思わず口を開いてしまう。
「この空腹が満たされるまでだよ」
一切目線をそらさず、殺意を込めた目線を投げかけてくるウェルに、何を言っても無駄かと再び視線を前に戻した。
そんな私たちのやり取りを、腰に剣を携え、戦闘用の装備に身を包んだシェリエが困った様子で見ている。
「だからやめとこうっていったじゃないですか……」
はぐれないように私の手を掴んでいるイルシアが、ぼそりと私の耳元でそう囁いた。
ウェルたちがシェリエを呼びに行っている頃、不本意ながら留守番を命じられていた私たちの前には霧の騒ぎのせいで出されるのが遅れていた料理が並べられていた。
どうせシェリエが到着したらすぐに出発することになるだろうと思っていたので、イルシアとともに腹ごしらえだけしておこうと先に料理をもらうことにしたのだ。
今思えば、それが間違いの始まりだったのだろう。
予想より遥かに私好みの料理だったことと、量が少なくイマイチ空腹がみたされなかったこともあり、どうせこの状況でウェルたちが飯を食っている時間の余裕はないだろうと踏んだ私は、ウェルの分の料理をつまみ食いしていた。
決して、散々冒険者ランクでいじられた腹いせにとかそういうわけではない、決して。
そして私がメインディッシュを口に入れた瞬間を、シェリエを連れてきたウェルに目撃された結果、今に至っている。
「食べ物の恨みとは恐ろしいものじゃな」
ぼそりと私が呟くと、後ろの方でウェルが舌打ちをするのが聞こえた
この一件が終わったら美味い飯屋に連れてって謝ろう。
「喧嘩をするのはそのあたりにしてもらえないか……。それより、方角はこっちでいいのだろうか」
「私の読みが正しいのならば、おそらくこの方角であっているはずじゃ」
もっと言ってしまえば、人気のない場所にさえ行ければそれでいい。
おそらくウェンリーは幽霊屋敷をある程度好きな場所に出現できるはずだし、仮にも元勇者パーティである彼女が人間を傷るけるとは思えなかった。
それはシェリエの私兵が傷を一切負わされず、装備だけ剥かれて追い返されたことからも間違いないだろう。
とすれば、彼女が幽霊屋敷を出現させるのは、ターゲットである私が人気の少ない場所へ行った時。
「と、私が考えるところまであの女は読んでいるのじゃろうな」
アルガスに来る途中、屋敷の中でウェンリーの姿を見せられた時点で、私は彼女の術中にある。
世界魔法の危険性を知り、ウェンリーを知っている私は、この時代にいるはずのない彼女の存在を見過ごせるはずがないとウェンリーは考えているはずだ。
そしてそれはその通りであり、現にこうして罠が張ってあるとわかっていても私は屋敷へ向かっている。
私がウェンリーの考えを読んで、人気のないところに行くであろうことも織り込み済みだろう。
彼女の策にのってあげている間は私の想像通りに事が運ぶはずだ。
「……ボクもたぶんこっちであってると思うよ。霧が更に濃くなってきた」
さすがにこの状況でいつまでも起こっているわけにはいかないと思ったのか、冷静な声でウェルがそう口にする。
武器を持っているシェリエとカルツは表情を引き締め、隣を走るイルシアはぎゅっと私の腕を握った。
「予想通りじゃな」
手を伸ばせば触れらるほどの距離にいる相手さえ確認できないほど霧が濃くなった頃、急に魔力が膨れ上がるのを感じる。
その感覚はアルガスに来る途中、山中で感じたものと同質なものだ。
地面から盛り上がるように溢れ出たその魔力は、幽霊屋敷として急に晴れた私たちの視界へと姿を表す。
「これが……。噂通りだな」
シェリエは初めて目にする幽霊屋敷に、驚きで目を丸くしている。
二度目の私たちはそこまでの驚きもなく、シェリエから一歩離れたところで二度目の屋敷を眺めた。
「そういえば、シェリエに私のランクの話はしたのかの?」
「ん? してないよ、面倒な事になりそうだし」
ふと気になった事をぼそりと隣にいるウェルに聞いてみると、意外にもすんなりと答えを返してくれる。
最低ランクはここで待っているように、なんて言われたら面倒なのでシェリエに伝えていないのは助かった。
「わかってると思うけど、エリーゼさん無理しちゃダメだからね」
「言われるまでもない。無理などするような相手でもないからの」
その自信はどっからくるんだよ……と呆れ顔のウェルを置いて、シェリエの隣へと足を踏み出す。
「ではいこうか領主様。護衛は必要かの?」
「シェリエでいいよ、堅苦しいのは嫌いなんだ。それに、護衛も大丈夫」
そう言ってスラリと剣を抜きはなったシェリエの立ち振る舞いは、隙を感じさせず彼女の言葉がただの冗談ではない事を伝えてくる。
もっともウェンリー相手では多少の腕がある程度では太刀打ちできないだろうが、それはこの世界の人間ほぼ全てに言える事なので、ここで口にはしないのが華というものだろう。
「それでは行こうかの。全員、裸に剥かれないように気をつけるのじゃぞ」
私の言葉に三人は苦笑で返しつつ、表情を引き締めて私の後についてくる。
屋敷の扉は私が吹き飛ばしたにもかかわらず元に戻っており、先頭に立っている私はその扉をぐっと押した。
ギギギ、と不快な音を立てて開いた屋敷の内部は、前回見た景色と変わりはない。
相変わらず人気はなく、ただ綺麗な状態に保たれた家具が部屋の中に配置されているだけだ。
「……静かだな」
ぼそりと呟いたシェリエの声が、がらんとした広間に響き渡る。
まるで時が止まったかのようなその空間は、まるで私たちという異物を拒んでいるかのような雰囲気を発していた。
「……前に来た時も思ったが、物凄く気持ち悪いなこの中は」
そこら中で濃い魔力が脈打っているような感覚が、魔力感知を通して私の全身に流れ込む。
まるで巨大な生物の中に呑み込まれているかのようだ。
「いつまでもこうしていても仕方ないし、先に進もう?」
ウェルの言葉に頷いて、私は慎重に二階への階段を登る。
前回ドレスの女の姿を見た場所を通るが、今回は人の姿もなくただただ静かな空間が存在しているだけだった。
「うーん、前いた人はいないのかな」
「幽霊かもしれんわけだしの。そんなに簡単には現れないのではないか?」
前回は私に姿をみせつけるため、すぐに姿を現したのだろうけれど、今回はもうその必要はない。
おそらく最奥部でじっと私の到着を待っていることだろう。
階段を上がり、前回屋敷が崩壊してしまったため探索することのできなかった部屋の前へとたどり着く。
「確か前来た時はボクがここを開けようとしたら崩れ始めたんだよね」
「じゃな。まぁおそらく今回は大丈夫じゃろう」
三日でここを発つと宣言した以上、必ず今回で私を仕留めに来るはずだ。
扉に手をかけぐっと押し開けると、案の定屋敷が崩れるようなことはなく、前回は見えてこなかった新たな通路が開かれる。
通路の奥へと足を進めると、さらに濃い魔力が溢れ出てきていて、この屋敷の異常さを伝えてきているようだった。
「ここから先はさらに魔力が濃くなっておる。全員気をつけて……」
注意を促そうと後ろを振り返ったところで、じぶんの迂闊さに思わず舌打ちをしてしまった。
視線の先にあるはずの三人の姿はなく、今自分が入ってきたばかりの扉も存在しない。
まるで最初から通ってきた道などなかったかのように、ただ行き止まりを伝える壁があるのを見て、私は三人と分断されたことを理解した。




