31 幼馴染の抱えていることは <ギフト:exaさんから>
<31話あらすじ>
百瀬の言葉の端々から、さとしや深町のことよりも南朋のことが大事なんだという思いを感じとり、戸惑う南朋。
南朋にとってはさとしも、深町も、もちろん百瀬も同じように大事な友達なのだけれど。
家に帰ると大人不在の百瀬家は小学生の妹・悟の天下のようだった。
南朋の家に避難してくるがそちらもそちらで居心地は良くないようで……。
突然、テーブルの上のスマホが震えた。
百瀬は肘をつき、身を乗り出して覗き込む。
「誰?」
「小田からライン。ネコのことだよ。ほら」
俺は百瀬が見やすいようにスマホの向きを変え、テーブルの上を滑らせた。
——深町さんちのネコ、今日も元気だよ!
日曜日の世話について報告です。今週は深町さんのお父さんが単身赴任先から戻ってきているからこなくていいって。
あと、深町さんのお母さんが動物病院の先生から聞いて、保護猫を世話する団体に連絡したらしいんだけど、いまは空きがないみたい。
居場所が見つかるまで月曜からも頑張ろうね——
吉永たちとガレージで自撮りしたのだろう写真も合わせて送られている。
カメラ目線の四人に囲まれ、深町がひとり胸の中のネコを見ているのがなんだからしいなと思う。
しばらく画面を見つめていた百瀬は、顔をあげスマホを突き返した。
「ふーん。深町さんちも単身赴任か。お母さんは高校の先生なんだっけ。大変だね」
「知ってたんだ」
確かにどこだかでそんな話をしていたかもしれない。気のないふりして案外聞き耳を立てているんだな。
百瀬は慌てて口を尖らせ言い訳する。
「たまたま、ほら、守姉が南綾だし。それで……」
「わかってるよ」
わざわざ強調しなくても、百瀬が自分は深町に興味はないってことにしたいんだというのは伝わってる。
本当はまったく反対に、気になって仕方がないんだってことも。
俺もおんなじ。口にはできないけど、深町のことが気になっている。
いくつかの不可解なことに説明がついてしまったことが、憂鬱で仕方がない。
本人たちに確かめたわけではないし、全くの思い違いかもしれないのに。
ぐるぐる考えて、考えすぎて、箸が止まってしまうくらい。
「噂のことだけどさ。あんま気にすることないんじゃないの。人には人の事情があるし、そもそも俺らには関係ないことなんだから」
百瀬は視線を窓の外に逸らし、突き放すように言った。
俺が二人の噂を気に病んでいるように見えたのだろう。心配したんだ。俺のことを。
虎之助も言っていたけど、百瀬は俺に対してはなんというか、めざといし、過保護だから。
「関係がない、か」
「そう。関係がない。いいから、さっさと食べなよ。せっかくあっためてもらったのに、冷めちゃうだろ」
過去のことだし、俺が考えても仕方がないことには違いない。だけど、百瀬のように割り切れることはできそうになかった。
俺にとっては深町も、さとしも、他人じゃないから。
百瀬にとって二人は、関係がないと言い切れてしまうほどに遠いのか? そんなはずないだろ。
俺には百瀬の態度がどこか不自然に映る。あえてその話題を俺に無視させようとしているかのように。
*
百瀬は俺のマンションの向かい側にある自宅前で自転車を停めると、鼻の頭に皺を寄せた苦々しい顔をしてこちらを振り返った。
「これから南朋んちに行ってもいい? 夕飯前には帰るからさ」
見ると母親の出張で空となった駐車場には、ピンクや水色の子供用自転車が何台も押し込まれている。
来客だ。それも大勢。
「まあ。大丈夫だと思うけど」
土曜は父が昼過ぎまで寝ていることが多く、それに合わせて母もたいがい家にいる。
朝早くに出て行った祐樹はもう帰っているだろうか、などと推測する。
「もー。悟のやつ、母さんが出張に行くとすぐ溜まり場にする。譲姉の原付はないし、守姉も部活だろ? 絶対カオスだ」
外から見ると静かなものだが、百瀬が玄関を開けると悟ちゃんの友達連中が騒ぎ出すのは容易に想像がついた。
小学校で、百瀬がちょっかいかけては追いかける子供っぽいやりとりの”やられる側”であり続けたのを見てきたからか、そういう関わり方をしていいもんだと勘違いしているようなのだ。
家族内の力関係でも、百瀬は悟ちゃんに押され気味だ。
俺も家で弱い立場にあるので同情する。
「よし。避難するか」
「助かる」
三階建ての一軒家に住む百瀬と違って、俺ひとりの部屋は存在しない。
うちに来たところで、落ち着かないことに変わりないだろうが。
あまりうちの家族はオープンな方じゃない。
特に父は家族以外が家に入るのを極端に嫌がる。
けれど、小さい頃からよく知っている近所の百瀬のことは、きっと追い返したりできないはず。
俺は百瀬を連れて、緊張しながらマンションの自転車置き場の鍵を開けた。
エレベーターを降り、玄関の鍵を回すが全く抵抗がなかった。
ドアハンドルを引くと抵抗なく扉が開く。
神経質な父や、心配症の母は、閉めて出たって不安になって引き返すくらいだ。在宅であっても間違いなくきっちり閉める。
「祐樹が帰ってきてんな」
うちで鍵を開けたままにするようなヤツは祐樹くらいしか考えられない。
「なにそれ。予知?」
鍵を刺したままつぶやく俺を見て、百瀬が首をかしげる。
「どちらかというと推理。ここで待ってて。一応、話してくるから」
断られることはないだろうが、突然押しかけたと思われるよりは印象はいいはず。
俺は百瀬を扉の前に置いて、靴を脱いだ。
すでに玄関まで来てると言うと案の定、父はちょっと嫌な顔をした。せっかくの休日なのにくつろげないと言いたげだ。
母はそんな父の表情を読んでか
「入っていいのは子ども部屋だけよ」
とわざわざ小学生にするような約束をさせる。おそらくこれは父を納得させるためのパフォーマンスだ。
それでいて百瀬を招き入れると、ふたりともすぐさま歓迎しているとしか思えないような顔をするのだから、大人ってよくわからない。
母は百瀬から出張で月曜まで大人がいないこと、いま家に悟ちゃんの友達がいっぱいきていることを聞くと思い切り眉をひそめた。
「成人してるお姉ちゃんがいるとはいえ、小学生もいるのに泊まりがけなんて。それも二日も?」
声を裏返らせる母を父は鼻で笑った。
「お前が考えてるような甘い仕事じゃないんだろ」
パートタイマーで働く母なんかにはわからないだろうと言わんばかりだ。
母は負けじと応戦する。
「ほっとけば子どもが大きくなるとでも思ってる? 何かあっても大人と同じような判断ができるわけじゃないのよ」
百瀬をネタに両親がお馴染みの口論を始めるのに辟易し、俺は巻き込まれる前に立ち去るが良策と百瀬の袖を引いた。
「じゃあ、そういうわけで。お構いなく」
今現在、百瀬の家にいるのが小学生だけかもしれないのは黙っていよう。
部屋に入ると二段ベッドの上から顔を出した祐樹からきつい一言で出迎えられた。
「おっす、薫。ちっこいのに追い出されてきたんだって?」
「違います。騒がしいと疲れるから避難してきただけですよ」
百瀬はムッと口を結んだ。
「はん。騒ぐんなら出てけって、言ってやりゃいいじゃねーか」
「……祐樹さんが邪魔だっていうなら、俺、帰りますけど」
来たばっかりでもうケンカかと頭を抱えた。
祐樹の言葉に深い意味はまったくない。ただ浮かんだことをストレートに口にしているだけだ。
「別に邪魔とは言ってねーよ。ゆっくりしてけば」
「……はい」
あっけらかんとした顔で梯子を降りてきた祐樹に、百瀬が素直な返事をする。
祐樹はほんとになにも考えてない。気にするだけバカみたいな気持ちになるんだ。
父さんもそう。自分が人を腐した発言をして傷つけたのに全く気づいていない。
年長者の言うことを聞け。男なら強くあれ。
男ばかりの家の長男で、なにをやっても人並み以上だった祐樹にとって、それは違和感を抱くこともないほど当然の発想なのだろう。
だが、女ばかりの家で頭の上がらないでいる百瀬の日々を思うと、それを真正面から受け止めるのはなかなかしんどい。
今、百瀬はどんな顔をしている?
それきり黙りこんでしまった百瀬のことが心配になる。
祐樹の言葉を被害的に受け取り、過剰に反応してしまった自分を恥じてはいないだろうか。
空気が重くなるのを避けようと俺は、今日のバスケのことを持ち出した。ちょうどいい共通の話題があるとひらめいたのだ。
「祐樹、今日の合同練習にさとしが来てた。あいつ、清水中のバスケ部にいるんだ。バスケちゃんと続けてたよ」
瞬間、なぜか場にピリッと見えない緊張が走った、ような気がした。
「……そうか、よかったな。で、どうだったんだ。アイツ上達してたか」
妙な間を挟んで祐樹が尋ねる。
「う、うん。すごかったよ。背もさらに伸びてたし。俺も、百瀬も、対戦できなかったから、怪我が治ったらどっかでやりたいと思ってる」
「なんだ。薫は出してもらえなかったのか」
俺は怪我で出られないことが決まっていたが、百瀬は違う。
惨めな思いをさせたくなくて、俺は百瀬に変わって咄嗟に言い訳してしまった。
「体調が悪かったんだよ。トイレで吐いたりして、絶不調だったんだ」
話しながら余計なお世話だったかもしれない、と百瀬の顔色を伺う。
祐樹は百瀬の全身を舐めるように見て
「今は元気そうだが?」
と首を傾げた。
「元気です。気分が悪くなったのは、朝、食べながら自転車漕いだせいですよ。寝坊したんで」
「おいおい、運動部だろ。体が資本だぜ? 食事と睡眠にも気を配んねーと」
百瀬の事情を聞くやいなや、祐樹はぐうの根も出ないド正論をぶち込んできた。
誰もが祐樹のようにいつでもどこでも爆睡できるわけじゃないし、食事だって中学生の百瀬にできることは限られている。
まるで自分の力でなんでもやってるかのように言うけど、毎日時間通りに風呂を準備するのも、バランスを取れた食事を作っているのも母じゃないか。
その母が、それに父も二人とも今の百瀬の家には不在で、それでもなんとか間に合わせようと出てきたんだ。
それらを当たり前のように準備され、ただ受け取っているだけの祐樹になど、正論を言われたくはないはずだ。
百瀬は怒ることもなく、いかにも棒読みな相槌を打った。
「ソウデスネ。……正直俺、バスケに向いてないんですよね。親も小さいし、体力ないし。そろそろ俺も、祐樹さんみたいに違うこと始めようかな。柔道とか」
「活躍の場がないのは柔道でも同じだろ」
誰か祐樹の口を塞いでくれないだろうか。
正直、俺も同じことを思ってしまったけれど、思っても普通は黙っているものだ。
もしも百瀬がバスケ部を辞めるようなことがあったらお前のせいだぞ、と念を込めて睨みつけるが、祐樹は俺の方など見ようともしない。
「薫。お前、逃げたくなったんだろ。さとしから」
祐樹の指摘に百瀬の顔が一気に青くなった。




